Fragment.7 忠義の理由
「――まだやるのか?」
「もう一手、頼む」
「……わかった」
王国軍に割り当てられた整備区画の片隅で、二人の人物が対峙している。片方は訓練用の模造刀を構えるものの肩で息をしているライカで、片方はそれを息一つ乱さず見下すオティカだ。いや、少し語弊があるか。オティカは息を乱すどころか、そもそも呼吸を必要としていない。彼は人間サイズまでダウンサイジングされた自律稼働する強化鎧骨格だ。そのつるりとした顔面から感情を推し量ることは極めて難しい。それでも、何度も何度も立ち向ってくる眼前の青年に対して彼が何を思っているのかは、おおよそ読み取ることができる。感服と辟易だ。
「ぁああッ!」
裂帛の気合とともに斬り込んでくるライカの剣を、いなすオティカの動きによどみはない。訓練用のゴム刀とはいえ、剣としての形状を保つ程度の硬度と剛性はある。わざわざ当たってやるほどオティカは優しくはない。オティカ本来の得物は自身の手甲に仕込まれた肉厚の短刀だが、手持ちの剣を操れないということはなかった。
硬質ゴム同士がぶつかり合う鈍い音が響く。ライカ渾身の切り落としを、オティカは最小限の外力を加えることでたやすく軌道修正する。険を振りぬいて硬直したライカのどてっぱらに、オティカの鋼鉄のつま先が食い込んだ。
「おぐっ」
オティカは強化鎧骨格だ。その膂力も、敏捷も、体の頑強さも人間の比ではない。オティカのキックが炸裂してなおライカの胴体が破裂していないということは、彼が相当な手加減をした証左だ。
それでも体をくの字に折って宙に浮いたライカは、そのまま後方に数メートル飛ばされて、尻からしたたかに堅い地面に着地した。苦悶の表情に脂汗をにじませ、息すらもままならないその姿は、あまりにも無様だった。
「――まだやるのか?」
それでも、ライカは頑として手放さなかった剣を支えに、生まれたての小鹿のようなひ弱さでありながら、立ち上がる。
何とか取り戻した息は荒く、膝は目に見えて笑っている。それでも構えた剣の切っ先だけは、オティカを向いていた。たとえそれが、震えていたのだとしても。
「もう一手、頼む」
ライカは頑迷なまでに、切れ切れの息の中に紛れる声で言った。
///
「剣の稽古をつけてほしい?」
「……ああ。頼めないだろうか」
ライカからオティカにそのような旨の打診があったのは、ちょうどティエス・イセカイジンがエルフの長老と会談した日の晩であった。リリィ姫の身辺警護を近侍のものに引き継いだあとのことである。
オティカはこの時、王国の技術者たちに自身の整備と解析をさせるため、王国軍に貸し与えられた整備区画に詰めていた。戦争の回避も姫だけを逃がすことももはやかなわないと結論付けたオティカは、次善の策として自身の機密を王国軍に提供し、戦争の短期化と規模縮小を図ったのだ。あのティエスをして思い切りがイイと言わしめるほど、オティカの心変わりは劇的だった。
ライカが訪れた時、オティカはその日の整備と解析作業を終え、急ごしらえのメンテナンスベッドに横たわっていたところだった。まさに寝耳に水の提案であった。
「どういう風の吹きまわしだ。今朝がたの話では、おまえはそれを自ら固辞したはずだ」
「あれは! ……その、売り言葉に買い言葉というやつで」
今朝がた。つまり世界樹に向かう道すがらの一幕を持ち出されて、ライカは強く反発し、それからばつが悪そうにぼそぼそと付け加えた。オティカは人間のようなしぐさで小首をかしげて見せる。
「よくわからないが、何かしらの心変わりがあったということでいいのか」
「……ああ。そういうことにしておいてくれると助かる」
頷くライカに、オティカはフム、と続けた。
「それならば、オレではなくあの女に……ティエスに頼むほうが合理的ではないか?」
オティカのまっすぐな問いかけに、ライカは言葉に詰まった。
外の国からやってきて、姫に取り立てられて護衛騎士になった女。ティエス・イセカイジン。不真面目さを絵に描いたようなダメ軍人でいて、暴力の化身。それでいながらいやに小市民的な側面を持つ。
ライカの脳裏にあのだらしないニヤケ面がよぎり、胸中に形容しがたい感情がわだかまる。アレに教えを乞うことに、ライカは強い忌避感を覚えていた。
