2-30 夜半、エライゾ城にて②
黒々とした空をゆったりと傾いでいくこがね月が、ささやかに照らす夜半。
丘の上のエライゾ城はそのほとんどの窓が明かりを落として眠りについていたが、館の東の端、最上階の一室だけは、いまだ煌々とした明かりが漏れている。
城主スゴスギル・エライゾの執務室には、今現在二人の人物の姿があった。
二人は応接セットの上等な長椅子に腰かけて、卓上に広げた遊戯盤を挟みながら談笑に興じていた。
白の石を摘まみ上げるのは、この部屋の主であるスゴスギル・エライゾその人である。
エライゾ卿はしばし黙考してから、盤のクロスライン上にコトリと石を置いた。
「むっ」
「投了するかね?」
「いえー。もう少し考えてみますー」
エライゾ卿の対面。間延びした声を発しながらも顎先をこねくり回しているのは、エライゾ領軍公安課長にしてエライゾ卿の娘御でもあるミッティ・エライゾである。
いつぞやは仕事の話であったが、今夜は完全にオフとして父娘の団欒を楽しんでいた。ミッティの仕事の都合上、他の家族の者とは少しばかり時間感覚が異なるので、こうしてのんびり、しかも父と碁に興じられるというのは、実に稀有なことであった。
盤面の趨勢はすでに決しているようなひどいありさまだったが、だからと言ってこれにてお開きとするのは何とももったいないと、ミッティは感じていた。彼女は自覚こそしていないが、それなりのファザコンである。
ミッティは苦し紛れにもならないような位置に黒い石を打った。
「そういえば、先ほどはずいぶん飲んでましたよねー。父上ー、もうお若くないんだから、そろそろ控えてくださいねー」
エライゾ卿が次の石を置くまでの間を、ミッティはお小言含みの世間話でつぶすことにした。
昼間の壮行会が終わった後、ここエライゾ城のレセプションホールに選抜隊の面々と基地の主だった幹部を招いて、ごく私的なパーティが催された。ティエスなどに言わせれば河岸を変えたという表現になるのだろうが、それにしてはいささか厳かである。
もちろんエライゾ城でのパーティではアルコールの類も供されたので、参加者はみな大いに飲み食いをした。ティエスなどはその典型で、会が終わるころにはぐでんぐでんに酔っぱらっていたのでハンスにお持ち帰りされていた。まったく節操のないことである。そも、それなりに格式の高いパーティでああも酔いつぶれるのはいかがなものか、とミッティは思う。エライゾ卿は気にしていないようであったが、幹部の中には面白くなさそうな顔をする者もあった。
そのティエスほどまではいかずとも、エライゾ卿もまたそれなりの量を飲んでいる。立場が高くなれば付き合いの酌も増えるし、エライゾ卿という男は律儀にもそれをにこやかに干して見せるからだ。
「なに、昔とった杵柄というものだ。おまえの魔法の師が誰であったかは、よもや忘れてはおるまい?」
エライゾ卿がぱちりと石を置く。ミッティは唸った。この状況からさらに追い詰めることができるものなのか、と。参考になる。
「それにしたって、酔いつぶれちゃったら魔法なんて使えないんですからー。ティエスちゃんほどの魔法の使い手でもああなんです。ぐでぐでになられては、お家のメンツにだってかかわるんですからねー」
「わかったわかった。そう責めるな。まったく、今の職場にいささか引っ張られすぎではないか?」
エライゾ卿はくつくつと愉快そうに笑う。いかな大貴族といえ、彼も一皮むけばお父さんである。娘とこういう他愛もない会話を交わすのは、シンプルに楽しい。いささか庶民的に過ぎるようだが、この世界の貴族/家族の捉え方としては普遍的なものである。
「好きですよー、今の職場。案外、医療の道のほうが向いてたかも。もちろん、本職の方も楽しいんですけど、ねー」
パチり、といささか強めの音が鳴る。窮余の一手を打ち込む娘を、エライゾ卿はあたたかい目で眺めた。
エライゾ卿は何でもないように言った。
「明日からの遠征だが、森域も祝賀ムード一色というわけでもないらしい」
「……ティエスちゃんとエルヴィン君の監視だけじゃないとは思ってましたけどー」
それはつまり、探って来い、という領主からのお願いである。半目になったミッティは大きく長い溜息を吐いた。出発前日になって言う話か? という顔である。
「そんな顔をするな。任せられるのがおまえくらいしかおらんのだ。おまえの裁量で、ティエス中隊長を使ってもいい」
「ずいぶんきな臭くなってきましたねー」
エライゾ卿の投じたとどめの一石に、ついにミッティは白旗を上げた。完膚なきまでの大敗である。ミッティはばんざいしてだらしなく長椅子の背にもたれかかりながら、唇を尖らせた。勝てるとは思っていなかったが、まさかここまでボロカスにやり込められるとは。
そんな娘の態度を見て、エライゾ卿はわずかに相好を崩した。
「父としては、あまりおまえに危険なことをさせたくないのだがな。領主としてはこれを命じねばならん。ふがいない父を許せとは言わん」
「いいんですよ、父上ー。この道に進んだのだって、私の意志ですしー」
ミッティは壺に入った碁石を弄びながら言う。その意思がたとえ父にコントロールされ誘導された故のものだったとしても、結局のところ選んだのは自分なのだ。否はない。
だからミッティはだらけ切った居住まいを正してから、びしりと見ほれるような敬礼をして言った。
「行ってまいります。父上」
「うむ。旅の安全と武運を祈る。――いっていらっしゃい」
盤を挟んで顔を突き合わせた父娘が、どちらともせず笑いあった。
夜更けのエライゾ城に、今日も愉快な笑い声が響く。
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森域から緊急の早馬が届いたのは、選抜隊が基地を発って3週間ばかりが過ぎた頃であった。
差出人はティエス・イセカイジン。送り先はスゴスギル・エライゾ。緊急性を示すフラグは最重要。
内容は、以下の通りである。
【森域にて政変発生。至急増援送れ】
第2部「うずうず! 遠征準備編」 / 完




