Fragment.2 国境守備隊の朝は早い
国境守備隊の朝は早い。
まだ夜も明けきらぬ午前4時、レイフェン郊外の国境守備隊基地はまだ暗い。夜勤番の兵士たちはあくびを噛み殺し、そうでない大多数の兵士たちは日中の勤務に備えてまだ夢の中である。
そんな兵員宿舎の一角、士官以上に宛がわれた個室のベッドから、人影がむくりと半身を起こす。国境守備隊第3中隊第1小隊副隊長の、エーリカ・テッペ小隊長(25)だ。
エーリカ小隊長はベッドサイドの時計を確認しひとつ頷くと、同じくベッドサイドに飾っていた額縁を持ち上げて、いとおしそうにその表面に指を這わせる。
「お母さん、今日も頑張るからな」
額装されているのは、エーリカ小隊長の愛娘・ネリちゃん(4)が描いた、「お母さんの似顔絵」だ。基地勤務中のエーリカ小隊長はここ2週間ばかり、娘さんの待つレイフェン市内の自宅には帰宅できていない。
エーリカ小隊長は身だしなみを整えると、食堂に行動食を取りに寄ってから、そのまま強化鎧骨格の格納庫までやって来た。整備隊員たちがせわしなく働いているここは、早朝の基地でで一番活気がある。ちょうど夜番と朝番の入れ替わりどきで、あちこちで作業の引継ぎが行われている。
そんななかに、エーリカ小隊長は整備隊員とは異なる一団を見つける。
「全員揃っているようだな」
『おはようございます! 小隊長殿!!』
エーリカ小隊長が声をかけると、居並んでいた彼らは敬礼とともに唱和で返した。エーリカ小隊長も自身の麾下の第3中隊第1小隊B分隊の面々の顔を見渡してから、敬礼を返す。
「本日の除草作業は第35ブロックから62ブロックにかけてだ。森域からの妨害も十分に考えられる。各員十分留意せよ。また、森域は友好国だ。挑発されてもこちらから手は出すなよ。奴らに領土も大義名分もくれてやる必要はない」
『了解であります!!』
「よし、各員搭乗」
簡単なブリーフィングは敬礼で締めくくられ、31B隊員たちはそれぞれの乗機へと駆け足で取り付き、コクピットに身を翻す。エーリカ小隊長もまた、自身の愛機へと走った。
「あ、エーリカ小隊長。機体、バッチリ仕上げてますよ。お勤め、ご苦労様です」
「ありがとう。君らも規定の休みはとれよな」
「小隊長よりかは休めてますのでご安心を。グッドラック」
「ああ。ハッチ、閉めるぞ」
機付きの整備隊員との小気味良いやり取りをはさんで、コクピットハッチを閉鎖する。機体のシステムが立ち上がり、外部カメラの映像が光画盤に映し出された。整備隊員が大きく手で丸印を作る。操縦桿を握る。身体が拡張されたような感覚には、もうすっかり慣れている。
「エーリカ機出すぞ。ケージ開放」
ずしんと地を踏みしめる感覚と衝撃が、シートから伝わって背骨を駆け抜けていく。後方では同様に、部下たちの強化鎧骨格がハンガーの床を踏みしめている。エーリカ小隊長は外部スピーカのボリュームを上げて、号令を発した。
「31B、出動!」
///
「だいぶ茂っているなぁ……」
現場に到着したエーリカ小隊長は、いささかげんなりと零した。目の前に広がっているのは森域本領の成木と比べれば全然大したことのない若木だが、その生命力の強さを痛感させる繁茂っぷりは、もはや緑の壁だ。下草も、下草というには背が高すぎるもので、それは強化鎧骨格の腰あたりを掠めるほどである。
『焼き払ってしまえれば楽なんですがね』
「同感だが、さすがにそうもいかない。そういう決まり事だからな」
部下の軽口をとがめることはしない。この有様を見れば、不平の一つはこぼしてしまってもしかるべき、とエーリカ小隊長は考えている。むしろ口にしてくれたほうが、ガス抜きにもなってよい、とも。それに、その軽口の内容についてはエーリカ小隊長としても理解できる。
