勇者と少女の出会い
「待ちやがれクソガキッ!?今日こそは逃がさねぇ!」
「ヘッ!捕まえられるもんなら、捕まえてみろってのっ……!」
人通りの少ない城下町の路通りにて。
大きな果物の袋を抱えた少女は男達に追われ、僅かに居る通行人を避けながらスラム街の方へと駆けていく。
不注意に店先で受け渡される紙袋や通行人の鞄を奪い取り、そのまま走って逃げ去る、俗にいうひったくり。生まれつき足が速く手先も比較的器用な少女は、生活の為にしばしばこの手の盗みを働いていた。
しかしその日はどうも調子が悪く、果物屋からの逃走中に通行人にぶつかりかけた事で距離を詰められてしまったのである。
「おいそこのデカいおっちゃん、このガキ捕まえてくれ!」
「あぁん…?あ!お前この前のクソガキ!?」
「うわッ!?なんだよもう!」
正面から挟み撃つようにして飛び掛かってくる男を横っ飛びで躱す。日頃敵を作りすぎたのが災いしたか追っ手の数は時折増え、延々と追いかけて来る。
(くそっ、体が重い……!しつこくてキリがねえし、このままスラムに突っ込んで皆に迷惑かけるにもいかねえし……こうなったらイチかバチかだ!!)
「なッ、お前そっちは!?」
意を決し、少女はより細い路地へと飛び込んでいく。整備も清掃も碌にされていない路地裏には建材やゴミが散乱しており、特に腐蝕した家畜の死骸は酷い悪臭を放っている。少女の思惑通り、店主達は路地裏への侵入を躊躇し、追跡を諦めて路地の入り口に留まった。
建材を飛び越えゴミ山を踏み越え、暫く進んだ所で漸く立ち止まり、荒い息を整える。後はこの路地の反対側へ抜ければ無事にスラムまで帰る事ができる───尤も、彼女にとってはここからが大変なのだが。
「グルルル……」
「うッ!?」
“それ“を見て少女の顏から血の気が引く。不幸な事に彼女は、想定しうる限り最悪の脅威と鉢合わせてしまった。
不自然に辺りに散らばる未だ新しい家畜の死骸、噎せ返る鉄錆の匂い、その中央───そこには崩れかけの体を震わせ唸りだす、一匹の犬の死骸があった。
住人達が路地裏を避けるのは、何も衛生状態の悪さだけが原因ではない。光があまり差し込まない為にそこは一日を通して暗く、故に時折こうやって、昼間は本来現れないようなアンデット系の魔物が生まれる。
単なるスライムや人型のアンデットであれば少女にも対処できた。というのもそれらの魔物は比較的足が遅い。真っ向から敵対すれば丸腰の少女に勝てる道理がなくとも、逃走に徹すれば充分逃げ切れる。
しかし獣型、奴らは別だ。生前にも増す爆発的なスピードを伴うその攻撃は、訓練された衛兵や冒険者であればともかく、一般市民にはとても捌ききれない。
「グルァァァッ!!」
「うわぁっ!?」
飛び掛かってきた魔獣の一撃をなんとか躱すが───
(速い……ッ!)
振り回された鋭利な爪が少女の持つ紙袋を切り裂き、数個の果物が転げ落ちる。ゾンビ化した犬の一撃は、通常の家畜や先程までの追っ手と比べてあまりにも素早く、それでいて力強い。
逃げ出す余裕もなく、折角盗んだ紙袋も投げ出して、ただただ滅茶苦茶なステップで必死に躱し続ける。一撃でも喰らえば感染症は避けられない、貧しい少女に薬を買う余裕がある筈もなく、それは即ち死を意味した。しかしゾンビ犬は底なしの体力でもって延々と攻撃を続ける。
「クソッ……離れろ、よッ!!」
「グガッ!?ガゥァァァァ!」
朽ちた棒を拾い上げて思い切り叩きつけるも、焼け石に水。棒を額に打ち込まれたまま更に興奮した様子で迫り来るゾンビ犬に押し負け、後ずさるうちにあっという間に壁まで追い詰められる。
(このままじゃ、死ぬッ……!?)
親に捨てられてスラムで拾われてそれ以降碌な人生じゃ無かった、けれど皆には沢山迷惑かけたな、などと走馬灯が流れ出し、いやいやまだオレは死なねぇぞ!?と反撃の一手を必死に考える。
棒はミシミシと音を立て、決断の時が迫る……その時。
「窃盗」
少女の逃げてきた方の路地から、一つの人影が現れた。
「!?グルルゥゥゥ……」
「……悪、悪霊?」
ゆらりと現れたのは、ボロ布を纏った如何にも不健康そうな黒髪の男。傷こそないものの肌艶は悪く、足元もふらついており、そんな中でもはっきりと見開かれた両の目が異様な存在感を放っている。彼の放つ異質な雰囲気を警戒した魔物は少女への攻撃を中断し距離をとった。
「っ、はぁっ……!はぁっ……」
壁に押し付けられるような圧力から解放されその場にへたり込んだ少女も、また彼の様子に強烈な違和感を覚える。
(なんだコイツ、また追っ手か?いや、それにしては……そうだ、魔物。目の前に魔物が居るんだぞ、なんでこんなに平然としていられるんだ?)
