そのクマ、ぬいぐるみにつき
『私の名はジャムです。既に四十路を迎えています。何が出来る訳でもありませんが、これからもどうか1つ、よろしくお願い致します』
私の目の前にあるソレに言葉を話す機能は付いていなかったが、私にはソレがそんな事を言ったように思えた。
高さ約26センチ、直径約17センチ、重量凡そ50グラムと、円柱状に近い形をしたソレは熊の縫い包み。人の腕に抱きつくような仕組み……いや、仕組みと言う程のものではないが、まあそんな機能を要した縫い包みで、製品名を「あまえんぼジャム」といった。
ソレが私の元へとやって来たのは今から40年程前の事。当時私が小学校低学年の時であるからして、年齢でいえば7,8歳といった所だろうか。何故かソレが私のいたクラスで流行っていたという事があり、私も親に強請った末に買って貰ったと、そうおぼろげに記憶している。
私がそれを家でどう扱っていたのかと今でも疑問に思うが、40年近くも前の事なので思い出せない。流石にソレと一緒に寝るとか、常に枕元に置いていたとかは無かった気がする。それは「持っている」というその事がステータスと、確かそんな感じだった気がするが、いまいち判然としない。そして何時始まったか定かで無いその流行りは知らず知らずの内に過ぎ去り、それと時を同じくして、ソレは私の視界から消えていた。
小学校時代に手に入れたソレ。次にソレと再会するのは、その小学校時代から凡そ20年程が経ってからの事だった。その頃の私は小洒落た街のワンルームマンションで以って、料理好きな彼女と同棲生活を送っていた……と、そんな生活に憧れつつも通勤に便利な立地、且つ日常に於ける時間的経済的負担が無いという実家の優位性を捨てる事が出来ずにいる一介のサラリーマンとして、平凡なる日々を送っていた。
実家である両親が建てたその家は、大きな災害に対しては何ら抗う事が出来ないであろう古い木造の2階建て。その家の2階、襖で以って廊下と仕切られた6畳間が私の部屋。畳が敷かれたその部屋には「狭くなるから」といった理由でベッドは置かず、いくら干してもフカフカにはならない年季の入った布団が敷きっ放し。部屋の中央には1メートル四方の木製ローテーブルが置かれ、その上にはそこが定位置となっているノートパソコンが鎮座し、壁際に置かれた棚にはマンガやCD等が雑然と詰め込まれ、その雑然とした中の少しの隙間を埋めるかの如く、細々とした雑貨類が詰め込まれていた。
棚の隣には衣類箪笥が置かれ、その中には隙間なくピッチリと服が収められていた。衣類はその箪笥と押入れの衣類ケース、そして部屋に備え付けられた箪笥の3か所あったが、それでも収まりきれない衣類、特に冬用のかさばる衣類は壁に重なる様にしてズラリと並んでいた。真夏でも冬用の服が壁に並ぶその様は、「衣替え」なるものがこの部屋には存在しない事を示していた。
大して価値の無い「物」に溢れたその部屋は、週に一度母親が掃除してくれているお陰で清潔さが保たれてはいたが、一切の女っ気を感じない如何にもといった様相の部屋であった。
とある休日の午後、特段する事も無かった私は暇を持て余し、万年床の上で以って横になっていた。横になっていたと言っても眠くもないが為に目は見開いたまま。いっそ寝てしまおうかと思って目を瞑っても勝手に目が開いてしまう。仕方無く天井をジッと見詰めつつただただ時が過ぎてゆくのを待っていたのだが、何時の間にやら眠っていた。
ふと目を覚ますと、私の目の前にはギッシリと物が詰まった棚があった。どうやら私は夢遊病とも言える行動をとっていたようで、いつの間にやら起き上がり、棚の前へと立っていたらしい。見れば、私の両手は「前に倣え」ともいえる姿勢でもって棚に向かって伸びていた。未だハッキリと目が覚めず思考が働かない中、何故にそんな事をしているのだろうかと考え始めたその瞬間、その両手は薙ぎ払うかの様にしてドサドサバサバサガシャガシャと、棚の中の物を床にぶちまけた。そして7段構造のその棚の1段を見事に空にすると、そのまま残りの6段に納まる物もドサドサバサバサガシャガシャと、全て床へとぶちまけた。
その凶宴は時間にして十数秒程。静寂が戻ったその部屋に佇む私の目に映るのは、畳の上は勿論、万年床の上、木製ローテーブルの下へと漫画にDVDにCD、そして買った事すら忘れていた雑誌、そして何かのオマケであろう使途不明の小物類他多数が辺り一面に散らばる惨状。平面で見れば畳1枚分強といった大きさの棚の中には見た目以上に物が詰め込まれていたようで、万年床に至っては半分以上が覆われる程であった。
「はぁ、何してんだろ俺……」
それは無意識下とも言える状態で行われた訳だが、だとしても目の前のそれは自らの所業の結果に相違無く、誰に何を言えるでも無く、出来る事と言えばただただ自らのその衝動的とも言える行動を嘆く事だけ。
「はぁ~あ」
ふと目の前がチカチカするような気がした。おもむろに部屋の中を見渡すと、一見ダイヤモンドダストと見紛う程の幻想的な光景が部屋全体に広がっていた。良く見れば、それはダイヤモンドダストではなく大量の埃。恐らくは棚の物をぶちまけた際に舞いあがったであろう大量の埃。それが外からの光に反射しダイヤモンドダストと見紛う光景を作り出していた。部屋の中を舞っていた埃の量から察するに、それは棚の中の「物」達が長期間一切使用されていない事を意味していた。直ぐに息を止めつつ部屋の窓を全開にし、それほど効果は無いだろうと思いつつも手をパタパタと動かしながら空気の入れ換えを促すと、その甲斐もあってか数分でダイヤモンドダストは収まった。
