何気ない日常 夜
アイリスと一緒に街へと出かけ、これまでギルドから依頼を受けたことで稼ぐことができたお金を使い、服やらアクセサリーやらを購入したり、海に面下カフェで紅茶とケーキを食べたりと、学校帰りのちょっとしたお出かけを門限ギリギリまで楽しんだ私は、ギルドに帰還し、そこの食堂で夕飯を食べ、自室内にあるお風呂で汚れを落としたのち、寝る支度を済ませていた。
明日は朝からサモナーコースに通っている生徒全員で、召喚術の実技試験。
合格条件は、一発で召喚したファミリアと契約を結び、召喚士として正式に登録を行うこと。
この実技試験で合格できなければ、留年をするか、サモナーコースを抜けるかのどちらかを選ばなくてはならない。
明日の実技試験の概要と、合格条件を浮かべながら、自分はどんなファミリアを呼ぶことができるのだろうかと考える。
─────……できれば、火属性か土属性か、闇属性が得意な精霊か妖精と契約を結びたいな。
まぁ、そう望んだところで、魔力の質や保有率によって応じてくれるファミリア候補が決まってしまうし、最悪の場合、ファミリア候補を呼ぶこと自体できないと言うことだってあり得るのだけど。
流石に不合格にだけはなりたくないなー……なんて、苦笑いをこぼしながら考える。
サモナーコースを担当している私の兄・アルヴィン=ロードライト=ハーツ曰く、過去に契約することができなくて、不合格になった生徒はかなりいるとのことだから、少しだけ不安である。
彼は、ライラなら問題はないと思うけどな、と言ってくれるけど。
兄がサモナーコースの担当じゃなかったら、私もここまで不安にはならないんだけどな……と小さく溜め息を吐く。
だって、兄は召喚術が得意なのに、その妹は実技試験の不合格者だった……なんてあまりにも恥ずかしくて情けないじゃないか。
そんなことを思いながら、自室のベランダから、月光を反射する綺麗な海を眺める。
すると、綺麗な歌声が耳に届いた。
優しい男性の声。真夜中に歌っているにも関わらず、不快になるどころかもっと聴いていたいと望んでしまうような、どこか落ち着く歌声。
この歌声が聴こえるのは、ベランダから見える海。
すぐにその方へと目を向けてみれば、近くにある舞台のような形の岩の上に人魚の影が見えた。
「学園長。また来たんですか?」
それが誰なのかすぐに理解できた私は、軽く呆れながらも歌を歌う人魚に声をかける。
すると、歌を歌う人魚……私が通っているユーフォルビア学園の学園長であり、ギルド・ユーフォルビアのギルドマスターであり、この海洋の国・アトランティア陸上領土を治める王であるメレディス=ノーブルカルセドニーは、こちらの方へ目を向けて、穏やかな笑みを浮かべた。
「ああ。私の求愛の歌声が聴こえるのはキミだけだからね。当然、キミが了承をしてくれるまで歌を歌い続けるさ。人魚の求愛歌の特徴……キミは良く知っているだろう?」
バシャンと海の中へと飛び込み、私がいるベランダ付近まで泳いできた学園長。
彼の問いかけに、私は無言になる。
人魚の求愛歌の特徴……それは、歌う人魚の番になる存在にしか聴こえることがない魔法の愛の歌。
これが聴こえるのはこの世でたった一人だけ。
つまり、学園長のそれが聴こえる私は、彼の番になる存在であると言うことだ。
そして、私がそれを聴くことができると気づいてしまった学園長は、私以外を二度と愛することができない。
私がこれを聴けるようになったのは、入学してすぐのことだった。
兄に勧められ、ユーフォルビア学園に入学し、全寮制の規則に則り、自室として割り当てられたここに入ったその日の夜、寝ようとしていたら聴こえてきた綺麗な歌声に気づいた私は、思わず部屋に備えつけられていたこのベランダに足を運んでしまった。
そこで見たのが、入学式の挨拶の時、お祝いの言葉を告げてくれた学園長の人魚の姿だった。
驚いて固まった私は、そのまま辺りに響く美しい歌声を聴きながら、ベランダに立ち尽くしていた。
そして、その姿を学園長に見られてしまった。
黙って見ていたこと、聴いていたことに対して謝罪の言葉を紡ぐと、学園長は気にしなくていいと私に告げたのち、先程の歌声が聴こえていたのかと問われ、私は素直にそれに頷いた。
それを知った学園長は、一瞬驚いたような表情をしたあと、穏やかで、しかし、どこか甘い熱を帯びたような笑みを浮かべ、軽い身のこなしで私が立っていたベランダの柵にまで飛び上がった。
そして、先程の歌が人魚の求愛歌がどのような特徴を持つ歌で、それを聴き取り、歌っていた人魚がそれを認知した場合、どうなるのかを説明してきた。
“人魚の求愛歌を聴くことができる番候補を見つけた人魚は、雌雄関係なく聴いた者だけを愛するようになり、その相手が振り向かずとも、自身は他の相手に目を向けることはなく、ひたすらその相手だけに求愛し続ける。”
それを聞いた時、私はかなり後悔した記憶がある。
