34.元・奴隷商人、ジョルジュ・エルベールがいた。
(どうしてこんなことになっているのかしら……)
オクタヴィアから攻略本を入手した一週間後、リディアは王宮にある図書室で頬に汗を滑らせていた。その汗の原因は、隣に座って本を読む男性である。
「あ、あの、ダグラス様……? どうしてここに?」
「俺の事は気にしなくてもいい。調べ物があるんだろう? 気にせずに続けてくれ」
(そう言われましても……)
気にするなという方が無理な話である。
実はここ最近、ダグラスが異様にリディアに構ってくるようになったのだ。
構ってくると言ってもふれあいを求められているという感じではなく、何というか、見張られている感覚だ。
(だからといって、ドキドキしないわけじゃないんだけど……)
リディアは恥ずかしげに膝を擦り合わせる。
ぴっちりとくっついた肩同士は何だかこそばゆいし、ちょっと体温を感じて照れてしまう。しかもダグラスは、なんだか本を読みながらちらちらとリディアの方を覗き見てくるのだ。
これでは、どっちが調査をされているのか分かったものではない。
(というか、これじゃ全く、調べ物が進まない……)
リディアが見ていたのは、貴族の名簿だ。調べていたのは末端の貴族などではなく、大きな力を持つ上位の貴族。
その理由は数日前のクリスの発言だった。
『こんなご時世に奴隷商をやれているということは、おそらく大きな力を持つ貴族がジョルジュのバックについているはずです。それこそ、国の調査の日時を調べられるような。そして、その貴族はダグラス様に恨みを持っている人物に違いありません』
クリスの見立てはこうだ。
その貴族はジョルジュのバックにつき、子供を売ったお金で甘い汁を吸っていた。しかし、とうとう国にもジョルジュのやっていることを隠しきれなくなり、自分の身代わりを元々気に入らなかったダグラスにさせようとしている。もしくは、そもそもダグラスに全てをなすりつけるために、ジョルジュのバックについていたのかもしれない――と。
あまりに大掛かりな方法だが、これが成功すればダグラスの失脚は間違いないだろう。彼のことを恨んでいたとするならば、やる価値はあるのかもしれない。
(ってことで、貴族を調べたいんだけど……)
隣が気になって全く進まない。
(ちょっと、休憩しようかな)
リディアは眺めていた名簿を閉じて、席を立つ。その瞬間、ダグラスも立ち上がった。
「へ?」
「どこへ行くんだ?」
「ちょ、ちょっと、休憩に……」
「俺も付き合おう」
(どうして?)
言葉に出してしまわなかった自分を褒めてもらいたい。
リディアが名簿を返すために本棚に向かうと、ダグラスも一緒についてくる。まるで、後追いを覚えたばかりの幼子のような彼に、リディアは困ったような、それでいて、ちょっと嬉しそうな顔になった。
正直、ダグラスと一緒にいられるのは嬉しい。
別に喋らなくても同じ空間にいられるだけで嬉しいし、ちょっとドギマギしてしまうけれど、ふれあいだって嬉しいのだ。ただ、自分の理性が彼を遠ざけろと言ってくる。
ジョルジュの隠れ家を強襲するのは、クリスとピーターが情報を集め終わり、知り合いの貴族に私設の兵を借りられてからになるので、まだもう少し先の話だが。しかし、それでも気は抜かないほうがいいだろう。
もし万が一、ダグラスを巻き込んでしまえば、ジョルジュの凶刃が彼に向かっていくかもしれないのだ。
リディアは手に持っている貴族名簿があった本棚の前で、意を決して振り返る。
「あの! ダグラス様!」
「なんだ?」
「えっと、あの。一緒にいられるのは嬉しいんですが、このままだと調べ物が進まなくて……」
「何の調べ物をしているんだ?」
「それは……」
「俺が気になるというのなら、一緒に調べよう。そうすれば気になっていても問題ないし、調べ物も早く終わる」
ダグラスのその言葉にリディアは「えっと……」と声を上擦らせる。
これぞまさに避けていた事態だ。
一緒に調べるということは、リディアが何を調べていたかダグラスに明かすことで。そんなことになれば、彼女が今後何を企んでいるかなんてすぐにしれてしまうだろう。
ダグラスが奴隷商人のことを全く知らされてないとしても、おそらく薄々は感づいているだろうし、リディアがそれに関わろうとしていると知られてしまえば、反対するのは目に見えている。
「えっと、それは大丈夫です。個人的なことですので……」
「個人的なこと、ね」
「……はい」
全てを知っていそうな目がリディアを見下ろす。
もしかしてダグラスは全てをフィリップから聞いているのだろうか。自身に変な嫌疑がかかっていることも、リディアがダグラスのことを調査していることも。
(全てを知った上で、私が変な真似をしないか見張ってるとか?)