「はぁ、片付けるか………………いや、いっそ全部捨てちまうか」
散らかるそれらを棚の中に戻そうかと一瞬は考えたものの、ダイヤモンドダストを引き起こす程に使っていないのであれば不要という事なのだろうと。故に片さず廃棄してしまおうと至極理論的な解に辿りつく。
「とはいえ全部捨てるのはなぁ……」
導き出した理論的解を、私の感情が揺さぶりを掛けてくる。そもそも不要な物を処分するという習慣が出来ていないが故の結果とも言える訳だが、このような状況になっても未だ処分するという事に躊躇してしまう。
ふと脳裏にとある俯瞰映像が浮かんだ。それは実家に暮らす私の姿。といっても今の姿ではなく、髪は薄く腹が出ている凡そ6、70歳頃と思しき未来ともいうべき私の姿。場所は実家ではあったが今とは随分と様子が異なり、激しい程の経年劣化と共に家の中は勿論、家の敷地一杯に物が積まれ散乱しているといった、いわゆるゴミ屋敷と呼ぶに相応しい様子であった。未来の私はそんな家の中で誰がどう見てもゴミと呼ぶであろう何かを手に「いつかは何かの役に立つ」と、そう1人でニヤつきながらに呟いていた。直後、私の脳裏には「今のままだとそんな未来があるのかも」と、そんな言葉が過った。
それから10分程が経過した。部屋の中に立つ私の足元には相変わらず物が散乱していたが、そこへ新たに空の段ボール箱5つが加わっていた。それは今さっき1階の納戸から持ってきた物。私は床一面に散らばる沢山の物を何ら纏める事無く、片っ端からその段ボール箱の中へと放り投げていった。
放り投げ始めてから凡そ20分。とりあえず床に散らばる物全てを段ボール箱の中へと収め終わったが、ここでまた新たな問題に直面する事となった。それはその段ボール箱を何処にしまえば良いのかという問題。そう、私はそれら全ての物を捨てないと決断し、それらの要不要については未来の自分に託す事にしたのである。今この場であれこれ考えるよりも、きっと未来の自分であれば素早く判断出来るであろうと、ゴミ屋敷の件はあくまでも妄想なのだと、今はこれが一番生産性の高い解決方法であると、そう判断したのである。
とりあえずダンボール箱については部屋の隅にでも積み上げておくかとも思ったが、そんな状態では崩れてしまう危険性があり、もしもその崩れた先に私が寝ていたとしたら思わぬ惨事にもなりかねない。ならば1階の納戸にでもしまおうかと思ったが、親に中身を見られれば強めに「捨てろ」と言われる事は容易に想像がつく。となると必然私の部屋以外に置く場所は無いという事になるのだが、5つもの段ボール箱をしまえる場所となると自ずと限られる。
私の部屋には1間分の押入れがある。普段は襖で閉じられているその中は上下の2段式。多少大袈裟な言い方ではあるが、その押入れを開けるのは年2回だけ。寒くなる時期と暖かくなる時期に、布団の衣替えというイベントに於いて開けるのみである。勿論、布団以外の物も納められてはいるが、日常的に利用する物は衣類を含めてほんの一部だけであり、それらの物は常に近くに置いてのヘビーローテーション。依って押入れにはほぼ使わない物がしまわれており、必然押入れを開ける事は殆ど無く、今回開けるのはイレギュラーと言える。
そして今私の目に映るは大きな3つのジェンガ。それは未開封のロボットアニメのフィギュア、いつか作ろうと思って買い込んでいたプラモデル、そして粗品と書かれたタオルやら分厚い冊子やら等、云わば玉石混合とも言える「物」達がうず高く積まれた見事なジェンガ。押入れの上段にそびえたつそれは「崩してしまいたい!」と、そう思わせる程の出来でもあったが、今そんな事をしては本末転倒でもあるという理性を私は持っているので、当然そんな事はしない。
そんなジェンガ居並ぶ上段に対し下段はと言えば、寝具類と衣類ダンスが隙間なく納まり、とても段ボール箱を入れる隙などは見当たらない。さてさてダンボール箱の処遇をどうすれば良いのだろうかと、そう途方に暮れ始めた所でふと気が付いた。
「結構空いてるな」
見れば、ジェンガの背後には幅2メートル、高さ1メートル、奥行き30センチ程の空間。それは押入れを開けた際に何があるか一目で分かる様にと手前寄りにジェンガを積み上げていったが故に出来た空間。更に良く見れば、ジェンガそのものにも大きな隙間がチラホラと。それは大きさや形がバラバラな物を不規則に積み上げたが故に出来た隙間。
「これならいけるかも……」
目測ではあったものの、それらの空間を1つに纏めれば、ダンボール箱5つ程度を収めるのも容易に思えた。と言う事で今すべき事の選択肢が1つに絞られた訳ではあったが、私の体は直ぐには動き出さない。その理由は単純にして明白。
「何でダンボール箱を片付ける為に押入れの中を先に片さなきゃならねぇんだよ……」
そう。そんな否応無しの連鎖的な面倒事に納得がいっていないのだ。とはいえ他の選択肢は無く、そもそもの発端が自分の不始末であるというのも事も理解はしている訳で……
「は~あ、仕方ねぇなぁ。片付けるかぁ……」
溜息交じりにそう呟くと、大袈裟なまでにガックリと肩を落として項垂れて、再び溜息をつく。そのまま失意を示すかのようにして数秒間項垂れた後、ゆっくりと顔をあげた。
