2-24.冬を好きになれる日が来たら10/蛇獣ニードモーモ
「さあ構えられよ。我こそは奉竜山青海が門下、封じ名をファラク、まことの名はネフシュタン、人呼んで『蛇絡拳』。いざ尋常に勝負!」
腰を低く落とし、相手の口を観察。台詞が終わる直前、呼吸の間隙を狙って踏み込む。
『サイバーカラテ道場』が示す誘導光に従って右足を前へ。後方の左足を前方の右脚に引きつけるようにして前進し、曲げられた膝から爆発するように力を解放、踏みしめた足から腰へ、終わりには右腕の掌底へと威力が伝達されていく。
相手を間合いに捉え、最速の掌底。打撃は狙い違わず蛇人の腹部に吸い込まれていく。だが敵手は見事な体捌きで左方へわずかにずれて回避。
予想の範疇だ。右脚を軸に身体を回転させながら、左足を下段へ打ち込、もうとして急静止。右腕を身体に寄せて防御。アラート音と共に視界に赤文字が表示される。左から中段蹴りの予想。反撃確率は七割超。
ネフシュタンの足元で、足首まで届くほど丈の長いホンチョ風の服がはためく。
直後、スカート状の裾をすり抜けて長い脚が勢いよく打ち出された。辛うじて右腕の防御が間に合ったが、鈍い衝撃に顔をしかめた。
びりびりと身体の芯に響く衝撃を足から逃がしながら負けじと間合いを詰める。返しの左腕、ウデモドキによる牽制が相手の腕に突き刺さる。隙の無いガードを突き破れない。
距離を取って呼吸を整える。妙な小細工を使う男だ。
ゆったりとした衣服はそれ自体が罠。足運びを見えづらくした上で、下からの攻撃は無いという油断を誘うためのまやかしだ。
脚は衣服をすり抜けていた。透過する衣裳は立体映像技術の産物だ。下半身の衣服が規則的に、一定のパターンに従って揺れ動いている事に気付くべきだった。
厄介なのは攻撃の起こりが見極めにくいこと。軌道が読みづらい上に防御姿勢をとるのがどうしても遅れてしまう。体軸をずらして致命打を避けるが、ダメージの蓄積は如何ともしがたい。こちらが対応に苦慮している隙を突いて、中段から上段を主とした初動の読めない蹴り技中心の連撃が襲い来る。
嫌な予感がしてならない。『サイバーカラテ道場』も同様の見解を示す。
警戒すべきは貫手。指先から打ち込まれる致命の一撃だ。あれを温存しているのは、派手な蹴り技の方に意識を向けさせるためだろう。
こちらが蹴りに慣れ始めた頃に『毒手』が来る。
未知の技術及び貫手に対する脅威度評価を最高レベルに変更。
表示されている積極案を棄却、消極案を選択して後退する。
続けて『サイバーカラテ道場』に『ワイヤー式の射出機構を搭載した義肢』だと認識させている『幻掌』を中心とした遠距離戦闘プランをこちらから提案。受理される。
強い踏み込みと全身全霊の集中が必要となるため、無闇な連打ができるような技ではない。しかし射程という点であの一撃は圧倒的な優位をもたらしてくれる。
大気を引き裂くように重力方向に足を踏み下ろす。
掴んだ床面の感触ごと叩きつけるのは渾身の存在しない打撃。
「発勁用意」
NOKOTTA、の発声と同時に射出されていく不可視の『幻掌』。
空気抵抗を無視して叩きつけられた必殺の一撃、確たる手応え。
猛烈な違和感。手応えがおかしい。
打撃は確かに届いているが、薄皮一枚を裂いただけで勢いが霧散していく。
蛇人は不敵に微笑み、構えた四肢を動かさないまま俺の幻掌を受け止めていた。
その手のひらが裂けて蛇革が剝がれていく。脱皮するように、べろりと内側が露になった。なんだあれは。褐色の肌とむき出しの手?
妙だ。ヤンブロスクにこの生物義肢を貰った時、蛇人は同じように蛇の使い魔であるウデモドキを使用していると聞いた。だが目の前のネフシュタンは明らかに違う。あれはウデモドキではなく、蛇革で覆い隠していた誰かの腕だ。
まさか偽物? 別人が成り代わっていた? だが何のために?
