2-8.煉獄篇第六歌/浄炎の向こう側へ
重々しい靴音が響いてきたのは戦いが終わった直後のことだった。
見計らったようなタイミング。否、事実そうなのだろう。
武装した修道騎士たちを引き連れて現れた美貌の王子様は、悲しみに暮れるティリビナ人たちにこう言い放った。
「負傷者の手当ては任せてくれ」
「キロン。俺たちは気が立ってるんだ。疲れ果ててるように見えるか? 第二ラウンドをやっても構わないって奴ならいるぞ。俺がそうだ」
殺意を込めて睨むが、美貌の修道騎士はそれには取り合わず歩きつづける。歪な形をした首無し死体、墜落したギデオンの成れの果てを見下ろしながら何かを考えこんでいるようだった。小さな唇の動きを読み取り、『断章』が字幕を表示する。
「なるほど。全階層を破壊した上での創世、それがあちら側の思惑かな。正面からの世界槍掌握を諦めたのか、あるいは魔将計画とは本来そうしたものだったのか。いずれにせよ、帳尻を合わせるための討伐対象としては割に合わないな」
「おい、何の話だ。そもそも、よくこの流れで堂々と顔を出せたな。俺はお前たちの親玉をブチ殺す決意を固めたところだ。お前なら居場所を知ってるんじゃないか?」
男の態度に苛立ちが募る。視界に表示される警告表示で我に帰る。これではダメだ。俺はいま自分を失いかけている。これは望ましい在り方ではない。
呼吸を整える俺を興味深そうに観察しながら、キロンは答えた。
「またしても誤解があるようだ。まず第一に、俺たちを統率する松明の騎士団総長の名はソルダ・アーニスタ。伝え聞くミューブランの殲滅戦でティリビナ側の殿だった猛将フームが見えた炎天使アルメは先代総長だ」
「引退したから後の事は知りません、なんて言い訳が通るかよ。どっちにしろあの天使はお前らの身内で、ティリビナ人たちにとっては過去と今、二重の意味で仇だろうが」
槍神教とティリビナ人たちの間に何があったのか、俺は師から伝え聞いた断片的な情報しか知らない。だがそれと先ほどのギデオンと天使の様子をあわせて考えれば判断材料としては十分だ。
「第二に、あれは炎天使アルメではない」
「何? あの人が見間違えたとでも言いたいのか」
「いや、彼の見立ても完全な間違いではない。少々込み入った事情があってね」
持って回った言い回しだ。いい加減堪忍袋の緒が切れそうだが、俺以上に激怒していてもおかしくないティリビナ人たちは思いのほか冷静そうだった。
というか、何か妙だ。
修道騎士たちとティリビナ人たち、両者が対峙するこの構図なら一触即発の空気になっていてもおかしくなさそうなのに、そこまでひりついた空気になっていない。
奇妙な違和感の中心で、キロンは込み入った事情とやらを話はじめた。
「発端はこうだ。数年前、先代総長アルメは宿敵であるティリビナの賢者、魔将オファグリートとの決戦で深い手傷を負った。互いに戦闘を継続できないほど致命的な呪いを互いに掛け合ったんだ。死ぬ事もできず、しかし戦うこともできない。進退窮まった先代総長は最後の手段に出た。自らの肉体を凍結封印し、魂を離脱させて転生を試みたのだ」
何やら知らない名前が出てきたが、転生という馴染み深い単語も飛び出した。
ということはつまり、この世界にも任意に転生することが可能な技術があるということになる。異世界に行けるかどうかまでは不明だが。
先代総長アルメが転生したというのなら、確かにあの天使は別人でなければおかしい。では達人の言葉が意味していたのはひょっとして『そういうこと』か。
キロンの話は続く。
「先代総長の魂はこのような時に備えて用意してあった『器』に宿り、再び最強の修道騎士が復活する、そのはずだった。だがそこで問題が発生した」
転生事故とはまたどこかで聞いたような話だ。
混ぜっ返そうとした俺は、掌で小さな怪物が震えていることに気付いた。
何だ? 怯え、じゃないな。これはむしろ、怒り?
