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8.ダグラスの過去2

 そのままアネモネは生垣の中に消えていく。


 生垣の奥の煉瓦の壁が崩れていて、子供一人分だけ通れる穴が空いていたのは、その後、知った事実だった。


 それからも文通は続いた。と言っても週に一、二度程度の不定期なやりとりだ。

 いつまでも窓に手紙をはせておくわけにはいかないから、廃材を利用して小さなポストのようなものも作った。すると今度は手紙以外のものも届くようになる。

 多かったのは彼女が育てた花だった。たまに彼女が自分で育てたのだという野菜が入っていることもある。

 カボチャが、どんと、ポストの上に置いてあった時は笑ったし、両親と一緒に摘みに行ったのだというオレンジは、今まで食べたどんなフルーツよりも美味しかった。


 手紙を交わしていくうちにダグラスにとってアネモネはかけがえのない人になっていったが、彼は彼女のことを決して知ろうとはしなかった。

 最初に声をかけた時、彼女は逃げたのだ。スカートを翻し、一目散に。

 アネモネという名前が明らかな偽名で、人目を憚るように出入りをしていることから考えて、彼女は誰にも、ダグラス本人にも、自分の姿を見せたくないのだろうと考えたのだ。


 アネモネの姿を見たい気持ちも、直接話してみたい気持ちももちろんあったが、探るそぶりをすこしでも見せれば彼女は会いにきてくれなくなるかもしれない。それが怖くて、ダグラスは結局、そのままでいることを選んでしまったのだ。


 事態が変わったのは三年後、彼が現れてからだった。


「お届けものですよ。ダグラス様」


 アネモネが最初の頃手紙を届けてくれていた窓を叩いて、一人の少年がやってきた。年齢は七、八歳ぐらいだろう。ハンチング帽を深めに被った彼は一見、新聞の配達員のように見えた。

 見知らぬ人間の登場に驚くダグラスに、彼はポケットから一枚の手紙を取り出し、差し出した。


「これは?」

「我が主人からです。アネモネ、って名前にしてたかな? 今日はちょっと用事があって直接行けないとのことで、俺が渡しに来ました」

「用事?」

「ご主人様、今日はお見合いで」

「は?」

「まぁ、もう十歳ですからね。婚約者ぐらいは決めておこうって話じゃないんですか。まだ将来の相手とか決めれる年齢じゃないってのに、お貴族様はその辺、よくわかんないですよねー」


 カラカラと彼は笑う。

 そんな彼に、ダグラスは唇を震わせた。


「彼女は、婚約するのか?」

「さぁ。でも今回はご両親ともに乗り気じゃないんで、話は流れるんじゃないですか? なんか、断るにしても一度は会っておかないとって感じなんだと思います」


 ダグラスは十三歳。彼にもぽつぽつとそういう話が来ていた。

 十歳の良家の娘ともなると、そのぐらいの話の一つや二つ、来てもおかしくないのかもしれない。


「あと、あそこの穴。もうご主人様には狭いみたいで、今度から俺が手紙渡しに来ますね。俺なら壁も越えられるんで、穴が通れなくても問題ないですし!」

「それは、もう彼女は来ないってことか?」

「まぁ、そうっすね」


 軽い感じでそう頷かれ、急に足元がぐらついた。

 ダグラスだって、こんな日々がいつまでも続くと思っていたわけじゃない。いつかこの関係にも終わりが来て、互いに交わらない人生を歩むのだとわかっていた。

 ただそれは、ダグラスの予定ではもう少し先の話で、決して近しい未来の話ではなかったのだ。


「彼女はどこの誰なんだ?」


 ダグラスは前のめりになってそう聞く。

 しかし、目の前の少年は肩をすくめただけだった。


「やだなぁ、ダグラス様。そんなこと俺が言うわけないじゃないですか。でもまぁ、今後も会うでしょうし、俺の名前だけは教えておきますね」

「君の?」

「ピーターです。以後お見知り置きを」


 彼は簡潔にそう名乗って、そのまま消えていってしまった。

 ピーターの乗り越えていった壁を見ながら、ダグラスはつぶやく。


「アネモネが、婚約? 会えなくなる?」


 それは、拒否というより拒絶反応だった。

 アネモネが婚約することももちろん嫌だが、今までわずかに感じていた彼女の気配が一気に薄れていくようで、それがどうしようもなく苦しかった。

 彼女がもうこの屋敷に訪れることがない。

 それだけで胸が締め付けられる。


 もしかしたら彼女は、このまま何も言わずに霞のように消えていくのかもしれない。婚約者ができれば『他の男と文通している』と言う事実は邪魔にしかならないし、彼女がいつこんな子供じみたやりとりを辞めたいと願うかはわからない。


 そして、たとえそうなっても、ダグラスに彼女を止める方法はないのだ。


 やっと折り合いがついてきたところだったのだ。

 父親にもようやく見切りがついたし、屋敷の人間にももう何も期待していない。

 自分の出生の秘密もなんとなく掴みかけていて、その上で当主としてこの屋敷を、土地をどう切り盛りするかを考え始めている。

 何もかも、彼女が現れてからだ。彼女が手紙を持って現れたその日から、自分は変わったのだ。

 今までされるがままになっていた人生を、やっと自分の足でどう生きようか考え始めていた矢先に、きっかけだった彼女が遠のいた。


「このまま、逃すわけがないだろう……」


 気がつけば唸るような声でそう言っていた。

 そうだ。ズカズカと人の人生に踏み込んでおきながら、このまま一度も顔を合わせることなくフェイドアウトだなんて、そんなこと許さない。許されるはずがない。


「もう、かくれんぼはお終いだ」


 それからダグラスはアネモネを見つけるために動くようになる。

 手紙の内容も当たり障りのないものから、段々とプライベートに踏み込むようなものになっていき、時には際どい質問をしてみたりもした。

 誰か添削している人間がいるのか、アネモネはなかなかボロは出さなかったが、ダグラスは決して諦めなかった。


 そして、ダグラスが十七歳になる頃には、もう父親は愛人のところへ入り浸り、帰って来なくなる。事実上の当主になったダグラスは、その権力と人脈を使い、彼女を調べ始めた。


 しかし、それでもわかったことは少なかった。彼女が手紙を書くときに使っているインクとワックスのメーカー。そして、最近手紙に付けだした香水の名前だけ。

 手紙を届けてくれたピーターの後をついて行ったこともあるのだが、彼はいつもすぐに人混みに紛れてしまい、誰も彼の尾行には成功しなかった。


 そして、とうとう恐れていた事態が起こる。

 ほんの二週間前の話だ。急に手紙が来なくなったのだ。


 そして、入れ違いのように届く一枚の招待状――。



 ダグラスは驚きで目を見開くリディアに、手紙の束を突きつける。


「君から送られてきたこの招待状だが、アネモネから来た手紙と、インクのメーカーも、ワックスのメーカーも、振られている香水も一致した」

「えっと……」

「しかも君は、アネモネと年齢が同じだ。オールドマン家とうちの家は少し離れているが、子供の足でも歩けない距離ではない」

「あの……」

「リディア・オールドマン、正直に答えてくれ。……君が『アネモネ』なんだろう?」


 その言葉に、リディアはあからさまに動揺し、冷や汗を頬に滑らせた。


エブリスタで連載している新作です。

エブリスタの方では、完結まで投稿しております。

続きが気になる方はこちら(https://estar.jp/novels/25871275)まで。


面白かった場合のみで構いませんので、評価していただけると嬉しいです!

どうぞよろしくお願いします><

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