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雑学百夜

雑学百話 『奥の手』って左右どっちの手のこと?

作者: taka

日本では古来より右より左の方が尊いと考える思想があり、宮中の儀礼の序列も左側の方が優位とされた。

つまり奥の手とは左手。

 俺は今日も控えらしい。

 キャプテンにそう言われた。

 同期の石田は僕の背中を叩いた後、「頑張れよ。奥の手」とだけ言い残しグラウンドに向かっていった。

 薄暗いベンチの中から僕は後輩と共に、眩いほどの太陽の下に駆けて行く仲間達を見送る。

 気付けば無意識に左手を握り締めていた。

 悔しい。

 中学最後の大会なのだ。

 野球部として3年間の努力の成果を見せる最後のチャンス。それなのに3年生の中で唯一俺だけスタメンから外された。

 どうして? 

 分かり切った事を青空に問い掛ける。照りつける太陽は「お前に出来ることなんてある訳ないだろ」と吐き捨ててくる。砂埃を舞い上げながら夏の風は「ベンチに入れて貰っただけありがたいと思いなよ」と薄ら笑いを浮かべ言ってきた。

 うるさい。本当にうるさい。

 マメだらけの左手をさらに強く握りしめる。爪が食い込んだ掌には薄っすら血が滲んでいた。



「あんた、下手したら死んでしまうんよ!!」

 生まれつき体が弱く、何度も生死の境をさまよってきた俺が中学校に上り直ぐに野球部に入ると言い出した時、母さんに涙を流しながら止められた。

 知っている。母さん。俺の事は俺が一番知っているよ。

 それでも僕は野球をしたい。

 あれは一年前、病室のテレビから見た甲子園。たまたま点けた瞬間、2アウト満塁9回裏サヨナラのチャンス。名も知らないお兄さんがまるで侍のようにピッチャーを睨んでいた。病院では決して味わうことのない殺気のようなものを子どもながらに感じた。

 思わず画面に釘付けになった次の瞬間、そのお兄さんはホームランを打ち放った。

 観客が総立ちのスタンドに突き刺さる白球。アナウンサーの絶叫。そしてお兄さんの小さなガッツポーズ。その全てが今ももう忘れられない。

 この点滴が刺さったままの俺の左腕もいつかあんな事が出来ないだろうか。

 出来ないだろうかじゃない、やるんだよ。

 気付けば俺はあの日も左手で握り拳を作っていた。



 試合は後半、苦しい展開が続いていた。

 どうしてもあと一点が遠い。相手は去年の優勝校だけあって守備も攻撃も既に高校生級と言っても過言ではない。

 相手に大差をつけて勝っていれば、温情で代打に立たせて貰えたりするかもしれないと思っていたが、こんな展開ではとても出番はないだろう。俺は素直にベンチから声を出しグラウンドの仲間達に声援を送った。

 一点ビハインドで迎えた9回裏1アウト1塁。次の打者は石田だった。

 石田はちらりと僕の方を見た後、監督に何か話しかけてからネクストバッターズサークルに入った。



 石田の前の打者である遠藤は三振に倒れた。

 相手のピッチャーである白井は一回から投げ続けているはずなのに回を追うごとに球威が増していた。「お前たちなど、俺一人で充分だ」というようにストレート一本でねじ伏せてくる。

