2-4.煉獄篇第二歌/秩序の守護者、あるいは混沌の殺戮者(後編)
その日の来客たちは、それまでのならず者とは様子が違っていた。
シンプルな立て襟の祭服姿で、大量の物資を抱えている。
ティリビナ人たちの居留地に近い場所にキャンプ用の資材やコンテナを持ち込み、中からは食料や衣服を取りだして渡そうとしていた。
なにやら慈善団体めいた雰囲気が出てきたが、もちろんそれだけでは終わらない。
「天地を貫く偉大なる我らが父よ、何よりも鋭きその穂先より血を払うがごとく、無知なる者たちの罪を赦したまえ。異端なる心を悪より救いたまえ」
男たちは分厚い本を取り出し、よく響く声で開いた項の一節を語り出した。
背後の集団が瞑目して祈るような仕草をしている。
つまりあの本は聖典で、これは祈祷なのだろう。
集団は小さな槍型の祈祷具を手に持ち、設置した台に松明を近付けて篝火にしていた。
ティリビナ人たちは物乞いの集団でもある。
こういう施しは助かることだろうなどと思っていた俺は意表を突かれた。
普段は温厚な彼らが激しく足を踏み鳴らし、罵声を上げて宗教団体を追い払ったのだ。
「くたばれ狂信者ども!」「お前たちがひとり残らず砂の地獄に叩き込まれて飢えと乾きに苦しみますように!」「火なんか燃やしてんじゃねえ、水ぶっかけろ水!」「不殺の教えなんか知るか、老師よ俺は今日限りだ! 破門上等、皆殺しにしてやる!」
篝火を蹴倒し、汲んできた水をぶっかける。我を失った者が飛び出すのは流石に年長者たちが止めたが、あの達人ですら内なる激情を堪えるかのようにじっと宗教団体を睨み付けているのが驚きだった。
火など無用とばかりに『光苔』に覆われた岩や『輝くホオズキ』を提灯のように掲げている。どうやら両者の関係性はかなり悪そうだが、聖職者たちはおかまいなしに言葉を重ねてくる。どうも高圧的というか、こちらに話しかけているはずなのにこちらを見ていないような態度が気になる。
「聞け! 我ら医療修道会は貴殿らの敵ではない! 過去の歴史から我らの間には深い断絶が横たわっている。しかし過ちは乗り越えられる! このたびギデオン司祭殿の主導により人道支援という名目が立ち、ティリビナ人との関係正常化が決定された。これにより貴殿らは槍神教の大いなる秩序に加わることを許されたのだ!」
真顔で悪い冗談かよ、センスゼロだな。
というかなんて押しつけがましい奴らだ。
どんな民族だろうと独自の信仰や文化にはそれなりの思い入れがあるだろう。それを蔑ろにして自分たちの流儀で善意を押し付けても上手く行かないのは当然だ。
どうやら宗教団体は屋根を持たない樹人たちを憐れんで簡易なコンテナ住居や天幕を設置しようとしていたようだが、それは余計なお世話というものだ。
樹人たちの住居はたいてい樹木のそばだが、足から根を生やして立ったまま寝る者も多い。天幕や仮設住宅とは相性が悪いだろう。
根本的な文化の違いはそうそう埋められるものではない。
これは出直すしかなさそうだと宗教団体の男達が顔を見合わせる。
しかし話はそう簡単にはいかなかった。
聖職者たちの意見が真っ二つに分かれたのだ。
片方は大人しく引き下がろうとする一派。息を呑むほどに美しい『白馬の王子様』とでも言うべき男が中心となったグループだ。
『王子様』の顔には見覚えがある。つい最近、物乞いとして街路に立っていた時に声をかけてきた男だ。まさかこんな形で再会するとは。あちらも俺に気付いているようだが、一瞥したのみで素知らぬ顔をしている。どういうつもりなのか。
もう一方のグループは、若々しい美形の男とは対照的にがっしりとした体格の中年が率いていた。腰に仰々しい斧を提げ、頑丈なブーツ、口もとを覆うフェイスマスクといった怪しげな装い。なにより目を惹くのは、不定期に身体を揺すって奇妙な笑いや呟きを繰り返す挙動不審なその佇まいだ。
「伐採だ。伐採をしなければ。異教の悪魔から哀れな者たちを救済するのだ。私は負けないぞ、悪魔などに臆するものか。私を呪えるものならやってみるがいい」
「ギデオン殿、これ以上は」
「ええい離せキロン! 神木や聖樹などという迷信を打ち砕くぞ! 『うろの魔王』レルプレアめ、この勇者ギデオンが伐採してくれるわ!」
ギデオンと呼ばれた強硬派の盟主が身を捩り叫ぶ。
