魔術師の手記
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魔術師には比較的寛容な人間が多いと、私は思う。
私は元来、これほど今の職業で食べていけるとは想像していなかった。喫茶店をやりくりしながら合間に魔導論を作り、それを気まぐれで出版社に投稿する。そしてたまーに編集者の目に留まり、「素人にしては出来がいい内容だ」と雑誌の中で紹介してもらう。あわよくば原稿料を受け取り、それを生活の足しにする。その程度を想像していた。実際今現在魔導論を作っている他の人たちもこれと同じ思いの人がいるかもしれない。本業があって、その合間に趣味程度に新しい魔術を考案しているような、そんな向き合い方。この業界には特に多いと思う。だからこそ私は、冒頭の仮説が頭に浮かんだ。
例えば音楽家が匿名で絵を描いても、その業界でいきなり有名になるなんて全く無い。建築士がスポーツ選手になってもいきなりトップに食い込むのは難しいだろう。これらの界隈はこんなふうに、実力の壁が明らかに存在しているのだ。歴の浅い人間が、簡単に入っていけないことばかりである。しかしこれに対し、魔術師(正確には魔導論研究)の仕事は、誰も知らないどこかの誰かのアイデアがかなり画期的で、それが急に世の中に拾われ、広まりを見せる場合がある。俗にいう『バズる』だ。だからこそ誰もが手を出しやすく、なので魔術師はいちいち他人の成功を妬んだりはしない。私含め彼ら自身も素人だった時代があり、自分が成し遂げたことを自分以外が達成しても腹を立てないのだ(しかしその新参者の才能に嫉妬する場合はあるのだが)。
そして同時に、立ち去りやすい。音楽家や画家や建築士やスポーツ選手が、一時的に魔導論を作り、そしてそれを世の中に発表する。一定の評価を得るとすぐに作らなくなる。このような例を幾つも見てきた。実際のところ、その一時的に作った内容のアイデアしかなかったかもしれないし、もうすこし継続すれば他にもっと色々と世に送り出していたかもしれない。けれど多くの人はそれをやらない。というのも、みんな面倒なのだ。魔道論の研究は、アイデアや仮設をまとめ、魔術式や陣、印から実現可能かを試し、その結果を文章に起こす。作業量的に、結構大変なものだ。となれば魔術師として仕事をしていく上で一番キツイのは、継続そのもの。誰にでも出来る簡単なことを商売になるレベルで持続し続ける…。思っている以上に労力が必要である。なのでこの仕事で生計を立てている人間は、基本的に魔導論の作成そのものか魔術の使用や実験が、好きな人ばかりになる。
そうなってくると、寛容な人間が多いという説明と矛盾してくるのだが、我の強い人間も多い。こだわりをもって作り上げた自分の魔導論が間違っているはずもないと考え、自分が絶対正しいと信じている。たまに「あの魔術師とあの魔術師の仲が良い」なんて話も聞くのだが、アレも絶対に嘘だと思う。もし本当に魔術師として会話すれば、きっと主張が激しくぶつかり合うだろうし、その話題を避けると今度は盛り上がらないだろう。仮に好きな漫画を語り合えたとして、それは仕事の友人ではなく趣味が似ている友人だ。つまり「あの魔術師とあの魔術師の仲が良い」の話は成立しない。
きっと魔術師は皆、それ以外がどうでもいい人ばかりなのだろう。一つのことばかりに集中して、他人が何をやっているのかを気にしない。世間の批判を浴びて傷つく場合もあるが、それでも淡々と魔導論を作り続ける。研究という日課を頑なに崩そうとしないその恒常性は、ある意味で狂気じみている。親戚や友人にめでたい事、不幸な事があっても研究を止めない人もいたりする。そういう業界なのだ。もしかしたら魔術師とは皆、ある種マッドサイエンティストのような一面も持ち合わせているのかもしれない。
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どうしたら魔導論を書けるようになりますか、だとかどうすれば魔術師になれますかと聞かれる。しかし私はそんなことを質問されても困り果てるだけだ。というのも、特に魔術師になるための努力なんてした覚えがないからだ。この仕事は特に夢でもなかったし憧れもなかったしきっかけもなかったし…説明して納得してもらえる理由がないのだ。
