4-60 観客席にて/少年は竜に会う
「ど、どうなっちまったんだ……!?」
エルヴィンが観客席の下から這い出ると、視界は土煙にけぶっていて定かではない。鼓膜をつんざく快音の後に、確か隣にいたニアに頭を掴まれて椅子の下に押し込まれ、その直後に衝撃が来たのだ。さいわい、二重三重の魔法防御のおかげで観客席への被害はほぼなかったが、それでもおぼろげな視界ながらに、慌てふためく観客の姿がうかがえる。
「無事? エルヴィン君」
「あっはい。特に怪我とかはないです。ニアさんも?」
「ええ。森域の魔法技術に助けられたわね」
ニアは苦笑しつつも、きびきびと状況を確認しながら軍服についた埃を払った。こうしていればデキる大人の女性っぽいのにな、とエルヴィンは思う。脳裏に浮かぶのは、森域滞在中の自由時間がほぼ消滅したことに喚き散らしている姿や、性懲りもなく隊員と賭け麻雀して有り金を全部スッた挙句ハンスに泣きついている姿だ。ティエスも大概だが、こいつも相当である。
エルヴィンは半笑いになった。
「ムムッ、なによその顔は。エルヴィン君、ティエスの悪い影響もろに受けてるんじゃない?」
「さすがにそんなことは……いや……どうだろ……」
一笑にふそうとして言葉に詰まる。確かに言われてみれば、ここ2か月でずいぶん生活環境が様変わりした。性格の変化もないということはないだろう。ただそれをあのティエス・イセカイジン中隊長の影響とされるのは、些か……些か承服しかねる。
エルヴィンは脳裏に浮かんだちゃらんぽらんなにやけ顔のティエス像を振り払い、そしてようやく興味が試合会場に戻ってきた。
「ていうか、そうだよ試合! 試合はどうなったんだ!?」
「土煙が邪魔でよく見えないわね……」
ニアが懐から取り出したオペラグラスで石舞台を覗き込むが、いまだ晴れない土煙に遮られて眉根を寄せている。観客席の土台に強化鎧骨格が突っ込んだまでは観測しているが、果たしてそれだけでこうも土煙が立つものなのか? エルヴィンは訝しんだ。
「あー、やってるねー」
「フン、カーン家も落ちぶれたものだな」
「シュイオンの名前は律儀に継いでるみたいだけどねー」
「ただ継げばいいというものではない。あんなもの、シオの足元にも及ぶまいよ」
「キラルはほんとにシオのこと大好きだよねー」
不意に、やけにクリアで呑気な声がエルヴィンの耳に届く。思わず振り返ると、そこには二人の子供が、周りの騒動を屁とも思っていないような顔で座っていた。双子だろうか。体形から顔立ちまでがそっくりで、違うといえば髪の分け目が鑑写しなくらいだ。服装にはずいぶん趣味の違いがあるようだが……しかし、そんなことよりもエルヴィンは強烈な違和感を覚えた。
例えばそれは、こんな騒動の中で全く動じた様子のないこと。例えば、獣人の要素のない推定人間であること。例えば、その髪が目の覚めるような青色であること。
細かな違和感は数あるが、中でも最もエルヴィンに違和感を覚えさせたのは、記憶との齟齬。そんな人物は先ほどまで隣にいなかったし、さらにいえば、その二人にニアが気付いた様子がないことだった。
ニア・テッテンドットは正直なところ残念な女であるが、とはいえその能力自体は高い。あのティエスが気に入って連れまわしているのだ。あの女の引く最低ラインがずいぶん高いところにあるのを、エルヴィンはここ数か月で嫌というほど知っている。そんなニアが、気づくそぶりもない。
それに、なぜだろう。エルヴィンは肌が粟立つような感覚を覚えていた。エルヴィンは、それの正体がわからない。ただ言い知れない不安と焦燥に、心を焼かれるような感触。ティエスに聴けば、それはプレッシャーだ、と答えるだろう。荒事に慣れた彼女の語彙は些か好戦的だ。では、より一般的な感性と語彙をもったものに聞けば、どう答えるだろうか。