混乱する俺を衝撃が襲う。
謎めいた敵が裂帛の気合いと共に強く踏み込む。まるでこれから腰を入れた拳を打ち込むぞと言わんばかりの、射程外からの攻撃動作。
さきほど俺がしていた型を寸分違わずなぞるように、鋭い殺気が空間を渡る。
視界が揺れて、血混じりの泡を吐き出す。
不可視の威力は同時に複数箇所で炸裂していた。
まず押さえられたままの幻掌が真下からの拳打で弾き飛ばされる。
それから俺の顔面、胸部、腹腔、金的にほぼ同時の連撃。
「幻掌、だと」
間違いない。奴は遠当てを使いこなしている。それも、俺を遙かに上回る練度で。
敵が光学迷彩によって隠蔽した遠隔操作義手を操作しているものと仮定して、同時に操作していた腕の本数を推測。結果は『最低でも六本』と出た。
六腕を同時に操作する『幻掌』の使い手。
俺がアドバンテージだと思っていたものは決してこちらの専売特許などではなく、奴は完全なる上位の使い手として俺の前に立ちはだかっていた。
敗北感に打ちのめされる。頂点を目指すと嘯いていた過去の自分を殺したくなる。
だが、それでも。
意識が途切れそうになる。点滅する視界、その向こうで何かが輝く。
星のようなそれを掴もうと、存在しない手を伸ばす。
諦めるにはまだ早すぎる。
即時の痛覚遮断、同時に全力の後退。
手の届かない前方で、敵が更なる追撃の構えをとっている。
視界を踊るニアデス表示。最上級の危険信号。恐慌をきたし始める肉体を感情制御アプリが強制的に抑え込んでいく。
一発目はかろうじて身体をずらしてダメージを軽減できた。
続く二発目はここにきて下段への攻撃。重心を低くしていたため体勢を崩すことは無かったが、対処はできず、足が悲鳴を上げる。
三発目で、防御の困難な左脇腹にクリーンヒット。
せめて右方向へ飛ぶことで衝撃を和らげようとした所に、四発目が右から挟撃をしかけてくる。間を置かず五発目が顎を撃ち抜き、六発目が鳩尾を狙う。左のウデモドキでガードするが、腕型の蛇を貫通した衝撃が鋭く腹腔に突き刺さる。
最後の一撃は拳ではなく貫手だった。
代用義肢であった使い魔が血反吐を吐いて絶命、力を失って肩から落ちていく。
肉体と繋がった左腕でなかったためだろう、毒は致命傷とはならず俺はまだ生きている。
だが幻掌による一撃は防御を突き抜けてわずかに胴体に命中していた。
一点に集約された打撃力が肉体に浸透した直後、打たれた箇所を中心に凄まじい熱が発生して全身の血が沸騰しそうになる。体温が急激に上昇し、息が乱れて視界が揺れる。
目が熱い。そして濡れている。頬を伝い、滴り落ちていくのは血涙か。
口から吐きだしたのは血痰。耳からも、鼻からも熱いものがこぼれ落ちていく。身体の自由が全くきかない。痛みが完全にゼロであることが、完全に痛覚を遮断しなければならない状況であることを示していて、かえって深刻さを伝えてくる。
鳴り響くアラート音。消失していく体感覚。脳からの命令が完全に遮断されているかのように、全身が言うことを聞かない。身動き一つとれないまま、死に体となった俺にゆっくりと近付いてくる敵手の姿。
ここからはもう俺の意思ではどうにもならない領域だ。足が全く動かない。力が抜けているわけではないようで、その場から動けないという感じだった。立ちっぱなしでは回避も攻撃も不可能だ。為す術無く敵に殺されるしかない。
再び迫り来る貫手の風切り音と、けたたましいアラート音が合わさり、ついに俺の命運が尽きようとしていた。意識が途切れて暗闇が視界を覆う。
世界が寸断され、ブラックアウトと共に俺という存在が消えていく。
熱、流血、心身の不調、思考能力の不全。
失神する、まさにその瞬間。
愕然とした表情で真横に吹き飛んだのは、しかし俺ではない。
敵の物理的な貫手と六方向からの見えない衝撃、それら全てが俺をすり抜け、無効化されていた。一切の外的影響を受けない状態の俺は、しかしこちらからは一方的に触れられるという無法の理をもって反撃を実行。
何の前触れもなく跳ね上がった俺の右腕が、無防備な相手の頭部に一撃をくらわせていた。勝利を確信した瞬間こそ最大の隙が生まれる。加えて予備動作の一切無い、敵を上回る奇襲性の高さが相手の油断を完璧に突き、痛撃を与えることに成功した。肉体は相変わらず一切言うことを聞いていない。しかし、右の義手だけは別だ。
遅延動作設定アプリ『残心プリセット』。