但し、魔導論を書こうと思った瞬間はハッキリと覚えている。当時の私はかなり考え無しに生きていた。親の金で通わせてもらった大学を2回も留年し、ハッキリした夢もないのに「他の人に従って社会の歯車になるなんてまっぴらごめんだ」とへんにトガった考えのもと、就職もしなかった。大学在学中の頃からのアルバイト先で理由もなく働き続けた。しかし今思うとこれは幸運なことだった。そこは自営業の喫茶店だったのだが、跡取りがおらず、そこで私に白羽の矢が立ったのだ。で、その後調理師免許を取り、当時唯一のバイト仲間だった女性と結婚し、先代が亡くなり店を引き継いだ後は常連さんが遠のいたり駅開発の立退をさせられたり。色々あって、なんだかんだ年齢は三〇歳。
そんな日々を過ごす中、店の定休日にサッカーの試合を見に行った。プロチームだが両方ともあまり人気もなく、当日フラッと試合会場に入れるほどである。席があまりにもガラガラだったので、寝転んで観戦できた。1対0で負けているチームのフリーキックが外れた瞬間。なんとなく「魔導論を書こう」そう思い立ったのだ。それだけは覚えている。そして見ての通り納得してもらえる理由はない。だから私には、あまりアドバイスを求めないでほしい。
その後必死に魔導論の勉強を始めたのでは? と問い詰められたりもした。しかしそれも、やっていない。そもそも魔道論は義務教育で一通り一度は習ったし、その後の生活でも周りの人間が使っているのを見て、触れる機会もあった。私にはそれで充分だったし、それは皆も同じはず。落とし物を探す魔術や割れたコップを直す魔術、人の心の内を探る魔術、きっと自分で編み出そうとしたはずだ。興味の向くままに探究していくだけ。それを私は努力とは呼ばないし、それを他の人が努力と認定するならそれで良い。それでも私自身は、魔導論の勉強などしていないと主張する。
そこから私は「とりあえず一本書いてみるか」なんて気持ちでペンをとった。内容としては風や気候に関する魔術のものだったのだが、完成して読み返すとそのクオリティの低さにがっくりしていた。内容はありきたりで、探せばすでに誰かが確立していそうな魔導論。そこで私は原点に立ち帰った。「自分の興味の向くままに」これを忘れていたのだ。完成させる方へ躍起になっており、遊び心を失っていた。そこから風に音を乗せるだとか香りを乗せるだとか、温度を変えるだとか、比較的どうでも良くくだらない要素を詰め込み完成させた。
その後は『夜明け通信』の新作魔道論文賞に投稿し、また喫茶店の営業で忙しい毎日に戻った。しばらくして、投稿したことさえ忘れた頃、最優秀賞に選ばれているのを妻から聞いた。私にとっての魔導論は、生きがいや食い扶持への唯一の希望でもない。もしここで賞を取れていなくても、また気まぐれに賞に応募するかもしれなかったし、喫茶店だけをのんびり続けていたかもしれない。なので受賞を聞いて最初に漏れた感想は、「へー、そうなんだ」。まるで他人事のようだった。
今後の夢や目標を聞かれたりもした。私にはそれすらもない。私はただ単に作りたくなったら作っているだけで、キャロル賞やオースティン賞も狙っていないのを理解してほしい。とくに魔導論を書き始めて3年目ぐらいの頃、新人に向けられるオースティン賞を受賞できなかったとき周囲から心境がどうだとか取材を受けた。しかしこれも、とくに思うところなどない。私が書きたいから書いているだけであって、そのような賞は全く目標でもなんでもない。当時の書店には『スプリング=ノートンは何故オースティン賞に届かなかったのか?』なんて本もあった。そもそも本人が手を伸ばしていないのだから、届かないのは当たり前ではないだろうか? そして他にも昔の友人が突然喫茶店に来て、「僕ならあんな内容の魔導論は世に出さない。僕ならオースティン賞に届いたに決まっている」と言いたいことを言って何も頼まず帰ったこともあった。
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魔導論は、別にあってもなくても同じだ。いうなれば家電製品のようなもので、日常生活を多少便利にしてくれるだけ。生み出すために死に物狂いになるのは大きな間違いだ。私はそれから、気が向いたらしばらく店を閉めるか妻に任せて、旅に出てから書くようになった。小規模魔導論なら国内、大規模魔導論なら国外。少なくとも完成が見えるまではそこに滞在して、意図的に集中力をあげた。小物を修理するささやかなものから遠くに移動する仰々しいものまで、色々な魔術を考案した。何度も言うが、別に目標があったわけでもないし、他にも金儲けがしたかったわけでもない。自分の思うままに、これが私のモットーだ。もし私の魔術が世界平和に貢献したなんて言葉をもらっても、別にやる気が上がったりしないだろう。なんなら変にプレッシャーを感じて魔術師をやめてしまったかもしれない。それならば、面白いとか興味深いとかそんなふうに褒めてもらいたいのが私という人間だ。
