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「『魔王顕れし時一人の勇者ありて世界を救う』………よくぞ召喚に応じてくれた、勇者よ!」
「不貞」
「貴様にはこれより魔王の討伐を……ん?」
勇者召喚の儀式も終盤に差し掛かり声高らかに定型文を読み上げた王は、どこか暗い雰囲気を纏う勇者の発したその一言に遮られた。
「───不貞。王妃、近衛騎士アルフレッド」
つい先程まで静まり返っていた王の間がざわつく。召喚魔法陣の中央、ボロ布を纏った黒髪の男は焦点の合わない虚ろな目で、しかし真っすぐと王女を見据えていた。なんと勇者は第一声に彼女が騎士団長アルフレッドと不倫しているなどと言い出したのである。驚いた周囲の視線は当然ながら“不貞の二人“に集まった。
「姦通だと…?それは真か王妃よ!?」
「ふ、不敬ですッ!勇者ともある男が一体何を根拠にそのような……」
「秘匿、黙秘、黙認」
勇者は王女に怒鳴られようと意に介した様子もなく、きょろきょろと辺りを見渡し、数人を指し示しながら何かをぽつぽつと呟く。不倫の根拠をこの男は秘密にしようとしているのだ、適当な事を言ったに違いないと解釈した王妃は額に青筋を浮かべる。その一方で彼の言葉の真意を理解した数人の騎士や聖職者は気まずそうに目を逸らし、やがて召使いの中でも特に小柄な少女がおずおずと手を挙げた。
「おお給仕係よ、おぬしは何か知っておるのか。特別に赦す、申してみよ!」
「は、はいっ!あの、この前お部屋に紅茶をお持ちしたときに見ちゃって……。王妃様とアルフレッド様が………その~」
「黙りなさいッ!!!??」
「ひぃ!?も、もーしわけございません…!?」
王女の一喝で少女は萎縮し、辺りの噂話は次第に大きくなる。少女だけでなく、不倫がばれていた事に動揺して告発を遮ってしまった王妃も、不倫の相手であるアルフレッドも、新人が厄介事に首を突っ込むのを間一髪で止め損ねた召使い達も、そして先程まで退屈そうに玉座に腰掛けていた王さえも顔を蒼くしていた。
ほんの僅かな間に告発を終えたみすぼらしい勇者はまるで王妃から関心を無くしたようにまたぼんやりと周囲を眺め、混乱の中でも堂々としている一人の貴族を指さす。
「横領」
「ッ!?」
「財務大臣フォルト、地方自治の資金、過大申告。めっ」
再び城内が大きくどよめき立つ。財務大臣が横領を行ったというにわかには信じがたい内容ではあるものの、王妃の不貞を言い当てた今、彼の暴露は信憑性を増している。
「……な、何を適当な事を。私が横領などする訳がないだろう、勇者風情が目上かつ初対面の相手に対して些か無礼ではないかね」
「聲……」
「ああ、何だって……?ハキハキと喋りたまえよ。公然と私を侮辱し適当な事を抜かしたのだ、到底許される事ではないなぁ?」
大臣はあくまでも平静を取り繕い、勇者を威圧する。しかしそれを見た勇者はやはり表情一つ変えることなく真っすぐと彼を見つめ、少しの考慮の後口を開いた。
「王国領極東の街、復興費偽装13回、635金貨。教育費宛て?」
「……ッ!?」
勇者に詳細を言い当てられた事で大臣は今度こそ動揺をあらわにした。
「ろ、600金貨だと!?我々大臣でさえ精々数十金貨までしか貯蓄ができない中で貴様、そんな大金をッ!」
「しかし教育費に630ですか……?あっ、まさか裏口入学の為に!?道理であのバカ息子が名門学校に!」
「き、貴様まで何を言うんだダニエル!息子は実力で……」
「た、確かにフォルト様のご子息は素行も悪く……まさか本当に!?」
一方的な告発の連続にその場の誰もが動揺する中、勇者は目を大きく見開く。不思議そうな顔をしながら次々と辺りの人々を指し示し、
「無銭飲食。戒律違反。不正競争。職務怠慢。ズル休み。虐め。拉致監禁。公文書偽造。外患誘致。戸籍偽装。自殺教唆。詐欺剽窃恫喝虐待強盗強姦謀殺親族殺───なんで、こんなに沢山?」
最後に、小さく首を傾げた。
たちまち人々はパニックに陥る。王妃は「勇者を捕らえろ」と騒ぎ立て、王は複雑な面持ちで王妃を制止し、近衛騎士達はその場で膝をついた騎士団長にうろたえ、聖職者達は「我々は勇者ではなく悪魔を召喚してしまったのではないか」と怖れ始め、召使い達は王妃に怯えて泣き出し、財務大臣はダニエルと呼ばれた外務大臣へと掴みかかる。
互いを指さし怒鳴り合う人、頭を抱えてうずくまる人、疑心暗鬼に陥って無関係の他人を追及する人、武器を持ち出す人、慌ててそれを制止する人────勇者が召喚されてわずか数分、城内は地獄絵図と化した。
「……聲」
勇者は魔王討伐の使命も碌に知らず、最低限の資金や装備も受け取らないままに、一人ふらふらとした足取りで城の正門から外に出る。昏く輝く両の目は最早城内の悪人達の狂騒には向けられることなく、レンガ造りの見知らぬ街を見渡すでもなく、ただ遥か遠くの虚空を、そこにある何かをじっと見詰めている。
「聲が、聴こえる」
纏ったボロ布を風に靡かせながら行く宛もなく、しかし何かに導かれるように歩いていく。
勇者ゼノの冒険はこのように始まった。