「…………」
私は目の前のジェンガへと手を伸ばした。そしてそれが崩れないよう一番上の「物」をそっと手に取った。その瞬間、また新たな俯瞰映像が脳裏を過った。その映像とは、目の前のジェンガを丁寧に崩した後、再び丁寧に積み上げている自分の姿。
「何か面倒臭ぇな…………」
そう呟くや否や、私は手にしていた「物」をそのまま押入れの奥の方へと放り投げた。そして目の前にそびえたつジェンガを、両手で以って奥の方へと押し込んだ…………否、倒し込んだ。
ガラガラドサドサ
残る2つのジェンガも同様に、奥の方へと倒し込んだ。
ガラガラドサドサ、ガラガラドサドサ
見事に崩れ去ったジェンガ。だがその結果、5つもの段ボール箱を納められる空間が一瞬にして確保できた。とはいえそれは物達を下敷きにしての話であり、その上に5つもの段ボール箱を直接載せれば潰れてしまう物もあるかもという危惧があった。
という事で、私は押入れ手前に散らかる「物」達1つ1つを手にしては、奥へ端へとそっと放り投げていった。そう、私はジェンガを再構築するのではなく、奥へ端へと積み上げるようにして放り投げる事で、架空のジェンガを築く事にしたのだ。その手法では多少の空間非効率が発生するのは否めないが、だとしても今はそれが一番生産的な方法であると、それにより短時間で段ボール箱をしまえるスペースを確保出来るのだと自分に言い聞かせつつ、「物」を手にしては放り投げて行った。そしてその最中、私はソレと再会した。
「これって……」
手にしたソレは熊の縫い包み。凡そ20年ぶりの再会である。
「つうか捨ててなかったのか。ま、良い機会だから捨てちまうかな」
そう言ってソレを床に放り投げようとした瞬間、その手を止めた。
「ま、必要ではないけど今直ぐ捨てる必要もないか。どうせ捨てようと思えば燃えるゴミとして直ぐに捨てられるしな」
そう口にしたその瞬間、私の脳裏に最初の俯瞰映像が蘇った。それは「このままでは先の妄想通り、お前の未来はゴミ屋敷の主人だぞ」と、そう警告されたかのように思えた。それに対し私は「片付けようと思えば何時だって片づけられるんだ」と、そう自分に強く言い聞かせつつ、手にしたソレを壁際に置かれた衣類箪笥の上の縁、部屋の何処からでも見える位置へと飾る様にして置いた。別に飾る必要は無かったが、残しておくのであれば見える位置に置いておこうと、そう軽く考えての事である。そして再び押入れと向き合った私は、凡そ5分程で仮想ジェンガの構築を終えた。その作業の甲斐あって、多少きつめではありながらも何とか5つの段ボール箱を無事、押入れの中へと納めるに至った。
棄てられる事無く箪笥の上に置かれた縫い包み。しかしそれは年月を経るうち奥へと奥へと追いやられ、次第に姿が見えなくなっていった。私はソレが見えなくなった事に気付かないままに、いつしかその存在すらも忘れていった。
それからあっという間に20数年という時が流れ、私は五十路を間近に控える年齢となっていた。そしてその間に幾度かあったであろう「家を出る」というタイミングをことごとく逃し続けた結果、未だに同じ家の同じ部屋に居続けていた。そんな半世紀近く居続けたその部屋には「物」が溢れていたが、私は特に気にする事もなかった。それは肥満と呼ばれる人が突如肥満になる訳ではなく徐々に肥えてゆく事で気付かない、若しくは妥協出来るような変化の積み重ねの結果であるのと同様に、部屋という空間が徐々に「物」で浸食されるという目立たぬ変化に対して一切の違和感を抱かず、その状態が常であると思っていたが故の結果である。
ある日の事、私はそんな部屋の中で胡坐をかいて座りながらに、何をするでもなくただただ部屋の中の様子を、何か懐かしさを感じるかのようにして眺めていた。
その部屋は中学生の頃に与えられた部屋。となると、その部屋には凡そ40年程の長い期間居た事になる。その部屋に移った当初は学生だった事もあり私物も少なく、ガランとした部屋に独りで居るという事に新鮮さを覚えていたと、そう朧げに記憶している。そんな学生の頃を思い返して見れば、今の50歳という年齢は遥か遠くに見えていた。それは自身がその年齢に到達する事が想像すらも出来ない程に、遠く遠くに見えていた。しかしその年齢になった今からすれば、それは光陰矢の如くという言葉もあるように、正に一瞬だったと言っても過言ではないだろう。若しくは、同じ期間を未来として見た時と過去として見た時とでは大きな乖離を感じると、そういった言い方もあるだろうか。それともそれは、単に自身が計画的な人間ではないが故の想像力の乏しさと、そういう事なのかもしれない。
と、そんな事を考えながらに何の気なしに部屋を眺めていると、ふと棚に目が留まった。その棚は以前に中身全てを片付けたはずだったが、その後に徐々に物が増えて行った事で以前同様マンガやCD等が雑然と詰め込まれていた。そしてその棚の隣には昔からある衣類箪笥が並び、壁には重なる様にして溢れんばかりの衣類が掛けられ、その様子は20数年前の「物」が溢れていた当時を思い起こさせた。
私の視線は再び棚へと送られていた。暫くそのままジッと見ていたが、不意に立ち上がると棚を前に対峙するかのようにして立ち、その棚へと向かっておもむろに両手を伸ばした。そして……
ドサドサバサバサガシャガシャ!