しかし程なくして、私は世界平和に貢献してしまう出来事が起こってしまった。
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今でこそ世の中ではみんな魔術の考案をしているが、私が大学生の頃は限られた天才だけが生み出せるものと思われていた。
魔術について一生懸命考案していると、それだけで世間からは変わりのもと認定されてしまう。もし自分の子供が将来は魔術師になりたいなんて言い出したなら、その親はきっと「成功するのはほんの一握りの天才だけで、しかもその天才すらものすごく努力しているんだ」と反対するだろう。実際、体積の変化や時間の延長それに重力の強弱操作等あのレベルの魔術は、考案はおろか最早再現できる人間すらいないだろう。そんな天才に憧れ、自身も魔術師になろうとして人生を棒に振る人が、山ほどいたらしい。(それにしても現代では魔術の専門学校なんて作られているが、それこそ棒に振る人が増えているのではないだろうか。他人に教えられてどうこうなる業界じゃないし、専門学校を出て真新しい魔導論を作り上げた人間を私は知らない。いるとも思えない。)
それら天才の産物は、魔術式の簡略化と魔術規模の縮小化に少しづつ成功し、だんだんと多くの人に扱えるものに変化していった。組織的に魔導論を研究する人もだんだん増えてきた。全く別の仕事をしながら魔導論を作る人もだんだん増えてきた。当時私は、…いや私たちは、その「だんだん」が始まる時代を生きていた。
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あれは法学の講義中だった。私は教授の話も聞かず魔導論の本を読んでいた。別に魔導論そのものを作ろうなんてのは考えていなかったのだが、読むのは好きだったのだ。読んで、面白そうなものは実践したりする。今振り返ると、こうして魔術師になれたのはずっと継続して魔導論に興味を向け続けていたからだろう。…ただし今考えると、親の金で通っている大学の講義中なのに何をやっているんだとは思ってしまうのだが。
『鉛筆で書ける魔法陣』というタイトルだった。実践できる内容はかなり小規模のものだったが、それでも当時の最先端だ。陣の内側を光らせるもの、温度を上げ下げするもの、他には手触りを変えたり、色を変えたり。それぐらいの内容だった。そこで私はその中の一番難しい魔法陣を、鉛筆まる2本と講義時間のほとんどを犠牲にして作成した。カエルの臭いを発生させる魔法陣だった。
それは想像以上に強い匂いで、教室全体に広がった。異常を察知する教授、そして異常の発生源を発見し私に視線を送る学生たち。お察しの通り、こっぴどく怒られた。その場で単位剥奪とまではならなかったが、その後からはその講義を一回でも休んだら単位を落とすと宣告された。
その日その時に同じ講義を受けていたのが、リヴィエルだ。講義が終わると彼は私の元へ来て声をかけた。
「アレやったのすごいね。僕もその本持ってるよ」
これが彼との出会いである。
それから大学ではリヴィエルと過ごす時間が増えた。彼も魔導論をよく読んでいたし、会話はそれで埋め尽くされた。しかし休みの日は、一緒に出かけたりはしなかった。大学での講義と講義の合間、それと帰りの電車で話す程度。私より幾分か友達の多かったリヴィエルから学期末試験の対策を教えてもらったりもしたのだが、魔導論以外の話題はこれぐらいしか無かったと思う。
彼はこれほど魔導論に興味を示していたのに、一度も実践したことが無かったらしい。私の中では、子供が花の蜜を吸うのを試してしまうのと同じように、なんでも気になったら実践するのが当たり前だったのだが、他の人は違った。どうやら私が色々と試しすぎだったらしい。彼に実践経験がなかったということで、ひとまず私が幼いころ簡単に再現できたものを、彼に教えた。紙に書いた魔術式の上を、自動でボールが転がるようにするというやつだ。リヴィエルは簡単にこれを再現した。その後は着々とレベルアップさせていった、最初のほうはどれも教えたらすぐに成功したのだが、魔術のレベルが上がると徐々に失敗する回数が増えていった。しかしそれでも彼は最後まで、成功するまでやり通した。