森域外縁の樹木の伐採は、森域との取り決めによりいくつかの条件がある。成木には手を付けないこと、火を使わないこと、除草剤を撒かないことなどだ。火をかけた瞬間、森域とは戦争になるだろう。王国が負けるとは微塵も思わないが、それでもその矢面に立つのはごめん被る、というのは、国境守備隊の総意といってもいい。無駄な仕事を増やすくらいならば、草刈り任務をきちんとこなしたほうがよい。
「ハッカクの班は私と来い。トライアの班は先行して、62ブロックから手を付け始めてくれ。中間の48ブロックで合流しよう」
『了解』
部隊を二つに分けたエーリカ小隊長は、さっそく緑のヴェールに踏み込んだ。エーリカ小隊長機の手にした得物が、ヴーンと腹に響くような唸り声をあげる。それは長い柄の先に回転する丸鋸が据え付けられたもので、先端の丸鋸ユニットはフレキシブルに可動し、任意の角度で固定できるようになっている。唸り声の正体は、その丸鋸が高速回転するときの音によるものだった。
いわゆる、草刈り機である。もっともそれは人間が用いるものの数倍は大きく、またその回転刃がもたらす破壊力は数十倍どころではない。モード如何によっては、それは強化鎧骨格の鋼鉄の外殻すらをも両断せしめる凶器である。無論、いざというときはそういう用途にも使うものだ。
その回転刃が、人間の胴ほどもあろうかという下草の茎を切り散らしていく様は、ある種の快感ですらあった。緑の壁は切り取られ、その後には道ができる。エーリカ小隊長機に続き、部下たちもめいめいに草刈りを始める。人の数倍の体躯の強化鎧骨格による草刈りは、ただの人間が行うよりはるかに速い速度で草叢を切り開いていく。強化鎧骨格には、こうした重機としての一面もあるのだ。
「飛び石に気をつけろ。強化鎧骨格の装甲くらい、簡単に貫くぞ」
『了解』
そうやって黙々と、エーリカ小隊長たちは下草を刈る作業を続けた。そろそろ、東の空が明るくなり始める頃合いだった。
///
『小隊長、でましたっ! トレントです!』
「よーし、慌てるな。各員、チェーンソー装備。若木伐採のついでだ。アレも材木にしてやれ。キックバックには留意しろよ」
ハッカク機からの警告に、エーリカ小隊長は冷静に応じた。トレントは樹木に擬態する……というよりも、意思をもって自由に動く木そのものというべき存在だ。いかにも魔物然とした姿をしているが、これで魔王産ではないれっきとした生物である。そんなモンスターの接敵は、伐採作業にはつきもののイベントだ。エーリカ小隊長含め、部隊員たちに焦りはない。同時に、油断もない。
エーリカ小隊長の指示で、5機の強化鎧骨格は背負っていた長物をずらりと引き抜く。樹木系のモンスターに、剣では通りが悪い。草刈り機も多少は有効だが、あの太い幹を断ち切るには力不足だ。
だからその得物は、刃渡り数メートルはあろうかという長大なチェーンソーだった。楕円形の刀身を一周するソーチェーンが、昇り始めた陽光にぎらぎらと煌めく。腰だめに構えてスターターを引くと、エンジンブロックがうなりを上げてソーチェーンを回転させた。触れたものを切り、抉り、削り取るそれは、まさに暴力を体現している。無論、これは強化鎧骨格相手にも猛威を振るう。
「ヨハンとミゲルは軽く当たって注意をそらせ。ハッカクとレクタンは枝打ち。私が幹をやる。かかれ!」
『了解!』
エーリカ小隊長の短い指示で、部隊員たちは即座に動いた。トレントはそれに気づいて、愚かにも自身の枝葉を伸ばし、鞭のように振るって見せる。感覚器がどこにあるのかは甚だ疑問だが、その狙いは正確無比だ。ゆえに見切りやすい。
『間合いが甘いッ!』
『どうしたウスノロ、そんな攻撃で俺たちを倒せると思ってるのか?』
『お前は昼寝してる豚の夢みたいな情けない奴だな』