鋭い牙を剥き出しにして低く唸り声を響かせている。煮えたぎるような感情が地底を揺るがすマグマのごときエネルギーを機械義肢に伝えてきていた。
「あろうことか、不心得な者によって『器』は盗み出されてしまったのだ。盗人は身勝手にも『器』の力を利用してこの世界槍の遺跡を荒らし回った。やがては最強の火竜すら屠ってみせるなどと豪語しているらしいが、傍迷惑な誇大妄想の類だな」
「ギュギャー! ゴアッ、ゴギャゴギャゴー!」
爆発。歴史の授業で見せられた富士山の噴火もかくやという勢いで怒り狂う相棒の叫びにキロンは目を丸くする。男の視線がこちらを向いているのは問いのつもりなのか。俺にだってわからないと首を振ると相手も肩を竦め、話を続けていく。
「結果として先代総長の転生は失敗。救いがたいことに、盗人は『器』を制御しきれずに暴走させたらしい。その結果が君たちが見た制御不能の心亡き天使、破滅の機能を無差別に振りまく戦闘機械というわけだ」
「ギィ! ギャ! ギュー!」
警備体制どうなってるんだ、結局はお前らの不始末じゃねえか、という言葉を何故か俺は呑み込んでいた。話を先に進めるために問いかける。
「その盗人はどうなったんだ?」
「目下捜索中だ。死んだとも思えないが、あれは無責任な放蕩者だ。おおかた暴走した『器』に慌てて雲隠れでもしたのだろう。個人的には矢でも射かけてやりたいが、困ったことに今の総長はアレに甘くてね」
「ゴギャギュ、ゴァゴアギャギュー! ギュグ、グギャッガー!!」
「ところでさっきから耳障りなそれは何だろうか」
「さあ。虫の居所が悪いのかもしれない。ほら、今ちょっと大事な話してるから静かにしてもらえるか? 後でかまってやるから」
「ゴ、ゴアァ」
悲しそうに鳴く相棒。罪悪感が込み上げてくるが今は情報が欲しい。槍神教に言いたいことがあるのは全くの同意見なので、後で一緒に悪口大会でも開催するとしよう。
「まとめると、あれがお前ら槍神教の関係者ってのは間違いないが、『器』とやらが暴走している責任はその盗んだ奴にあると言いたいわけか? ついでに言えば、ティリビナ人にとっての仇である先代総長は転生し損なっているから『器』に関しては前世の罪は問えないと」
「概ねその認識で構わない」
「そっちの言い分は理解した。納得出来るかは別だがな」
この話し合いの流れがなんとなく見えてきた。
今回辛くも達人が撃退した天使は俺たちと槍神教、双方にとって共通の敵。
色々言いたいことはあるだろうがそこはぐっと呑み込んで互いの目的を果たしましょう。そんな感じに話をまとめたいのだろう。キロンは期待を裏切らないタイプの男らしく、どこまでも分厚い面の皮で交渉を持ちかけてくる。
「我々としてもあの天使は自分たちの不始末だと考えている。捕獲、それが不可能なら破壊。危険性を考えればそれが打倒な結論になるだろう」
またしても相棒がゴアゴア喚きだしたので、口を右手で強引に塞ぐ。
感情的な結論は同じだ。それでもここはよく考えて答えなければならない。
「魂なき不完全体とはいえ、あれは最強の修道騎士となるべく作り出された至高の『器』だ。その戦力は計り知れない。拭いがたい遺恨は承知の上で、共闘を提案する」
「なるほど合理的な判断、大いに結構だ。けどな、俺はもうひとつ言い訳を聞きたい気分なんだ。ギデオンはどうなる。奴の襲撃の責任までは否定できないだろ」
キロンが言っていることはわかる。奴らと手を組めば天使攻略の助けとなるであろうことは想像に難くない。だが、槍神教が本当に信頼できる共闘相手なのかは疑わしい。
