20.五月祭
ダグラスから観劇の誘いがあった、その一週間後――
「完璧! ローラ完璧よ!」
オールドマン家のサロンには、そう興奮したように声をあげるリディアの姿があった。彼女の前には、いつもより少しだけ着飾ったローラがいる。
フリルのついたサーモンピンクのワンピースに、首元を飾る可愛らしい燕脂色のリボン。花びらのように可愛らしい唇と、陶磁のようなきめ細やかな頬には、化粧によって淡い桃色が足されており、耳には小さいイヤリングが揺れていた。
褒められているのが嬉しいのか、恥ずかしいのか、ローラはもじもじとつま先を合わせながら恥ずかしそうに視線を落とす。
「そんな、私なんて……」
「自信を持ってローラ! 今のあなたはすっごくかわいいわよ!」
「そ、そうでしょうか……」
そして、またもじもじと身をよじった。
彼女たちの格好が観劇に行くにはいささかラフなのは、理由があった。
実は、ダグラスとの手紙のやり取りの中で、観劇に行く前に街を回ろうという話になったのだ。
なにせいま、レントリムは五月祭の真っ只中である。
五月祭というのは、夏の豊穣を願う祭りのことだ。春の訪れを祝う日としても定着しており、毎年この季節になるとレントリムの街は活気づく。また、この時期は生育・繁殖の季節とも言われており、五月祭付近で結婚式を挙げる夫婦も多いため、そこかしこでお祝いの酒盛りが行われていたりもするのである。
(最初、五月祭も一緒に……と言われたときは驚いたけれど、一緒にいる時間が多ければそれだけ仲も深まるってものよね!)
ついでにローラに話を聞くチャンスも増えるというものだ。
これをチャンスと言わずしてなんというのだろうか。しかも、ダグラスの屋敷はローラの屋敷のすぐ近くにあるのだ。もしかすると、観劇が終わった後、ダグラスがローラを屋敷まで送り届け、いい感じに……とかなってしまうかもしれない。
そんなことを考えながら、リディアは恥ずかしげに俯くローラの周りをぐるぐると回る。
「でも、本当によく似合っているわね! さすが、乙女ゲームのしゅじ――じゃなかった! ローラね! 素敵だわ!」
「そんな。お姉さまにそこまで言われると……」
まるで恋する乙女のようにそう言って、彼女はさらに頬を染めた。
その庇護欲を駆り立てられる姿に、リディアもちょっとキュンとしてしまう。女性である自分相手にこうなのだから、男性ならばイチコロだろう。
ちなみに、この服一式もリディアが手配した。ローラにはいつもの通り「私のお古だから!」と言って渡してある。
「これなら、作戦も完全遂行できるわね!」
「作戦?」
「ごめんなさい。こっちの話よ」
慌ててそう言い繕った後、リディアはとあることに気がついた。
「そういえば、前に渡したネックレスはつけていないのね?」
「え?」
「ほら、出会ったばかりの頃に、誕生日プレゼントとして渡したものよ」
「あ、あれは……」
途端に顔色が変わったローラは、なぜか申し訳なさそうな顔で俯く。
このゲームのシナリオが始まる一年以上前から、リディアはローラに接触していた。最初から今のように友好的な関係を結べていたわけではなかったが、いろいろなやりとりを経て彼女とここまで仲良くなったのだ。そして、その友好関係を結ぶきっかけになったのが、例の誕生日プレゼント――リディアが渡したネックレスなのである。
決して高いものではなかったが、感動したローラは『これ、大切にします!』『私の命よりも大切なものです』と大げさに喜んでくれていた。
その言葉を肯定するように、彼女は最近まで常にそのネックレスをつけてくれていた。『いつもつけてるわね、それ』と笑うと、『寝る時もつけてるんです』と拳を作っていたほどだ。
(この前は、舞踏会だったから気にならなかったけど……)
そういえば最近見てない気がする。もしかして、失くしてしまったのだろうか。
言いにくそうな、しかし何か言いたげなローラに、リディアがそう思っていた時だった。
『リディア様。お客さまです』
扉の奥から、そんなクリスの声が聞こえてきた。
ダグラスが来たのだろうと、リディアは先ほどまでの疑問も忘れ、「入っていただいて!」と声を大きくした。そして、緩みそうになる頬を手で押さえる。
(こんなかわいいローラを見たら、ダグラス様だってイチコロよ!)