私は20数年前同様に、棚の中の物全てを床の上へとひっくり返した。ただ今回はその棚だけに留まらず、その隣に置かれていた衣類箪笥、備えつけの衣類箪笥の中も全てひっくり返し、更には押入れの中の物まで全てひっくり返した。
ドサドサドサドサ! バサバサバサバサ! ガシャガシャガシャガシャ!
押入れの中には沢山の「物」が詰め込まれた段ボール箱も入っていたのだが、その段ボール箱の中身も全てひっくり返した。そしてとどめと言わんばかりに、壁に掛かかっていた衣類と箪笥の上に乗っていた物全てをひっくり返した。
「ゴミ屋敷ってのは、こんな状態の事を言うのかな…………」
埃舞い散るその部屋で、私はその惨状を他人事のようにしてそう呟いた。見れば、ほぼ同じ色且つ同じ形のジーンズパンツが10本弱と、これまた同系色且つほぼ同じ形のカーゴパンツが数本。そして無難という言葉がよく似合う地味な色且つ同じような形をしたシャツが10枚程。更にはタグが付いたままに何年も放っておかれた物や何年も着ていない事で折り目が黄ばんでいる物。加えて指がすんなり通る程に虫に食われた物。それら沢山の衣類が足の踏み場も無い程に散乱していた。そしてそれらの衣類に混ざるかのようにして、買った事すら忘れていた沢山の漫画、何故に保存していたのか自分でも分からない大量の雑誌に大量の紙袋。いつか作ろうと思って買い込んでいたプラモデルやアニメキャラのフィギュアが10体程。更には数百枚にも及ぶであろうCDに、これまた百枚近くのDVD。極めつけは再生する機械をとうの昔に捨ててしまったが故に、現時点では再生が不可能なビデオテープにカセットテープが何十本も散見された。そして学生時代の修学旅行で購入したであろう用途不明なお土産の数々に加え、由緒不明且つ意味不明な大量の小物類と消費期限切れのサプリメントの数々が、床の隙間を埋めるべく散乱していた。
陽も陰り始めた頃、私はゴミ屋敷然とした部屋の中で独り、何から手を付ければ良いのだろうかと途方に暮れていた。前回はそれら全てを押入れの中にしまう事で対処出来たが、その方法は物量的に取れそうも無い。更に今回は衣類とそれ以外がごっちゃになっている為に、少しは整理をしなければ生活に支障を来たすは明白。とりあえず優先すべきは今夜の寝床であるが、その寝床である愛用の万年床は沢山の「物」に埋もれ、今はその姿を視認する事が出来ない。ひとまず布団の上で寝る事だけを目的とするならば、布団の上に乗っている「物」を押し退けつつ積み上げさえすれば済む話ではある。だが当然ながら「物」そのものが消える訳ではなく、それらは私が就寝している直ぐ横で山となっているだけである。そしてその大量の「物」で作られた山は私にある状況を彷彿とさせる。それは体長5センチ程にして鈍く輝く黒い奴が、その大量の「物」を隠れ蓑にしてカサカサと素早く動き回るというおぞましい光景。実際にそれが居るかどうかは関係無く、「そこに居る可能性が高い」と、そう頭で認識しただけでも、私に対しては十分な程の恐怖感を与える。そんな場所に於いて安眠するなど到底不可能な事である。仮の話、無理にでも目を瞑って寝る事を試みたとして、しんと静まり返った部屋の中でほんの微かでも「カサ」と云った音が耳に届いたとしたならば、私は直ぐに跳ね起き、確実にソイツを仕留めるまで眠らないだろう。
そこでふと疑問が沸いた。そもそも何故に私の部屋にはこれ程の「物」があるのだろうかと、何故にそれを買ったのだろうかと、何故にそれを手に入れたのだろうかと、何故にそれを取っておいたのだろうかという疑問。きっと買ったり貰ったりと、それらを手に入れた時の私は消費欲や所有欲が満たされた事で幸福感にも似た気持ちに包まれて、後の事などは一切考えずにいた事だろう。その安易な行動のツケとも言える結果が眼前に広がっているだけなのだと、そんな事は百も承知の上での「何故にこれほど大量の物がここにあるのだろうか」という疑問である。
私の部屋にある物は全て私の物である。それはあの有名な「俺の物は俺の物、お前の物も俺の物」という意味で無く、全ては私の意志で貰ったり購入したりと手に入れた物であり、親を含めた他の人の物が置いてある訳ではないという意味である。そして今現在、部屋の床には小中高と学生時代に手に入れた物、社会人になってから手に入れた物が入り混じって散乱していた訳だが、とはいえ過去から今日に至るまでに手に入れた物全てが残っている訳では無い。おぼろげな記憶ながらも相当数のプラモデル、そして「超合金」と呼ばれたオモチャ等を多数所有していたはずであるが、それらは一切見当たらない。