特定条件下に置かれたとき、事前にプログラムされた行動を脳や脊髄を介さずに自律的に義肢にとらせるアプリケーションである。義肢そのものにマイクロコンピュータを搭載して自律制御させる、脳侵襲型情報機器技術が未発達だった頃の前時代的な発想のアプリケーションだが、緊急時にはこうして役に立つ。
右腕の義肢は見た目上では肘までしかないが、その制御・神経系と動力部は腕の内部、肩や脊髄にまで及ぶ。重量のある義肢を制御する都合上、俺の上腕や肩の筋肉は人工筋肉に置き換えられていた。
見た目上の義腕部分は少ないが、俺の肉体は右半身と首から上の殆どが人工物だ。よって脊髄反射すら出来ない状況であっても反撃が可能。極端な話、『残心プリセット』を使用すれば頭部や心臓が破壊されても右腕の動作が可能である。
更には俺の肉体に起きている異変が敵の攻撃を一時的に無力化していた。
甚大なダメージと意識の消失、その直後に訪れた短時間の失神。
傍らで浮遊する黒い本、白紙の項に記された『失神』の文字が輝く。
全身が点滅し、消失と出現を繰り返す。
半透明となった俺の身体はあらゆる攻撃を透過させる状態でありながら、こちらからは攻撃が可能な無敵時間に突入。たった数秒だが、それだけあれば十分だ。
身体の奥底から溢れ出してくる得体の知れないエネルギーが体内で荒れ狂う熱を鎮めていく。『おまじない』が発動するのと同時に『毒手』による持続的なダメージが消えていた。この状態であればまた動くことができる。
ここから狙える攻撃手段は限られている。
こちらのダメージは大きく、相手の状態は万全。
ならばこれは最後の一撃、起死回生を賭けた必殺の手でなければならない。
踏み込み、間合いを詰め、更に肉薄して敵の身体に密着する。
驚き戸惑う気配。姿勢を立て直す暇など与えない。一か八かの思いつき、できるかどうかは不明、『サイバーカラテ道場』は完全に不可能と断じている間違った作戦だが、それは推論が誤った前提に基づいているからだ。
左半身を相手にぐいと寄せ、失われた腕の断端を相手の胴に押し当てる。
この時、遊離した俺の存在しない手はどこにあるのか?
「発勁用意」
NOKOTTAの発声と共に、その答えが明らかになる。
遊離した幻肢を射出可能という間合いの有利を捨てての至近距離攻撃。
必勝を期した『零距離幻掌』が相手の体内で炸裂し、内側から全身へと衝撃を拡散していく。震える蛇の口から大量の血が泡となって立ち上り、その全身に亀裂が走る。
ゆったりとしたポンチョがはじけ飛び、薄っぺらい蛇革がバラバラに飛び散った。
肩で息をしながら相手を見下ろす。薄氷の勝利だった。『残心プリセット』を相手が知っていたら。『おまじない』がなかったら。『零距離幻掌』が不発に終わっていたら。負けの可能性を数えればきりがない。
「それにしても」
妙なことになった。倒れ伏した敵の姿は蛇人とは似ても似つかない。
脱皮した大きい蛇の抜け殻を被っていただけの見知らぬ誰かがそこにいる。
褐色の肌に長い黒髪を編み込んだ整った顔立ちの男が、半裸で呻いていた。
やはりこいつはファラク=ネフシュタンではなかったのか。
意識はあるようだが、先ほどまでの余裕に満ちた言動からは想像できないほど苦しげに息を吐き、途切れがちな視線がこちらを向いていた。
そこで男が何かを言っているのに気づく。か細い声に耳を澄ました。
「油断するな。急いで棺を開け。既に脱皮が終わっている。『蛇』の本体が次に狙う器は恐らく君だ。私のようになる前に、創世の力を手に入れろ」
言葉に敵意はない。芝居がかった愉快犯であるネフシュタンとはまるで別人のようだ。
気になるのはその口調が危機感に満ちていたことだ。とても戦いが終わった直後という雰囲気ではない。まるで、本当に危険なのはここからだと知っているかのような。
器。狙われているのは俺。そして脱皮という言葉。ここから推測できる次の展開。
嫌な予感が膨らんでいく。俺は男が示す棺の方を見た。
「破界の獣に対抗可能な力だ。私はしかるべき者にそれを渡すためにこの地に足を踏み入れた。それが主の望みでもある。急げ、蛇の正体が確定する前に」
「言われずとも、最初からあれが狙いだ」
二大勢力が狙う秘宝。中身の詳細は知らないが、さっさと確保するに越したことはない。
棺の前に立ち右手を伸ばす。その寸前、ぞわりと背筋に走る悪寒。
身体が硬直する。金縛りにあったかのようなわけのわからない急制動。
何かに束縛されている。だがその正体がわからない。
なんだこれは。『弾道予報』が捉えた世界を、奇妙なものが動いている。
最初、それは細長い管に見えた。
実体のない輪郭。半透明で不定形な目の錯覚。
亡霊。それとも幻覚?
