第34話 急転
独創世界『海宴廻鮨』。どこぞの海上にある船内。
まな板に乗るのは、頭が落ち、鱗を剥がされたヒラメ。
力加減した包丁でヒレを切り、内臓を取り出し、水で洗浄。
中骨に沿うよう切れ込みを入れ、背ビレに向けて身を切り離す。
向きを変えて同じ工程を繰り返し、ヒラメの身は五枚に下ろされる。
「酢飯の準備をせい!」
数人前の米を研ぎ、水につけ、炊飯器に入れ、米を炊く。
時短されているのか、すぐに炊き上がり、丸い木樽に移す。
米酢を適量注いで、しゃもじで混ぜて、均等に行き渡らせる。
「米を握り、身を乗せ、わさびと醤油を用意し、提供!」
言われた手順通りに、リーチェは盛り付ける。
下駄のような木製の台に、ヒラメの握りを乗せる。
わさびを混ぜた醤油の小皿と箸を添えて、準備は万端。
船内の角にあるテーブル席に配膳して、評価を待つばかり。
「……」
神妙な面持ちで、リーチェは行く末を見守る。
ここから出る条件は、『唸る鮨』を作れるかどうか。
店員は箸を使い、出された品に醤油をつけ、口に運んだ。
(手順にミスはないし、お手本を真似た。これならきっと……)
脳裏に思い浮かぶのは、鮨の理想系。
レストランで食すことができた、本場の味。
食してないイザベラとは、戦ってるステージが違う。
「…………不味い!」
しかし店員は、箸をへし折って、声を荒げた。
率直でシンプルな感想。聞き間違いはあり得ない。
ここは素直に非を認めて、再試行するのが最も効率的。
この間にも時間は過ぎて、外の情勢が読めなくなっていく。
――だけど、どうしても気に食わないことがあった。
「……口に合わなかっただけでしょ?」
リーチェは眉をひそめ、非を認めず、店員に突っかかった。
結局のところ、味覚は主観だし、個人の好き嫌いに左右される。
『鮨』を作る専門家でも、作られた『鮨』の評価が正確とは限らない。
「食べてみりゃあ、分かる」
店員は手付かずの二貫目に視線を落とし、言った。
「……」
リーチェは恐る恐る手を伸ばし、醤油もつけずに口に運んだ。
ヒラメの握りをゆっくりと咀嚼し、理想の『鮨』の味と比較する。
口の中に広がったのは、生温かさ。素材の旨味を消すほどの不協和音。
(あ……。これって……)
噛めば噛むほど、理解が追いつく。
端的に言ってしまえば、美味しくない。
好き嫌いというよりかは、それ以前の問題。
「シャリは適温じゃないと駄目だった……」
リーチェは、体感したことで至った問題点を口にする。
握りに使ったのは、炊き立ての米。鮨には致命的に合わない。
ある程度、米は冷ましてからじゃないと素材の味を殺す仕様だった。
「一つ学びを得たな。……戻ってよし」
すると店員は、優しい顔つきをして、言い放つ。
その言葉を聞き届けると、身体が透ける感覚があった。
(条件は『鮨で唸らせる』こと。不味くても感情を揺さぶれば……)
起きた状況を理解し、リーチェの姿は消える。
取り残された挑戦者は、一人。イザベラ・レナトス。
王道か邪道か。どちらにせよ、彼女の道を遮る者はいない。
「さて、次はアタシの番だね。……覚悟しなよ」
当の本人は、包丁を片手に握り、怪しい笑みを浮かべる。
こうして、独創世界『海宴廻鮨』の後半戦が始まろうとしていた。
◇◇◇
トルクメニスタン。首都アシガバート。和食レストラン。
独創世界の解放条件を満たし、リーチェは現実世界に帰還する。
荒れ果てた店内のテーブル席で待ち受けていたのは、エミリアだった。
「……」
席に座る彼女は、膝に置いた手を強く握りしめている。
視線は下に向いて、こちらと目を合わせようともしなかった。
何かやらかしたようね。責められる前提で、萎縮してしまっている。
「……何が起こったのか、説明してくれる?」
辺りを見て、ある程度の状況を把握しつつ、リーチェは問う。
決して、説教をしたいわけじゃない。真実が知りたいだけだった。
「それはですね……」
観念したようにエミリアは顔を上げ、口を開きかける。
その時、視界の端に捉えたのは、黒い羽根が羽ばたく光景。
壁ごと吹き抜けた見晴らしのいい場所には、一匹の悪魔がいた。
「僕も話に混ぜてもらえるかな? お嬢さん」
白いスーツに身を包み、声を発したのは、金髪で坊主姿の男。
かつて大統領が恩赦した死刑囚の一人。敵対した因縁のある相手。
「……クオリア・アーサー」
リーチェは正体を誰よりも先に察し、臨戦態勢に入った。
◇◇◇
トルクメニスタン。アシガバート近辺、砂漠地帯。
「…………」
首の骨を鳴らし、身体を入念に動かすのは、ベクター。
右手につけていた紺碧の腕輪を外して、背後に放り投げる。
「おっとっと」
わざとらしく受け取ったのは、ソフィアだった。
黙したまま腕輪を右手に装着し、着々と準備を進める。
左肩には茶色毛のニワトリも乗っており、戦力は増強される。
「そいつの扱いは分かるな……?」
「もっちろん。十分に観察できたからね」
必要最低限のやり取りを交わし、二人は視線を前に向ける。
そこには、多重の結界に閉じ込められるゴスロリ服を着た女性。
赤土色の木馬が並び、十二本の光柱が作られ、強固に連結している。
「……萎えてしまいましたわ。襲わないので解放してくださる?」
ミーナは、げんなりとした表情で声を発していた。
抵抗する素振りはなく、嘘をついたような気配はない。
状況によっては、提案に乗るのも視野に入れていただろう。
――だが。
「お前は俺が責任をもって監視する。自由意思はないと思え、猛禽類」
ダヴィデは銀色の輝きを放つ円形の盾を掲げ、言い放つ。
そのすぐそばには、抜け殻となっているダンテの姿があった。




