5-62 密談――カテルとマケン
「正気か、親父殿」
「いかにも、正気である」
時は少し遡り、親善試合開幕前夜。犬人による地方軍閥「青の武士団」本拠でもあるウルフマン屋敷の道場で、カテル・ウルフマンは父マケンの口によって語られた大それた企みに絶句するばかりであった。
「……賢狼の方々が起たれれば、我はそれに追従する心算である」
「バカな!」
ドン、とカテルの拳が道場の板の間を揺らした。マケンはそれに少しも動じず、ただ静かに、しかし強い意志の籠った目でカテルを見据えている。その態度が、カテルの荒ぶった神経を無遠慮に障った。
「統合府に弓を引くなど、どうやらついに耄碌したか……!」
カテルは吐き捨てるように言葉を叩きつけた。普段の彼であれば決してしない類の感情の発露。激発だった。
カテルはマケンについて、父としても師としても、また一族のオサとしても強く尊敬していたから、その失望の深さも計り知れぬものがある。それだけ、マケンの話した企みは馬鹿げていた。
いっそ、今からでも冗談ということにしてくれないか。自身の冷静な部分が叫ぶのをカテルは内心で聞いたが、しかし冷静な部分が残っているからこそわかる。マケンは一切の翻意を許さぬほどに真剣であった。
これまでも、氏族間の諍いが武力衝突にまで発展した例はあった。それこそ、規模の大きなもの――王国や帝国からの派兵でようやく鎮静化したもの――ですら、片手の指では足りないほどだ。
しかしそれはあくまで、統合府に加盟している氏族間での諍いであって、統合府はそのどちらにも加担せず、またどちらにも加担したから、いずれのケースにおいても氏族にとっての致命的な事態までには至らなかったのだ。
しかし、今回の企みは話が違う。いわば調停役である統合府に対して弓を引くというのは、すなわち森域統合軍を――森域に息づく全ての氏族からなる軍を相手取るということだ。まともな判断ではない。
「賢狼の方々に唆されたからと言って! おおかた、チャドラあたりが足りぬ頭でめぐらせた策謀であろうに!」
「控えよ、カテル。それ以上の愚弄は許さん」
「何を」
「聞け」
マケンは声を荒げず、しかし有無を言わせぬ迫力でもってカテルを押し黙らせた。マケンはその黒目がちな瞳を閉じて、少しだけ間を置いてから開く。
「創世の昔、カガセによる新しきミルナーヴァの開闢より幾星霜。我らは常に、レイフィール王国の剣であった。フェンヴェールの簒奪とエルフの大移動によりレイフィールが王国としての形を失った現代にあっても、その役割は何ら変わらぬ」
「……!」
マケンが訥々と語る内容に、カテルは押し黙るより他になかった。それはマケンの威圧もさることながら、幼き頃よりそうあれと教えられてきた伝統の重さに、口を挟むことは憚られた。
「――我らが奉じるは統合府にあらず。主君が再び森域に覇をとなえると仰ならば、我は喜んでその身命を捧げよう」
「……力を失ったレイフィールに、捲土重来など叶うものか」
「で、あろうな」
マケンはそこで、初めて困ったように笑う。カテルはそれに愕然として、わなわなと震えた。
「忠義に殉ずるは大いに結構! されど、そのような心中に付き合わされるなど、真っ平御免!」
カテルは、マケンをここで殺さねばならぬと決意した。忠義に狂い、民草を巻き込んで滅亡にひた走る愚かな父を、ここで誅するのが子の使命と知った。
だから傍に置いた太刀に手を伸ばそうとして、しかし、その腕がすでにマケンによって掴まれていたものだから、戦慄する。一間の間を空けて相対していたはずのマケンが、今、カテルのすぐ横にいる。脂汗が吹き出る。カテルはそれを、全く知覚できていなかった。
「……これが我の我儘であることは、重々承知の上よ。民草をこれに巻き込むは、我もよしとはせぬ」
「では、いかがなさるおつもりか」
自然と耳打ちのような格好で、マケンは静かに告げた。むしろこれこそが本意で、カテルの凶行を未遂にとどめたのはついでだったような風情すらあった。
カテルは小さく喉を鳴らして、同じように静かな声を装って問うた。マケンはひどく柔らかな声で応えた。
「忠に殉ずるは我一人で十分、ということだ。カテルよ、おまえは統合軍として青の武士団を率い、「野生の後継者」を誅伐せよ」




