2-22.冬を好きになれる日が来たら8/愛の世界
改めて口にしてみると、『決戦』という言葉の仰々しさと白々しさには驚かされる。
整えられた役者と舞台、あらかじめ用意された筋書き、背後で演出について細かく指示を出す劇の主催者たち。言うまでもなくこれは茶番劇で、俺たちは踊らされているだけの駒でしかない。ゲーム上の利得計算でやり取りされる程度の価値しかない矮小な命だ。
個人の強さを競い合う戦い。
命をかけた殺し合い。
そこに崇高さを見出す者たちをあざ笑うように、信仰を束ねる巨大勢力はその本質に従って『信じられるため』の戦いをしていた。
そのことを端的に示す一例がこれだ。ネフシュタンの走狗となり果てた牛人組織の長が俺たちを出迎えた瞬間。芝居がかった口調で両手を広げる大柄な牛人はこう言ったのだ。
「ようこそ竜神信教の諸君! 歓迎しようじゃないか!」
自身も蛇と溶け合った状態で、同様に操られた部下と共にこちらを迎え撃つ構えだった。俺たちも当然のように臨戦態勢に入っていたが、言葉尻だけを掴まえれば友好的な場面として切り取ることも不可能ではない。つまりは可能ということだ。
「ご覧ください! 遂に我々は牛人組織と竜神信教が内通している決定的現場を捉えることに成功しました! もはや公共の敵というべきテロリスト、ネフシュタンの支配下にある牛人たちと竜神信教のつながりが何を示すのか、もはや明白と言わざるを得ません!」
浮遊する水晶玉と魔導書、数羽のカラスを従えてマイクを手に熱っぽく喋っているのはキャスターらしき男性だ。従軍記者というのだろうか。その背後から次々に姿を現したのは予想通り銀の甲冑を身にまとった修道騎士たちだった。
この世界における闘争の本質とは何か。
それは言葉だ。認識と言い換えてもいい。
幻掌が実体を持って現実に干渉した時に、あるいは異様なまでに強引な理屈でギデオンが槍神教に切り捨てられた時に俺は気づいておくべきだったのかもしれない。
客観的で物理法則に基づいた事実などに大した価値はない。
前世でも程度の差こそあれそういう傾向があったから気づきにくかった。だが、この世界での現実軽視ぶりは俺の常識を超えている。
実際のところ、ネフシュタンと天使の背後に存在した黒幕が二大勢力のどちらであったのかはわからない。どちらでもなかった可能性すらある。それでも、強く信じられている権力がそう主張し、それが世間に受け入れられてしまえば、その流れに抗うことは難しい。
それを押し通せるだけの力と勢い。それさえあれば望まれた方向へと事実は歪む。
「総員、槍を掲げよ! 正義のため、秩序のため、これより邪竜の眷属を討伐する!」
槍神教の先頭に立った美貌の騎士、キロンが勇ましく号令をかける。
対抗するようにラズリさんが応戦を命じ、牛人たちが突撃する。
そして乱戦が始まった。三勢力が入り乱れて干戈に訴えれば流血を避ける手段はなく、頼れる仲間たちも次々と負傷していく。俺は呪動装甲の頑強さに助けられたことに加え、何度かヤンブロスクの使い魔が助勢してくれたおかげで目立った負傷はない。
「命を弄ぶ邪悪な錬金術師、ヤンブロスク! 貴様のような輩と手を組むとは、竜神信教が掲げる美辞麗句はやはり形ばかりの虚言だったようだな!」
「え、僕?」
キロンの放った輝く矢の雨をびっくりした様子で回避しながら鳥人の錬金術師は球電と鬼火を投擲して応戦する。キロンが口にした風評と認識はともかく、こちらの切り札である彼はキロンの相手をしているせいで派手な動きができないようだ。
俺の気のせいでなければ、どうも俺のフォローをするために注意力を割いているような感じもある。やはりトリシューラに何か命じられているのか。