ひょっとして冒険者か何かだろうか、それならオレが陥ったこの窮地を覆してくれるかもしれない、などと一縷の希望を抱くが、見たところ剣も杖も、道具をしまう鞄さえも持ってはいない。
(ってか、さっきコイツなんて言った……?よく聞こえなかったけど、セットウ、って……いや、余計な事考えてる場合じゃねぇ!魔物がアイツの方を警戒してる、今のうちに────)
今のうちに?今のうちにどうする、自慢の足で逃げ出すのか?如何にも弱そうなこの男を置き去りにして?
そうすればこの男は一体どうなる、少女は想像を巡らせた。・つい先程までの少女のように、武器の一つも持たずに一方的に追い詰められ、それで───
「っ、おい……逃げろよッ、魔物、居んだろ……!」
少女は折れかけの木の棒を再び構え、立ち上がる。幼い頃貧しいながらも優しい仲間達に救われた少女には、誰かを見捨ててまでその場から逃げ伸びる事は出来なかった。
しかし男はまるで少女の存在など意に介していないように、じっと魔物だけを見詰めている。
「聲………」
あまり大きな声を出せば魔獣の注意は再びこちらに向けられる。先程はなんとか耐え抜いたが次こそはどうなるかわからない………それでも、出来る限り大きな声で男へと叫ぶ。
「聞こえてんだろ、早く逃げろよッ!このままじゃオマエ────」
「グガァァァァァッッ!!」
「〈|Andromalius〉」
魔獣がその男目掛けて飛び掛かるのと、男が何かを一言唱えるのは、ほぼ同時だった。
瞬間───彼の右腕から白い炎が立ち昇る。
襲い来る魔物をゆらりと躱すと、その右手を魔物に翳しながら、少し寂しそうに呟いた。
「───おやすみなさい」
「……グァ!?グ………ワオォォォォォン………」
忽ち魔物の全身を白い炎が包み、周囲の死骸も併せて一斉に燃え上がり、純白の灰となって崩れ落ちていく。そうして魔物も死骸も鉄錆の匂いも、寂しげな遠吠え一つと共に消えていった。
宙を漂い積もっていく塵を眺めながら、少女は呆気に取られていた。
この男は一体何をしたのか。魔法を唱えたことは少女にも分かる、それでもあの凶暴な魔獣をこんなにあっさりと倒せるものなのか。そもそも炎は赤いものだ、詳しく知っている訳ではないけれど、白い炎だなんて物は少女が今まで生きてきた短い時間の中では聞いた試しがない。
純白の灰に染め上げられた路地。それだけが先程の信じ難い決着と、其処に佇む男の底知れぬ強さを示している。
「……窃盗」
「?………あっ」
呆けていると、男の視線は再び少女に向けられていた。今度ははっきりとセットウと聞き取れる、少女は以前その単語を知人から聞いた事があった。
(やベッ、盗みがバレてる……!)
追っ手の奴らに教えられたのか、どういう訳かこの男は少女の盗みを知っているらしい。このままでは今度こそ捕まってしまうかもしれない。誰だかは分からないものの、町人の中では魔物に勝てるような人間はほんの一握りな筈だ。それを一瞬で倒してしまうような魔法使い相手に、自分が無事逃げ出せるとは少女には思えなかった。
助けて貰った感謝など伝える間も無く、少女は踵を返し逃げ出す───逃げ出そうとした時。
先程からふらふらとしていた男は、灰の上に突如バタリと倒れる。
「……!?おい、大丈夫かよ!?」
一転、少女は慌てて駆け寄る。つい先ほどまでの強者の風格はどこへやら、地面に倒れ伏したみすぼらしい男は弱々しく呟くのだった。
「空腹。おなか……すい、た……」
「は?オマエ……マジかよ!ちょっ、こんな所で倒れんなって!ここ危ねぇトコなんだぞ!あぁもう肩貸してやっから……!」
見知らぬ他人とは言えちょっとした命の恩人を行き倒れさせる訳にもいかない。
やたら大きな男の体を背負うようにして強引に持ち上げ、引きずるようにしながらスラムの方へと歩いていく。勇者と少女はこのように出会った。
序でに少女はそこら辺に落ちているきめ細やかな白い灰を「何かの役に立つかもしれない」と瓶に集め、先ほど放り捨てた紙袋に入れて一緒に持ち帰ったため重量過多で苦労する羽目になった。