「こんにちは、二人とも」
「ようこそおいでくださいました。ダグラ……へ?」
待ってましたとばかりに振り返ったリディアの顔が固まる。
なぜなら、そこにいたのがダグラスではなかったからだ。
「ど、どうして……」
「アンドレ様!」
聞いたこともないような弾ける声を出しながら、ローラが先ほど入ってきた男に駆け寄る。
そこにいたのはフィリップだった。
そう、この国の第一王子様(変装済み)である。
今日も金糸のような髪の毛は、茶色いカツラに覆われており、服装も良くて良い所の坊ちゃんといった感じだ。王族などには決して見えない。
「ほ、本日は何用でしょうか?」
震える声出そう問えば、彼の代わりにローラが口を開く。
「お姉さま、アンドレ様は私が呼んだのです」
「ローラが?」
「リディアお姉様が『会わせたい方がいる』なんておっしゃるから、緊張してしまって。アンドレ様についてきてもらったんです」
「ローラからの頼みなら断れないからね。それに、前々からローラのことは誘おうと思っていたんだ」
「え。そうなのですか?」
初耳だと、ローラはフィリップを振り返る。
すると彼は、優しく目を細め、顔にかかるローラの髪を彼女の耳にかけた。
「去年の五月祭は母親の看病で回れなかったと言っていただろう? だから、今年ぐらいはめいいっぱい楽しんでほしくて」
「アンドレ様……」
二人は互いに見つめ合う。その空気は他に入るものを許さないかのようだった。
(も、もしかして、ローラといい感じなのはフィリップ様なのかしら……)
だとしたら最悪だ。この流れの行き着く先は、ダグラスの闇落ちである。
目の前を流れる甘い雰囲気に、リディアの背中には冷や汗が流れ、顔はこわばった。
(だ、だとしても、『アンドレ様』と呼んでいるうちは大丈夫よね?)
リディアはまるで鼓舞するように、そう自分に言い聞かせる。
フィリップのルートは、正体を知られるところが大きなターニングポイントとなる。そこから王家の問題にも関わる個別ルートに入るのだ。つまり、それさえ気をつけておけば平気なのである。
ここからならまだダグラスルートへの挽回は可能である。可能だと、信じたい。
(でもちょっと待って、このままだとダグラス様とフィリップ様が会っちゃうんじゃない?)
もうそろそろダグラスがくる時間だ。ダグラスが来てしまえば、この仲睦まじい二人の姿を見てしまう可能性がある。
そうなってしまえば、彼の心に影を落としてしまうことは必至。
ただでさえフィリップはダグラスのアキレス腱なのだ。これを触るのは得策ではない。
(な、なんとかして、フィリップ様をここから去らせないと!)
そう思ったリディアは、フィリップの手を握った。
そして、そのまま彼の腕をひく。
「ちょ、ちょっとフィリップ様、こちらへ……」
「ん。どうしたのかな?」
「二人っきりでお話ししたいことがありまして……」
「二人っきりで? なんだか魅惑的なお誘いだね」
「え?」
確かにこの言い方ではリディアがフィリップを誘っているように聞こえる。
リディアにそんなつもりは毛頭ないし、フィリップだって冗談でそう言っているに違いないが。これをあの純真無垢なローラが見たらどう思うだろうか。二人の中を変に勘ぐってしまうかもしれない。
(ま、そう思ったらそう思った時よね!)
彼女には悪いが、リディアの目的はダグラスとローラをくっつけることである。それならばむしろ、そう思ってくれる方がやりやすいまである。
フィリップは、何かを企んでいそうなにやにやとした顔をリディアに近づけた。
「つまりリディアは、私と二人っきりになりたいってことだよね? 静かな部屋で、妙な横入りなどなく、仲睦まじい時間を過ごしたいってことだよね?」
「あー、はいそうで――」
フィリップの悪ノリにそう答えようとした瞬間、背後にあった扉が勢いよく開いた。びっくりして振り返ると、そこには眉間に皺を寄せたダグラスがいる。その背後には狼狽える使用人の姿も……
どうやら使用人がリディアに声をかける前に、ダグラスが扉を開けてしまったらしい。
ダグラスの視線はフィリップに向いて、その後、彼の腕を持つリディアの手に滑った。瞬間、彼の眉間にもう一本皺が足される。
(や、やっちゃったぁ……)
ダグラスの怖い顔に身体が震える。「えっと、これは……」としなくてもいい言い訳まで口をついて出てきそうになる始末。
焦っている彼女をどうとったのか、ダグラスはフィリップからリディアを引き剥がし、自身の背中に隠した。
思いもよらない彼の行動に、リディアは「へ?」とまぬけな声を出してしまう。
一方、手持ち無沙汰になったフィリップは、不快感を隠しきれないダグラスを見ながら唇を引き上げた。
「やぁ。久しぶりだね、ダグラス」
「こんなところで何をしているんだ。……フィリップ」
「え? フィリップ……?」
「あ……」
ローラが首を傾げ、リディアが顔を青くさせる。
ローラはフィリップの顔をまじまじと見た後、何かに思い至ったようにハッと顔を跳ね上げた。
「フィリップって、もしかして――!」
「騙していてごめんね、ローラ」
ゲームと全く同じように、フィリップはそう言って笑った。
エブリスタで連載している新作です。
エブリスタの方では、完結まで投稿しております。
続きが気になる方はこちら(https://estar.jp/novels/25871275)まで。
面白かった場合のみで構いませんので、評価していただけると嬉しいです!
どうぞよろしくお願いします><