それらを自分で処分したのか、それとも親の手により処分されたのかは不明なれど、とりあえず手に入れた物全てを捨てずに取っておいた訳では無い。という事は増やしつつも処分していたという事である。にもかかわらず、溢れる程に物が存在しているのは一体どういう事なのだろうかと。端的に言えば、処分する物よりも手に入れる物の方が多い、若しくは手に入れるスピードの方が早いという、云わば需給バランス的な事が崩れているという事である。ではそのバランスが崩れ始めたのはいつからだろうか。学生時代であれば月々の小遣いやお年玉といったお金を原資にオモチャやプラモデル、そしてマンガ等を購入していたはずであり、例え物が増えていたとしても購入が処分を上回るペースでは無かったはずである。となれば必然、バランスが崩れ始めたのは社会人として働き出してからという事になる。
サラリーマンと呼ばれる社会人となったその月から、私は小遣いの何十倍とも言える金額を貰い始めた。そのような金を毎月得るようになった事で、要不要を考えず物欲に身を任せたであろう事は想像に容易い。経済立国であるこの国に於いて消費とは正しい且つ必須な行いであり、その視点から見れば私のような消費行動であっても褒められる事であるのは間違いなく、自らが経済的に破綻しなければ推奨される程の正しい行為と言える。よって「何故にこれほど大量の物がここにあるのだろうか」という疑問に対する解としては「国への貢献の結果」、若しくは「経済活動中に於ける過失」と、そう言えるだろうか。
そんな私とは反対に、必要最小限の物だけで生活しようとしている人達の事をミニマリストと呼ぶ。それは「生きられる限界ギリギリまで物を減らす」という話ではなく、必要の無い物に空間を占有されないようにといった趣旨のようで、同時にそれは主義主張でもあるとの事でミニマリズムという言葉もあるらしい。自らがそれに憧れる事は無さそうだが、そこでまた1つの疑問が沸いた。人は一体どれほどの物が必要なのだろうかという疑問。それは「生きる為だけ」と、思わず無人島暮らしを想像するような極端な話では無く「そこそこ現代に対応した生活」と、そういった前提での話である。居住環境や仕事を含めた経済状況、そして価値観によっても大きく左右される話なのだろうが、果たして人はどれほどに物を必要とし、どれ程にミニマムにする事が出来るのだろうかと。
極端な話、全ての食事を外食にする事で洗剤等のキッチン用品は勿論の事、数々の鍋や食器等も不要となる。更に極端な話、毎日洗濯する事を前提とすればインナー類はそれぞれ2つずつあれば事足りる。アウターについては仕事用とプライベート用、それと冠婚葬祭用の服がそれぞれ1、2着あれば事足りる。更に更に極端な話、恒久的にホテル住まいとすれば物理的な「自宅」も必要ではなくなる。ホテルによっては食事や洗濯といったルームサービスも受けられ、そして当然ながらバストイレを含めた部屋の掃除を自らが行う必要はない。もしもそんな生活を実践出来るとしたならば、果たして人はどれ程に物が少ない環境下で以って暮らしていけるのだろうか。
「起きて半畳、寝て一畳」という言葉がある。それは人1人が必要なのはそんな物だと、凡そ90センチ×180センチという1畳程のスペースがあれば事足りると、多くを望むなという戒め的な言葉である。身長175センチの私が1畳の中で寝ようとすれば、寝られなくはないが屈むような姿勢を強いられ安眠は期待できない。更にそこに私物があれば常に「物」に囲まれた状態での睡眠を強いられる。そう考えると、あくまでもそれは格言であり、現代的な生活をその一畳だけで営むには非現実的と、そう言えるだろう。
とはいえネットが発達した現代ならば、かなりの事が一畳で済むというのも確かである。かなり限定はされるが、その1畳で以って完結出来る仕事もある。仕事だけでなく娯楽面に於いても然り、映像や音声のコンテンツであればネットを通じて簡単に利用する事が出来、物理的なCDやDVD、そして紙類の物は必ずしも必要とはしない。食事に於いてはネットで以って調理済みの食べ物を注文し、その場に配達してもらう事も容易である。また極端な話、一畳というスペースの中にシャワールームやトイレ、そしてキッチンを設置する事も可能か不可能かだけで言えば可能だろう。それは天井まで十メートルあるような空間の話では無く、2メートル程の通常の天井高を想定しての話である。それらを設置した中で寝起きする事も可能か不可能かだけで言えば可能だろう。それは非現実的ながらも、その狭き空間の中で人1人が生活出来るという事を示している。そんな非現実的な事を含めて勘案すると、果たして人はどれほどの空間を要し、どれほどの「物」を必要とするのだろうか……