私が歌を聴いていなければ、聴いていても聴こえないフリをしていれば、学園長は私なんかよりももっと素敵な番に巡り会えたかもしれないのだから。
しかし、学園長はそんなことは気にしていないようで、むしろどうでもいいようで、私だけに求愛をするようになった。
日中は立場もあり、接触することはあまりないのだけど、夜になれば必ずこのベランダの前に姿を現し、私にしか聴こえない愛の歌を歌い、こうして会いにくる。
「相変わらず、頷いてはくれないのかな?」
「……頷いていいものかわかりません。」
「なるほど。立場を気にしているのかな?」
「だってそうでしょう?私は学生で、ギルドメンバー。そして、一国民に過ぎない一般人。対してあなたは、学園長で、ギルドマスター。そして、国を治める一人の王です。だから……私は、あなたの隣にいていい存在だとどうしても思えない。」
ベランダの柵に寄りかかりながら、自身の気持ちを吐露すれば、バシャンと言う音と共に、柵に何かが上る音が聴こえた。
音の方に目を向けてみれば、そこには学園長が座っており、ベランダに寄りかかる私のことを、穏やかな瞳で見つめていた。
「もしかしなくても、私に降りかかるであろう周囲の目を気にしてくれているのかな?」
紡がれた問いかけに、私は小さく頷く。学園長が……メレディス王が……魅力的な男性……雄であると言うことは理解している。
その才覚も、カリスマ性も、能力も、王と呼ばれる存在であることを意識しなくても理解できる存在なのだから。
だからこそ、私のような一般人が、その隣に並んでいいものかと思ってしまうのだ。
ああ……本当に、なんで私なんかが彼の求愛歌を聴いてしまったのか……。
才能も能力も、容姿すらも、彼に並べるようなものを持っていないのに、烏滸がましいにも程がある。
そんなことを思いながら溜息を吐いた。
「ライラは優しいね。私の立場と自分の立場を見て、自身が私の隣に立つことにより、私がどのような目を向けられてしまうのかを考えて、私が嫌な思いをしないように……周囲から変な目で見られないように……私の立場を悪くしないようにと、多くのことを考えてくれている。」
柵に頬杖をつき、この国に吹き抜ける程よい潮風を浴びながら月光に照らされている海面を眺めていると、メレディス王が穏やかな声音で言葉を紡ぐ。
しかし、すぐに“でも……”と言葉を繋げ、海を眺める私の頬を、優しく手の甲で撫でてきた。
それに反応して顔を上げれば、メレディス王は整った顔をこちらに近づけ、顔を上げたことにより、彼の方へと向いていた私の唇に、自身の唇を重ねてきた。
同時に、彼の口内を通じて私の口内に何かが流し込まれる。
反射的にそれを飲み込めば、メレディス王に体を抱き寄せられ、そのまま海の方へと誘われる。
二人分の大きな水音。同時に私の下半身は、鱗に覆われた人魚特有の尾鰭へと変化する。
「その優しさに、逆に私は傷ついてしまう。立場が違うとか、種族が違うとか、相応しい相応しくないとか、そんなものはどうでもいい。」
水の中にいるはずなのに、はっきりと聴こえるメレディス王の声。
水の中にいるはずなのに、問題なく機能している呼吸器官。
静かに瞼を開けてみれば、彼の姿がはっきりと映り込む。
「知ってるかい?人魚の求愛歌は、自身との相性がいい番候補になればなるほど美しいと感じ、その番候補を引き寄せる特有の音波を放つ。そして、ライラは私のそれに気づき、無意識のうちにベランダの方にまで足を運び、私の歌に聴き惚れてくれた。今でもそう。こうやって少し歌えば近寄ってくれる。それは、私とライラの相性が、どの番候補よりもいいと言うことを意味しているんだよ。」
透明度が高く、水の中からでも眩く輝く綺麗な満月が見える海の世界。
空から降り注ぐ月光の柱の下、穏やかな笑みを浮かべて私のことを見つめてくるメレディス王の姿は、この世のものとは思えないほどに幻想的で美しく、無意識のうちに彼の姿に見惚れてしまう。
それを知ってか知らずか、メレディス王は笑みを絶やすことなく私を見つめ、そっと唇へと口づけを落としてくる。
「だから、周囲の目など気にする必要なんてない。私の歌が聴こえ、すぐに引き寄せられたことは紛れもない事実であり、ライラが私の番に相応しいことを示す確たる証拠なのだから。」
囁くように紡がれる言葉。続けるように響き渡る人魚の求愛歌。
それに耳を傾けながら、私はメレディス王に目を向ける。
その視線に気づいたらしい彼は、甘く蕩けるような熱を帯びた瞳を向けてくるなり、月光に照らされる海の世界を泳ぎ始める。
綺麗な歌声を聴きながらの海中散歩。メレディス王の真似をしながら、静かに尾鰭を動かせば、彼は小さく笑みを浮かべた。
眠るはずだった静寂の夜は、どうやら、歌声響く甘い夜へと変えられてしまうようだ。
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