第40話 和平協定
パチリと目を開くと、そこは和室であった。
畳が敷かれた部屋に、机と座椅子が並んでおる。
すぐ近くには、二匹の鬼が談笑している姿が見えた。
他愛もない話であり、特筆すべき内容は何一つなかった。
――目の前に『推し』がいるだけ。
恵まれた状況だと理解しつつも、それは享受した。
偶然の副産物を噛みしめるよりも、やるべきことがある。
「……失敬した。少し取り乱したが、仕切り直しとさせてくれ」
目の前の至福を冷静に受け止められるほど、頭は冴えていた。
先ほどのような、私情にまみれた行為は絶対しないと断言できる。
ここに来たのは、『推し』とファンミーティングするためではなかった。
「ビジネスの話をしよう。そのために『社長』には御足労願った」
机に突っ伏した状態から起き上がり、リアは本題に入る。
少し寝たおかげか頭はスッキリし、仕事モードに切り替わる。
人の使い魔になろうとも、存在の本質は一つも変わとらんかった。
――悪魔は契約が命。
思惑を明かし、利害を示し、合意に持ち込めるかが肝。
人間社会で例えるのなら、営業力といっても差し支えない。
その良し悪しが、悪魔の評価に直結し、相対的な差を形成する。
第一級悪魔としての腕の見せどころであり、失敗は許されんかった。
「はいはい。そんなこったろうと思ったよ。……とりあえず、話は聞くよ」
桃子は目を細め、真剣な表情で反応を示していた。
キャラにブレはないものの、配信では見れない裏の顔。
配信者と舐めてかかれば、食われるのはこちらだと言える。
どこまで頭が回るのかは未知数だが、高く見積もって損はない。
「吾輩たちの最終目標は、鬼と悪魔の和平協定を結ぶこと。……ただ、775が鬼の全勢力を統べているわけではないのは知っておる。そこで、目標実現の第一歩として、この場で775との関係を強固にしておきたいと、こちらは考えておるぞい」
最初に明かしたのは、条件ではなく、思惑。
前提条件を先に共有しておかないと、話にならん。
契約を成立させるには、懐を知ってもらう必要があった。
「『吾輩たち』、か。悪魔側も一枚岩じゃないんでしょ。今の面子を教えて」
桃子は一つのワードに注目し、鋭い切り口を入れる。
面々が増えるのを考慮に入れつつも、現状把握に努める。
少ない情報から、的確に問題点を指摘できる眼を持っていた。
非常に的確で、この場においては、ほぼ最適に近い回答に思える。
「主様と吾輩を含めた第一級四匹と傘下。……ただ、議会の過半数には届かぬな」
リアが明かすのは、こちらにとって不利な情報。
悪魔社会は意外にも、民主主義の影響が色濃く残る。
物事を決めるのは多数決。『十二貴族』の過半数票が必要。
鬼と悪魔の和平協定も、一方的に押し切れる状態ではなかった。
「この場で合意しても、足掛かりに過ぎないか。先は長そうだね」
厳しい状況を受け止め、他人事のように桃子は語る。
実際、この話し合いにおいて、最も面倒な問題だと言えた。
775と合意できても、こちらが抱える困難も共有されることになる。
――断られてもおかしくない。
赤字で潰れかけた大企業を買収するかどうかに近い。
相手によっぽどのメリットがなければ、合意には至らぬ。
「ひとまず、775とそちらだけの話で聞くけど、合意した場合の条件は?」
そこで桃子から尋ねられるのは、リスクとリターンの話。
利害関係に繋がり、協定には切っても切り離せない問題だった。
「我々が欲するのは、775の影響力と経済力。与えられるのは、我々の庇護と居場所の提供と言ったところか。こちらには、独創世界持ちが何匹かおり、交代制にすれば、滅葬志士などの天敵から身を守れ、雨風を凌げるであろうな」
リアは虚実を混ぜることなく、本音で接する。
鬼という『特定外来種』が抱えている問題は、憲法。
人権を認めらずに苦しめられているのは、聞き及んでいた。
その事情を考えれば、合意の決め手になる可能性は十分にあった。
「用心棒とシェルターってな感じか。上がりは何パーセント欲しい?」
前向きに検討しているのか、話は進展を見せた。
このような協定の場合、利益の一部を貰うのが普通。
家賃や消費税のように、胴元に相応の報酬が入る仕組み。
――問題は設定する数字。
上げ過ぎれば破断し、下げ過ぎれば足元を見られる。
利害関係を維持するには、このバランス感覚が重要だった。
「…………」
そこでリアが立てたのは、指一本。
人差し指を突き立てて、相手の反応を待った。
「10%か。かなり妥当だね。ぼったくりでもなく、世間知らずってわけでもない」
1が100%を意味することは少なく、桃子は10%と断定する。
無難な数字。互いの損得を考えれば、相場通りとも言えるもの。
このまま話を進めれば、775との和平協定は難なく結ばれるであろう。
――だが。
「いいや、違うぞ。……月の経常利益の1%だ。吾輩たちは多くを求めん」
リアは、相場よりも低い数字を提案する。
目先の利益ではなく、その先を見据えていた。
「うわー、一気に胡散臭くなってきたな。注意書きがあるなら早めに言ってよね」
言葉の裏を読み、桃子は勘ぐるように言った。
裏を返せば、何もなければ納得しないような反応。
詐欺師なら後出しで条件を加え、暴利を貪るであろう。
――ただ、それは生理的に受け付けん。
あくまで、前提条件の延長線上にあるものが全て。
そこをクリアせねば、真の信頼関係を構築することはできん。
言ってしまえばここが、損得のバランス感覚を最も問われる場面だった。
――その上で付け加えるものは。
「悪魔を775のライバーか運営にさせる権利、というのはいかがかな?」
「箱推しさせて、そっちは自分たちでお金を稼ぐ。こっちはライバーが増えて儲かるし、格安で用心棒と居場所が手に入る。まさにウィンウィンってなわけだ」
提示された条件に、桃子は目を輝かせていた。
その瞳の奥には、お札が浮かんでいるようにも見える。
ただ、即断即決と言うわけではなく、しばらく考え込んだ末に。
「いいよ、乗った。……ただし、運営母体も方針もこっちが主体だから」
「もちろんそこは尊重する。そちらが望むなら面接か研修を挟んでも構わんよ」
いくつか煮詰める問題はあるものの、握手を交わし、協定は合意する。
「――」
そんな時、祝福を鳴らすように、ナナコの懐から綺麗な鈴の音が響いていた。




