第105話 異端
法廷内で伸びるように放たれたのは、白い手。
エリーゼ教皇が得意としている感覚系の意思能力。
――空触是色。
触れた相手の心を読み取り、魂の形を掌握する。
私の体に触れた瞬間、嘘はバレるし、計画は筒抜け。
直接的な攻撃力はないものの、類まれな諜報力を秘める。
心を読む精度の高さは、能力者の中でもトップクラスだった。
「…………」
傍聴席にいる私は、迫る白い手を静かに待ち受ける。
一触即発の状態だったけど、心は驚くほど落ち着いていた。
(意思能力戦は後出しが有利って、相場は決まってんだよね)
抵抗する素振りを一切見せずに、白い手は私に触れる。
これは、物質世界の交流じゃなく、非物質世界のやり取り。
形ある肉体に囚われず、心と心で繋がる真の意味での意思疎通。
グノーシス主義を掲げる私にとって、独壇場とも言える展開だった。
◇◇◇
空触是色が通用しなかったことは、一度もない。
触れる前に潰されることはあっても、触れたら確実。
イギリス王室の始祖。初代王マーリンでさえも通用した。
発動した後に利用されたけど、心を読む能力は機能していた。
――だけど、ここには。
「………………何も、ない」
目を開くと、視界に入ってきたのは、白の世界。
物質が一つも存在せず、読み取れる心が見当たらない。
無限に奥行きがある、三次元を超越した空間が広がっていた。
「グノーシス主義という思想をご存じですか……教皇」
そこに現れたのは、茶髪ボブヘアの修道女イブ。
黒縁眼鏡をクイッと指で上げて、偉そうに語りかける。
彼女が自信満々に口にした言葉には、当然聞き覚えがあった。
「物質世界を悪とし、非物質世界を善とする考え。物質的な鎧を纏って顕現する『白き神』。それを唯一神として信仰する白教にとっては……異端。冗談でも教皇の前で口にしていい言葉じゃないのは、分かってる?」
相容れない思想に、わたしは脅すように尋ねた。
最終警告であり、これ以上は擁護する気がなかった。
謝ればギリ許せるけど、一部でも肯定すれば、敵対する。
白教の関係者だからこそ、越えてはいけないラインがあった。
「もちろん分かっておりますよ。あくまでこれは、仮定の話。その上でお尋ねしたい。教義の前提が間違っていたとしたら? 白教の起源がグノーシス主義にあるとしたら? 物質に囚われた『白き神』こそ、我々の真の敵だとすれば?」
垂れ流されるのは、陰謀論めいた宗教批判。
仮定と前置いてはいるけど、聞くに堪えない戯言。
異端と切り捨て、武力行使に応じたい気持ちに駆られる。
「あり得ない。あなたは知らないのかもしれないけど、わたしは初代王を通じて、過去を見てきた。霊体として1000年前から干渉して、滅びかけた白教を再興した。陰謀論にハマるのは結構だけど、わたしの目で見たものが真実だから」
野蛮な感情をグッと堪え、わたしは真面目に返答する。
史実を基にしたものじゃなく、体験を基にした白教の歴史。
いくら理屈をこねても、これに勝る一次情報は存在しないはず。
反論の余地はなく、説得できるなら、それに越したことはなかった。
「教皇は滅びかけた団体を再構築したまで。白教の本当の成り立ちを知らない」
イブは一歩も引くことなく、反論を続ける。
声色は暗く、今までの明るい彼女の面影はない。
世界の真相に迫るような、言葉の重みが感じられた。
――ただ。
「そう思う根拠は? 主観的でも抽象的でもなく、客観的で具体的に話して」
現状、ソースが一切存在せず、それっぽく聞こえるだけ。
わたしは、教皇と信徒の立場を崩さず、徹底的に問い詰めた。
理屈が破綻しているのが分かれば、目を覚ましてあげられるはず。
「白教の起源は純血異世界人によるもの。1000年前に『白き神』が降臨し、当時の純血異世界人が支配したシチリア島南部が襲撃され、集落は壊滅。逃げ延びた民を束ね、教皇が立て直した。ここまでは客観的な事実で構いませんか?」
想像を膨らませたのか、元から知っていたのか。
イブは畏まった口調で、淡々と情報を膨らませている。
「そーだね。だから?」
そこに間違いはなく、見てきた通りの情報。
問題は後。ここにどんな陰謀を乗せるかが重要だった。
「では、どうして……純血異世界人は『白き神』に滅ぼされかけたのでしょう」
そこでイブが突っ込んできたのは、本質的な部分。
盲点というべきか、考えが至らなかったというべきか。
少なくとも、過去に戻ったタイミングは『白き神』襲撃後。
襲撃前の情報は詳しく知らず、マーリンからも聞かされてない。
「それは……」
だからこそ、言葉に詰まる。反論できなくなる。
頭の中では繋がった。それでも、認めたくなかった。
1000年前から介入し、手塩をかけて育ててきた宗教団体。
誰よりも情があり、誰よりも信じ、誰よりも目が曇っていた。
認めれば、終わる。教皇としての立場、白教の存続が危ぶまれる。
「元より信仰した神であれば、おかしい。辻褄が合わない。襲撃される理由がない。『白き神』の復活、その教義とはそぐわない。襲撃してきた神を信仰するなんて、前提から破綻している。私の所感から申し上げると、『白き神』は幻想。後発者によって作り出された架空の存在。宗教団体を立て直すためにでっち上げられた、偽物の神。そう思いませんか? 『白き神』の創作者、エリーゼ」
イブが突きつけたのは、認めたくない現実。
頭の中では薄っすら浮かんでいた、一つの可能性。
守護霊。白銀の鎧。過去介入。マーリンが秘匿した意味。
全て繋がる。辻褄が合う。イブの主張が肯定される材料が揃う。
「わた、し……わたし、は……」
視界が歪む。常識が歪む。世界が歪む。
信じ続けていた価値観の根底が揺るがされる。
記憶を忘却され、数々の困難を経て、教皇に至った。
純血異世界人の残党虐殺。その罪を背負い、ここまで来た。
――だけど、根底から間違っていた。
信仰と思想を捻じ曲げ、襲撃者を神と崇めさせ、従えた。
挙句の果てには虐殺し、独裁者のように権力を振りかざした。
前向きな責任感を背負って生きてきたけど、そもそもがズレてる。
自分自身に吐き気を催し、人生観や人間としての在り方が否定される。
短い時間の中で懊悩を重ね、やがてそれは、一つの言葉として集約された。
「教皇を名乗る資格がない……」
白い世界は元に戻る。元居た法廷へと戻される。
そこで開かれるのは、白教徒を裁くための異端審問。
何という皮肉。誰よりも異端なのは、わたしだったのに。




