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I

作者: 百川歩



 人生で大事なことは二つある。

 僕はこういう書き出しが嫌いだ。毎回思う。大事なことはもっとあるだろう。この文は、その二つの大事なことを持ってない人を馬鹿にするようだ。こういう文を書くのがお偉い学者みたいな人が多いから嫌いなのかもしれない。実存だとか唯物だとか難しい言葉を提示して、それについての根拠をペラペラと語りだす。ただ、それを思うことは別に非難しない。それを人に強要するような喋りが嫌いなだけだ。人生だとか、性とか、死だとか、人によってそれぞれ答えは違うはずなのに、それが一つであると決めつけている気がする。そんなに単純ではないだろう。世界はそんなに単純ではないだろう。人の生死や、性別や、感情は一つの位置づけで収まるようなものでは無い。色々な解釈が混ざりあってそれを形作っていると僕は思う。

 だから僕自身だって、自分でもよく分からない感情や、そしてよく分からない出来事においてだって何か僕のどこかしらの部分を形作っているに違いないと思うのだ。自分が見るあの夢も僕のなにかであるはずだ。最近夢をよく見る。子どもの頃など夢など見なかった、あるいは見てもすぐ忘れてしまっていたが、近頃は違う。目を覚ましても夢をしっかりと覚えている。それも同じ夢を。


 夜、まだ向かいの家の明かりが付いている頃、窓から月を見ている。カーテンが揺れていて、窓が開いているのだとわかる。部屋の電気は点いていないが、月の光で部屋のようすがぼんやりと見える。夢の中なのに、月が美しいと感じている。部屋の床にはプリントが積み上げられていて、足の踏みどろがない。ベッドの周りもみんな汚い。ただ、机だけが綺麗だった。僕が置いていた参考書やノートが消えていて、小学生の時に買ったバインダーの下のファインディグ・ニモの絵が見えた。バインダーの中央、ニモとドリーの絵の書いてあるところが丸く切り取られたように綺麗になっている。その円以外は、消しカスが入り込んだり鉛の黒ずみがついている。僕はこの机が違和感だった。この夢のことは分からない。でも、何度も見る。少しの差異あれど、毎回机に丸いミステリーサークルができている。真ん中だけ汚れがない。毎回自分は不思議な感覚でそれをみている。僕の机にこんなものはあっただろうか、と。


 僕の家は五人家族だ。母がいて、兄がいて、妹がいて、そして父さんがいる。母は看護師で、父さんは大手薬品メーカーの部長。兄は東京理科大学に進学していて、妹はスポーツの有名高校にいる。(学校の名前は忘れた)兄と妹の部屋にも勉強机があって、妹、自分、兄貴の順に机が汚い。整理整頓ができないやつは勉強もできないと父さんは口癖のように言っていたが、本当にそうだった。机の綺麗さがそのまま兄妹の頭の良さに直結した。つまり、自分は二番目に頭が良かった。中学のテストでは七割を切ったことがなかったし、高校は県内有数の進学校に入ることが出来た。だが、高校時代は全然といっていいほどできなくなって、大学へは一年の浪人をした。現役時、周りに合わせて身の丈に合わない難関校を受験したのだった。高校の勉強は僕にとって覚えることが多すぎた。自分はいつも忘れっぽくて、一度学んだ単語もすぐに忘れてしまう性質だった。これは僕を形作る重大なひとつの要素だ。自分は本当に忘れ物をよくした。学校に筆箱を忘れて登校することなどしょっちゅうで、検尿の日などちゃんと家から尿を持っていけたためしがなかった。ある日こんなこともあった。


 目が覚めると部屋の電気が点いていて、自分がどうやってここに来たのかがよくわからない。寝る前に消し忘れたのだろうと思うが、頭がやけに重く、昨日の記憶があいまいだった。僕はなにをしていたんだろう、忘れてしまった。だが夢のことだけ嫌にはっきりと覚えていた。まゆげがごっそり抜けおちた夢。毛玉のように絡まったまゆげが手の上に乗っている感覚がまだ残っていた。