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リヴィエルと知り合って1年が経ったころ、「君の家の本棚を見てみたい」と言われたのだが、ウチには招かなかった。私は昔から自分の部屋に誰か入れるのがとても嫌なのだ。せっかく整理しているのに荒らされたらたまったもんじゃない。彼とはそこから幾つかの言葉の攻防を繰り広げたのち、妥協案として私のアルバイト先の喫茶店に本を持ってきて、そこで話す形で決着した。大学の外で会うのはそれが初めてだった。今までは講義を受けるついでに彼と会っていたのだが、その日は彼と会う方が目的だ。少しだけなんだかむず痒かった。しかも「お前が友達なんて珍しいな」とその頃まだ元気だったマスターにからかわれた。
それにしても、大学まで本を持ってきてもよかったのだが、外で会おうとするのに頑なだった。その理由は当日すぐに分かった。彼は、自作の魔導論を作りあげ、それを私に見せたかったのだ。時代が時代だったので、他の人に知られたくなかったのだろう。それにしても実践はしないのに魔導論は書き上げる、なんともまぁ不思議な話だ。料理のレシピは作るくせに料理をしない人なんて、そうそういないのに。
内容を読み始める前にコーヒーを飲みながら色々と話したのだが、そこで彼がこれまで魔術を試してこなかった背景が分かった。彼は家が貧乏で、マトモに本も購入できず図書館で借りてやっと読んでいたらしい。しかも両親は彼が将来良い職に就いて大金を稼ぎ、いつか還元してくれると期待していたのだとか。そのため不安定な職は嫌っており、魔術師なんかは特にNGだったそうだ。そのせいで、本はこっそり読めても、魔術はこっそりやれなかった。
そして魔導論の作成はというと、こっそりやれる。紙とペンさえあれば、それはいつでもどこでも可能だ。リヴィエル今まで5つほど作成したらしいのだが、3つは小さいころに作ったものでそもそも全体的に破綻しており、1つは成立しているだろうがレベルが低く人に見せられない。唯一人に見せられそうなのが、その日持ってきたノートに書かれた内容だった。
しかし彼の作った魔導論を読んでみると、なかなかに無茶苦茶だった。知っての通りその頃の私は自身で魔導論を実際に作ったことは無く、つまりリヴィエルを批判する資格なんて全くない。ただし私は何冊も本を読んできたし実践もしてきた。その経験則から、どこが矛盾していて、どこが破綻しているのか、読めば読むほど問題点に気づいた。加えて、実際に魔術が起動する瞬間を見た経験が乏しいのだなと感じた。
一通り読み終えた後、彼は私にアドバイスを求めた。
「どうかな。正直に感想を教えて欲しい」
私は正直に応えた。
…確かその日、駅前に集合して喫茶店に入ったのはお昼ご飯を食べた直後のはずだ。マスターはその間何杯かのホットコーヒーを淹れてくれたのだが、私がそれを飲む時は毎回冷め切っていた。テレビで流れていたドラマは少なくとも2話流れた。私たちより後に入店した他のお客さんは、次々と帰っていった。常連さんの中でいつも長居する人すらも帰っていった。窓から太陽光がよく入る店だったのだが、それはいつしか赤みを帯びていた。店長は店前の看板用照明をつけた。店内の照明もつけた。晩御飯を食べに来る客が一通りやってきて、一通り帰ったあと、私は言いたい内容を全て伝え終えた。
リヴィエルは私の話を、目を輝かせながら聞いていた。
その一ヶ月後、彼はまた新しい魔導論を作ってきた。それから私たちは、語り合うのと実践するのと彼の魔導論を読むのと、そういうのをしばらく繰り返していた。
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大学3年生になると学校に行く理由が減る。というのも、大学1・2年生の間は学部の必修科目や語学講義があり、それらは大概出席をとる。必然的に、大学に行かなければ単位を貰えないのだ。これに対し、3年生以降は講義の選択肢が増える。選択肢の中には、講義に行かなくてもレポートを出したり最終回のテストを受けるだけでよいものもある。するとそれに伴い、最小限の努力で進級が可能となってくる。このような大学のあり方は、インターンだとか就活だとか部活動だとか、他にも他学部の授業に興味があるとか、アグレッシブだったりストイックだったりそのような人たちとは相性がいい。当然ながら私のような怠惰な人間とは相性が悪い。大学に行く回数を週2回に減らせるように必死に考えた。火曜と木曜に出席せざるをえない講義を詰め込み、月・水・金はバイトか読書。正直なところ、最高の生活だった。農奴に畑仕事を任せていた地主はこんな気分だったのだろうか。時間もできたので、頑張って火曜と木曜に代わりに大学へ行ってくれる人を生み出す魔術でも考案しようか。いやそれよりも地主になる魔術でも考えた方が早いか。私は部屋で一人で、こういうバカバカしいことを考えていたものだ。