おそらくそれは、畏怖だ。
「あっ、気づいたみたいだよ。さすがだねぇ~」
「フェンヴィーの後継だ。それくらいはできてもらわんと困る」
調子のよさそうなほうが、エルヴィンに対してにこやかに手を振った。ずいぶんお堅そうなほうが、フンと鼻を鳴らした。エルヴィンはそれに、答えることができない。息が止まってしまったかのようだった。
「へへっ、僕はラグーン。こっちはキラル。よろしくね、リトル・フェンヴェール」
「それは黙っておけとアマリエルに言われたろうに……」
「そうだっけ? うーん、フェンヴィーの癖がうつっちゃったかな」
「勘弁しろ。奴のような苦労を僕はしたくないぞ」
調子の良いほう――ラグーンの軽薄な物言いに、お堅そうなほう――キラルは片手を額に当てて深々と溜息をつく。そんな何でもない、言ってしまえばコントか何かのような茶番劇が、いまのエルヴィンにはあまりにも――怖い。
「そろそろ行くぞ、ラグーン。今のこいつに、僕たち幻想機は毒だ」
「あー、そっかー。ごめんね、気がつかなくて。また今度会おうね!」
「近いうちに、また会うことになるだろう。頭の隅で覚えておけ」
二人の子供は、あまりにも自分勝手に話を進めて、あまりにも勝手に再会を誓うと、あまりにも勝手に宙に溶けて消えた。夢か幻か、と疑いたくなるような、しかしあまりに実感を持った出来事に、エルヴィンはひどい吐き気を覚えた。
「……ヴィン君、エルヴィン君! どうしたの顔真っ青よ!」
「……っ!」
エルヴィンは、ニアに肩をゆすぶられて呼びかけられたことでようやく、それまで呼吸ひとつ出来ていなかったことに気がついて大きく息を吐きだした。肺の中に水がたまったかのように、呼気は重く荒い。ニアもさすがに、その異常に気が付いたようだ。
「えほっ、えほっ……だ、大丈夫。ちょっと土煙吸っちゃっただけだから」
「ちょっとホントに大丈夫? 帰ったら、医官にちゃんと診てもらいなさいよ。一応ティエスにも報告入れておくからね?」
「うん、うん。わかったって、心配させてごめんニアさん。っと、それより試合はどうなったんだ?」
しかしエルヴィンは数度せき込んだ後、目に涙をためつつも そう誤魔化した。ニアは怪訝な顔をしつつも、それだけ言って納得してくれたらしい。
再び、エルヴィンは目を石舞台に向ける。あれほどもうもうと立ち上っていた土煙はすでに晴れ、舞台の上に立つのは大太刀を構えたティエスのテンチュイオンⅡのみ。では相対していたシュイオン機はというと、姿は見えないが、おそらくこの観客席の真下にいるはずだ。ティエス機が、剣を下段に構える。まだ、勝負は決していないのだろうか。
『シュイオン機、場外。よって、本試合はティエス・イセカイジンの勝利とする』
エルヴィン少年が覚えずこぶしを握る手に力を込めた丁度そのタイミングで、今まで沈黙していた審判が声を発した。それはティエスの勝利を宣言する言葉であり――。
『やったー! かったぁー!!』
少しの間をおいてティエスの幼稚な勝鬨が会場に響いたことで、ようやく皆がその顛末に見当がついた。
「よ、よかったぁ~」
隣で、ニアが大きく安堵の息を漏らす。こういうところホント仲いいよな。エルヴィンはそんなニアの様子と、石舞台の上のティエス機に数度目線を往復させてから、ようやくどっかりと観客席に座り込んだ。
ティエスの勝利をたたえる歓声と拍手が、エルヴィンにはやけに遠くに聞こえた。
第4部「ドキドキ! 決斗編」 / 完
第4部完。
次回更新は2か月ほど時間を頂きたいところ。
ご感想など戴けると嬉しいです。