「オレの戦闘スタイルは、お前の修めてきた剣術とは違う。奴のほうがお前に近い体系の技術だろう。学ぶなら、俺より奴のほうが得るものは大きいはずだ」
「それは……」
「それにあの女は、オレよりも強い。一度戦ったことがあるが、仕留められるビジョンが見えなかった。あの女が横にいる間は、姫に手出しはできない。そう思ってしまうほどの強さがある」
「…………そういえば、おまえは何で姫を狙っていたんだ、オティカ」
オティカの物言いに、ライカはすこしだけ眉をひそめた。忘れていたわけではないのだが、オティカはもともと姫を狙って現れた闖入者だ。それがなし崩しで同陣営となったが、その動機については今まで聞きそびれていた。ティエスあたりは聞いているのかもしれないが――(聞いてない)。
「姫はオレに名前をくれたからな」
オティカは急に舵取りの変わった話に疑問符を浮かべながらも、特に突っ込むことはせず短く答えた。
「……え、それだけなのか?」
「そうだ。不足か?」
「もう少し経緯を話してくれないか」
その答えがあまりにも簡潔だったから、ライカは少し間を置いた後、話の続きがないことに困惑の声を上げた。
オティカはその表情のない顔に明らかな倦怠の色を浮かべる。彼が人間であれば、きっと溜息の一つでも零していただろう。あいにく、オティカにそういう機能はない。
「……技研で、オレがまだ零号機と呼ばれていた頃だ。時期にしては、約一年前のことになる」
オティカは訥々と語り始めた。
「オレの対話型インターフェースが完成した、ちょうどその頃に、姫が技研を視察に来た。技研の技術者たちはさっそく、完成したばかりのインターフェースを介して、俺との対話第一号を姫に願い出たんだ。一種のデモンストレーションとしてな」
なるほど、とライカは相槌を打った。技研の考えはわかる。姫に成果を喧伝し、初回実験の栄誉を譲ることで心証をよくできれば、ひいてはウィドー王の覚えもめでたくなり予算も増額されるかもしれない、という皮算用にのっとった行為なのだろう。それが悪いとは言わないが、いかにもあけすけではある。
オティカは続ける。
「初回実験は成功し、オレは姫と――ひいては、人間と初めて言語的なコミュニケーションをとった。技研の技術者たちの喜びようは相当のものだったよ。姫はその後の視察スケジュールのこともあって、実際に会話をしたのは5分にも満たなかったがな」
「その時に、名前を?」
「いや、この時ではない。話には続きがある。経緯を話せと言ったのはお前だろう」
ライカは頷いて、オティカの話を促した。
「翌日から、本格的に会話実験がスタートした。当初は技研の研究者が実験に当たっていたんだが、結果は捗々しくなかったらしい。姫の時に見せた劇的な反応が観測できなかったとか何とか、とな」
「やけに他人事だな。お前のことだろうに」
「その時のオレには明確な自我は形成されていなかったからな。これらのことは、後でログを参照した結果得られた事象でしかない」
「そういうものか」
「ああ。お前たちも、生まれたばかりのことは記憶していないだろう。そのようなものだ」
ライカはなるほどと納得した。確かに自身のことであっても、物心つく前のあれそれは伝聞でしか知らないものだ。
「それで、テスターとして姫が招聘されることになった。――オレはこの戦争の基幹を担う存在だったからな。そういう無理も通った」
「……なるほど、合点がいった」
ライカがリリィ姫の側仕えとして侍るようになったのは、前王――父が現王に追い落とされ、凋落した15年前からのことだ。自身が追い落とした王の嫡子を処刑することもなく、自らの姫の側近として置いた現王の意図はわからないが、とにかくそれだけの長い期間をライカはリリィ姫と共に過ごしている。
ところが一年前のひと月ばかり、ライカは姫から離されていた時期があった。ようやく王も自分を処分する気になったのか、焦らすものだと当時は思ったものだが、なんの沙汰もないままひと月がたち、再び姫の側仕えとして置かれたものだから不思議に思っていたのだ。どうやら、そういう事情があったらしい。
「姫との会話を繰り返すにつれ、オレの自我は加速度的に形成されていった。そしてオレが人並み程度の人格形成に成功した第128回目の実験の時、姫はオレに名を与えてくれた。「オティカ」という名を。零号機という名では堅苦しいから、とな」