リヴィエルも当然ながら、大学に通わなくなっていた。彼はすごくストイックなやつだったから、大学にいくぐらいなら魔導論の勉強をしていた方がいいと考えた。二人とも大学に行かなくなってきたので、私のバイト先の喫茶店で週2回、たまに講義の合間の昼を一緒に食べるぐらいになった。リヴィエルは以前から休みが5日分もあれば大体1本魔導論を書き上げていたので、今では週1本は私に完成品を見せてくれる。…正直なところ、これだけ書いておいて斬新で画期的なものが出てこないのも不思議だ。
その頃は魔導論をど素人から集めて優秀なものを探すなんてことは、ほとんど行われていなかった。新人賞のようなものを開催していたのが、2つの出版社でそれぞれ年1回、1つの新聞社で2年に1回。本当にこれぐらいだ。それはつまり、自分の魔導論を世の中に発信する機会なんて全くない、そういう意味。しかし逆にいえば、そこで結果を出すと一気に名を揚げられる。だから、みんな必死でそのチャンスにしがみついていたのだろう。そこに全力投球していたのだろう。リヴィエルもその一人だった。
リヴィエルにとって一番最悪だったのは、その新人賞締め切りの時期が学期末の試験やレポートの提出期限と被っていたという事だ。あまりにもストイックすぎて他の全てを投げ出してしまいがちな彼は、新人賞を優先した。
そして彼は前期の間に、留年が決定した。(ちなみに私は友達もおらずリヴィエルからも授業の情報を入手できなかったので途中で単位を諦めた。当然ながら留年もした。)
私としては、もう一度3年生をやるのはラッキーぐらいに思ってしまっていた。まだまだ就職する会社とかそういう将来を考えずに済むし、その間に読める本もあるわけで。さすがに両親にはちょっと怒られてしまったが、1年間バイト代の半分を実家に収める約束をして話はまとまった。
しかし彼は、私と同じようにはいかなかったらしい。両親からは「なんのためにお前に投資したと思ってるんだ」とか「あと1年だけ、いろんなことを我慢して頑張ろうと思ってたのに、勝手に長引かせやがって」と怒られたらしい。もしかしたら彼を大学に通わせるために、かなり苦労していたのかもしれない。彼は1年間の学費を自分で稼ぐと約束した。いや正確には、させられたのかと、私は思う。兼ねてから映画館でバイトはしていたものの時給は並だった彼は、多くの時間働かされることとなった。
その頃から、私たちの会話は減っていった。映画館のバイトに加えて工場勤務も始めていた。1週間に1回持ってきていた新作は2週間に1回、3週間に1回と合間が伸びた。しかしそれでも、新人賞に投稿していた。
すこし辛そうだった彼に、私はガラにもなく景色のいいところまでドライブで連れて行った。夏をすこし過ぎた頃である。単なる気まぐれで、余ったバイト代を使って取得していた運転免許がこんな形で役立つとは。「私も君も、部屋にいる時間の方が長い。ずっと天井のある場所に閉じこもっていて、大して広い部屋でもなくて、そんな場所にいると目が悪くなるだろう。だからたまには眺めのいい遠くを見渡せる場所へ行って、視力のバランスを取ろう」こんな訳のわからない誘い方だった。出発が朝早く、二人とも夜型人間だったので道中は何度か事故を起こしそうになった。そのため途中で車を止めてミントの匂いを作る魔術で無理矢理目をさまさせた(実際には成分そのものは発生していないので、気休めでしかないのだが)。
海辺に行って、そこそこの値段の料理を食べて、その後は海沿いをフラフラ歩いた。ほかの観光客が海沿いでハンバーガーを食べていたのだが、それを野鳥に持っていかれる現場を目撃したりもした。
それにしても、広々とした場所がこんなにも気分を変えてくれるとは思わなかった。陽の光と風が体内の余分な毒を浄化してくれているように感じるほどだった。リヴィエルはこの感覚をもっと強く感じていただろう、最近はずっと椅子に座って魔術を考えているのだから。
近辺を一通り散策し終えると、私たちは駐車場の近くにあったベンチに腰掛けた。
「思うんだけども、君はすこし頑張りすぎじゃないか」
私はこれまでの生涯で初めて、誰かの生き方に口を挟んだ。
「いや、いいんだ。成功者っていうのは誰でも大変な想いをしている必死になって、死に物狂いで、命をかけてやっとうまくいく。どんなことでもそうだし、魔術の世界なんて特にそんなもんじゃないか」
私はその意見に、どうしても賛同できなかった。しかし、それ以上口を挟んだりもできなかった。