斧を取り出して指し示す方向には、樹人たちが聖なる場所として大切にしている一帯があった。達人は毎日あの場所で瞑想している。中心にある大樹はいわゆる『ご神木』として信仰を集めていたはずだ。
どうやらギデオン氏にはティリビナ人が大切にしているご神木が邪悪な魔王に見えているらしい。この調子だと風車を見せたら巨人だと思い込むのではないか。全くもって大したミスター・ドンキホーテだ。
「ミスターとドンは同じ意味であると指摘しておきます」
『断章』は偉いな。俺が恥をかかないようにしてくれたのか。
まあ知ってたけど。響きがいいから言ってみただけ。本当だ。嘘じゃない。「ギュギュギュ」と小さな怪物が鳴いて短い前足で叩いてくる。優しく慰めるのはやめろ。
いずれにせよ、ギデオンの言動は明らかに危険だ。樹人たちの怒気は際限なく膨れあがっていく。緊張感が漂う中、王子様が再び説得を試みる。
「ギデオン殿、あくまでも人道支援のために来ていることをお忘れなく。貴殿の信心篤きことに疑いの余地はないが、大義なき流血は帰天の妨げとなりましょう。我らは聖絶の過ちを繰り返してはならないのです」
「そうだ。キロン、キロンよ。すまぬ、私はまた過ちを犯すところであった。繰り返してはならぬ。他ならぬ私が償うのだ。私がティリビナ人たちとの仲立ちをせねば」
ギデオンという男は急に青ざめたかと思うと俯いてぶつぶつとよくわからないことを呟き始めた。熱を帯びた興奮から一転、何かに怯えるようにビクビクとしている。
「よもや『樵』とはな。おお、大樹よ」
宗教団体が去ったあと、達人が目を閉じながら小さく呟いているのを『断章』は見逃さなかった。異なるニュアンスを読み取った翻訳機能が『樵』という言葉を強調している。おそらくは木を切る行為、もしくはそれをしようとしたギデオンなる人物のことを言っているのだろうが、その背景まではわからない。
だが、俺は信じがたい事実を読み取っていた。
あの恐るべき実力者である達人の表情と声の抑揚が語っているのだ。
抑えきれない恐怖を。
更にその翌日。
物乞い修行をする俺は一人だった。日によってはティリビナ人の兄弟子たちと並んで路傍に立つのだが、昨日やってきた聖職者たちの一件で彼らはすっかり神経過敏になってしまっている。警戒心も露わに「我らの神聖なる木には誰も近付けさせん」と厳重な防備を固めているのだった。
トリシューラからの依頼を俺が受けるまでもなく、あのご神木はティリビナ人たちが決死の覚悟で守っている。俺の出る幕などなく、達人に言われるがまま独り寂しく物乞いをしていたのだが、そいつがやってきたのはそんな時だった。
「昨日はすまなかった」
輝くような美貌。眩しく思えるほどの強烈な『美』の印象。その容貌ときたら鮮烈に目蓋の裏に焼き付くあまり夢に出てきそうなほどだ。
「確かキロンとか呼ばれてたな。『白馬の王子様』に頭を下げられる物乞いってのも珍しい構図だが、俺に謝ってどうするんだ?」
「確かにその通りだが、俺は彼らに敵視されている。君なら落ち着いて話ができると思ってね。少し説明をさせてほしい」
なるほど、俺を交渉の窓口にしようって魂胆か。
とはいえこの宗教団体にいいイメージはない。
はっきり言えば俺との関係は最悪だ。
なぜならこいつらは。
「半年前のことについては謝罪させて欲しい。君やアズラを暗殺しようとする動きがあったことは確かだ。しかし現在、我々『松明の騎士団』にその意思はない」
呼吸が止まる。ふつふつと湧き上がる怒りが制御され、急速に思考が冷えていった。半年前の記憶が甦る。長い待ちぼうけのあと、混乱する第五階層、入り乱れる無数の種族たち。共に戦った銀色の甲冑姿を見た俺は『迎え』だと信じ切って駆け寄り、容赦の無い槍の一撃で危うく死ぬところだったのだ。
「お前、俺のことを知って」
「もちろん知っている。修道騎士アズラと共に魔将シェボリズを討伐した英雄。異世界から現れた隻腕の外世界人。すなわち転生者」
キロンという男は淀みなく俺についての知識を並べていった。
かつて共闘した騎士たちは、いまや俺の敵だ。
そんな奴らを信用できるはずもない。
だがこの男は、安否のわからないアズラのことを知っているという。
「あの人は、無事なのか」
「生きているが無事とは言い難い。本来なら、君と共に英雄として遇されて当然の功績だ。しかし命令無視と反逆行為、扇動に外世界人の隠匿まで行われていたことも事実」