そこまで思い至り、リディアは首を振った。さすがにそれはない。
リディアはそんじょそこらの令嬢よりはお転婆だろうし、その自覚はもちろんある。しかし、だからと言って、『ジョルジュを捕まえて直接吐かせようとしている』だなんて考えられているはずかがない。そこまでハメは外してはいない。
少なくとも、表では――
「リディア」
「はい!」
急に耳元で囁かれ、身体が跳ねた。
気がつけばダグラスの顔がすぐ近くまで迫っている。リディアはたたらを踏みながら距離をとり、本棚に背を向けた。
「あの!」
「最近、荊の森へ行ったか?」
「へ?」
何でそんなことを聞くのだろうと首を傾げると、ダグラスはさらに距離を詰めてきた。
「荊の森だ。行ったか?」
「それは――」
彼の真剣な瞳に上手に口が動かず、もう一歩後ろへ下がる。すると、踵が本棚に当たって身体のバランスが崩れた。
「――っ!」
背中が思いっきり本棚に当たる。本棚自体は倒れなかったがわずかにたわんで、中の本が揺れた。そして、天井まであるような背の高い本棚から、本の雨が降る。
降ってきた本たちに思わず目をつぶると、何かがふわりとリディアの身体を包んだ。それがダグラスの身体だと気がついたのは、次に目を開けた時で、
「大丈夫か?」
「ダ、ダグラス様!?」
彼が落ちてきた本の角で頬に擦り傷を作ってしまったと気がついたのは、顔を上げた直後だった。
「か、顔! 傷ができてます! 血は出てないですけど!」
「そうか?」
「あぁ、触らないでください! 今ハンカチを当てますから!」
何度も「すみません!」と謝りながら、リディアはダグラスの頬にハンカチを当てた。慌てふためく彼女の表情がおもしろかったのか、ダグラスは吐き出すように笑う。
「全く、君といると飽きないな」
「わ、笑っている場合ですか! ダグラス様の顔に傷がついたんですよ! 国宝まっしぐらの顔に傷が! あぁでも! つけてしまったのは私なんですが! そこは本当にすみませんでした!」
「……俺の顔がそんなに好きか?」
頬に当てていたハンカチごと手を取られる。想像していたよりも高い体温と、突然の感触に頬が熱くなった。
その表情を見て、ダグラスが唇の端を上げる。
「さては君、まんざらじゃないな?」
「へ?」
図星をつかれたからか、また頬が熱くなる。
ダグラスは未だ手のひらを離してくれない。それどころか狼狽えるリディアをいいことに、彼女を引き寄せる始末だ。
「それならどうして、俺とローラをくっつけようとしていたんだ? なぜ自分がアネモネだと明かさない」
「あ、あの……」
「どうして俺が好きだと言った時に、頷いてくれなかったんだ?」
次々になされる問いに、リディアは何も答えることができず唇を震わせた。
どう答えればいいかわからないし、答えるための思考回路も筋肉も働いてくれない。
「リディア?」
「さ、さぁ! 本を拾わないと!」
耳に残る囁きで我に帰ったリディアは、ダグラスの手のひらを振り払いしゃがみ込むと、足元に押していた本を手に取る。
ダグラスはしばらくそんな彼女を見つめていたのだが、やがて困ったようにひとつ笑って、「手伝おう」と同じようにしゃがみ込んだ。
リディアはそんな彼を目の端に止めつつ、落ちた本を拾う。
そして――
「これって……」
とある本の間に挟まっていた一枚の封筒を見つけた。封はしていない。
リディアはダグラスに背を向けたままその封筒の中身を確かめて、大きく目を見開くのだった。
その日の夕方、リディアは馬車に揺られながら王宮からオールドマン家に帰っていた。ガタガタ揺れる馬車の中で、リディアは窓から入る夕日の灯りで昼間見つけた手紙を読む。
『オクタヴィアへ
君は私のことを恨んでいるだろう。当然だな。
私は、君を裏切った――』
手紙は、そんな書き出しから始まっていた。
封筒も便箋も、紙の質は古く。挟まっていた本の背表紙もよれよれだ。
随分と長い間挟まっていたのだろう、手紙はものすごい圧力をかけられたかのようにぺったんこになってしまっている。
「これって、やっぱりあのオクタヴィアさんだよね……」
オクタヴィアなんて名前、正直珍しくはないのだが、挟まっていた本のタイトルが『荊の魔女』であることから考えて、きっとここに書かれている『オクタヴィア』はリディアの知っているオクタヴィアで間違いないだろう。
「これ、やっぱり渡したほうがいいわよね……」
手紙はサラリとしか読んでいないが、これはきっとオクタヴィアに渡したほうがいい内容だろう。彼女は吹っ切れたように言っていたが、話通りに捨てられたのならその傷は根深いだろうし、未だ癒えてない可能性まである。
それならこの手紙はきっと彼女の救いになるはずだ。
過去は取り戻せないだろうけど、今のオクタヴィアは救えないだろうけど、傷ついたばかりの過去のオクタヴィアなら救うことならできるかもしれない。
リディアは手紙を閉じるとポケットに入れる。
そして、窓の外に視線を移して、目を瞬かせた。
(あれ? この馬車……)
馬車が見たことのない道を走っている。
彼女が乗っている馬車は、王宮から貸し出されたものだ。だから馬車を操っているのも、いつもの御者ではない。リディアは進行方向の椅子に座り、御者に繋がる小窓を開けた。
「あの、すみません。道、間違えていませんか?」
「……」
「あの……」
こちらを振り向こうともしない御者に嫌な予感が頬を滑る。
リディアは何とか外に出ようと扉に手をかけた。しかし当然のごとく鍵は閉まっており、いくら押そうが引こうが扉は開かない。
とうとうやばいと悟ったリディアは、窓を破って外に出ようとしたのだが。
「きゃ――!」
いきなり馬車が急停止し、その場に転けてしまう。
椅子の角で頭を打ち、膝は床を打って擦った。
あまりの痛みに目に涙を浮かべながら顔を上げた瞬間、馬車の扉が開く。
そこには――
「よぉ。嬢ちゃん、久しぶりだな」
「ジョルジュ……」
元・奴隷商人、ジョルジュ・エルベールがいた。
エブリスタで連載している新作です。
エブリスタの方では、完結まで投稿しております。
続きが気になる方はこちら(https://estar.jp/novels/25871275)まで。
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