2.舞踏会
それから二週間後――
(完っ璧! 完璧だわ!)
リディアはいつもより煌びやかに飾り付けられたホールを見ながら、興奮したように胸に手を当てた。
まるで鏡のように磨かれている大理石の床。落ちてくるシャンデリアの光。天井からは神話が見下ろし、管弦楽の音色が空間を満たす。ホールの至る所では、先ほど摘んできたばかりのような瑞々しい花が咲き誇り、会場を颯爽と歩く使用人たちからは、気品と矜持が溢れ出ている。
そこは、成金と揶揄られるリディアの実家、オールドマン子爵家の邸宅だった。
目の前で準備されているのは、社交界の花形――舞踏会である。
リディアは満面の笑みで、後ろに控えていたクリスに振り返った。
「ここまで完璧に準備してくれるだなんて、さすがクリスね!」
「満足していただけたようで、なによりです」
「さっき喫茶室もほうも見てきたけれど、軽食も紅茶も想像以上に揃ってたし!」
「招待客リストにマーガレット様がおられましたので、後ほどクリーム系のアイスも追加で用意する予定です」
「ありがとう。おばさまも喜ばれるわ!」
ほとんど会わない叔母の好みまで完璧に把握している彼に礼を言いながら、リディアは客の入り始めたホールを見渡した。
そして、何かを確信したように大きく頷く。
「これならきっと、ローラとダグラス様の出会いも盛り上がるわね!」
胸元に掲げるのはガッツポーズだ。
『眠れる君に口づけを……』
それは、多くの乙女ゲームを手がけているスタジオベイビーが、開発運営をしていた、『眠れる森の美女』をモデルにしたスマホ乙女ゲームである。
不治の病に冒されてしまった母の命を救うため、茨の森に住む魔女と取引をしたヒロイン、ローラ・ブライトウェル。『十七歳の誕生日までに、自分を愛してくれる者を見つけなければ死ぬ』という呪いをかけられた彼女は、チェスター王国の首都であるレントリムで、呪いを解いてくれる運命の相手を探すことになる。
そこでローラは個性豊かな攻略対象者たちと出会い、恋に落ちていくのだ。
一方のダグラス・シャーウッドは、このゲームのラスボス的キャラである。
とある出会いからローラのことを気にかけるようになった彼は、だんだんと彼女に惹かれていく。しかし、彼がローラの事を好きだと自覚する頃には、もうローラの心には別の想い人がおり、ダグラスが彼女の心に入り込む余地はまったくないのである。
そういった嫉妬や、その他諸々の事情から、彼は茨の森の魔女から力をもらい、ラスボス化。
最後はローラと攻略対象者たちに倒され、華々しく散っていくキャラクターなのだ。
つまり、この物語で彼に待ってるのは、死、だけなのである。
しかし、そんなダグラスを救う方法がただ一つだけあった。それが課金でしか開かれないダグラスルートである。ダグラスが闇堕ちせず、ローラと恋仲になりハッピーエンドを迎える。攻略キャラクターの一人として、彼は死ぬことなく、幸せな最後を迎えることができるのだ。
この発表がされた時、当然、リディアの前世である七海まどかも喜んだ。
諦めていた推しが幸せになるルートがあるのだ。それはもう歓喜である。
けれど彼女は、そのルートが解放される前日、事故で亡くなってしまったのである。
当然、ダグラスが幸せになる瞬間も見ることができなかった。
だからリディアは決めたのだ。前世の無念を晴らすべく、この世界で思う存分課金をし、ダグラスを幸せにする、と。
そのために貯めた軍資金が、五千万ペンド。
前世のお金に換算すると、五千万円である。
「ダグラス様とローラをくっつけるためには、まず出会いをなんとかしなくっちゃよね! 早めに出会わせて、さっさと恋に落とす! 先手必勝よ!」
リディアは、鼻息荒くそう宣う。
ゲーム内での二人の出会いは、物語の中盤。
友人に呼ばれた舞踏会で、ローラはダグラスと出会う。
その時にはもうすでに、ローラは攻略対象者たち全員と面識があり、一部のものたちとはいい感じの雰囲気を漂わせているのだ。
つまり、出逢いにおいてもダグラスは一歩出遅れているのである。
だからリディアは早々にふたりを出会わせ、恋に落とすためにこの場を用意したのだ。
舞踏会の開催費用。
――しめて、一千万ペンドである。
「オールドマン家、家訓その①!『投資をするなら全力で! 回収するのも全力で!』よ! 軍資金の五分の一を使ったんだから、絶対に成功してもらわないと困るんだから!」
興奮したようにそう言うリディアに、落ち着いたクリスの声が落ちてくる。
「それにしても、本当にローラ様が茨の森の魔女と契約を交わされるとは思ってもいませんでした。……お嬢様には本当に、先見の力があられたのですね」
「そ、そうよ。だから言ったでしょう!」
「私はてっきり、勢いで出た戯言かと……」
「『戯言』って……」
辛辣なことを言う執事に、リディアは唇をすぼませる。
リディアはクリスに『自分には先見の力がある』と説明していた。つまり、『未来が見える』と言っていたのだ。
この世界には百万人に一人ぐらいのとても珍しい割合で『祝福』と呼ばれる不思議な力を発現する者がいる。祝福が発現したものは、『神の愛し子』とされ国の保護の対象となり、様々な特典を受けることが出来るのだ。
中には能力を買われ国の要人に抜擢されたり、王にみそめられ、妃になった者までいたりする。