と、物が散乱する部屋の中、そんな現実逃避的な事を考えていると何時の間にやら時刻は午後6時を過ぎ、いつもの就寝時間までは残り5時間程。現実に戻った私は散らかるその部屋を後に、1階の納戸へと向かった。
数分後、部屋に戻ってきた私の手には「10枚入り」と書かれたゴミ袋のセットが1つ。その中から1枚を抜き取ると、残りの束をポイと足元に放り投げた。そして「ふぅぅ」と、溜息にも似た息を吐きつつその場にしゃがみ込むと、足元付近にあった1枚の衣類を手に取った。
「これは流石に要らないな」
それはアイボリー色のセーター。それも虫に喰われたであろう穴が、ぱっと見たただけでも5か所以上は空いているという代物。その穴は指が余裕で通る程の大きさで、「このまま放っておけば全部食べられて消えるのだろうか」と、逆に興味を引く程に虫に喰われたセーター。それを前回着たのは何時だろうかと記憶を辿ってみるも、全く思い出せないほどに着た記憶の無いセーター。私はそれを「繊維を食べる虫が居るというのは不思議だなぁ」などと独り言を呟きつつ、ゴミ袋の中へと放り込んだ。
「これは随分と懐かしいな」
続いて手にしたそれは、小学生の時に集めていた完結済みにして全18巻のマンガ。元々は白かったであろうページも、保存状態が良くなかったが為か茶色に変色していた。思わずそれをパラパラとめくっていると懐かしさを覚えると同時に、共学且つ全寮制の中学校を舞台としたラブコメというその設定に、当時少なからず憧れていた事も思い出した。そんな環境の学校があるのだろうかと探したような記憶もおぼろげにあり、結局探してみたが見つからず、軽く落ち込んだような記憶がある。
「あ、やば。このままじゃ何時まで経っても終わんないな……」
ふと気付けば、私はマンガを数巻読み続けていた。既に日は沈み、いつもの就寝時刻が刻々と迫る中、未だ部屋の中は「物」だらけ。直ぐにマンガを閉じた私はそのマンガの全巻を集め、廊下へと退避させた。それは売却の為の退避では無く取っておく為の退避。片付け始めた当初は「生活に必要な物以外は売るなり棄てるなりと全て処分するぞ!」と、そう心の中で意気込んでいたのだが、それなりに想いが詰まっているマンガであるという理由で以って処分しない事にした。とはいえ、今ではそのマンガをネットで読む事が出来る。故にサイン本なり希少な版数等の特別な理由が無い限り、本そのものを物理的に所持しておく意味はあまり無い。故に処分しても良かったのだが、仮に売却を試みた所で二束三文、若しくは無価値と評され即廃棄という事も十分に考えられ、であればそれを店に持って行く事は無駄であると。それにたかが18冊程度のマンガ本であれば場所も取らないであろうし、いざとなったら燃えるゴミとして出せばいい訳であり、それを捨てずとも他に捨てる物は幾らでもあるのだと、そう私は自分に対し捨てない言い訳を必死で考え言い聞かせた。
そしてそれ以降もちょくちょくと現れる想いの詰まった「物」を巡って、私は一人でせめぎ合いを繰り返しながらに全ての物の取捨選択を黙々と行ってゆく。そしてその最中、再びソレに会った。
「これ、まだ捨てて無かったんだな……」
手にしたソレは熊の縫い包み。凡そ20年ぶりの再々会といった所だろうか。結局ソレは40年以上も私の傍にいた……いや、傍にいたと言うか、押入れの中と箪笥の上でジッとしていたという方が正解だろうか。
久しぶりに会ったソレは埃を被ると共に、私が部屋の中で吸っていたタバコのヤニで以って汚れていた。見れば、鼻の辺りが虫に食われ、禿げている箇所も見受けられた。私はソレを目線の高さまで持ち上げると、直径1センチ程の黒いプラスティック製のまん丸い目を見つめた。
『私の名はジャムです。既に四十路を迎えています。何が出来る訳でもありませんが、これからもどうか1つ、よろしくお願い致します』
私の目の前にあるソレに言葉を話す機能は付いていなかったが、私にはソレがそんな事を言ったような気がした。
「折角の機会だから捨てちまうか」
妄想の中で「よろしく」と言われたにもかかわらず、私はソレを躊躇なくゴミ袋の中へと放り込んだ。そして床に転がる次の「物」に手を伸ばした瞬間、その手は固まったようにしてピタリと止まった。
「…………」
宙に浮いたままにして数秒間、私の手は考え込むようにして止まっていたが、ふと何か思いついたかのようにして動きだし、静かにゴミ袋の中へと潜り込んだ。そして先に放り込んだソレをゆっくり取り出しと、自然、私の眼はソレを見つめた。
「まあ、捨てようと思えば直ぐに燃えるゴミとして捨てられる訳だし、逆に今更捨てる必要も無いよなぁ……」
