Fragment.10 夜半、エライゾ城にて③
黒々とした水面をゆったりと泳ぐ銀の月が、ささやかに地上を照らす夜半。
丘の上のエライゾ城は、月影の織り成す複雑な陰影をその壁面に映し出していた。誰もが眠りにつく真夜中に、今夜も館の東の端、最上階の一室だけは、いまだ煌々とした明かりが漏れている。
城主スゴスギル・エライゾの執務室には、今現在二人の人物の姿があった。
ひとりは城の主、領主のスゴスギル・エライゾ辺境伯その人。そしてもう一人は、老齢ながらもなお衰えない巨漢、譜代武家の棟梁であるズニノール・イキリマクッテンネン。
二人は応接セットの上等な長椅子に腰かけて、グラスを片手に雑談に興じていた。ローテーブルの上には栓の抜かれた酒のボトルがある。ズニノールの持ってきた、それなりに値の張る上等な酒だ。家が建つとまではいわないが、兵卒の年収とトントンくらいの価値はある逸品である。それを特にためらいもなく開ける豪放さが、ズニノールという男の魅力でもあった。
「イセカイジン卿はやってくれましたな」
ズニノールはグラスを傾けながら、実に愉快気に言った。ティエスが森域の親善試合を破竹のごとく勝ち上がっているという報は無論、逐一王国にもたらされていて、このところの新聞一面は彼女の記事ばかりである。ズニノールとしてはティエスは自身の直接の部下であるから、上司としても鼻が高いようだ。
「昨日の試合で帝国の選抜選手を下し、ついに決勝。いやはや、職務がなければ家族で見物に行ったものを」
「ハナッパシラの家の者が大挙して森域入りをするとなると、要らぬ緊張を生みそうではあるな」
エライゾがそう冗談めかして言うと、ズニノールも「違いない」と笑う。若かりしころのズニノールが武者修行とうそぶいて、まだまだ荒れていた森域に殴りこみ大暴れした結果、戦争一歩手前まで両国間の緊張が高まった、というのは今でも語り草な笑い話である。世に「ズニノール危機」とあだ名される事件のことだ。ちなみにこれを笑い話に出来るのは当事者であるこの二人だからで、このノリを外でやると滅茶苦茶顰蹙を買うのは言うまでもない。主に火消しに奔走した王国の人間から。
「そのティエス卿からだが、いましがたこのような書簡が届いたのでな。卿にも共有しておこう」
「ほう、拝見させていただく」
エライゾ卿がローテーブルに滑らせたのは、1通の手紙である。飾りっ気のない無地の茶封筒は安っぽく、到底貴人にあてる手紙で用いるような代物ではない。しかし、それを手にしたズニノールは瞠目する。今は切られてしまっている封に、えらく高度な魔法の痕跡を感じたからだ。意図しないものが封を切れば、その場で燃えて灰になる。きっとそのような魔法であったはずだとあたりをつける。
「これは……流石、イセカイジン卿というべきか」
「それほど凄いのかね?」
「おこる事象自体は、さほど。しかし、あれはおそらくこのレベルの術を片手間にやるのだろうな。まったく、天才というほかない」
ズニノールはその風体から頭蓋骨にまで筋肉が詰まっていると思われがちだが、その思慮深さと知見はエライゾ領内でも屈指と言える人物である。ただの腕っぷしで大隊長という職責を果たすことはできない。それに加えて、彼は火と土の認可を持つ魔法使いでもある。
「なるほど、やはり手放すのは惜しいな」
「まったくもって」
愉快そうにグラスを傾けるエライゾに頷いてから、ズニノールは茶封筒の中身を取り出す。これまた飾り気のない三つ折りの便せんが一枚入っているだけだ。
便せんをひらいてみると、そこには可愛らしい丸文字が躍っていた。
『ついに決勝進出です! いえい! 賢狼の姫君から頂いた森域のおいしい昆布茶を送ります。基地のみんなで楽しんでくださいネ♡ ティエスより』
「……ずいぶん満喫しているようだな、イセカイジン卿は」
「何と書いてあるかね?」
「ン? お読みになっていないのか?」
エライゾはズニノールの疑問符に、ただ意味深な笑みでもって答えた。怪訝な面持ちで再び便せんに視線を落とす。書いてある文言は変わりない。なんとも気の抜けるようなお気楽な文字列だ。少なくとも、直属の上司である自分を飛び越えて基地司令によこすような書簡では――。
「まさか」
ズニノールは一つの事柄に思い当たり、便せんを凝視した。どれだけ読みこんでも文面が変わるわけではないが、微かに、ほんの微かにだけ、魔法の痕跡がある。
「うむ。その便せんだが、私にはこう書いてあるように見える『森域にて政変発生。至急増援送れ』とな」
「なんと! ハッハハ!」
エライゾはいたずらが成功したときのような笑みを浮かべた。ズニノールはそれを聞いてひとしきり笑った後、長椅子の背もたれに体を沈ませた。
「なるほど、情報部の人間が欲しがるわけだ。ますます手放せませんな」
「まったくだ」
空になったグラスに酒を継ぎ足しあう。グラスの中のロックアイスが溶け落ちるカランという音が、やけに大きい。
「それにしても、このタイミングで連絡をよこすというのは、イセカイジン卿にしては些か遅くも感じられますな」
「催促のつもりなのだろうな。ティエス卿とて、既に情報が本国に伝わっていることは承知の上であろう。あるいは、開戦が近いという合図か」
エライゾはすっと立ち上がり、城下を見渡せる窓の前まで移動した。月に照らさしだされた街の、眠りを知らない常夜灯の明かりがきらめいて眩しい。
「ハナッパシラのことはいいのかね」
「あれもイキリマクッテンネンの男子です。……良い経験になりましょう」
「……うむ」
エライゾはしばし瞑目すると、視線を窓の外からズニノールに移した。ズニノールも意図に気づいて椅子から立ち上がり、真摯な面持ちでエライゾを見据える。
「ズニノール卿、外征部隊の編成は進んでいるかね」
「下知あらば、すぐに出陣できる態勢は整えております」
「結構」
エライゾは細く笑う。ズニノールもまた、好戦的でいっそ野卑とも取れる笑みを浮かべた。
「明日から一層忙しくなりますな」
「であるな。今夜の酒、明日には持ち越すなよズニノール卿」
「クク、要らぬ心配ですな」
ズニノールが、スッと自身のグラスを掲げた。エライゾもその意を汲んで、自身のグラスを掲げる。
「さて、何に乾杯したものかな。王国の栄光にでも捧げようか」
「いえ、ここは……勝利に」
「なるほど、良いな。では、勝利に」
エライゾの合図に合わせたかのように、グラスの氷がからんと鳴った。
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一方その頃。ティエスは収監されていた。
「うおぁーーーーーーー! 俺は無実だァーーーーー!!!!」
断章「一方そのころ、みんなは」 / 完