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今の生活から考えると、目新しいアイデアは規則正しい生活から生まれるのではないか、そう推測している。朝早く起きて先に魔導論の執筆を進め、昼は喫茶店で働き、夜は映画を見たり読書をしたり。これが私の1日なのだが、そういう生活のサイクル・枠組みがハッキリしているほど、その枠からはみ出ている発見があるのかもしれない。さらに私は、昔から魔導論の執筆者がどんな人だったかを調べたりもしていた。彼ら彼女らも、おおよそ共通して規則正しい生活をしている。たまに例外もいるのだが、そういう人は1つだけ凄まじい発明をしてその生涯を終えており、私としては前者の方が立派に見えた。だから、私はリヴィエルに賛同できなかった。
リヴィエルは後期から大学に来なくなっていた。きっと彼のことだから、魔導論の研究に勤しんでいるのだろうが、それを止めに行った。幸いドライブしたあの日、帰りは彼の家の前でおろしたから場所は知っていた。
アルバイトに出かける直前だった彼を私は呼び止めた。
「大学に来たらどうなんだ」
「そんな話をしに来たのか。今は時間がない、急いでるんだ」
私の言葉を聞かないつもりだった。だから魔術を使った。
「時間ならある」
手で印を結び、近場の範囲内だけ時間経過速度を下げた。これで、今から1時間話しても範囲外では15分程度しか経過していない。
「すごいな、君は」
「こんなの論文にあったものを真似ただけだ。自分で作ったわけじゃない」
彼は他人ごとのように関心していた。
「僕は真似るのも一苦労なんだけどな」
私は彼と目を真っ直ぐ合わせた。
「お互い天才じゃないんだから、そんな苦しい生き方をするのはやめないか。本来魔導論自体が無くても問題がないものなんだから、そんな無駄な発見をするにはそ生活そのものが満たされていないと無理だと思う。まずは自分の人生を満足させないか。苦しい状況で何かを生み出せるのなんて、ほんの一握りの例外的な天才だけだ」
「僕は、君みたいなふうには考えられないよ」
リヴィエルは、魔術の範囲から出た。
その日以来、彼とはあまり喋らなくなった。
私の記憶が正しければ、これぐらいの時期から魔術を犯罪に使う人が増え始めていたと思う。肉体を活性化させて警察を襲撃したり、他人を操って金を得ようとしたり。自身が通っていた大学でも逮捕される学生がいた。大学四年生の前期末試験の間際、私が狙われたこともあった(金も大して持ってないのに)。しかし普段から魔術の勉強をしていたので、相手の肉体の活性化を解除し返り討ちにはできた。ただしその後警察から取り調べを受けて、そのせいでテストも受けられず、これが原因で留年してしまった。
そしてその後は目立った出来事もなく、ダラダラと時間を過ごして、サッカーを観戦していたあの日を迎える。
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私の名前が業界内で知れ渡ってきた頃も、まだまだ魔術の犯罪はあった。そのため私のもとに教授として大学に来てほしいだとか特別教師をやってほしいとか、あとは講演会を開いてほしいとかそんな依頼が幾つか舞い込んできた。魔術の正しい使い方を教えてほしいのだと。私はこの話を受けようとしていた。というのも、名が知れ渡ってきたとはいえまだまだ作家としての収入が足りていなかった。それに、喫茶店の立退と移転のせいで借金もあった。私はこの話にのらない訳にはいかない。返済のためやむを得ずこの仕事を受けようとした。そんな私を、妻は止めた。というかそこそこ強めに怒られた。
「貴方は貴方の興味のあることに全力を注ぐべき」
心を見透かされていた。
つまり私は、元々この仕事に対してかなりやる気が無かった。ある程度私を理解した人なら察するかもしれないが、私には人に物事を教えるなんて無理だ。妻の言う通り、興味の赴くままに新しいものを考えていたいだけの人間なのだから。「とはいえ借金返済のためには、やれる仕事をなるべく引き受けるべきでは」とも反論したのだが、「これを引き受けるぐらいなら、その時間を研究に充てた方が最終的に金になる」と言われた。私の妻は、長期的に物事を考えられる人だなぁと思った。
