第52話 月の裏
トルクメニスタン。首都アシガバート。白教大聖堂。
最奥の白い椅子に腰かけながら、頭を抱える少女がいた。
「あぁ……。めんどくさぁ……。なーんでそこまでやるかなぁ」
教皇エリーゼは、自分で蒔いた種と理解しながら悶えていた。
悩みの種は言うまでもなく、郊外で起きた規格外のセンスの衝突。
白教と悪魔の政治的な緊張を高める事象だと、すぐさま理解していた。
「立場上、顔は出せないし、枢機卿は交渉中で、大司教は出払ってる……」
派遣する人材を考えるものの、パッと思いつかない。
懐から携帯を取り出して、名簿と連携したアプリを開く。
『首都住み』『なるはやで動ける配下』と入力し、AIが検索。
この際、強さはいらない。都合のいい信徒が一人いればよかった。
「あー、この子かぁ。この子なぁ。悪くはないんだけど……」
アプリ上に表示されたのは、数件の連絡先だった。
真っ先に目に入ってきたのは、一番上に表示される名前。
「まぁ、いいや。今は考えるよりも、早めに手を打つのが最優先っと」
それ以上は深く考えることなく、エリーゼは通話ボタンを押した。
◇◇◇
修道院の寝室のベッドで寝静まっていた時のこと。
非常識な時間にかかってきたのは、心地のいい着信音。
『イブさん。電話が来てる、です』という推しの声が響いた。
「誰ですかぁ、こんなド深夜に……」
嫌な気持ちが良い気持ちで相殺されながら、起き上がる。
枕元にあるランプスタンドの電源を入れ、一部分に光が灯る。
淡く照らされるのは、丸いサイドテーブルと携帯と黒縁の丸眼鏡。
ぼやけた視界の中、手探りで眼鏡を回収し、両目にかけ、相手を確認。
「って、ええっ!! きょ、きょきょきょ、教皇!!!?」
そこに表示された人物に、思わず素っ頓狂な声が出る。
あまりの声のデカさに、消灯していた修道院の明かりが点灯。
ドタドタと心臓が縮こまるような怖い足音が聞こえ、扉が開かれる。
ルールに厳格な修道院長のご登場。皺だらけの顔で眉をひそめて言い放つ。
「またですか、やかまし娘のイブ・グノーシス! 罰として朝食は抜きですよ!」
そうそれが私。白教の最底辺を支える、しがない修道女だった。
◇◇◇
修道院長にどやされながら、電話に出て、事情を確認。
手のひらを返すように外出許可が下りて、身支度を進める。
白の修道服を着て、茶色のボブヘアを整え、黒のブーツを履く。
「なんで私なんだろう。もっと適任がいそうだけど」
靴ひもを強く結んで、明るい寝室で独り言をこぼす。
考えるのは、あれやこれや。役に立てるかどうかの不安。
与えられた任務は偵察だけど、戦闘になれば一気に足手纏い。
もしかしたら、切り捨てられる前提かもって、嫌な妄想が膨らむ。
「ま、なるようにしかならないか。あわよくば、昇進の大チャンス!」
持ち前の能天気さで、陰鬱な思考をリセット。
拳をぎゅっと握り込んで、ベットから立ち上がった。
「――動くな。声を出すな。分かったら、黙って頷け」
出鼻をくじくように、背後からヒヤリとする声がかけられる。
首元にはかぎ爪のようなものがあてられ、喉が掻っ切られる寸前。
「…………」
血の気が引くのを感じながら、黙って二度頷いた。
横目には、風に靡くカーテンが嫌でも目に入ってくる。
ここは三階だけど、窓から華麗に侵入されたみたいだった。
声音からして、女性ということは分かるけど、それ以上は不明。
多分知り合いじゃないとは思うけど、今は黙って従うしかなかった。
「……ってのは冗談さ。ご無沙汰だね、強虫イブ」
すると、首元にあてられた爪は下ろされ、懐かしいワードを聞く。
これまでの人生を考えた中で、その言葉を知っているのはたった一人。
「お、お師匠様……?」
振り返ると立っていたのは、短い青髪の見知らぬ女性。
白教とは相反するドレスコードで、黒のスーツに袖を通す。
それでも分かる。魂で感じ取れる。紛れもなく、この人こそは。
「月は満ちた。アンタには、教皇落としに一枚買ってもらうからね」
元教皇代理イザベラ・レナトス。止まっていた歯車がようやく動き出した。




