10.デート!?
「おはよう、アネモネ」
「ですから、私はアネモネではないと言っているのですが……」
応接間に入るなりかけられてきたその声に、リディアは辟易とした顔で応じた。
まさか彼にこんな嫌そうな声を上げるとは、 前世でも今世でも想像だにしていない事態である。
ダグラスは先ほどまで座っていただろうソファーから立ち上がり、リディアの事を見下す。その視線は、まるで長年探していた仇敵をみつけたかのように鋭く、とても穏やかとは言い難かった。
「まぁ、君がそこまでして隠したいのなら、別にそういうことでもいいが……」
「えっと。そこまでした隠したい、とかではなくですね。私は……」
「本日は一体、どのようなご用事でしょうか?」
二人の会話を遮るようにクリスがそう口を開く。
昨日の今日なので、おそらくリディアのことを問い詰めにきたのだろうとは思うのだが、ともかく話を聞かないことには始まらない。この優秀な執事は、そう判断したのだろう。
クリスの冷静な声に、ダグラスもこちらにきた目的を思い出したのだろう、改めてリディアに向き合うと、全く想像していなかったことを口にした。
「今日は、付き合ってもらいにきた」
「付き合ってもらう?」
「強いていうなら、……デートだな」
「デート!?」
思いもよらぬ言葉に、リディアはひっくり返った声を上げた。
「あの、これは?」
一時間後、二人の姿は街の宝石商にあった。
鏡に映るリディアの首には、宝石が散りばめられた、いかにも高そうなネックレスがあてがわれており、彼女の後ろには唇を弧の形に引き上げた店員が「とてもよく似合っておられますぅ」と猫なで声を出している。店員のさらに奥には顰めっ面のダグラスが腕を組んでいて、リディアをじっと観察するように見つめていた。
「リディア、気に入ったか?」
「いやまぁ、はい。……キレイデスネ?」
「ではそれを包んでくれ。あとはイヤリングと腕輪も――」
「はい。かしこまりました!」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
ダグラスと店員の間で勝手に進んでいく話に、リディアはそう声を荒らげた。
「意味がわからないんですが! もしかしてこれ、私がもらう感じになっていません?」
「そうだが?」
「い、いりません! こんな高価なもの! 第一、――」
「そうか、気に入らなかったか。……では別の店に行こう」
「ちょ!」
なんだか少し的外れなことを言うダグラスに腕を引かれ、リディアは店を後にする。いきなり店を出ていく二人に呆けた様子の店員だけがかわいそうだったが、そんなことに構っている余裕などなかった。
そして、次に連れていかれたのは……
「このサテンの布などは肌触りも良く、色味もお肌にぴったりで……」
仕立て屋だった。
しかも、そんじょそこらの仕立て屋ではない。リディアのような下級貴族などでは手も出せないような高級仕立て屋だ。既製品のドレスなどは販売しておらず、全てオーダーメイド。なので、今胸元にあてがわれているのも、布である。
「今社交界で人気なのは、オフショルダータイプのドレスではなく、肩を覆うデザインのものですね。バッスルは傾斜がきついタイプ、リボンはロイヤルブルーがおすすめです」
サラサラと描かれたデザイン画にリディアが「はぁ……」と頷くと、「似たデザインのものがありますので着てみましょうか」と問答無用で試着室に突っ込まれた。そして、三人がかりであっという間に着替えさせられ、ダグラスの前に追いやられる。
逆八の字に髭を尖らせたデザイナーは、着飾ったリディアを手で指しながら、ダグラスに向かい自信満々に唇を引き上げた。
「アレンジはさせていただきますが、ざっくりとはこんなイメージです。どうでしょうか、旦那様?」
「どうだリディア。今度は気に入ったか?」
「えっと、素敵なドレスだとは、思います……」
「では、それを――」
「だから、いりませんって!」
そんなことを繰り返しながら、あっちこっちと引っ張り回され、気がつけば夕方になってしまっていた。なんでこんなことになっているのかよくわからないまま振り回されたリディアは、ヘトヘトになりながら最後の店を後にする。
馬車を待たせている通りまで歩いていると、ダグラスの気落ちしたような声が頭上に降ってきた。
「君は案外、こだわりが強いんだな」
「はい?」
「一応、女性の好きそうなところは一通り調べてきたつもりだが、まさか、そのどれもを気に入ってもらえないなんて思いも寄らなかった」
見上げれば、わずかに視線を下げるダグラスが目に入る。
「もしよかったらリベンジをさしてくれ。来週こそは君が好きそうな店を調べてこよう」
「ちょ、ちょっと待ってください! 別に私、今日行ったお店が気に入らないとかじゃありませんよ!」
「しかし、君は何度も『もらえない』と……」
「私が『もらえない』と言ったのは、今日行った場所の物が趣味に合わなかったとかではなくて、どうして私がそんなものをいただけるのかわからなかったからです!」
その言葉に、ダグラスは意外そうな顔で目を瞬かせた。
「宝石も綺麗でしたし、ドレスも素敵でしたし、ショコラも美味しそうでしたけど。ダグラス様に買っていただく理由がありませんから……」
「では、気に入ったものがあったのか?」
「……そりゃ。ショコラとか、美味しそうでしたけど」
「よし。じゃぁ、その店に行くぞ」
「ですから! いただく意味がわからないんですって!」
いきなり踵を返したダグラスの腕をリディアは咄嗟に引っ張る。