罪状には俺がいなければ問われなかったであろう罪が含まれている。
仲間を全員失いながら敵を討ち取った奴への仕打ちがこれか。半年前の戦友は想像していたよりずっと劣悪な状況に陥っていたようだ。
「略式の審問が行われる予定だ。君の証言がアズラの有利に働く可能性はある」
「俺にティリビナ人を売れと?」
「性急だな。誤解がある。俺は和解を求めている。君とも、ティリビナ人とも」
キロンはそう言うが、こちらはそういう取引を求めていると解釈せざるをえない。
今更ながら、トリシューラから依頼された『ご神木』の護衛がいかに危険な仕事だったのかを理解する。達人が守っているから安心とは限らない。なぜなら、俺が相手にしている『松明の騎士団』という宗教団体はとてつもない巨大な組織だからだ。
言葉がわからない時期に俺が最も重視したのは『誰がどれだけ強いのか』だ。その俺の直感が『あいつらはヤバイ』と警告していた。
それを裏付けるように『断章』がこの世界の常識を教えてくれる。
「『槍神教』は世界を二分する世界宗教の片方であり、その下部組織である騎士修道会『松明の騎士団』はこの世界における最も大きな武力のひとつです」
こいつらはその気になれば数という最強の暴力で俺たちを制圧できる。
達人という個人の力ではどうしようもない大きな流れ。
世界宗教を相手に『ご神木』の護衛なんて本当にできるのか?
幸いと言うべきか、俺にはアズラを助けるためという格好の言い訳がある。この際キロンに肩入れしてティリビナ人たちを見捨ててしまうのも手ではないか。
俺の葛藤を見透かしたように、キロンは携帯端末を取り出して操作し始めた。空中に浮かんだ粒子に立体映像を投影、何かのイラストを表示する。
スライド立体映像には松明を持った人々と樹木のような人々が描かれており、それぞれの背後には巨大な男性と巨大な女性の姿が描かれている。後光が差しているから、これは神のような信仰の対象なのだろう。
「ギデオン殿の言動が行き過ぎていたことは認める。だが彼は保守的な思想の持ち主だということを理解してほしい。現在俺たちを率いているソルダ総長は異教の教えを全否定するのではなく、緩やかな対話と和解による協調路線を推し進めている」
巨大な男性は大きな槍を持っており、巨大な女性は樹皮の肌を持っていた。
キロンたちが崇めているのがこの槍神とやらで、ティリビナ人たちが崇めているのが樹木の女神ということのようだ。
しかし次のイラストでは、槍の神側の信徒たちが樹人たちに衣服や本を与え、松明の光で彼らを照らすと女神の姿が変化していった。
樹皮の肌は白く修正され、槍の神に従う沢山の天使らしき存在の列に並ばされている。
更に斧を持った信徒が登場し、森を切り開いて建物を作ろうと計画していることが明かされた。祈り、住居、農耕、医療などのイメージと合わせて提示される建造物はおそらく修道院であると同時に病院でもあるタイプの施設らしい。
「樹木の女神レルプレアへの祈りを捨てる必要はない。我々の教えと矛盾しない範囲でこの世界の正しい秩序に組み込み、『樹木の天使』としてティリビナ人の宗教や共同体をなるべく壊さずにこちらに迎え入れる。俺たちが望むのは破壊ではないと理解して欲しい」
なるほど、どうやらキロンたちにとってこれはあくまでも人道支援、慈善事業であり、地域の衛生事情や住宅問題を解決しようという取り組みなわけだ。
余計なお世話どころではない。
これは善意による侵略だ。
そして、多分これは王子様が信じる宗教組織の善性そのものに由来している。
『聖なるもの』とそれを信じる『善なる集団』の性質。
お前たちの野蛮な信仰対象は代わりとなる女神像を用意するから問題無いだろう、ただしこちらに合わせた白人として解釈しつつ最高神ではなく天使として扱うから従え。
これを最大限の譲歩みたいな顔で言っているのだから、ティリビナ人たちが激怒するのも当然と言えた。
「悪いが、そのやり方ではティリビナ人たちの理解は得られないと言っておく。俺にはフーム老師への恩も義理もある、裏切ることはできない」
「そうか」
キロンは目に見えて落ち込んだようだった。どうやら本当に今のやり方で上手く行くと思っていたらしい。おそらくは二十代前半、かなり若いようだし夢見がちというか世間知らずなところがあるのかもしれない。