 電気を消し、カーテンを開けて部屋の中を見渡した。スマホを見ると時刻は三月の十四日の十時二十六分を示していた。枕元に半分ほど残った麦茶のペットボトルが落ちていて、ベッドの横には潰れた空のティッシュ箱が何箱も置いてある。その内のいくつかには、丸まったティッシュが押し込まれていた。少し黄ばんでいるので、おそらく使用済みのものだろうと思われた。……そう、思われた。自分の部屋であるような気がしないのである。床にはプリントが山積みされていて、足場がない。上に置かれた紙は日焼けのせいか茶色く変色していた。部屋に散らばっている本を足でどかすと、本の中からなぜかロープが一本出てきた。

 この汚い部屋のせいか顔がむず痒くて仕様がなかったので、とりあえず顔を洗おうと思った。部屋を出て、考えず右にまっすぐ進んでみた。洗面所があった。ちょうど良い、と思った。

 洗顔したあと顔を上げると、鏡に見慣れない男が映っていた。気持ち悪い男だ。鼻は大きく、目は左右でかなり大きさが違っていて、口を開けると黄ばんだ歯が見えた。誰だ、この男は。僕はこんな男ではなかったはずだ。僕は顔を触った。感触がある。これは間違いなく僕の体に張りついている。まゆげもある。しかし、これは僕の顔ではない。そう思いたくて仕方がなかった。変な違和感があるのだ。夢で見た顔の方が正しいような気がした。それを母と父に伝えると何を言っているのだと一蹴された。僕は寝ぼけているのらしかった。


 そんなふうに、僕は自分のことすらも忘れるときがあった。いや、忘れるというか、記憶が曖昧なときがあった。だから僕はよく自分のことをノートに書くようにしていた。小さなA6サイズのリングノートに覚えていたいことを書く。書いてそれを一番見やすい机の上に置いた。うどんを食べた月曜日、そばを食べた火曜日、ラーメンを食べた水曜日といった具合に、ほとんどそれは日記と変わらなかったが、それを書くことすら忘れることがあったので、日記と呼ぶほど日ごとに書いてはいなかった。ただそれを時折見直して、こんなことがあったのかと確認するのが楽しかった。


【六月十八日】

 十一時起床。十二時にいつも行く美容院を予約していたのに、忘れていた。作り置きしていたミソスープを飲んで家を出た。美容院に行くのに髪がボサボサだ。まあ行くから良いか。

 店長は私の髪の毛を切る。少し、長め、と言っているのにこの人はいつも短く切る。自分はロン毛のくせに。予約したのは、カット+シャンプー+眉カット3260円のいつものセットだ。あいかわらず他人にシャンプーをしてもらうのは気持ちが良い。またそのセットにしようと思った。

【六月十九日】

 22:30、テニスの大阪なおみの試合を見ながらリンゴ酢割ソーダを飲んでいたら(最近のマイブームである。酢:ソーダ3:7ぐらいが美味い)突然せんべいが食べたくなって、すぐにコンビニに行って買った。「シャリ蔵」と「堅ぶつ」「技のこだ割り」を選抜した。ソーダを飲みながらせんべいを食べるのはとても贅沢なひとときだった。多幸感がすごい。ここに書き記しておこう。ちなみに大阪なおみは試合に勝った。

【六月二十一日】

 今日は朝から父がキレていた。いい加減に部屋を綺麗にしないか。豚小屋。うちの品格が問われるぞと言っていた。父さん豚は綺麗好きなんだよというと、じゃあお前は豚以下だと大声をあげた。うるさいものだ。自分だって豚みたいな体型をして。あ、でも豚って確か脂肪は少なくほぼ筋肉だったっけか。じゃあアイツも豚以下だ。

【六月二十二日】

 最近昔のことよく思い出す。昔は良かった。私も年寄りになってきているようだ。もう十七。もう少しで二十になってしまう。そろそろ大学入試を考えないといけない。嫌だ。小学生に戻りたい。たいして勉強せずに満点をとれたし、両親に何度も褒められもした。父さんだって褒めてくれた。だが今は何だ?