ヤンブロスクのお陰で俺は難を逃れていたが、他の仲間たちはそうもいかなかった。
槍神教の攻撃は苛烈。それに加えて牛人たちまで押し寄せてくるとなればいつまでも持ちこたえられるはずもない。まして、ラズリさんは主力の呪動装甲を纏った竜導師たちの大半を後方に控えさせたままなのだ。彼女は何かを待つように戦いの経過を見守るばかり。
信頼するラズリさんのすることだから何か意味があるのだろう。
俺たち駒はそう信じて戦い、数の暴力に磨り潰されていった。
そしてその時が訪れた。
薬物の力で狂奔し修道騎士たちを鎧ごと殴りつけるジンの拳はとうに砕け、幾本もの矢と槍を体から生やした姿は既に死に体だ。
疲れ果てたジンに修道騎士の槍が迫る。
恋人が望む強い男になる。その一念に取りつかれたジンは野獣の咆哮と共に前へと踏み出したが、前に躍り出た一人の女性によって前進を阻まれた。
竜導師アスタロト。ジンにとって最愛の恋人は、その腹部を槍で串刺しにされていた。
認めがたい事実に絶叫するジン。愛する者を守れたことに安堵し、力なく崩れ落ちるアスタロト。満面の笑みでその光景を見届け、上機嫌に部下に命じるラズリさん。
「ベルゼブブ、修復を。アドラメレク、『目』を展開してライブ中継を開始」
ひとりの竜導師が飛翔していく。頭部はハエ、背中に虫の翅を生やした特徴的な種族で、片手を一振りするだけで自分を狙う矢を弾いていく。そいつは戦場の空を悠々と通過してアスタロトの傍に降り立つと、その腹部に手を当てて呪符による治療を始めた。
その一方、戦況は一時的な停滞を見せていた。修道騎士と牛人たちを突如として凄まじい重圧が襲い、数多くの兵力が地べたを這いつくばることになったのだ。
ラズリさんによる超重力の呪い。キロンは冷静に超重力地帯からの撤退を部下に命じたが、牛人たちのほぼ全ては行動不能に陥ってしまう。
停止した戦いの中を、ラズリ・ナアマリリスが悠々と歩む。
その足元には倒れ伏した戦士たち。
彼女が集めてきた頼れる仲間たちの傷ついた体があった。
全身から血を流すその姿を見て、彼女は満足げに頷いている。
ラズリさんは落ち着いた様子でひどくゆったりと一連の動きを開始した。
そしておもむろに声を張り上げ、舞台上の女優さながらにセリフを並べていく。
「ああ、なんという悲劇でしょう! 愛する者を守ろうとする尊い行為が、愛の結晶を失う結果を招くだなんて!」
ラズリさんの芝居がかった言動を追いかけるようにして手のひら大の球体が幾つも浮遊していく。それは薄い肉の被膜におおわれた巨大な眼球で、全方位からラズリさんやアスタロトたちを視界に収めているようだった。まるで撮影か何かをしているようだ、そう思った瞬間、端末がひとりでに起動して動画を再生し始める。映されているのは予想通りこの場所で、主役はラズリさんだった。
「彼女のお腹には、輝かしい未来の可能性が詰まっていたというのに! 無慈悲な槍神教の刃は恋人たちの希望を奪い去っていったのです!」
大仰に嘆くラズリさんの足元で、恋人の腕の中で力なく微笑むアスタロトがやけにはっきりと響く声でこう続けた。
「ごめんなさい、ジン。あなたとの子供、守れなくて」
「え、でも僕はちゃんと避妊」
「彼女だけではありません! 私たちの愛すべき仲間たち、その愛の結晶を冷たい槍の穂先が奪っていったのです! ああ、教義では初期中絶さえ禁じて受精卵にまで命を認めておきながら、なんという残酷な所業なのでしょう!」
ラズリさんが指先で示す先へと無数の眼球たちの視線が誘導されていく。