結婚もせず子供もおらずの私にとってソレは、小さい頃の写真等を除けば一番古い所有物といえる。ソレに纏わる思い出が無い訳ではないが、生活に於いての要不要だけで言えば不要な物。よってその独り言は単に下手な感傷に浸っているだけと、若しくは不要な物を棄てられない自分に対する言い訳と、そう言えるだろう。
「にしても、汚ねぇなぁ」
元々ソレ自身の色が茶色という事でヤニの汚れは見えずらかったが、良く見れば、埃とヤニでベトついてるような汚れが見て取れた。実際ソレを掴んだ手は直ぐに埃っぽくなると同時に、ヤニが指にまとわりついたようにも感じた。
「洗ってやるかぁ」
縫い包みに対して恩着せがましく一人そう呟くと、私はソレを連れ、未だ沢山の「物」が散乱する部屋を後に、1階の風呂場へと向かった。
チャポン
ソレがすっぽりと収まる大きさのバケツ。洗い場に置いた水色のそれになみなみとお湯を溜めると、手にしていたソレを放り込んだ。しかしソレは海に漂うラッコのような姿勢で以って一向に沈まず、プカプカと浮いていた。強制的に沈めるとブクブクと大量の泡を出しながらにようやく沈み、そのまま湯の中で揉み洗いしてゆく。すると透明だったバケツの湯が薄いブラックコーヒーの様な色へと変色してゆく。それは縫い包みに付着していた水溶性のヤニ。そんなブラックコーヒーの中で暫く揉み洗いをし、ある程度汚れが取れた所でバケツから出すと、今度は洗剤で以って泡立てながらにゴシゴシモミモミと洗う。するとお湯同様、最初は白かった泡が薄い茶色へと変色し始めた。
「お前の眼に今の俺は、どんな風に映ってんだろうなぁ」
ソレのまん丸い目を指先でキュッキュッと洗っている最中、不意にしてそんな問いを口にした。瞬間、「風呂場で縫い包みに話しかけるオジサン」と、そういうタイトルが相応しい俯瞰映像が脳裏を過ると同時に、その被写体である私は1人鼻で以って、自らを嗤った。
『私の名はジャムです。あと数年で五十路になります。何が出来る訳でもありませんが、これからもどうか1つ、よろしくお願い致します』
縫い包みに対し返答は求めていなかったが、泡だらけのソレはそう答えた。とはいえ問いに対する答えとしては噛み合っていない。それはそれで縫い包みらしいと言える。というかソレにしゃべる機能は付いていないが為に、あくまでもそんな気がしただけ。そもそもその答えも私の脳内で創作された答えであり、故に可笑しな答えであったとしてもその責は私にあり、それを「縫い包みらしい」というのは責任転嫁というものだろう。
それから凡そ10分後、洗剤でじっくり洗った甲斐あって、ヤニと埃まみれだったソレは鮮やかな毛並みを取り戻した。次はソレを乾かす工程に移るのだが、この家には乾燥機といった便利な機械は存在せず、浴室乾燥機なる物も無い。故に屋外に於ける自然乾燥となるのだが、まずは水をふんだんに吸った事でズシリと重いソレの脱水作業という事で、浴室内で以ってブンブンと振り回し水気を飛ばし始めた。本当は洗濯機で脱水したかったが、家の洗濯機はガタガタと大きな音を奏でながら回る年代物が為、夕刻も過ぎた時間に回すのは近所迷惑にもなってしまう。それ故に手作業にて洗っていた訳でもあるが、綿がふんだんに詰まっているであろうソレの水気を取るのは容易な事ではなく、5分近く振りまわしても水の滴りを止めるまでには至らなかった。
2階にある私の部屋には、窓枠を乗り越えて入るベランダが設置されている。1階の屋根上に増設された3帖程のその場所は、主に洗濯物を干す為の場所である。そこに掛けられていたステンレス製の物干し竿に、ソレはぶら下がるようにして干された。干されたソレからはポタポタと、10秒毎に雫が滴っていた。そんなびしょ濡れのソレを完全に陽が沈んだ夜に干した所で天日干しは期待できないが、かといってびしょ濡れのソレを置いておく場所は他に無い。それに翌朝になれば自動的に天日干しが始まるので夜に干したとて問題は無いだろうという判断である。
「げっ……もうそんな時間かよ……」
何の気なしに部屋の時計に目をやると、8と9の間で佇む短針が目に入った。その時刻になっても未だ部屋の中は「物」だらけ。その状況に一人落胆し嘆息するも、それは自分が原因であるが故に誰に何を言えるでも無く、当然片付ける人は自分以外には誰もいない。そして私は嘆息と云う呼吸を繰り返しながらに、再び「お片付け」というミッションに挑んだのであった。