 会話といえば何かをしろ、やめろということばかりだ。ほんとに飽き飽きする。それが納得できることなら良いが、夜中に爪を切るなだとか、口笛を吹くなだとか、迷信じみたことが多くてイライラする。そのうち死んだら他の人に生まれ変わるから、今のうちにしっかり徳を積みなさいとか言い出しそうで怖い。

【六月二十三日】

昨日昔は良かったと書いたな? あれは嘘だ。

 いや、どうだろうか。今の方が良いということは出来ないが、少なくとも昔も嫌なことはあったということを思い出した。私が小学生四年生のとき、毎夜のように両親は喧嘩していた。それを、リビングと廊下を隔てるガラス格子の引き戸から眺めていた。私は勉強しなさいと言われて、自室に向かわされていたが、リビングからの怒号が聞こえると気になって勉強どころじゃなくなって、教科書を置いて見にいってしまうのだった。廊下に出ると、毎回兄貴は「見に行かなくていい」と言った。

喧嘩はほどなくして父さんがリビングを出て行って終わり、それと同時に部屋に入った。「見てたの」残った母は決まって父さんの悪口を言った。私は母に嫌われたくない一心で、悪口に同意した。それに私は母の相談役に選ばれたことが嬉しかった。それが悪口の相談だったとしても。私は子供だった。

【六月二十四日】

雨が降った。長い雨だ。梅雨は終わったと思っていた。雨の日はそれだけで憂鬱だ。水たまりを踏んで、靴下が濡れた。濡れると足に貼り付くから不快である。金曜日、今日行けば休み。そう言って自分を奮い立たせてみたが、どうもやる気になれなかった。高校のすぐそばの公園を一回りして、帰ろうと思った。玄関で大学に行く準備をした兄貴と会って、「学校は」と言われた。私は何も言わなかった。

【六月二十五日】

 お前は向上心が無い。父さんがそう言った。目の前のことを片付けられないものに他のことなどできはしないのだ、と。目の前にあることは常に生きていく上で必要なことであって、それを成し遂げられない人間に価値はない。父さんはいつも正しいことを言う。ただ口調は悪いけど。母はそう言って笑っていた。

 私も正しいと思った。正しくない人間に価値はない。いくら自分が価値あるように振る舞っても、結局決めるのは他人だ。そういう人間は次第に本来の評価があるところへといく。もちろん例外はあるが、それは重要ではない。大体の人間が普通の人間で、お前もそれに当てはまると言うことが重要である。父さんは繰り返す。私だってわかる。わかるんだが、自分でもよくわからない感情が湧いて出て、正しくない行動を取りたいときがある。その行動の源泉を私は知らない。よくそういうものを心理学の先生様が解説をしているが、そんな安易なものではないような気がするのだ。もう一人自分がいるような、そんな感覚。妹に聞いたら自分も同じような感覚を持ったことがあると言っていた。もしかすると、人間にはもう一人の自分というものが備わっているのかもしれない。「何のために?」妹は言った。私は答えられなかった。


こうして日記を見ているとわかったことがある。だいたい幸せなときの日記は短く簡潔で、恨みつらみの文章はなかなかに長い。ここには載せないが八月三十一日の文章は毎年えげつない長さで綴られている。「学校に行きたくない」ということをたらたらと書いているだけなのに五ページまで及んでいた。恐ろしい。

 それと、昔の僕は一人称が違っていた。「私」なんて生真面目に書いている。夏休みに作文を書くとき、父さんに何度も私で書きなさいと言われていたからだろうか。「私」はいつから変わったのだろうと思って部屋を漁って読み直していたら、2017年の三月の日記がすっぽりと抜けているのに気がついた。僕が浪人していた年だ。ちょうどその後から自分の一人称も変わっている。「私」は浪人時代に相当過酷な波にのまれていたようである。今の悠々自適な毎日を送る僕は、その浪人期の私を見てやろうと思い、大学が休みな土曜日に時間をかけて探してみたが、一日かけても日記が見つかることはなかった。途中から本棚の隅から出てきた漫画を読んでいたのが原因だろう。荒川アンダーザブリッジ、何度読み直しても面白い。一日で一気に十五巻まで読んでしまった。

 そうやって荷物をひっくり返しながら色々とやっていたら、次の日になって父さんが部屋の片づけをしろと言った。至極正論である。僕は片付けをすることにした。まず部屋の中の溢れた本をしまうスペースをどこに置こうか考えた。本棚はもうパンパンなのだ。思いつかなかったので、スマートフォンで収納、簡単、ライフハックで検索してみた。すると空のスニーカーの箱をカッターで工作してそれを本棚にしてしまうという動画を見つけた。ということで、僕は家中の空箱を探すことにした。