『ばーかばーか』
ヨハンとミゲルは二機で連携し、伸ばされた枝葉を打ち払うと、口々に罵声を並べ立てた。気でも触れたかというと、そうではない。トレントのどこにそのような思考領域があるのかは甚だ不明だが、罵倒には人一倍に敏感であった。そして言うまでもないが、ヨハンとミゲルは生粋の王国陸軍軍人である。罵倒はお手の物だった。伸ばされる枝葉が、ヨハンとミゲルに集約される。二機が左右に散開するのに追随して、真正面が一瞬空いた。
『獲ったッ!!』
『オラァッ!!!』
その隙を逃さずハッカクとレクタンが躍りかかり、その回転刃をトレントの太い枝に食い込ませる。身の毛もよだつ切削音とともに、大鋸屑と樹液が舞った。トレントが声にならない悲鳴を上げる。迎撃は間に合わない。何しろすでに、枝は半ばまで断ち切られている。
『小隊長! お膳立てはしましたぜ!』
太い枝が根元から断たれ、下草の中に沈む。ハッカクが声を上げた。
「ご苦労!」
エーリカ小隊長の機体が、一足飛びに地を蹴る。手にした大型チェーンソーを、過たずその太い幹にぶち当てる。火花が散る。トレントの幹ともなれば、樹皮は鋼鉄をしのぐ硬度となる。並の刃物では歯がたたない。だが、どうだ。その高速回転する鎖の刃は、さしたる問題もないとばかりに樹皮を食い破る。朝の森に響くその切削音は、声を上げるすべを持たないトレントの悲鳴そのものだった。
「ウオオオオッ!」
裂帛の気合とともに、エーリカ小隊長は回転刃の切削力と強化鎧骨格の膂力に任せ、チェーンソーを振りぬく。トレントの命脈は、まさに絶たれた。回転刃の余韻が旋風を巻き起こし、大鋸屑と樹液を巻き上げる。
「倒れるぞー!!」
エーリカ小隊長が大声で警告し、その不安定になってしまった幹を蹴り飛ばす。部隊員が即座に離脱し、ややあってゆっくりと、その巨木は傾いだ。ミシミシと繊維が断絶し、折れ砕ける快音を響かせながら、ただの材木となったトレントだったものは地に倒れ伏した。地響きに遠方の鳥たちまでもが一斉に飛び立つ。しばしの残心の後、エーリカ小隊長はチェーンソーのエンジンを切った。部隊員たちもすでにエンジンを切っている。森には痛いほどの静寂が戻った。
///
太陽が中天に上るころ、伐採任務を終えた31B部隊はレイフェンの守備隊基地に帰投していた。あの後トレント30体と戦闘になり、伐採した若木は500本を超えた。それらは国境線を侵犯する厄介者だが、切り倒されてしまえば資源だ。とはいえ、それを持ち帰るまではエーリカ小隊長たちの仕事には含まれていない。今頃、回収用の部隊が出発していることっだろう。
帰投した部隊は一応のデブリーフィングを済ませた後、解散となった。この後は常であれば自由時間だ。明日の朝番に備えて休息をとるでもいいし、体が鈍らないように自主訓練をするでもいい。
「おお、エーリカ小隊長。良いところに。今はお暇かナ?」
「これは基地司令殿。はい、今から走りに出ようかと思っていたところですが、急を要するものでもありません」
エーリカ小隊長も日課のランニングに出ようとしたところ、基地司令のマッドサイ・ファンシェ子爵から呼び出しがかかる。エーリカ小隊長は敬礼で応じた。
ファンシェ卿は好々爺を絵に描いたような総白髪の老紳士で、技研上がりという変わった経歴を持つ男だった。長い眉毛に隠されたその目は、どこか狂気を帯びているというのが基地内の共通認識だった。ひどい話である。レイフェン基地に技研の実験場があるのは、その縁だというのがもっぱらの噂である。
「それはよかった。少し今後の任務のことで話があってネ。執務室まで来てくれるかい」
「了解しました」