時刻が午前1時を過ぎた頃、ようやく部屋に散らかる全ての「物」の取捨選択を終えた。処分しない物は棚や箪笥、そして押し入れへと全てしまいこみ、処分する物は全て廊下へと出し終えた。埃や細かいゴミといった物は散見出来るが、数時間前までは見えなかった畳や万年床の姿もハッキリと見え、何とか部屋としての体裁を取り戻した。それは自分が散らかした自分の部屋を片付けたというだけの事なのだが、何とも言えぬ達成感を私にもたらしていた。その感覚に包まれつつ改めて部屋の中を見渡すと、何か違和感を感じた。それは捨てた量に対し、残った量がそれほどに変わっていないという違和感。口一杯にまで詰め込んだゴミ袋は計10袋にも及んでいたが、その物量に匹敵する程に部屋の中がスッキリしたとは感じない。思い返してみれば、処分したその多くは押し入れや箪笥の中で眠っていたかさばる衣類だった。それ故に、ゴミとして出した量は多くとも、部屋の様子が変わる程の変化は得られなかったという事のようで、先程の得たばかりの達成感は一瞬にして徒労感へと変わる事となった。とはいえ、元々のゴミの原因は自分が用意した物であり、片付けなければならなくなった要因を作ったのも自分である訳で、これもまた誰に何を言える事でも無い訳で、とりあえず安眠出来る環境が出来上がった事に加え、ゴミ屋敷とは言わない程度に片付けられた事で今回は良しとした。
それから早1年。私は未だ同じ家の同じ部屋で以って、特段変化の無い日々を淡々と過ごしていた。その変化の無さは部屋の中にも及び、大掃除以降は「物」が増える事も無く、その時に確保した押し入れや箪笥の中を含む空間も維持されていた。
「物」が増えていないのは当然「物」を購入、及び貰うといった行為に及んでいないが為である。がしかし、それは物欲を失ったからという訳ではなく、主に2つの理由があった。それは仕事の関係もあって経済的な理由で購入するには至らないという理由と、常に要不要を厳しく自らに問いかける事で、購買欲所有欲を抑制していたからといった理由である。実際、大掃除以降に購入した物と言えば、穴が空いたり擦り切れたりと完全に機能を喪失した衣類の内の替えが無い数点と、日々消費される日用品のみである。そして明確ではないが、そんな禁欲とも言える日常を送っている事で次第に物欲そのものが減衰していったと、そんな副産物的な事も作用していたのかもしれない。そういった理由で「物」が増えていない訳であったが、それと同時に少しづつではあるものの、日々「物」を減らしていたという事もある。
大掃除に於いては相当量廃棄した一方で相当量残した。その残した中から生活に不必要な物を厳選し、棄てる事が常となっていた。それは部屋の空間を維持及び拡大してゆく事に繋がっていた。だがその結果、部屋の中を見渡せば生活に必要な物ばかりとなっていた。しかしそんな部屋の中にあって、明らかに不要な「物」がそこにあった。それはあたかも座敷童子かと見紛う様相で以って、部屋の隅、畳の上で以って私を見守る様にして鎮座していた。そう、あの縫い包みは今でも私の傍にいる。
元々ソレは押入れの中を経た後、壁際に置かれた箪笥の上が居場所となっていたが、大掃除の際に多量の衣類を捨てた事でそのタンスの中が空となり、直後にその箪笥は粗大ゴミとして廃棄した。それにより居場所がなくなったソレを再び押入れの中にしまおうかとも思ったが、折角日の当たる場所に出てきて再びそんな場所に入れるのも忍びなく、かといって他に場所もなく、結果、部屋の隅に置く事になった。
人生の折り返し地点もとうに過ぎ、既に半世紀。過ぎ去った日々を懐かしく想う事も増え、原風景とも言えそうな景色を目にすれば、思わず涙腺が緩みそうになるなんて事も稀にある。それなりの数の人の旅立という状況にも立会い、時には置いていかれるような気持ちになる事もある。そんな今の自分に必要な「物」というのは非常に少ない。立場や状況によっても大きく異なるであろうが、きっと人が必要とする「物」は本当に少ない。そして要不要だけで判断すれば当然その縫い包みは不要であり、日々「物」を棄てるという事を続けているにもかかわらず、それを棄てられない私は未だに物欲所有欲が残っている、若しくは女々しいという事なのだろう。
そんな「物」を捨て続けるという事を続けた結果、最期に残った物がその縫い包みだったなんて事もあるかもしれない。そうなった時、ソレは私の形見といった存在になっているのかもしれない。とはいえ、その形見を受け継ぐ者は恐らく居ないはずであり、私が不在となった段階でソレも不要となり、私同様誰かの手により灰になるのだろう。
とはいえ先の事は分からない。もしかしたらソレすらも維持出来ない様な生活に陥る可能性もゼロではない。何はともあれ互いに不要となるその日まで、私はソレと一緒に人生と言う名の旅を続ける事にしよう。
「そういえばジャム。お前はオスメスどっちだ? 付いてないから女かな?」
2021年02月28日 初版
※3割程度は私小説