依頼者からのあまりもの熱量に押されて、一度だけ講演会の仕事を引き受けてしまったのだが、これはとても失敗だった。そこでは私を一人の魔導論研究者としてではなく、人生が上手いこといっている成功例の先輩として呼ばれたのだ。いくつかの大企業の新入社員を参加対象とした、合同の研修? セミナー? とかの中で若者に向けたメッセージを語らされた。一貫して「人生は肩の力入れ過ぎないで、でも興味のあることが見つかればそれを頑張れ」みたいなそんなことを、うすーくながーく引き伸ばして誤魔化した。ホールに座った若者たちが私のくだらない言葉にたくさん頷いて、メモを取っている人もいた。…あんな内容しか喋れなくて、非常に申し訳なく思う。しかも、開催前には受講者の評価によっては毎年恒例にするかもと説明を受けていたのだが、終わってから「来年もお願いします」なんて言葉はカケラもなかった。主催者側からすればうすーいながーい内容だとバレたのだろう。この日の出来事を妻に話すと鼻で笑いながら、「ほらね」と漏らした。
それから、出来上がった魔導論はまず妻に読んでもらおうと決めた。彼女はこの分野での専門家でも評論家でもない。それでも、なんとなく、そうするべきだと思った。ここを直した方が良いと指摘されるとイラッとするのだが、これが実際読み返してみるとその部分の魔術式はギリギリ矛盾していたりする。それで妻を見返してやろうと、彼女の想定している訂正案よりもよっぽど良い内容を躍起になって考えた。するとクオリティが向上したりもした。他にも、文章そのものの言い回しだったり、改行のタイミングでさえ訂正すべき部分を見つけてくれた。こんな人と結婚できて私は本当に運が良い。
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私が魔術師として名を揚げていくのに対し、この世の中の治安はどんどん悪くなっていた。ただ単に魔術を犯罪に使っているだけでなく、そういう人たちが徒党を組み始めたのだ。魔術を使える人間が魔術を使えない人間を淘汰する目的を持った、そんな派閥だった。まずは魔術を使えない一般人が時々狙われ、次は魔術を使えない金持ちが集団で狙われ、その一般人や金持ちを守ろうとする魔術師も狙われた。私自身一応そういう暴力とか争い事はイヤだったので、彼らの目には派閥の敵として映ったのだろう、戦いに巻き込まれたこともあった。怪我をさせたらこちらが犯罪者になるのかとか、正当防衛の基準もよくわからなかったので、重力操作で立ち上がれなくしてそこから逃げた。そのうち家の住所もバレたので、店を攻撃しに来た人には扉を開けても全然違う廃屋へとつながる結界を展開した。一度だけそれが破られた際には屋内での攻防が発生してしまったのだが、店のものを壊さないように倒すのは一苦労だった。余計な出費は出したくないものだ。
そうやって何人かの犯罪者を追い返していると、遂には警察から直接「こいつらを捕まえてくれないか」という話も来た。連日メディアで報道されているやつばかりだ。そのリストの中には、リヴィエルの顔と名前が載っていた。しかし不思議と驚かなかった。ほんの少しだけ、その可能性が私の中では浮かんでいたから。まぁ実際のところ、大学四年生の頃に襲ってきた男とこの頃に襲ってきた男の肉体活性の術式が同じだった、手がかりとしてはたったそれだけのなだが。
私に他人を叱る資格はない。導いたり、諌めたり、過ちを正せる人間性も、持ち合わせていない。私はこの問題に向き合うべきか非常に悩んだ。リヴィエルは犯罪者になってしまった。確かに私は彼の親友で、親友が過ちを犯したのなら寄り添うべきなのは理解している。しかし犯罪者の相手をするのは警察。だから、リヴィエルの相手をするのも警察。この考えはきっと間違っていない。他人の問題を自分の問題と騒ぎ立てるやつが、一番問題を複雑化させるんだ。だから、私には関係ない。
そんなふうに、考えようとしていた。
妻は違った。「友人として今どうしてるのか知りたいと思っているなら、理由なんてそれだけでいいじゃない」…これが妻の理屈だった。確かにその通りだ。別に自分が解決するしないを抜きにして、ただあの頃からどう変わったのか気になって、すこしだけでも話してみたい、それで充分じゃないか…。私がこれからするのは、古い友人に会う、ただそれだけだ。
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手紙を出してみた。内容は、「久々に会って話さないか」ぐらい。ほかは喫茶店の場所と時間だけ。返事は無かった。しかし一応約束の日にそこへ行ってみると、リヴィエルがいた。(ちなみに私は15分ほど遅刻している。)彼は窓際の席でコーヒーを飲んでいた。
「ひさしぶりだね」
さすがに顔は歳を喰っていたが、声も喋り方も殆ど変わっていなかった。
「最近どう?」
「そうだな特にいい事もないよ」
「まぁこの歳にもなればそれはそうか。こっちは色々トラブルがあったよ」
「へぇ、どんな?」