この問いかけの答えで奴らの本質がわかるはずだ。しかしこの判断は結果的に間違いだった。俺の詰問はするりと躱され、永遠にどこにも辿り着かずに宙にぶら下がることになったのだ。驚くべき事に、キロンの返しはこうだった。
「いいや。否定させてもらおう」
キロンは毅然とした口調で正気を疑うようなことを言った。
いつの間にかそのかたわらに精緻な装飾の施された石板が浮遊していた。俺の『断章』にそっくりな印象の石板表面で文字列が発光し、浮かび上がった文字が円環を描く。
その中心が水面のように波打ち、中空から柄が出現する。
キロンはそれを無造作に掴み、引き抜いた。
それは息を呑むほどに流麗な幅広の両刃剣だった。
柄には真紅の宝石が埋め込まれ、燃え上がる炎を模した装飾が色鮮やかに鍔を覆う。
ただの武器というより儀礼用、美術品としての側面が強いように感じる。
どこか神聖な気配すら醸し出す剣を構え、キロンは言った。
「これぞ剣聖フォルス様より預かりし聖剣『切断処理』。この者ギデオンの行いは槍神教の総意などではありえず、またこのような間違った教えを盲信する不心得な者を当修道会から出してしまったことはまことに遺憾の極み。正しき槍神教徒として、身内の恥を濯ぐことで贖罪とさせていただく。護身聖域確定。不浄の周辺化処理実行。精神病歴及び幼少期からの残虐行為記録を展開。生贄への神罰執行を開始」
捲し立てられる言葉はまさしく異界の言語だった。何を喋っているのか、言葉の上では理解できるがその本質が掴めない。これは妄言なのか。それらしい事を並べているだけではないのか。浮かび上がる疑念のことごとくが端から消えていく。
周囲のティリビナ人たちはキロンの態度に対して激怒するべきだったはず。
指導者であり師であったフーム老師の死がどれだけ彼らにとって重かったか。
その重大事に対して一切の感情を見せない槍神教徒たちに憎しみさえ抱き、原因であるギデオンの死体ごと破壊衝動の全てをぶつけようとさえしていた、そうであるべきだ。
だが、キロンの剣がギデオンの死体がある手前の空間を横切った瞬間。
何かが、途切れた。
師の直接の仇は転生しそこなったアルメとかいう修道騎士の『器』だ。
それを呼び出す切っ掛けとなったギデオンもまた許しがたい敵である。
だが、それと繋がっていた槍神教は?
『もちろん、槍神教に咎はない』『聖なる槍神は当然のごとく無謬である』。
ギデオンは槍神教徒などではない。正しき信仰と繋がっているはずもない。
論理的な思考が阻害されている感覚。因果関係を辿って理性を働かせればその二つを切り離せるはずもない。だが俺は確かに『ギデオンは正しい槍神教徒ではなかった』と認識してしまっている。槍神教には一切の責任がない。
あったとしても、俺はそれを追求できない。
それは俺以外のティリビナ人たちにとっても同じだった。
誰もが困惑し、振り上げた拳の矛先を見失って途方に暮れている。
「概念的な責任回避とでも言おうかな。これが槍神教最強の剣聖、『無敵の人』フォルス様の神働術だ。私はその力を借り受け、限定的ながら用いることができる」
キロンの語る言葉に激怒すべき場面であるような気がしたが、俺にはその判断ができなかった。更にもうひとつの事実に気付く。例の炎天使、『器』とやらについても、その責任の所在を槍神教に求めようとは思えないのだ。もしや、既にあの奇妙な剣は炎天使に向かって振るわれているのか?