 漫画が散乱した自室を飛び出し、兄の部屋を通って、妹の部屋に向かう。箱は無い。どこもかしこも韓国のアイドルグループのポスターが貼ってあって、韓国語でポスターに何か書かれている。もう一度、兄貴の部屋に戻った。ベッドの下を見たが、無い。兄貴の部屋は机とベッドしかない。ゴミの一つもありはしなかった。我が兄ながら気持ち悪い。人が生活している部屋とは思えない。

 部屋を出て、両親の寝室に入った。父さんはいない。母もいない。ベッドがあって、クローゼットがあって、鏡台があって、その横に色々な箱が積み上げられていた。本やノートの入りそうな箱はいくつかあった。僕は一番にNIKEの赤い靴箱が目についた。これなら良い本棚になりそうだ。そう思って箱タワーの中から引っ張り出した。すこし、埃が乗っている。僕は埃を軽く払って、箱を開けた。するとそこには、探していた2017年の三月の日記があった。


【三月十一日】

 酷い気分だ。気持ちが悪い。明日最後の合格発表だ。合格発表といっても、私にとっては不合格発表のようなものだ。受かっているはずがない。自信がない。勉強していったことが、いざ問題を目にすると真っ白になって、目が稚魚のように可愛く泳いでしまうのだ。結局答案は半分も埋まらなかった。

 怖い。明日不合格が出れば私は浪人してしまう。浪人したらどうなろのだろう。父さんは浪人は認めないと言っていた。就職をするのか、工場のようなところで。なりたいものも決まっていないが、私はそんなところに行きたくない。今はただ、祈るような気持ちだ。

【三月十二日】

 やってしまった。私はなんてことをした。今日発表だった日本大学文理学部合格だった、と母に嘘をついた。母は喜び、安心していた。一時の平和だ。私はそれが欲しいだけに嘘ついた。言わなければ、言わなければと思う。だが、喉が渇いてうまく言葉が喉をとおって出てこない。私はどうしようと布団にうずくまって頭を枕に押し当てた。一日経てば言えるかもしれない。そう思ってひとまず今日はそのことを忘れることにした。

【三月十三日】

 朝、起きていくと母がいて、合格記念にお祝いしようと言った。平日で父さんはまだ帰ってこないから、四人で行こうと言った。夕飯にちょっと高級な中華料理店に行くことになった。どうにもいたたまれなくなって、母にだけ私の部屋に来てもらい話すことにした。私が合格だったのは手違いだった、だから中華に行くのは無しだ。申し訳ない。父さんにも伝えておいてくれないか、と言った具合に。母は、それを聞いた。黙って私の話を聞いていた。そして私の顔を見て、「悔しくないの」と言って泣いた。涙は母のシワに沿って流れていた。私は何も言えなかった。家を飛び出し、母の言葉を聞いていた時と同じように口をつぐんだまま、通学路を走った。風で目が乾いて、痛くなって、涙が出そうだった。足はいつもの公園に向かっていた。

 公園は、時計の上に丸い明かりが一つあるだけで、他に光はなかった。時刻は11時28分。ビニールテープでぐるぐる巻きにされたすべり台と、ゴムマットの敷かれたブランコがあって、その傍にベンチがあった。公園には誰もいない。


【三月十四日】

 三時ごろ、私は家に帰ってきた。自室に入ると、窓から月が見えた。カーテンが揺れていて、窓が開いているのだとわかった。丸い満月だった。月光が私の部屋を照らしていた。相変わらず部屋の床にはプリントが積み上げられていて、足の踏みどろがなかった。ただ、机だけが綺麗だった。私が置いていた参考書やノートが消えていて、バインダーの下のファインディグ・ニモの絵が久しぶりに見えた。そして、その上にロープが乗っていた。一本の長い、麻のロープ。それは1回も使われたことのないような綺麗なロープだった。私はそれを置いた覚えはなかった。私以外の他の誰かが、私にこれを使えと言っているようだった。

 私はそれを正しいと思った。


 日記を閉じ、僕は自分の部屋に戻った。腕枕をして、ベッドに横になった。目を閉じて、目を開ける。目の前には天井が見えた。ふと、僕は誰なんだろうと思った。


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