「実はあの時バイトしていた喫茶店を継いでいてさ。でも全然経営が上手くいかなかったり、無理やり移転させられたりで。それで借金もできちゃった」
「そりゃ大変だな。今も借金はあるの?」
「いやそれはもう大丈夫」
「そっか、よかったね。そういえばあの時のアルバイト一緒だった女の人はどうなったの?」
「その人と結婚したんだよ」
「えぇ、僕そんな話きいてないよ」
「ごめんごめん」
二人のリズムで喋って、二人のリズムで笑っていた。すごく、心地よかった。
「でもそっちも、何かしら出来事あったでしょ?」
「あー、強いていうなら犯罪に手をそめたかな」
「やっぱりそうか。ニュースでも流れてたよ」
「なんか恥ずかしいな」
「魔導論はまだ作ってるの?」
「作ってるよ。でも、どこかに投稿とかはしてないかな」
「…作るだけ? 発表はしないんだね」
「うん。でも作って実験して実生活にも役立てているよ、こんなふうに」
彼は横に真っ直ぐ手を伸ばすと、その掌から光の矢が放たれ、窓ガラスは粉々に割れた。私は店に申し訳ないので、無機物にだけ干渉できる状態逆行術で瞬時に修理した。
「すごいね」
「お前こそ」
しばらくの沈黙が続いた。
そして、光の輪が私たちを囲うように上から落ちてきた。通過した内部の空間を転移させるものだ。私たちは車通りの少ない広々とした道路へ瞬時に移動した。田舎町の、妙にだだっ広い道路。…派手な魔術を、ぞんぶん使えそうな空間だった。
彼は、火を、水を、木を、風を、岩を、魔術で生み出して、私にぶつけてきた。さらには接触部分の皮膚を破裂させるむごたらしいやつとか、対象者の全身を粉々にするやつとか。古い魔道論でみたことがあるやつだ。現代ではとっくに禁止にされているやつだ。とにかく殺傷能力の高いもの。これらに加えて、それと、本音も。
「ずっとお前が嫌いだった、なんでもかんでも上から目線で、出来ない人間の心を理解できない。お前は最低な人間だ。いつか殺してやりたいと思っていた。大学にいたあの頃から、殺してやりたいと思っていた。お前が出版するたびに殺してやりたいと思っていた。どの魔道論も読むたびに思ったよ、こいつには才能のない人間の気持ちがわからないんだろうなって。本当に迷惑だよ、お前みたいな天才のせいで秀才たちのやることなすこと全部パァだ。しかも、お前らは大して苦労も苦悩も苦痛もなく、息をするように良いものを生み出すんだ。やりがいなんてなくなっちまうよ。なんでお前は、いつも簡単に遠くまで行けてしまうんだ。ずっとお前が嫌いだった、ずっとお前が嫌いだった、ずっとお前が嫌いだった、ずっとお前が嫌いだった、ずっとお前が嫌いだった」
それからしばらく彼は、色々とぶつけてきた。私は、すり抜けの魔術でやり過ごした。
そのあと私は一言謝ってから、財布に入っていたレシートを取り出した。レシートの裏面に魔術式を書き込み、術札に変換した。それを放ち、彼の両腕と両足を拘束した。こんな簡易的で弱弱しい封印系魔術、彼は簡単に抜け出してしまうだろう。しかし、それ以上は何もせずに、そこから立ち去って、もう彼に会わないと誓った。
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実は彼に会いに行く前の期間、色々と調べていた。
彼と話さなくなってから、彼自身はふつうに大学を卒業し、ふつうに会社に勤めていた。大学を出るタイミングで両親のもとは離れていたらしい。そしてその再会の日までずっと魔導論を作り、賞にも投稿していたのだ。なぜ分かったかというと、著者名とタイトルが公表される最終選考まで残っていたから。あの頃と同じペンネームを使っていた。しかし、優秀賞には届いていなかった。
リヴィエルが警察にマークされるようになったきっかけは、有名な魔導論者を襲ったから。それは、私を批判する本を出していた著者。その人を討ち取ったが故に、そこで一気に悪名が広まってしまったのだ。それからは暴力的な魔術を次々と生み出し、それを周囲に広めていった。しかし魔術を広めていったのは、破壊衝動に目覚めたとかではなく、たんに魔術の効果を試したかっただけなのだろう。彼もまた一人の、たんなるマッドサイエンティストだったのかもしれない。
彼は私を嫌ってなどいない。彼が嫌っているのは彼自身だ。彼はきっと、魔導論者として一躍有名になりたかったのではない。いや最初はそうだったかもしれないが、途中からは夢が変わっていたと思う。私と並び立てる魔導論者になりたかったのだと思う。
だから私は、私から彼には会いにはいかない。彼が私に会いにくる日を待っている。所詮ただのマッドサイエンティストだ。他人のことなんて気にしてられない。