「現在、槍神教の意思決定機関である大神院はティリビナ人との融和路線を目指して過去の過ちを清算している過程にあります。教皇機関が示す調和的な未来に過度な流血は不要。我々は適度な距離を保つことができるはずです」
キロンがにこやかに笑う。美しい容貌が見る者の心を洗い浄め、よく通る声が荒廃した感情の波を落ち着かせていく。
差し出される友好の意思。和解の握手を求める手。
そして、右手に噛み付く小さな怪物の牙。
感情を殺せ。理性を働かせろ。この現状に少しでも抗えるのは、自分を制御する術に長けた俺だけではないのか。必死に思考を巡らせながら問いを重ねる。
「殲滅か、服従か。要するにその二択ってことだろ。汚れ仕事を担当するギデオンや都合良く暴走してる天使を切り捨てて、あわよくばティリビナ人たちとの共倒れ狙い。全滅しなくても弱っていればそこにつけ込めるってわけだ」
いずれにせよキロンの話を全て鵜呑みにするのは危険だ。
そもそも『盗人』とやらの実在も疑わしい。自作自演か作り話か。
事実だった場合、『暴走』の方を仕組んだのが槍神教という可能性もある。
『盗人』が実在し生きているのならそいつはきっと槍神教の外側に立っているはずだ。可能なら接触して話を聞いてみたいが、今のところ手がかりがない。
今回の一件で槍神教の性質について良く知ることができた。
融和路線。調和的な未来。善人面で手を差し伸べる槍神教の語る正しさはひどく空々しい。汚いものには蓋をして切り捨てながら、美しいものが生き残り綺麗事を語る。
達人の言うとおりだ。
強く大きな流れ。抗いようのない力。安全に生きていくのなら、槍神教に付くのが確かに賢いのだろう。こいつらは勝ち馬だと俺の理性が判断している。
「ゴアァ」
弱々しい声。掌からこちらを見上げる小さな相棒が鳴いている。どこか不安そうにぎょろ目が揺れている気がした。俺は小さく笑った。心配するな、わかってるだろ。
息を吐く。安全なんざ糞喰らえだ。
「さっさとここから消えろ。この場所はティリビナ人たちの居場所だ。俺の師が守った世界だ。手を出すって言うなら、纏めて相手をしてやる」
「ギョギャッ! ゴアァ!!」
威勢良く吠える相棒と共にキロンを見据える。美貌の修道騎士は不思議そうな表情で俺たちを眺めつつ、素朴な疑問を投げかけるように俺に語りかけた。
「君は樹木神レルプレアに帰依したのか?」
「いいや。奥義目当てで形だけ入信しますなんて感じ悪いだろ。本気で信じているわけでもないのにそんな真似はできない」
「そうか。なら君は、いかなる神の加護もなく、その身ひとつで槍神教に立ち向かえるのだな。あまりにも危うい在り方だが、少し羨ましい」
勝手なことを言ってくれる。
自由気ままな生き方に憧れるとかレールの上の人生なんて退屈とか、それは持てる者だからこそ言える安全圏の夢想に過ぎない。外れた生き方しか選べなかった奴は単にそうなるしか無かっただけだ。時代、環境、生まれ、悪運、どうしようもない頭の悪さ、選べないという最悪はそこかしこに溢れている。
だからといって、槍神様とやらの靴を舐めるかと問われれば答えはノーだ。
こうなればやれるだけやってやる。第二ラウンドでも乱闘でもどんと来い。
相棒を肩に乗せ、右腕を前に突きだして構えをとった。
ティリビナ人たちの居場所は守る。それが亡き師へのせめてもの義理立てだ。
その時だった。
視界いっぱいに広がるアラート。不快な警告音が頭蓋の内側で響く。
右腕が軋むような錯覚があった。
機械義肢の動力が低下している。
最後に補給を受けたのはいつだったろう。
わかっていたことだ。俺には限界がある。
誰かの庇護下になければ、モノを掴むことすらままならない。
この状態で戦えるのか?
