第196話 死の定義
ダンテとの入れ替わりは終わった。
目覚めたら、覚醒都市の煉獄の門にいた。
記憶は共有されていた。一部始終は理解できた。
何事もなかったように同行し、臓物庫地下で龍を見た。
解放『反対』に流れで同意し、都市の状況は刻々と変化した。
――ここまで目立った活躍は無しだ。
・王位継承戦敗北。
・冥戯黙示録敗北。
・地獄の門の開門。
・ミーナ戦お預け。
・ジーノ戦勝利(主人格ダンテ)。
・蜥蜴型の魔獣に敗北(主人格ダンテ)。
詳細を省き、結果だけ並べれば、こうなる。
行動し続けてはいるが、満足のいく結果ではない。
『武芸百般』の極みには程遠く、直近の戦績は共闘ばかり。
――いつからこんな腑抜けになってしまった。
周りや状況に流され、空気を読み、自我を殺した。
他人を優先し、自分を蔑ろにして、歯車と化していた。
理由は当然ある。多かれ少なかれ、一つの言葉に直結する。
――恩。
ルーカスとリーチェとダンテ、全員に共通した事項だ。
何らかの理由で助けられ、その恩を返すために行動している。
一方的に縁を切られるか、『もういい』と言われるまで終わらない。
――これは奴隷と同じではないのだろうか。
金で買われ、その恩を返すために、一生こき使われる。
仮にどれだけ成果を上げようとも、解放される可能性はない。
やりたいこともやれず、機械のように与えられた命令だけをこなす。
――その行く着く先はなんだ?
都合のいいように使われた挙句、最後には捨てられる。
玩具に飽きた子供のように、次の日には忘れ去られている。
全て受動的で能動的に動けない。そこに自由意思は存在しない。
――『受けた恩は返さなければならない』。
そんな常識に縛られて、雁字搦めになっている。
命を助けてもらったことは感謝しているが、このままでは……。
「……どうかした?」
尖った耳がピクンと揺れたのが視界に入る。
臓物庫前で声をかけてきたのはリーチェだった。
その場には白軍サイドのイゴールも居合わせている。
他人に聞かれるのは癪だが、打ち明けるなら今しかない。
「いや……。その耳なら会話を盗聴できるんじゃないかと思ってな……」
しかし、思いとは裏腹に、俺は話題を逸らした。
問題提起を先送りにして、現状維持の関係を望んだ。
視線の先には、螺旋の塔と白龍と他の面々が見えている。
――これは本音じゃない。
彼女の答えを知るのが怖かった。
面と向かってNOと言うのが嫌だった。
抱いた考えを否定されるのに抵抗があった。
――だから。
「仮に盗聴してたとして、どうしたい? あなたの考えを教えて」
葛藤を知ってか知らずか、リーチェは歩み寄る。
奴隷としては扱わず、一人の人間として見てくれる。
悪と断じることができるなら、どれほどよかったことか。
彼女の人柄を知っているがゆえに、関係は複雑になっている。
「俺はタイマンがしたい……。良ければセッティングしてくれ……」
探るのは0と1の狭間。離別と共闘の折衷案。
互いの立場と考えを尊重し、俺は少し大人になった。
◇◇◇
螺旋の塔の上空で行われているのは、極めて重要な会話。
ターニャとジーナの蘇生の対価に、ジーノとジェノを捧げられるか。
「僕は……場合によっては死んでもいいかな」
「俺は……どうしてもやりたいことがある。今は死ねない」
語られるのは、当事者の意見だった。
ジーノは半ば肯定し、ジェノは否定する。
恐らく死んだ二人との関係性が大きいだろう。
ジェノは二人と関係がなく、ジーノは母親が絡む。
このまま静観しても、二人の意見は一致しないはずだ。
『二人の意見は分かった。その上で、掘り下げよう。彼女が提示した条件だが、『差し出す』の定義が抽象的なままだ。生死が曖昧な世界で、彼らを殺すことはできないと考えるが、何をすれば『差し出す』ことになる』