「誤解があるかもしれないが、俺はアズラの一件を取引材料にするつもりはなかった。何故なら俺が所属している派閥、医療修道会は『魔将討伐の功績』を認めていないからだ。つまり、君たち二人に何度か暗殺者を差し向けた敵だ」
咄嗟に飛び退り防御行動をとった。
この半年間で何度か騎士たちに襲撃を受けたことがあった。その度にどうにかやり過ごしてきたが、その元凶がこいつの属する派閥だったとすれば。
「今までの会話は冥土の土産ってことか。もったいぶりやがって」
「『松明の騎士団』に蔓延る腐敗は根深い。戦いの功績を派閥間で奪い合うことも、力関係の調整のために融通しあうこともある。君たちが討伐した魔将シェボリズは俺が討伐し、医療修道会は『魔将討伐の英雄』を担ぎ上げることになっていた」
つまり、この男は俺たちに獲物を横取りされて恨み骨髄に徹する心境だったわけだ。
殺し合う理由としては既に十分。剣呑な気配を漂わせる俺たちを見て、道行く人々が興味深そうに囃し立てる。よくある路上の喧嘩か揉め事だと思っているのだろう。
「俺はそれが許せなかった」
「だったらどうする?」
右腕を構え、低く重心を落としていく。
達人との修行の成果はまだ出ていないが、それは戦いを避ける理由にはならない。
来るか。鋭く見据えた先で、キロンは力強く言い放った。
「功績が正しく評価されない世界は間違っている。秩序に則り、君たちは英雄として遇されなければならない。思うのだが、俺と共に修道騎士をやらないか? 君が俺たちの英雄になれば、派閥の問題は解決する」
急に何を言ってるんだ、こいつは。
いま完全に戦う流れだったろ。何が許せなかったって?
混乱する俺をよそに、キロンは勝手に話を進めていく。俺の敵意は完全に空回り。あちらから向けられているのは純然たる好意。嘘だろと叫びたくなる。
「要は君が秩序の敵ではないと証明できればいい。その上で君が評議会の総監たちに訴えるんだ。アズラと君は槍神教の敵ではないと。ティリビナ人の件を功績にできなかったのは残念だが、何か別の交渉材料を見つけるとしよう」
「待て待て、話が何かおかしいぞ」
「何もおかしくはない。俺は最初からそのためにここにきた。君とアズラを救うのが第一の目的。ティリビナ人の件は君が我々にとって有益な存在であると証明するための材料に過ぎない。無論、より良き秩序のためでもあるが」
こいつ、平然と何を言ってやがる。ティリビナ人たちの生活や文化を揺るがすような重大事をこともあろうに俺のついでみたいに言うとか正気なのか。
だが灰色のまなざしに一切の嘘はない。
紛れもない善意。こいつは本気で目の前の相手を救おうとしている。
ティリビナ人に対しても、俺に対しても、おそらくはアズラに対しても。
「改めて名乗ろう。俺はキロン・アンピース。君が秩序の敵にならない限り、俺は君を正しい方向に導くと約束する。何も知らないゼノグラシアよ、このキロンに世界の案内役を任せてくれないだろうか」
堂々とした名乗り。迷いのない信念。
そして疑う余地のない強靱なる善性。
秩序を乱さぬように導くとキロンは言った。
素直に受け止めるには怪しすぎるし、この男が善良でも背後の思惑まで信用することはできない。こいつはまさにそういう前提で俺にこの話をしているはずだ。
「つまり、俺を監視すると」
「それは捻くれたものの見方だ。俺は常に秩序と正義の味方だ。君の味方でもありたいと思っている」
そうじゃないと判断したらブチ殺す、という宣言にも聞こえるが。
厄介な奴に目を付けられたものだ。
ある意味で、明確に敵対するより面倒な状況になったかもしれない。
翻訳手段を獲得してからこっち、シンプルだった世界が加速度的にややこしくなっていく気がしてならない。
勘弁してくれ。
「それより」
一方的な話を済ませたあと、キロンはふと思い立ったように訊ねてきた。
「どうしてこの場にいない俺の愛馬が白馬だと知っていた? 更にはこの身に流れる覇王の血統のことまで。もしかして、誰かからそう聞いたのか?」
いやマジで白馬の王子様かよ。
「知るか、見た目と雰囲気から適当に言っただけだ」
そう答えると、何故かキロンは少し落胆したように、
「そうか」
とだけ呟いて去って行った。
本当に何だったんだ、あの王子様は。