Fragment.1 シャラン、大いに怒る
王立先端技術研究所――通称「技研」は、フェンヴェール王都にほど近い工業都市イミーズに拠点を置く、王国陸軍工廠の一角に居を構えている。建物はいかにも研究所然とした真四角で飾りっ気のない外観をしているが、正面玄関入ってすぐのロビーにはこじゃれたカフェテラスが併設されており、あまりお堅い印象を受けないつくりになっていた。これは技研が軍の施設ではなく国府の直轄機関であることが関係していたりしなかったりするのだが、今はさほど関係のない話であるため割愛する。
その技研のカフェテラスで、今二人の人物がテーブルをはさんで額を突き合わせている。気持ち程度にパーティションで区分けされた商談スペースで向かい合って座っているのは、若い男女だ。恋仲という雰囲気ではないが、さりとて仕事の話という雰囲気でもない。
険悪な雰囲気を隠そうともしない女が、口にしていたティーカップをソーサーにことりと置いた。
「……それで? "観光局"の特派員さんが技研に何の用?」
「まあまあ、そう邪険になさらず。シャラン・アプリコット主任技師」
対する男は表面上にこやかな表情を崩さないまま、シャランをなだめるように穏やかに声を発した。シャランの方眉がピクリと上がる。
「今はマースカルトよ。結婚式にはあなただって来ていたでしょ、ティエスの代理で」
「ははは。つい馴染んだほうが出ちゃうんですよ、先輩」
存在そのものが胡散臭い男、イーサンボンドは若干の馴れ馴れしさを潜ませる。シャランはそれに眉をひそめた。
「それ。あなた流の交渉術なんでしょうけど、仕掛けられているほうからすると嫌悪感しかないわね」
「相変わらずはっきりとおっしゃるなぁ」
「あなたがはっきりしないだけじゃないの?」
「おっと、ごもっとも」
イーサンボンドは表情を変えないまま、降参とばかりに肩をすくめて見せた。シャランは大きく溜息をついた。
「変わったわね、あなた。大学の頃は、もう少し可愛げがあったでしょうに。これもあいつの影響かしら」
「成長した、ということにしていただければ。まぁ、ティエス先輩の影響は多分にあるでしょうけどね。一時期はそういう仲でもありましたし」
「ほんと、あいつも気の多い……ふしだらだわ」
シャランはテーブル井肘をついて、頭痛を堪えるように額を抑えた。様々な感情をため息とともに吐き出して、仕切り直しとばかりにイーサンボンドをにらみつける。
「それで? 思い出話をしに来たわけじゃないんでしょう?」
「いやぁ、実は思い出話をしに来たんですよ。あとはそうですね、シャラン先輩の復職祝いとか?」
「あのねぇ、ふざけるなら帰るわよ? いま研究がイイところなの。大切な時期なのよ。わかる? 1分1秒でも惜しいの。それに5時には保育所にお迎えに行かなきゃならないし、とにかく、無駄な話をしている時間はないのよ」
イーサンボンドがあまりにもけらけらと笑うものだから、シャランのこめかみには青筋が3つばかり浮かんだ。働くお母さんは大変だ。息子のシスコくんが1歳になったのを機に技研に復職したのはほんの1か月前である。仕事と育児の両立はいまだに慣れない。ストレスのゲージは常にすりきりである。怒りに表面張力がなければきっと爆発していただろう。
そこへ来てイーサンボンドである。こいつは基本、厄介事しか持ってこないのだ。それは情報部の所属になってからもそうだし、なんなら大学時代からそうだった。こいつの持ってくる厄介事をシャランとティエスの二人で処理するのが、一種風物詩であったほどだ。なのでシャランとしては、本当にこのいっぱいいっぱいの時期には会いたくない人物なのである。まぁそういうときに限ってやってくるから厄介なのだが。
「まぁまぁ、落ち着いて。先輩も一服どうですか」
「よくこの状況でタバコ吸えるわねアンタ。いらないわよこちとら育児中よ?」
イーサンボンドは何ら気にしたそぶりもなく、懐から煙草を取り出して火をつけた。浅黄色の煙がくゆって、天井のシーリングファンに巻き取られていく。シャランとしては近くで吸われるのも勘弁願いたいほどだったが、不快なにおいがこちらに一切漂ってこないのを見るに、どうやらイーサンボンドもそれなりの配慮はするらしい。魔法で気流を操作しているのだ。それに気づいて、シャランは怒りよりも呆れが勝った。浮かしかけていた腰を再び椅子に投げ出すと、諦めたように長い溜息をはく。