そこで私が行ったのは、提示された条件の確認だった。
現状、『死』が重いのがネックであり、他なら交渉の余地はある。
「魂の所有権。肉体的に今すぐ死ぬことはないってさ。例えばだけど、将来的に二人が外の世界で死んだとして、普通なら地獄に行くけど、今回の条件を呑むなら彼女に所有権が移るらしい。魔獣のモデルは『ケルベロス』だから、魂は三つまでストックできるのかな? そこは詳しく教えてくれないんだけどね」
ソーニャが答えたのは、興味がそそる内容だった。
現状の問題はさておき、魔獣の中身に関心が出てくる。
――試みが面白い。
肉体的な生死ではなく、精神的な生死に着目している。
死んでも地獄に行けないなら、魂の循環は滞ることになる。
地獄、煉獄、天国のルートを辿ることは出来ず、精神的に死ぬ。
現実的な価値観では問題なさそうだが、本質的な見方では相当重い。
『二人の感じ方によるだろうが、決して軽くはないね。普通なら死んだ後に自由が待っているのに対し、条件を呑めば死後の無期懲役が確定するようなものだ。魔獣の采配にもよるだろうが、魂の奴隷契約に近い。他人事じゃないし、頼む立場だからこそ言わせてもらうが、この判断は慎重にした方がいいだろうね』
当事者の反応よりも先に、私は率直な意見を述べた。
無理強いできるような内容じゃなく、彼らが決める問題だ。
二人の意見が一致しないのなら、別の手段を探すしかないだろう。
「「僕(俺)は構わない」」
しかし、二人は即答だった。迷うことなく魂をベットする。
ジーノは分かるが、ジェノは気が狂っているとしか思えなかった。
『ジェノ君だったか。正気かい? 助けようとしているのは、見ず知らずの相手だよ? 君にとっては何の得にもならない。今回の人生は全うできるとしても、死後の人生を棒に振ってもいいのかな? 一時の感情で判断しているなら――』
一人の大人として、間違いがないように忠告する。
一個人としては取引に乗ってもらいたいが、条件が重い。
自分で考える能力もなさそうな子供に判断させるのは酷だった。
「これでも修羅場は何度も潜ってる。命をかけた取引も何度かしてる。物理的に死ぬのは嫌だったけど、猶予がある精神的な死だったから意見を変えた。今の俺がやりたいことをやり切った後ならなんでもいいんだ。相応のリスクはちゃんと頭で分かってる。子ども扱いしないでくれ」
しかし、思ったよりも、ジェノはしっかりしていた。
物事の本質を捉え、条件の詳細を踏まえ、思考を柔軟に変える。
普通なら何日か迷うほどの内容を、即行動に移せる決断力が備わっていた。
(彼は良いリーダーになるね。将来が楽しみだ)
王家に生まれたからこそ、その類まれな資質が理解できる。
実力も頭脳も才能も重要だが、それだけではリーダーになれない。
世間的にみて間違いだろうが正しかろうが、決断し、行動に移せる存在。
――それが最も重要だ。
机上の空論を並べ立てるだけのリーダーは不要。
検討を重ねても、実行しなければ反感を買うだけだ。
彼のような存在が組織を持てば、いずれ世界をかき回す。
遅かれ早かれ、そんな出来事が起こるような予感がしていた。
『君がそこまで言うなら、私には止める権利がないね』
念入りに忠告した上での判断だ。彼の意見は尊重する。
ジーナを蘇生させたい私としても、願ったり叶ったりだった。
「二人がいいなら、早速、『状態4』に――」
トントン拍子で話は進み、ソーニャは実行に移そうとする。
しかし、全員が息を呑んだ。突如現れたセンスに緊張が走った。
「――私も混ざてもらえる? 一応、この子は私の弟子だから」
その持ち主であるリーチェが声を発し、結界上に着地。
取り巻き二人を引きつれ、取引には問題が生じようとしていた。