『幻掌』はさきほどようやく成功したばかり。次も上手く行く保証はない。
その上、ティリビナ人たちも戦いで傷ついている。
皮肉なことに、今の俺たちは切実に手当てと補給物資を必要としていた。
自然のまま、独力で大地に立つ。
ただそれだけのことがこんなにも難しい。
それは達人のような遙かな高みに辿り着いてようやく可能になる偉業なのだ。
万事休す。このまま槍神教の庇護だか侵略だかわからない慈善活動に屈するしかないのかと歯噛みしたその時。
音も無く飛来した針が数人の修道騎士、その兜の隙間に突き刺さる。
見間違いかとも思ったが、起動していた『弾道予報』が首や額に突き刺さる赤い線を確かに捉えていた。中空に描かれたラインを辿った場所、聳え立つ木の上でそいつは馬鹿みたいに目立っていた。すげえ、色付きのスポットライトが当たってる。
ぞっとするほど整ったビスクドールさながらの顔立ち。緑眼に赤毛をゆるふわと巻いたお下げ髪、女性としてはやや長身で体格は俺とほぼ同じ。狼の毛皮で大仰に首回りを飾り、黒い長袖のワンピースの印象は影法師のよう。
高みからこちらを見下ろす表情が、不敵な笑みを作っていた。
「トリシューラ?!」
「いえーい!」
思わず名を叫ぶと、歯を見せて笑いながら少女は応えた。
俺をここに送りこんだ依頼者。謎めいた呪術医。
思惑不明の新たな闖入者の背後、上空を舞う幾つもの影。
箒に乗って上空を旋回する大勢の魔女、魔女、魔女。
三角帽子の女たちが軽やかな笑い声を響かせている。
トリシューラは指の間に真紅の針を挟んでいた。
俺を不思議な力で治療してみせた時にも見た代物だ。麻酔針、なのだろうか。
刺された男達は次々に昏倒し、無力化されていく。
少女は瞬く間に事態を収束させると、軽やかに指を鳴らした。
すると上空の魔女達が次々に地上に降り立ち、優雅に一礼。
女たちは良く見れば単純に魔女とも言いがたい服装だった。先の曲がったとんがり帽子に看護師のような衣装。乗っている箒もどこかメカニカルなバイクもどきのようだ。
魔女たちは迅速な手際で息のある負傷者たちの救護を行っていく。
呆然とその様子を見ていると、トリシューラは「とうっ」などといいながら木から飛び降りて、てくてくとこちらへ近付いてくる。
「はいどうもー。安心安全、ティリビナ人の信教の自由を損なわない古式の薬草医療をお届けするきぐるみ妖精呪術医院だよー。私たちは宗教的タブーに配慮し、世界のありとあらゆる文明圏に対応した医療技術で患者の命と心を救います。というわけで、押しつけがましい槍神教の医療修道会は帰った帰ったー」
流れるように捲し立て、有無を言わさずに商売敵を排除、文句の全てを封じ込めて治療行為を開始しつつ請求書を押し付けるトリシューラ。
まじまじと見つめると、こちらを見返す挑戦的な視線。
覗き込むような緑の瞳。吸い込まれそうだ。
冷徹な観察者のような、お気に入りの玩具を眺める子供のような、矛盾した理性と幼児性が同居した奇妙な表情。蕩けるように愛らしい笑みで警戒を切り崩す。
気付けば強引に右腕をとられていた。機械義肢の各所を点検し、充電用の外部接続端子を探り当てると保護用の外装を手際よく開く。
それからトリシューラが取り出したのは妙な道具だった。鮮血に満たされた小瓶の中に、幾つもの宝石が浸かっている。瓶からは何故か電子機器用にしか見えないケーブルが伸びており、意味不明なことに俺の知る共通規格のものだった。接続端子はあつらえたように俺の腕に適合し、失われかけていた活力を充電していった。
赤毛の少女、その微笑みの内側は窺い知れない。
だがその行動が俺にもたらしたものは確かだ。
何が正しいのかもわからないまま、俺は言葉を紡ぐ。
「助けられた。ありがとう」
「どういたしまして。お代は依頼の成功報酬から引いとくね」
うげ、と思ったが文句は言えない。『ご神木を守る』という依頼だってここで槍神教に踏み込まれていたら失敗していたかもしれない。正直なところ、最初から最後までこのトリシューラという得体の知れない女に状況をコントロールされていたような感覚が拭えなかった。嫌悪感まではいかないが違和感がある。