俺の幻掌と同じように、アストラル体として活動する物質ならざる『何か』。
正しく認識しようとしてもできない。巨大で複雑怪奇、茫洋としたその形を捕捉し、言語化しようと試みてもするりと意識から零れ落ちてしまう。
あえて例えるなら、それは蛇に似ていた。
誰かの声が囁く。すぐ近くだ。耳元ではない。俺という体を震わせて音が響いている。
「事件の黒幕は? 怪人の正体は? 謎が謎を呼ぶ、その期待と畏怖こそが私の存在をより高みへと誘うのです。実際は何でもいいんですよ。黒幕とか真相とか、蓋を開けるまでの不確定さが楽しいんじゃないですか。永遠に確定しない方がいい。中身が変化し続けるのが一番盛り上がる。そうは思いませんか?」
わけのわからない妄言。
それを喋っているのは姿なきファラク=ネフシュタンでしかありえない。
だが違う。喋っているのは俺だ。
俺の口が勝手に動き、蛇人の言葉を吐き出している。
「私はあなたが気に入りました。次なる大魔将はあなたですよ。新しい活動名を決めましょう。ウロボロスというのはどうです? 素敵でしょう?」
全身に巻き付いた透明な蛇が体の中に侵入している。
俺という総体にじわじわと異様な存在が浸透しているのがわかった。
体の自由が奪われ、口が勝手に動き、体表面に爬虫類の薄っぺらい体が徐々に構築されていく。このまま放置していれば、俺は床に倒れている男のようにネフシュタンに覆いつくされてしまうだろう。
「くそ、ふざけるな! 離せ、とっとと出てけ!」
「だめですよ。あなたは私の正体になる。意外な黒幕が明らかになり、事件は更なる展開を見せるのです。その方が楽しいでしょう?」
幻掌を強く意識する。形のない拳を握り、全身を縛り上げる蛇目掛けて打撃。
遊離した幻肢は透明な何かに直撃したが、思いのほか重く硬い感触に跳ね返される。
異様なタフネス。この蛇の本体は俺が思うより遥かに巨大なのかもしれない。
不遜な試みを蛇が嗤う。高みから矮小な俺を見下ろし、操り人形として使役すべくその長大な全身で束縛を強めてくる。
「恐れよ人類。我がまことの名は蛇獣ニードモーモ。大いなる破界の執行者、死を撒き散らす蛇の王にして起源を知らぬ鶏蛇竜!」
厳かな名乗りは巻き付いた不確かな蛇の身体により確かな質感をもたらし、増大した重みと力強い締め付けが俺の息を止める。
全身が蛇に覆われていく。俺が俺ではなくなり、新しい誰かに変質していく。
洗脳の次は束縛と乗っ取り。
力なき個人はより強大な何かに圧殺されるしかない。
だとしても。
そんなものを受け入れてたまるか。
手を伸ばす。形の無い左手を、今度は自分にではなく前へと押し出す。
何かが眠る棺。わずかでも可能性があるのなら、せめてこの蛇に一矢報いるために。
幻掌が棺の蓋に届き、その中身が明らかになる。
巨大な勢力がそれを巡って争い、状況を左右する最後の切り札。
その正体を目の当たりにした俺は、危機的状況にありながらきょとんと間抜けな表情をしてしまったと思う。だが無理もないはずだ。
棺の中で安らかに眠っていたのは、とても美しい猫耳の少年だったのだから。