断る理由もないので、エーリカ小隊長は快諾した。彼について執務室に入ると、些か散らかった執務机が目に入る。几帳面な副指令がよくぼやいているとは司令部勤めの人間からの伝聞だが、たしかに基地の最高位者としては些か権威にかけるかもしれない。とはいえエーリカ小隊長も初めて執務室に入ったわけでもないので、さして気にもしていないようだった。
「毎度散らかっていて悪いネ。そこの椅子にでも掛けてくれたまえ。今コーヒーを淹れよう」
「いえ、どうかお構いなく」
「いいからいいから」
そんなやり取りの後、ややあってファンシェ卿はビーカーに入ったコーヒーを二つ持ってきた。技研時代からの癖らしいのだが、これについてはエーリカ小隊長もいまだに慣れない。
「さて、エーリカ・テッペ小隊長。君と君の分隊には、少し特殊な任務に当たってもらいたい」
対面の椅子に掛けたファンシェ卿はコーヒーで口を湿らせてから、前置きもなく本題を切り出した。
「特殊、ですか」
「うん。近々、森域で内乱が起きる」
オウム返しに聞いたエーリカ小隊長に、何の気もないようにファンシェ卿は答えた。エーリカ小隊長は泡を食って、危うくコーヒーを取り落としかける。そんな世間話のようなノリで話す事柄ではなかった。
「それは、確かなのですか?」
森域には今、エーリカ小隊長の莫逆の友であるティエス中隊長がいる。さりとて心配かと言われればそうでもない。エーリカ小隊長はティエス中隊長のでたらめなスペックを身に染みて知っているから、きっとどうにかするだろう。それよりも、騒ぎを大きくしやしないかという懸念のほうが大きい。
その表情の機微を読み取ったのだろう。ファンシェ卿はクスリと笑った。
「うん、そうだネ。それで君たちには、とある荷物をイセカイジン卿のところまで運搬してもらいたいんだ」
「運搬……その、荷物とは? 強化外骨格の補充でしょうか」
「それもあるネ」
ファンシェ卿はコーヒーを一口味わう。
「君はシャラン・マースカルト博士を知っているかナ?」
「シャラン……たしか、技研の。ティエスから話には聞いています。自分をしのぐ天才だと」
「ウム、その評価は実に正しい。彼女は天才だヨ」
「そのシャラン博士が、この件に関係しておられると」
「いかにも」
ファンシェ卿は立ち上がると、デスクから紙束を一つ抜きだした。その拍子に紙の塔が倒れて床に散らばるが、ファンシェ卿は気にしていない様子だった。それよりも、自分の手にした紙束に対してワクワクとした感情を抑えられないようにも見える。
「今回君たちに運んでもらう荷物は、これだネ。一読して頭に入れてくれたまえ」
「はっ。拝読します」
エーリカ小隊長はファンシェ卿から受け取った資料を読み下す。専門性の高い部分はさっぱりだったが、それでも概要はつかめる。エーリカ小隊長は目をむいた。これがエーリカ小隊長の認識通りの代物であれば、それはまさに――
「雲をつかむような話ですね、これは」
「いかにも! まったく、僕が技研にいるうちに携わりたかったヨ。無論、研究者としてネ!」
ファンシェ卿はそういって、いかにも愉快そうに笑う。ひとしき笑ってから、ファンシェ卿はエーリカ小隊長の手から資料を回収し、続けた。
「無論、これは極秘作戦となる。他言は無用だヨ。荷は三日後には届く予定だから、それまで君たちには臨時の休暇を与える。シフトの組み換えは事務方でやっておくから、君は気兼ねなく娘さんの顔を見に帰ってやるといい。またしばらく見れなくなるからネ」
「……ご厚意、痛み入ります」
エーリカ小隊長は、深々と頭を下げた。話はそれで終わりのようだった。エーリカ小隊長はビーカーに残ったコーヒーを一息で干すと、敬礼もそこそこに執務室を出て、その足でダッシュで帰宅した。
娘バカの禁断症状でついに暴走した、と噂になったことをエーリカ小隊長が知るのは、しばし後のことになる。