周囲では魔女たちがティリビナ人たちに治療を施しつつビラを撒いているようだ。地図のまわりを飾るポップな広告には地域の医療を全て支える気合いの入った医者と看護士のイラスト。『医療修道会の人道支援』は面目を潰されている。
麻酔針の攻撃を免れた修道騎士たちが敵意を向けてくるが、好戦的に見返すトリシューラたちを前に手を出しあぐねているように見えた。
ビラをひらひらと見せびらかしながら挑発的に笑う魔女たち。
修道騎士たちの敵意は増し続けている。キロンでさえ美貌に殺気を漲らせてトリシューラを睨み付けていた。敵意と敵意がぶつかり、火花を散らす。
『医療』という権益を巡る抗争。俺とティリビナ人たちの『居場所と信仰を守る戦い』はいつのまにか役者と舞台を変えて別物にすり替わっていた。あるいは、最初から俺たちの戦いはより大きな枠組みの一部でしかなかったのか。
トリシューラのやってきたタイミングがあまりにも良すぎる。この状況でやってきて『槍神教よりも魅力的な選択肢』としてティリビナ人たちに自分たちを売り込むなんて出来過ぎもいいところだ。要するにこれも第五階層で繰り広げられている勢力争いのひとつだ。トリシューラとキロンのやっていることは本質的には変わらない。
だがトリシューラは悪びれずにこう言い放った。
「信仰とか心とかどうでもいい。重要なのは信用と契約。対価さえ払ってくれるなら、私は修道騎士だろうと魔将だろうと喜んで取引するよ。欲しいのは万能薬? 伸縮自在の触手? 頑丈な甲殻体? それとも良く見える千里眼かな? 翼とか強化義肢の移植手術はけっこう高いけど、仕事の斡旋ならいいのがあるよ」
まあ、わかりやすくはあるが。
肩に乗った相棒もトリシューラに対しては敵意を見せていない。ぎょろりと飛び出した目と緑の目、ふたつの視線がぶつかる。人形のような微笑みを見ると、小さな怪物はぷいとそっぽを向いてしまった。相性はあまり良く無さそうだ。
相性が悪いのは置き去りにされたもう一方も同じだった。キロンの視線は相手を射殺さんばかりの鋭さだった。
「呪術医院。それは我々医療修道会に対抗しているつもりか。魔女め」
「私は第五階層のみんなが元気に経済活動してじゃんじゃん私の金づる、じゃなかった養分になってくれたら嬉しいなって思ってるだけだよ? あっ、失言だった。本当はいいことしていっぱいちやほやされたいだけでーす♪」
「とぼけた態度は相変わらずか。神秘開発局『元』局長トリシューラ。古巣に泥をかけるような真似を平然とするものだ。『智神の盾』が貴様の責任を問わないまま解任したのはやはり間違っていたな」
「責任って例の件? 私はちゃーんと防衛に貢献したつもりだけど。正面からあの子に負けた代表騎士の皆さんが弱っちいだけじゃない?」
トリシューラとキロンは以前からの顔見知りのようだ。雰囲気からして友好的な関係とは思えないが、話を聞いているとトリシューラは元々槍神教側だったのだろうか。
キロンの強いまなざしはとてもじゃないが味方に向けるようなものではない。どちらかといえば『裏切り者』と言わんばかりの敵意が込められているように見えた。
「貴様があの強奪者の味方をしなければ『器』が我らの手を離れることもなかった。肩入れしたのは同胞への情けゆえか? やはり『塔』の魔女など信用できん」
話の内容はどうやら先ほど説明された天使の件に関係しているようだ。まさかトリシューラまで事態に関わっているとは思わなかった。今回の件、どうも俺の知らない事情が多すぎる。
「言っておくけどね。転生儀式が失敗したのはその『器』に意思と覚悟を教えなかったあなたたち槍神教の手落ちだよ。『モノに心はない』なんて教えに拘ったから、あの子の言葉に『器』は応えたんだ。モノにだってね、『良い使い手を選びたい』って気持ちがあるんだよ。知らなかった?」
そのフレーズは不思議と耳に心地良かった。
どういう文脈で放たれたのかもわからない言葉。それでも、俺にはその考え方がなんとなくしっくりと来るような気がした。
キロンはおそらく初めて俺の前ではっきりとした不快感を示した。