もちろん変に国に囲われるのが嫌だからと黙っている者や、まだ発現してない者、発現していることに気づかない者もいたりする。
前者が魔女であり、後者がローラなのだ。
馬鹿正直に『前世がある』とは言えないリディアは、『自分は祝福として先見の力を受け取っている』と、彼に説明していたのである。
(クリスには手伝ってもらいたいけど、『前世』なんて言って信じてもらえるはずがないしなぁ)
リディアなりの苦肉の策である。
何かを考えている様子のクリスに、リディアは腰に手を当てた。
「と言うか貴方、まだ疑っていたわけ?」
「当たり前です。正直、ローラ様が茨の森に走られるまで半信半疑……どころか、十中八九疑っておりました」
「……それだけ疑っておいて、よくここまで協力してくれたわよね」
思わず呆れたような声が出てしまう。
リディアがクリスに『先見の力があるの』と言ったのは、彼がリディアの屋敷で働くようになってすぐのことだ。リディアが前世を思い出した直後なので、十年ほど前のことになる。
それからずっと、彼はリディアに協力してくれていた。
軍資金を貯めるために父の事業を手伝うと言い出した時も、そばにいて何かとアドバイスをくれたし、ダグラスやローラの動向も逐一調べて教えてくれていた。
それにこの舞踏会の準備だって、ほとんどクリスがしてくれたのだ。
両親の説得も一緒にしてくれたし、招待客のリスト作りや、招待状の発送、会場の設営もほとんどクリスによるものである。リディアももちろん手伝ったが、彼なしでは、この舞台は整わなかった。
「何を言ってるのですかお嬢様」
凛とした声にリディアは頭一つ分高い彼を見上げる。
クリスは胸に手をおいたまま、まるで誇るような笑みを浮かべた。
「お嬢様の願いならどんな無理難題でも実現させてみせるのが、この私ではありませんか」
「無理難題って……」
「思い出してもみてください。粗相をしてしまったシーツを隠したのも、お屋敷の置き時計を壊してしまったお嬢様にもっともらしい理由を授けたのも、家庭教師の皆様から逃げるために逃走経路を用意したのも、全て私ですよ?」
「ちょっと! 古い記憶を持ち出さないでよ!」
恥ずかしい過去を持ち出され、リディアは頬を赤らめながら狼狽えた。
そんな彼女を見下ろしながら、クリスはさらに薄い唇を引き上げる。
「あの日、あの時。ピーターと一緒に人買いから救っていただいた時から、私の四肢は貴女の四肢であり、私の頭は貴女の頭です。どう使うかは貴女の自由ですし、どのように使われようが構いません」
「クリス……」
「しかしながら、私としても執事の矜持があります。執事というのは、部下でもなければ、召使いでもありません。いずれオールドマン家を背負って立つ、貴女の右腕です。オールドマン家の一人娘である貴女がいずれ立派な婿を取られても隣に立つのは私ですし、私ができる最高の恩返しは、貴女を立派なオールドマン家の跡取りにすることだとも思っております」
昔から耳にタコができるぐらい何度も聞いたその文言を繰り返しながら、クリスは感情の読めない笑みをリディアに近づけた。
「ですからリディア様、私に嘘はつかれないでくださいね。私の信頼と私の献身は無関係ではありますが、それでも私も信頼できる方に身をとしたいと考えておりますので」
何もかも見通しているようなクリスの目に、リディアは目を背けたまま「……はい」とだけ返事をする。
これは暗に『先見の力が嘘ならさっさと言え』と言われているのである。
やっぱりまだ彼は疑っているようだ。
(でもま、仕方がないか……)
この国でギフトを受け取っている人間なんて本当に一握り。確か、攻略対象にもいたはずだが、彼は国の要人だ。ローラがギフトをもらっていることも物語の最後の方で明かされるし、信じられないのは無理もないことだろう。
「それよりもリディア様、そろそろ奥様のところへ行ったほうがよろしいのではないですか? 便宜上、主催者は奥様ということになっていますが、本当の主催者はお嬢様なのですから、招待客への挨拶ぐらいはきちんとなされないと」
「それもそうね!」
リディアは大きく頷いた。
それに、そろそろダグラスが来る頃合いでもあるだろう。
二人をくっつけるためにも、彼とはきちんと面識を作っておいた方がいい。友人とまでいかなくても、知り合いぐらいのポジションにいた方が、今後うまく立ち回れるに違いないからだ。
「それにしても、久しぶりね」
思わずつぶやいた声は、想像以上に浮ついていた。
それも仕方がないだろう。ダグラスは前世の彼女の推しなのだ。
それにダグラスと会うのは、実に十年ぶりである。
前世を思い出して以来なのだから、感慨もひとしおだ。
(どんなふうに成長しているのかしら。……ちょっとだけ、楽しみかも)
前世で見た、成長した彼の姿を思い浮かべる。
知らず知らずのうちに唇を緩ませた彼女を、クリスは一歩下がったところから物言いたげにじっと見下ろすのだった。
エブリスタで連載している新作です。
エブリスタの方では、完結まで投稿しております。
続きが気になる方はこちら(https://estar.jp/novels/25871275)まで。
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