「ずいぶん魔法の扱いがうまくなったじゃない。誰に習った?」
「説明書を読んだのよ、ってとこですかね」
そのやり取りに、シャランは苦笑する。どうやらティエスという女は、自分にもそれなりに影響を及ぼしているらしいと気づいたからだ。
「まったく、癪ではあるけどね。――それで、本題に入りなさい。あなたの話は聞いてあげる。でも時間がないのもホントだから、手短にね」
「助かります。まず、前提情報のすり合わせから。シャラン主任技師は、ティエス中隊長が特使として森域に派遣されていることはご存じで?」
イーサンボンドが笑顔はそのままに、幾分か真剣実を帯びた雰囲気をまとう。それを察して、シャランも覚えず居住まいをただした。
「知ってるわよ。親善試合でしょう? 新聞で読んだわ。無難に1回戦は突破したみたいね」
「お耳が早くて助かります。その森域で近々、反乱がおきます」
「またぁ?」
シャランはげんなりとした様子で言った。反乱という言葉の重さは、こと森域にあってはずいぶんと軽くなる。数年に一度はそれなりの反乱がおこっては、その都度統合軍(と王国・帝国の派遣部隊)によって鎮圧されている。その声に悲壮感がないのも仕方がない。
「本当にあちらさんは結束できないのね。あいつが私の結婚式をすっぽかしたときもそれじゃなかった?」
「奇遇なものです」
しれっと言ったが、ティエスの個人的な依頼の代価としてその仕事を振ったのはイーサンボンドである。シャランもそれは感づいているのだろうが、今更のことであるので何も言わなかった。イーサンボンドが続ける。
「とはいえ、今回のそれはこれまでの木っ端な反乱に比べ、些か規模が大きいんですよ。下手をすれば、王国にも被害が出そうな試算でして」
「……本当なの?」
イーサンボンドは静かに首肯する。シャランは訝しんだ。もしそれが真実であったとして、だからと言って自分のところに情報部から話が回ってくるというのもおかしな話だ。技研はあくまで研究機関であり、実際に軍の兵器を製造しているわけではない。
「ところでシャラン先輩は、ティエス先輩が大学時代に執筆した論文をご一読されていますか?」
シャランが頭をひねっていると、イーサンボンドは一見関係のなさそうな質問を投げかけてきた。その脈略のなさに、シャランは一時的に思考の渦から解放される。
「大学の? 卒論ならまぁ、私も手伝ったから……」
「いえ、そちらではなく。提出しなかったほう――いえ、正確には提出できなかったほうの論文です」
「っ!」
シャランは息をのんだ。大学在籍時にティエスが行っていた研究は、二つある。一つは先ほどシャランの挙げた、卒論として提出したもの。もう一つが……
「あれは王宮のほうから禁忌として研究の差し止めが来たって聞いたわ。それが……」
「読んだことはありますか?」
「いや、だから……」
「読んだことは?」
イーサンボンドが、独特の圧を醸す。表情は先ほどから一つも動いていないというのに、シャランは背にじっとりと汗がにじむのを感じた。シャランは所詮、後方の研究職である。鉄火場を潜り抜けてきたイーサンボンドにプレッシャーをかけられては、先ほどまでの強気な態度を維持することはかなわない。まるで蛇に睨まれた蛙。俺はいつでもお前を縊り殺せるぞ、と言外に秘めた無言の暴力だ。
シャランはキレた。
「だぁーーーッ! うるっさいわね!! 人の話遮ってまでプレッシャー掛けてんじゃないわよこの素っ頓狂野郎! ぶっ飛ばすわよ!!!!!」
椅子を蹴立てて立ち上がったシャランが、テーブルをバンバンと叩いて吠え立てた。この女、これで一時期はティエスの相棒だった女である。並の精神構造はしていない。腕力はないが、理不尽に対してキレ散らかす程度の胆力は持っている。死ぬまで屈さないどころか、おそらく死んでも5秒間くらいはキレているんじゃないだろうか。
イーサンボンドはその様子にフッと先ほどまでのじゃあくな雰囲気を霧散させると、そのとき初めて作り物では無い笑みを見せた。
「はっはっは。丸くなったって聞いてましたけど、シャロン先輩、昔から変わっていませんね」
「何がよ!!」
「ああ、すみません。少しの茶目っ気と職業病が出ただけです。別に先輩をどうこうしようってわけじゃないですから、ひとまず落ち着いて」