「戯れ言を。あれは意思なき道具。今は壊れた機械、討伐すべき害獣に過ぎん」
「壊れてるなら直せばいいのに。ああ、頭の錆び付いた槍神教にそんな技術力はないんだっけ? 時代遅れって悲しいねー」
二人が何を話しているのか、正直なところ全くわからない。
置いて行かれた俺は一触即発の会話をただ眺めているだけだが、不思議なことにキロンと正面切ってやり合うトリシューラの表情を見ていると心にすっきりとしてくる。肩に乗った小さな相棒の様子も先ほどまでとはうって変わって随分と穏やかになっていた。
トリシューラの言葉は魔法のようにその場の空気を変えていく。
「悪いけど、天使は私が治療する。機械が誰かを傷つけるのは、そうさせている奴がいるからだ。敵は悪意の主であって道具じゃない」
決然と言い放ったトリシューラの表情は可憐な妖精のようでありながら、野蛮な戦士のように力強かった。堂々たる宣戦布告を受け止めたキロンは猛る背後の部下たちを手で制し、一瞬だけ視線をこちらに向けてからこう返した。
「誤解があるな。槍神教には陰謀などない。我らの全ての行動は、大いなる神の愛に基づいている。これまでも、これからもだ」
揺るぎない断言。それは事実だ。少なくとも彼らの秩序の中では。
そうしてキロンたちはその場を立ち去った。ティリビナ人たちは信仰を脅かすことのない相手としてトリシューラたちを歓迎し、勢力争いの天秤がどちらに傾いたのかはもはや明白だった。兄弟子たちはトリシューラが俺の知己であり恩人でもあると知ってすっかり安心しきっている。俺はまんまと利用されたわけだ。
内心で苦々しい思いを噛みしめていると、トリシューラが勢い良くこちらを指差してくる。鼻先を押す指から逃れようと後退すると更に押してくる。やめてほしい。
「というわけで次なる依頼だよ、私のゼノグラシアくん? お師匠様の仇討ちをするのはいいけど、操られた実行犯を殴って終わりでいいのかな? 真相が知りたくない? 裏で糸を引いている黒幕を真の仇として倒したくはない?」
魅力的な選択肢。またしてもこれだ。
足りない左腕。謎めいた敵の正体。トリシューラは俺がいま必要なものを的確に探り当て、そこへの道筋を示してくれる。不気味なほどの親切、嫌になるくらいの都合の良さ。
俺はそれに抗えない。せめてもの抵抗として口先だけで強がってみせる。
「お前にいいように操られてないって保証はあるのか?」
「それも含めて、あなたは多くのことを知らなきゃならない。『天』を支配する槍神教のこと。『地』に浸透した竜神信教のこと。そしてこの第五階層、世界のまんなかに漂う未だ浄化されざる罪の都のことを」
無知が罪かどうかはわからない。
だが、無知は弱さだ。それは間違いない。
そして俺は弱いままではいられなかった。師は俺に託した。その想いに応えるのであれば、俺はもっと強く、より多くを知らなければならない。
「天使は浄化の炎で私たちを試してるんだ。愚かな人類、哀れな文明の後退者たちが投石と棍棒で互いを排斥し合う原初の獣に成り果てるのか、それとも別の答えを示せるのか」
それは抽象的なたとえのようでありながら、現実に即した実例であるようにも思えた。あの天使を放置すれば、きっとこの大地は炎に包まれるだろう。その結末を俺は乗り越えることができるだろうか。未来のことはわからないが、やるべきことは決まっている。
俺は機械仕掛けの右腕を示し、冗談めかしてこう言った。
「炎が相手ならサイボーグが適任だ。なにせ質が良くなるからな」
「気が合うね、そこにアンドロイドも付け加えてくれたらなお最高」
不思議なことをいいながら、トリシューラは嬉しそうに言葉を続ける。
歌うように、踊るように、祈るように。
あるいは、願いのように。
「鍛鉄をする獣はいない。火と金属は文明の証。前進を志向する限りにおいて、私たちは手を取り合える」
トリシューラはそう言って微笑むと、左手を差し出した。
俺は少し笑って、その挑戦を受けて立つ。
そうして、『弾道予報』が現実空間にイメージを上書きした。
差し出されたその手を握る、幻の左手を。