 遠藤は泣きながらベンチに帰ってきた。

「ごめん!!」

 誰も責める者などいない。俺達の三年間はこの程度で崩れるような生半可なものではないのだ。

 涙を流す遠藤を横目に石田はゆっくり打席に向かった。



 金属音が青空に響く。

 石田は白井から三塁打をもぎ取った。

 打球が大空に上がった瞬間、一塁の髙橋は風よりも疾くダイヤモンドを回りホームに帰ってきた。

 石田はヘッドスライディングで飛び込んだ後、三塁ベース上で両腕を掲げ吠える。

 喉から手が出る程欲しかった一点がようやく手に入った。

 ベンチが湧く。御多分に漏れず僕も左腕を掲げ、吠えた。まるで自分の事のように嬉しかった。

 その時会場にアナウンスが響いた。

「代打、城東中学校16番 斉藤君」

 俺の名が呼ばれた。

「は?」

 俺が呟くと、ベンチの仲間たちが一斉に囃し立ててきた。

「おい! 斉藤! 一発かましてきてくれ!」

「斉藤先輩! お願いします!」

 監督は、目が合うとゆっくり頷きグラウンドに向かって目配せをしてきた。

 俺は何が何だか分からないままバットを左手に握って打席に向かった。



 俺は左手で握ったバッドを手首を返して一回転させた後、審判に一礼し打席に入った。

 スタンドが一瞬どよめく。

 きっとこれが甲子園の決勝で、テレビ中継されていたとしたら、実況のアナウンサーは興奮した様子で「しっ、信じられません!!」とでも叫んでいただろう。


 隻腕の打者なんて、そうお目に掛かれるものでもないだろうから。


 俺は子供の頃、原因不明の難病で片腕を失った。

 15年間、左手一本で生きてきた。あらゆるものを諦めてきた人生だった。

 太陽がチリチリと照りつける空の下、打席に立っていると想う事がある。

 唯一つ、野球だけは続けてきて良かったと。

 辛いこと、挫折だらけの春夏秋冬を乗り越えて、今この場に立つことが出来て本当に良かった。

 三塁ベース上から石田が吠える。

「斉藤! お前は本当に頑張った!! 見せてやれ!! こいつらに三年間の全てを!!」

 言われなくても。

 俺は、バットを大きく構え、白井を鋭く睨みつけた。



 2球続けて外角に大きく外れたボールだった。敢えて俺は2球目を滅茶苦茶なフォームで大きく空振りをした。

 3年間の経験で身につけた技だ。

 片腕の打者を相手にしたとき、大抵の投手は惑い、迷う。その為最初は外し様子を探ってくるのだ。この時、空振りしておけば大概相手は油断し甘いストライクを取りに来てくれる。

 叩くならその球だ。

 案の定、白井は俺の不安定な片腕のみのスイングに安心したような笑みを浮かべた後、ろくに捕手のサインも確認せずに3球目の投球動作に入った。

 舐めるなよ。

 俺は真ん中に寄ってきたその球をフルスイングで捉える。

 鈍い金属音が響いた。



 当たりは詰まり気味のサード深めの内野ゴロ。詰まったのが逆に幸いした。あわよくば内野安打になるかもしれない。

 サードは迷う間もなくファーストに送球した。元々ヒットエンドラン気味に飛び出していた石田はすかさずホームに滑り込む。

 俺はファーストに向かい全力で走った。ここでセーフなら俺達のサヨナラ勝ちだ。

 肉体の節々が悲鳴を上げているのが分かった。

 息が苦しい。母さんの「下手したら、死んでしまうんよ!」の言葉が頭の中に響く。

 あぁ、もういいんだよ。

 俺は走る。

 今ここで死んでしまっていい。

 ファーストまであと5メートル。俺は頭から飛び込む態勢を取る。

 頼む。お願いだから、間に合ってくれ。

 俺は飛び込んだ。土埃が舞い上がる。ほぼ同時に捕球音がすぐ頭の上で響いた。

 目の前は土埃で何も見えない。

 アウトなのかセーフなのか。

 涼風が土埃を吹き払う。

 晴れ渡った塁線上、俺の奥の手が相手のファーストミットをすり抜けていた。

 青空の下、試合終了のサイレンが高らかに響いた。

雑学を種に百篇の話を一日一話ずつ投稿します。

3つだけルールがあります。

①質より量。絶対に毎日執筆、毎日投稿(二時間以内に書き上げるのがベスト)

②5分から10分以内で読める程度の短編

③差別を助長するような話は書かない


雑学百話シリーズURL

https://ncode.syosetu.com/s5776f/

なおこのシリーズで扱う雑学の信憑性は一切保証しておりません。ごめんなさい。


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