動画には傷ついたルルララーナやウーフィが映し出されていた。
今ここで何が起きているのかといえば、早い話が相手の罪の糾弾合戦だ。
どちらがどれだけ罪深いのかを指摘する口論もどきの粗探しゲーム。
槍神教は堕胎を罪としている。つまり個体発生の初期段階である胚子の時点で独立した生命としての尊厳を認めているわけだ。ならばそれを傷つけることは罪であるとラズリさんは糾弾している。
対して、竜神信教では堕胎を認めている。どの時点まで許容しているのかは不明だが、当然ながら初期段階では可能であると見るべきだ。ラズリさんやアスタロトを見る限り、女性の社会進出も進んでおりこの段階では妊婦であろうとも社会参加が当然という意識がある。
ここに教義の差から不均衡が生じていた。
槍神教徒は妊婦を攻撃すれば罪となるが、竜神信教徒は負傷しても悲しむべき事態ではあっても『赤子を守れず死に至らしめた』という罪の意識は生じない。
少なくとも、理論上はそうなる。
こうなるとキロンの対応は敵を人ではないと強く主張するくらいしかないだろうが、既に前線の兵士たちは自らの行いに怯え、年若い新兵などは罪悪感から嘔吐までしていた。
この状況を立て直すのはカリスマ的な指導力を持つキロンといえども困難だった。
なにより、ラズリさんの策はこれで終わりではなかったのだ。
「子殺しは悪。人類社会が持続的な存続を目指す以上、それは不変の摂理です。しかしいつの世も邪悪に染まる者は現れてしまうもの。牛人たちの守旧派、悪鬼と呼ばれる『焙供会』は生贄文明の維持を望み、未だに初子を火にくべるような野蛮な風習を守り続けています。子殺しを厭わぬ邪悪。そう、彼らの本質は共通しているのです!」
唐突にも思える牽強付会。だが俺はその瞬間に直観していた。
都合よく牛人たちが槍神教への攻撃材料となってくれたように見えるが、そうではない。
最初から、彼らの組織はこの時のためだけに配置されていたのではないか?
しきりに仲間たちに性行為をさせていたのもそうだ。この構図を作り出すために既成事実を作り、最初から被害者としての立場を得るための犠牲にするつもりだったのでは?
「教義を無視して暴走するキロンとその一派が、同じように子殺しの牛人たちと通じていることはもはや言い逃れできない事実! 更に彼らには私たちの大切な同志であった竜導師ファラクを脅迫し、破壊工作を強要している疑いがあります!」
それはキロンがネフシュタンと竜神信教との繋がりを指摘したことへの反撃だった。
ラズリさんが上手かったのは、キロンを『教義を無視して独断専行している末端』として非難したことだ。ギデオンの一件で明らかになったように、槍神教は不都合な存在を容赦なく切り捨てる性質を持っている。キロンはかなりの要職にあるようだったが、それは無条件で組織に保護されることを意味しない。
ラズリさんは槍神教の体質を見極めた上でキロンをトカゲの尻尾に見立てようとしていた。槍神教全体へのダメージは軽微に抑えられるだろうが、姉の仇であるキロンだけを狙うラズリさんにとってはそれは望ましい流れとなる。
キロンが叫ぶ反論の音声を何らかの術で遮断しつつ、無数の眼球に向けて悲しみをアピールするラズリさん。
演出の外側で更なる動き。竜導師たちの指揮で広間の各所に潜んでいた伏兵たちが後退していた修道騎士たちに強襲をかけたのだ。
伏兵たちの腹部は丸く膨れていた。明らかに妊娠から相当の日数が経過している。
女性だけではない。タツノオトシゴのような頭をした種族の屈強な男たちもまた腹を膨らませた状態で前線に参戦していた。