「姫はずいぶんと、おまえに情を移していたんだな。知っているか、「オティカ」という名は――」
「知っている。死んだ弟の名だと、姫は言っていたからな」
ライカはそうか、とだけ呟いて、目を閉じた。オティカ、現王の嫡子にして、ライカの友でもあった少年だ。生来の病弱で、ともに森を駆けることはかなわなかったものの、あの人懐こい少年とはひどく馬が合った。齢十二の頃に夭折している。
このオティカに出会ってから抱いていた浮ついた疑問の正体を知れて、ライカはどこか落ち着いた気分になった。
「名前を得ること、それが俺の人格を形成する最後のピースになった。もっとも、それは技研の技術者が想定していた以上の成果だったんだがな」
「……字面ほど、いいニュースではなさそうだな」
「ああ」
オティカは、自身の手をじっと見た。こぶしを握ったり開いたりする動作にあわせて、微かな駆動音が響く。
「オレの人格は育ち過ぎた。自分で考え、自分で答えを出せるようになってしまった。戦争の道具としては、それは過剰なスペックだ。姫はその任を解かれ、元の公務に戻った。そして、俺の人格はいったん消去されることになった」
「それは……」
「道具として都合のいい段階で人格の成長を止めるプロセスについては、俺の実験の成果からノウハウが確立されているんだろう。このあいだの襲撃を見るに、それは明らかだからな」
ライカは何も言えなくなった。すでに獲得した人格を消す、という行為に、強い忌避感を感じてのことだ。オティカは続ける。
「無論、オレもみすみす殺されてやる謂れはないからな。同時進行で進んでいた筐体の調整はおおかた終わっていたから。オレは研究所を脱走した。その後は、お前たちも知る通りだろう」
「……経緯はわかった。じゃあ、姫を攫おうとしたのは」
「あの人を助けたかったからだ。やり方は変わったが、今もそれは変わっていない」
「なるほど、理解した」
オティカはこれで満足か、とでも言いたげな、それでいて無機質な視線をライカに向けている。ライカはそれを受け止めて、首肯で返した。
「であれば、やはり。オティカ、君に稽古をつけてもらいたい」
「……話が戻ったな」
オティカが人間ならば、きっと眉根を寄せて渋面を作っていただろう。それでもライカはまっすぐな目でオティカを見た。しばしの間、沈黙が降りる。
「理由を」
根負けしたのは、オティカだった。
「お前がオレに師事する、合理的な理由を教えろ」
ライカはオティカを真摯に見据えて、淀みなく言った。
「それは、僕が君と同じ目的を持っているからだ」
///
「……まだやるのか」
「もう、一手……」
そんなやり取りがあったのが、数日前のことである。夜の時間だけ整備区画の一角を借り受けられる約束で、ライカとオティカの特訓が始まった。その結果がこれだ。
全身ボロボロ、顔は汗と汁と吐瀉物塗れ、辛うじて立っている膝は今にも砕けそうで、得物を構える腕力すらおぼつかない。それが今のライカの状態である。
戦闘スタイルの違いはいかんともしがたく、術理を教えるようなこともできないから、基本は実戦スタイルのぶつかり稽古になるわけで、それで両者の実力が隔絶しているともなれば、こうした結果になるのも納得というものだ。
「……いったん休憩を入れるぞ。これで体を癒せ」
オティカが投げた小瓶を、ライカがもたつきながらも空中でキャッチする。稽古に際して整備区画の一角を借りるとなったときに、ティエスから渡された謹製の回復ポーションである。日本語で「ヘヴン状態」とラベリングされた極彩色の液体は、見ただけで飲む気をなくす素晴らしい外見をしていた。
「う……わか、った」
ライカの頬が引きつる。これまでに数度世話になっている薬だが、その味と効果は筆舌に尽くしがたい。
「…………」
オティカは涼しい顔でライカを見下しながら、都合25度目となる「もう一手」に辟易としていた。
打ちのめされても立ち上がってくるガッツは称賛に値するが、正直なところライカに戦いの素質はない。なまじ高性能なオティカの頭脳は、それをあまりにも残酷に理解してしまっている。この稽古とも言えないリンチまがいの短い時間では、付け焼刃にすらならないだろう。
それでも――。
「……時間いっぱいは、付き合ってやろう。一度請けたからにはな」
オティカがこのライカという青年の頼みを、どうにも断わりずらく感じているのもまた、確かだった。