彼は振り返ると、リディアを見下ろした。
「君はただ、何も言わず、貰ってくれればいいんだ」
「え?」
「これは俺がアネモネに会ったら、やろうと思っていたことだ」
ダグラスは淡々と、リディアから視線を外すことなく言葉を紡ぐ。
「君がどういうつもりで手紙を書いていてくれたのか知らないが、俺はその手紙に随分と救われたんだ。だから、会ったら何か礼をしたいと、ずっと考えていた……」
その言葉に一瞬だけ、ジン、ときて首を振る。
今は感動している時ではない。自分の手紙で彼の辛い幼少期が少しでも和らいだというのならばこれほど喜ばしい事はないが、それは後で噛み締めよう。今は彼をどうやって止めるかである。
それにはまず、やはり彼の誤解(?)を解かなくてはならない。
「ダグラス様。何度も言っているように、私はあなたの探しているアネモネではありません」
「だから、そういうことにしたいのなら、それで構わないと……」
「私をアネモネと判断したのは、手紙に使われていたインクとワックスが招待状のものと一致したからですよね?」
リディアはダグラスの言葉を遮るように、そう口にする。そして彼が何か口にする前に早口で捲し立てた。
「そのぐらいの偶然、珍しくないですよ。インクもワックスも、買おうと思ったら誰でも買えるものですし。この辺に住んでいる十七歳の女性なんて、探せばいくらでもいます」
「しかし、一つ一つが偶然でも……」
「何より、筆跡が違います」
その言葉にダグラスは黙った。リディアはこれ幸いにと言葉を重ねる。
「屋敷に帰って、アネモネから届いた手紙と招待状の筆跡を見比べてみてください。きっと、違うと思います」
そう自信満々にリディアがいうのには訳があった。
実は、ダグラスに送った招待状はクリスが書いたのだ。彼がこうなることを見越していたのかは定かではないが、招待状を送る際「ダグラス様のは私が書きましょう」と申し出てくれたのである。
筆跡が違うという証拠を出されたからか、ダグラスの勢いは少し弱くなる。
「まぁ、そうだな。君が『アネモネ』だと思うのは、早計かもしれないな」
「そうですよ!」
「それなら、今日付き合わせてしまったお詫びをさせてくれ」
「はい!?」
それでもなお、何かを与えようとするダグラスは彼女の手を取ると、先ほど行ったショコラの店につま先を向けた。
リディアは困惑した表情のまま彼に引きずられるようについていく。
ダグラスは足を止めることも、リディアを振り返ることもなく、さらに言葉を紡ぐ。
「どちらにせよこれは俺の自己満足だ。君のその言葉が本当であれ、なんであれ、俺がアネモネに何かしてやりたい気持ちは変わらないし、君が違うのなら俺は他にアネモネを見つける手段がない」
「……」
「俺のことを哀れだと思ってくれるのなら、どうか受け取ってくれないか?」
彼はリディアに視線だけを向ける。それが、どこか懇願しているようで、リディアはダグラスの手をぎゅっと握り返すと、彼を引き止めるように自分の歩みを止めた。
そして、大した抵抗もなく止まったダグラスに、彼女は疑問をぶつける。
「どうして、そんなにアネモネにこだわるんですか? アネモネはただの文通相手ですよね? 手紙のやりとり以外、貴方には何も――」
「救われたんだ」
その一言に、リディアは閉口した。
「幼かったあの頃、アネモネからの手紙を心の支えに生きてきたんだ。確かに彼女としていたのは手紙のやり取りだけだが、あれがなかったら俺はどうなっていたかわからない。自分を見てくれる人間はいないと世の中の全てを憎んで、孤独を癒していたかもしれない」
「……」
「だから俺は彼女を見つけ出して、一度ちゃんとお礼を言いたい。俺が彼女に会いたい理由はそれだけだ」
言外に「だから何か貰ってくれないか?」と言われ、リディアは視線を落とした。
ダグラスは本当に、リディアがアネモネでなくても構わないと思っているのかもしれない。ただ、自分を救ってくれたアネモネに何かを返したくて、何も返せない自分にもどかしさを感じて、苦しくて、こんな行動に走ってしまっているのだろう。
その渇望を癒すためには、彼のいう通りにリディアがアネモネとして何かを受け取るのが一番手取り早い。
(だけど――)
リディアは少し考えたのちに、道の脇に生えている小さな、雑草とも呼べる花を指差した。
「ダグラス様、そこにある花を摘んでいただけますか」
「……これか?」
「ありがとうございます」
リディアはダグラスから手渡された花を受け取ると、今までで一番いい笑顔を彼に向けた。
「今日付き合わせてしまったお詫びというのなら、私はこれで十分です」
「いや、しかし……!」
「もし私がアネモネでも、これで十分だって言うと思います」
彼女はダグラスから渡された小さな紫色の花を胸に抱き、目を細めた。
「きっと彼女も、何かお礼をして欲しくて手紙を書いていたのではないと思いますから……」
そうだ。ずっとずっと、願っていたのだ。
貴方が心安らかに眠れる夜を。
希望と活力に満ちあふれた朝を。
笑みが溢れる日中を。
だから――
(それを貴方が私の手紙で得られたというのなら、こんなに嬉しいことはない)
「お花、大切にしますね」
リディアはそう言って、花が咲くように笑った。
エブリスタで連載している新作です。
エブリスタの方では、完結まで投稿しております。
続きが気になる方はこちら(https://estar.jp/novels/25871275)まで。
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