彼らは口々にラズリさんへの忠誠と仲間たちとの愛を叫びながら槍の前にその身を投げ出していく。美しい理想と大義に心を燃やしながら迷いなく前進するその姿を見て、修道騎士たちは明らかに気圧されていた。
「信じられない。彼女は命をなんだと思っているんだ」
隣でヤンブロスクが戦慄したように呟く。
それはあまりにも極端な発想だった。
仮に竜神信教では妊娠後期の中絶が認められているとするなら、あのようにお腹の膨らんだ妊婦(妊夫?)が負傷して胎児が死亡したとしてもそれは罪ではないのかもしれない。
あくまでも、理屈の上では。
それを平然と作戦に組み込んで、迷いなく妊婦兵などという存在を盾として運用するラズリさんの精神性は『疑いなく純粋で美しいものに決まっている』。
彼女の心は常に清らかで美しい。
今だってほら、竜神信教では罪にはならないというのに失われた子供たちの未来を想ってあんなにも悲しみに暮れている。ヴェールの向こう側で流れる涙は彼女の偽らざる感情を示している。誰が見てもわかる。あれは本物の悲哀なのだと。
「わたっ、私は! 私はとても悔しいです。私の姉を奪ったあの男が、罪のない恋人たちの輝かしい未来まで奪っていったことが! せっかくたくさんの二世カップルがっ、子供世代のカップリングでわくわくできる未来があったのに、それなのにぃっ、うぐっ、ひぐぅ、ごんな、びどいごどっでないでずぅー!!」
号泣。明瞭だった発音は失われていた。
冷徹に槍神教を追い詰めていた策士の顔など微塵も覗かせない。
そこにいたのは、ただ悲嘆に暮れるひとりの無力な少女でしかなかった。
ラズリさんは心から胸を痛め、本気で泣き叫んでいる。もしかすると、傷ついているアスタロトたち当人よりもずっと激しく。
白々しいとは思わなかった。最初からラズリさんは冷徹な竜神信教の指導者としての理性を働かせながら、同時に本物の感情を持って俺たちに接していたからだ。
ラズリさんが語る軽薄な愛や絆。それは俺たちを騙して駒として利用するための方便であると同時に、彼女自身さえ虜にする幻想だった。
俺がラズリさんに本気で恋し、突き放した視点で分析しているように。
ラズリさんは本気で『愛』を信じ、冷徹に俺たちを使い潰す。
それは両立する。否、邪悪を許容しない『下』の社会では両立していなくてはならない。
感情制御を介さずとも矛盾した精神を抱え、破綻せずに環境に適応した存在。
だからこそ、彼女の振る舞いは常に一貫してぶれることがない。
槍神教はギデオンのような過激な人物を切り捨てることである種の自浄作用を働かせていた。その歪さとおぞましさを俺は否定し、キロンの誘いを拒絶した。
しかし一方で、それをしない竜神信教はどうなるのか。
理想を謳い絆を尊ぶ社会は、その環境に適応した確信犯型の異常者を受け入れてしまう。
絆と愛を信じる優しい怪物。それがラズリ・ナアマリリスだ。
洗脳によって手駒を作り、その手駒に性交を強要して子供を作らせ、その子供を盾にして死なせることで敵への非難材料とし、事前に仕込んでおいた子殺しの生贄教団と敵との繋がりを示唆し、感情に訴えかける演出で事実さえ強要する。
愛には高い価値がある。感情を揺さぶるエネルギー。娯楽としての普遍性。
なにより、未来を予感させる可能性が。
愛欲を支配する淫魔は最初、俺に占い師として接近してきた。彼女が得意とする占いは未来を読み取り、人の出生や運命を見通すのだという。愛が子供の可能性を内包するのだとすれば、その未来を見透かす彼女はまさしく愛の信奉者だ。
その異質な斜め十字の目が映し出すのは計算しつくされた未来。
ラズリ・ナアマリリスの瞳はいつだって愛を見ているのだ。