そうイーサンボンドがなだめすかすと、シャランはしばらく気性の荒い猫のように髪の毛を逆立てていたが、ややあって落ち着いたのか着席した。滅茶苦茶ふてくされているのが傍目に見てもわかる様子に、再びイーサンボンドはナチュラルな笑みをこぼす。
「それで、例の未発表論文、読んだんですか?」
「読んだわよ。あいつが棄てる前にね。それで私をどうするつもり? 適当な罪で捕まって、弁護士のいない法廷で死刑判決を受けて溶鉱炉の中に吊るされるのかしら?」
「なんですかそのエグイ処理方法。参考にしますね」
冗談なのかそうでないのかわからない調子のイーサンボンドを、シャランはキッとにらみつけた。堪えた様子がないので、舌打ちを追加する。
「さっきもいったように、先輩をどうこうすることはありませんって。……それで、どうです? 内容は覚えていますか?」
「覚えてるわよ。あいにく、一度見たものは忘れられない体質なの。知ってるでしょ?」
「ええ。さて、それはよかった。これでようやく、本題に入れます」
今までの話が前座だと言われ、シャランはげんなりとした表情を隠そうともしなくなった。イーサンボンドはそんなシャランの様子をニコニコと眺めながら、傍らのカバンから目玉クリップで止められた書類の束を取り出すと、静かにテーブルの上に置いた。
「……これは?」
「今回、先輩にお願いしたい仕事の概要をまとめたものです」
シャランは緩慢な動きで書類を取り上げると、これまた緩慢な動作でパラパラとめくった。表紙に銘打たれている計画名は、「黒ひげ危機一髪計画」。ふざけた名前だ。防諜のための仮題だろうか。
表紙をめくり、資料を斜め読みしていく。次第に、げんなりと脱力していた身体に力が入り、表情は真剣実を増してゆき、緩慢だった動作は荒っぽくも機敏に変化した。食い入る視線は書類にのみ集中され、もはやイーサンボンドの存在すら忘却の彼方、といった有様だ。
「いかがですか、先輩。引き受けていただけますか」
数分後、イーサンボンドのその声で我に返ったシャランが、ようやく視線を書類から剥がした。世界の雑踏が一気に戻ってきたことに驚くように数秒呆けた後、シャランは言葉を絞り出す。
「……正気?」
「いたって。それで、もう一度お尋ねしますが――」
「まって。あいつの研究は……この計画の基幹技術は、王宮から直々にNGを食らったものよ。それをほじくり出すなんて」
シャランが鋭い声で紙面を叩く。イーサンボンドはそれによどみなく答えた。
「無論、王宮からはすでに許可が出ています。僕がこの話を持ってきた時点で根回し済みであることは、先輩もご理解いただいていると思いますが」
「だからこそわからないのよ。なんで王宮は、今になってこれにGOサインを出したのよ。禁忌はどうしたのよ禁忌は」
「さて。僕には政治のことまではわかりません」
イーサンボンドはやはり、しれっとかわす。本当に知らないのか、それともはぐらかしているのか。今のシャランには、それを判じる余裕はあまりなかった。
「それに、あんたが根回し済みってことは……」
「ええ。もちろん技研のほうにも話は通してありますし、承認を頂いています。ほら、この通り」
そういってイーサンボンドが取り出したのは、一枚の厚紙だった。シャランはそれを見て、頬の筋肉が引きつるのを感じた。
「正式な辞令じゃないの。この状況で私が仕事を断るルートってあるの!?」
「ははは。職業柄、外堀から埋めていくのは得意ですし」
「あんたねぇ。これじゃ埋めるどころか山になってるじゃない……」
シャランは書類をテーブルに放って、今度こそだらしなく椅子にもたれかかった。まるで溶けたバターのようにぐんにゃりしている。そんな状態のシャランに対して、イーサンボンドは再び尋ねた。
「引き受けていただけますね、先輩」
「もう断定口調じゃない。わかったわよ。どうせ逃げられないようだし」
「ご理解いただけたようで何よりです。ああ、御子息の送迎やご家族のサポートはウチのほうでしっかり面倒を見させてもらいますので、先輩は計画に専念していただければ」
何なら人質まで取られてしまった。いっそこの男の首をへし折ってやろうかとすらシャランは思ったが、それはティエスに任せることにする。シャランは鬱憤やら暴言やらをすっかり冷めたお茶とともに飲み干して、荒っぽく立ち上がった。
「急ぎましょ。時間、ないんでしょう?」




