第39話 勝負の果てにあったもの
京都府内にある、純和風の旅館めいた場所。
長い回り廊下からは、庭園を望むことができた。
苔むした石灯籠が点在し、中央には池泉が存在する。
錦鯉が水面を揺らし、鹿威しがコンと軽快な音を鳴らす。
手入れは行き届いており、和の趣を感じることができる空間。
「「……」」
そのすぐそばの和室では、向かい合う鬼と悪魔がいた。
和座椅子の上で正座をし、一枚の机を挟んで、互いに無言。
会話内容を伺い知ることはできず、表情は真剣そのものだった。
「――」
そこに、ストンという襖が開いた音が響く。
現れたのは、桃色の髪をしたゴスロリ服を着る鬼。
襟足は短めのボブヘアで、頭頂部には猫耳をつけている。
グッと眉をひそめており、見るからに不機嫌そうに口を開いた。
「……で、あーしになんの用? 元社長」
Vtuber事務所775プロダクション社長兼ライバー。
顔と瓜二つのアバターで、歌とライブ配信を極めし者。
ライバー名『桃瀬桃子』は、権謀術数の渦に巻き込まれた。
◇◇◇
数十分前。鴻池新田会所にある、座敷蔵でのこと。
回り廊下に腰かけ、回遊式庭園と生駒山が望める場所。
鬼のナナコと悪魔のリアとの間で行われたのは、質問勝負。
知っていても答えたくない質問をされた方が負けというルール。
「鬼を生み出した元凶の所在地を話せるか?」
親となったリアが尋ねるのは、数歩踏み込んだ質問。
それは既知の情報でしたが、恩師を売ることになります。
嘘を禁じられていない以上、パスで茶を濁すのも可能でした。
貪欲に勝ちを狙うのならば、避けては通れない手法だと言えます。
――ただ。
「それは――答えたくありません」
私は己が心に従い、誠実に質問へと向き合いました。
捉え方によっては、馬鹿正直とも言われる選択でしょう。
それでも、自分の気持ちを偽ることだけはできませんでした。
「……吾輩の勝ちか。意外にもあっけなかったな」
リアはガッカリしたような表情で、結果を受け止めていました。
恐らく、嘘やハッタリ、奇策を講じる展開に期待していたのでしょう。
「質問勝負は私の負けですね。ですが本題は、この後では?」
私は廊下から立ち上がり、振り返って、リアに言いました。
この勝負の勝ち負けの意義は薄い。デメリットは皆無でしょう。
――勝者は敗者を協力者にする。
そこに、上下や優劣はなく、対等の関係。
どちらが勝っても、意味合いは変わりません。
目的が合致しなくても集結する、友人関係の契り。
気にするとすれば、この後に何をお願いされるかです。
「そこに気付くか。……読み通り、ここからが本題であるぞい」
リアも立ち上がり、目線を合わせ、言いました。
ここから先は未知。自ずと緊張感が高まっていきます。
断る権利はありますが、戦闘に発展する可能性もありました。
「――鬼の総本山。775プロダクションの社長に会わせてもらえぬか?」
そこでリアが告げたのは、思いも寄らない提案でした。
てっきり、椿様のことかと思いましたが、違ったようです。
鬼に関心があるのか、懐に潜り込んで崩壊させるつもりなのか。
目的は不明ですが、彼女の人柄を見る限り、断る必要はないでしょう。
◇◇◇
現在。京都府内。775プロダクション事務所。応接室。
「……で、あーしになんの用? 元社長」
畳が敷かれた部屋の襖が開き、現れたのは桃色髪の女の鬼。
額の角はメイクで隠し、先っぽは猫耳の装飾で誤魔化していた。
権力者相手でも物怖じせずに、歯に衣着せぬ物言いで人気を博した。
――活動名は『桃瀬桃子』。
YouTubeのチャンネル登録者数は1123万人ほど。
アーカイブの総再生回数は100億回を優に超えている。
影響力は絶大であり、鬼の経済圏を支える大黒柱的な存在。
(ほ、本物……。RPではなく、素が偶像そのものとは……)
三次元に現れたのは、二次元にいるはずの推し。
ここに来た目的を忘れ、身体の奥底が歓喜で震える。
世間一般的なVtuberは、外見と中身が異なるのが、普通。
アニメのキャラと、それに声を当てる声優が別々なのと同じ。
視聴者は分かった上で楽しむ。二次元の外見を通して好きになる。
演者がキャラの見た目と設定になりきることを、RPと呼んでいた。
――しかし、彼女は次元の境界線が存在しない。
画面越しに見ていた姿と、全く同じものが出力されておる。
あり得ん。プロだから、人気だからという理由だけでは済まぬ。
表と裏で態度を変えたりもせず、見た目と言動がキャラと全く同じ。
天性の才能としか言えず、配信にかける熱量とこだわりは、計り知れん。
――『桃瀬桃子』という偶像は実在する。
そう錯覚してしまうほど、彼女の姿は完璧だった。
サインを頂くことができれば、今生に悔いが残らんレベル。
「用があるのは私ではなく、こちらの……」
そうこう考えている間にも、ナナコは話を振っていた。
話すターン。推しと喋る機会。使い魔として役目を果たす時。
頭の中がヒートアップしつつも、どうにか言いたいことをまとめる。
「吾輩はリア・ヒトラー。第一級悪魔であり、『ももも』は推しである」
公私が混同し、口が滑るままに、欲望がそのまま出力された。
しまったと思った時には遅い。場には地獄のような空気が流れる。
体中から嫌な汗が噴き出て、顔が火照るのを自分事ながら感じ取れた。
(吾輩としたことが……。自我を抑えられんかったとは……)
後悔しても意味がないとは思いつつも、羞恥に駆られる。
一分一秒が遅く感じ、いっそのこと殺して欲しいとさえ思えた。
「『ファーマー』みーっけ。いつも配信見てくれて、ありがとねぇ」
『ももも』は彼女の愛称で、『ファーマー』はファンネーム。
急な対応にもかかわらず、アドリブで100%の愛想を振りまいた。
あまりにも眩しすぎる光景に、目の前が不思議と暗くなるのを感じた。
「あ……無理……。吾輩、今日ここで死んでもいい……」
とだけ言い残し、リアの意識は強制的にシャットダウン。
話を冷静に進めるためにも、再起動には幾分かの時間が必要だった。