2-21.冬を好きになれる日が来たら7/尊い犠牲、尊い愛
ゾウのごとき巨体が軽々と宙を舞う。
呪動装甲と同調した幻掌に確かな手応え。ウデモドキが反動をしなやかに吸収する。断章のおかげで姿勢制御の誤差修正は完璧。遺跡の床面を鉤爪状の足ががっしりと掴み、踏み込みから生じた運動エネルギーを装甲内部でうねる生体部品が増幅していく。
仲間たちの支援を受けながら、俺は勇ましく敵に向かっていく。
遺跡深部に足を踏み入れた探索者たちへの洗礼。
それが灰色の肌にぎょろりとした単眼を持つ巨人たちの襲撃だった。
その日、ラズリ・ナアマリリス率いる竜神信教の一行が足を踏み入れたのは第五階層を取り囲む六大遺跡の中でも最大規模を誇る『竜の遺跡』だ。
石造りの通路は左右が狭く、必然的に縦列を作って進むことになる。隊列の並びは先頭が俺とジン、それに続いてラズリさんが集めてきた頼れる仲間たち、最後尾に竜導師たちという順番。薄暗い通路を俺が持つランタンが照らしていた。
いや、厳密には俺が搭乗する呪動装甲が肩に保持している照明灯がというべきか。決戦に日に備えて用意されていた建設作業用重機の乗り心地はまずまずだ。
円形の光の先で倒れていた巨体が身じろぎする。
単眼巨人。この怪物たちの姿を見たのは初めてではない。以前にトリシューラが護衛として引き連れているのを見たきりだが、尋常ではないタフさだ。どうもこの怪物、本来は『竜の遺跡』を徘徊する『魔法的な力で動く警備機械』のようなものらしい。意思がないために破壊されるまで動き続ける厄介な代物だ。
とはいえ苦戦するほどではない。既に何度かの交戦で勝ちパターンは組みあがっている。小さな斥候のウーフィが敵の接近を知らせてくれたおかげで先制攻撃ができているし、魔法使いのルルララーナのよく響く歌声は単眼巨人の動きを鈍らせ、栄光騎士キュールウィンが指揮杖のように装飾過多な槌鉾を振るえば俺とジンの動きはより軽やかに、打撃はより重くなった。
基本的な戦いの流れは俺たち前衛が敵の攻撃を引き付けている間に武僧のハギリと暗殺者のバイターが背後や側面から攻撃していくというものだ。ここに後衛たちの支援が加わることで、タフな怪物の体力を着実に削り取ることができていた。
訓練の成果もあって、連携はうまくいっている。
ただ、問題がひとつあった。
追撃を仕掛けようとした俺の機先を制して、隣から野獣の咆哮が響く。
ジンだった。猫背の巨漢のおとなしい表情が今は見る影もない。メガネの奥にあった優しげな目は血走り、青筋が浮き上がった荒々しい表情で男が注射器を投げ捨てる。
口から流れた涎をぬぐうこともせずに疾走。尋常ならざる瞬発力で単眼巨人との間合いを詰め、立ち上がった怪物の腹腔に猛烈な一撃を加える。
「がああああ!」
そこからの戦いぶりはもはやどちらが怪物かわからない有様だった。
訓練の時とは比べ物にならない。ドーピングによって増強された筋力に由来する野獣の打撃。『制御』に重きを置く俺のサイバーカラテとは対極の戦い方。過負荷によって肉体の力を過度に引き出すバイオカラテの使い手はああした獣性を身に着けるというが、それにしても行き過ぎだ。
「おい、ジン! 落ち着け、もう死んでる!」
「ぐうう、殺す、やってやる、俺がやるんだあっ」
ラズリさん主催の『宴』がこの男の心に影を落としていた。
恋人のアスタロトが他の男たちにその身を委ね、自分はその『愛の環』から疎外されたという事実が彼の心に傷を残している。一時は『異獣』という怪物に身を落とすまでの事態になったのだ。元に戻れたとはいえ、ジンの心は傷だらけだろう。
この気弱な男のことだ。恋人の不貞を詰るでもなく全ての原因を自分に求めてしまったのだろう。その結果が無茶な戦いぶりと戦果への焦りに繋がっている。
どうしたものだろうと思案にふける。前衛を務める相方としてフォローしてやるべきだろうが、では何が必要なのかといえばさっぱり思いつかない。正直な感想を言うと、『別れたらどうだ?』なのだが解決になってないしな。
「みなさん、お疲れ様でした。特にアルテミシアさん、いつもありがとうございます」
戦闘が終わるとラズリさんが満面の笑みを浮かべて俺たちをねぎらってくれる。後方で腕組みしながら戦いを眺めているだけの少女を特別扱いしているのがよくわからなかったが、他の仲間たちも口々に感謝を口にしている。俺が理解できてないだけで何かしてくれていたのかもしれない。とりあえず周囲に合わせて感謝しておく。
竜導師のアスタロトがジンに声をかけているのが見えたが、荒い息を整えるのがやっとの男には女の声が届いていないようだ。傍目から見ても明らかに二人の関係はは上手くいっていない。根本的な原因はラズリさんにあるが、愛する彼女を責めるなど考えられるはずもない。かくして問題は先送りにされていく。
遺跡を進み、階段を下りる。下に降りれば降りるほど内部の構造は複雑になり、徘徊する単眼巨人の数も増えていった。
ラズリさんによれば、この遺跡は古い時代の王が埋葬されている霊廟なのだという。王の名はアルト。『ことばの力』をほしいままにする竜の化身。俺が追い求める第五階層の序列一位とは、即ちこの王の地位に等しい。
「見てください。大穴が見えるでしょう? あのずっと下に広がっているのがアルト王が眠る玄室です。炎天使とネフシュタンはおそらくそこを拠点としています。厄介な『列車ワーム』も」
ラズリさんが指さす方に照明を向ける。通路を進んだ先にある開けた空間の中心に、確かに巨大な穴が見えた。よく見ると部屋の至る所に無数の傷跡が刻まれており、熾烈な戦いが繰り広げられていたことがわかる。この場所でラズリさんは槍神教と戦い、重要な『秘宝』を失ったという話だが、よく無事だったものだ。
広間に足を踏み入れようとしたそのとき、斥候のウーフィが戻ってくるのが見えた。
追われている。発見されてしまったのか、手傷を負っているようだ。
ラズリさんの判断は素早かった。狭い通路で迎え撃つことを選ばず、迅速にウーフィを救出すべく前進を命じる。
広間で俺たちを待ち受けていたのは単眼巨人たちによる包囲網、だけではなかった。
周囲に次々と光が灯っていく。闇の中に浮かび上がったのは単眼巨人たちの背後で松明を掲げる牛頭の人影たちだ。なぜここに牛人が、という疑問が形になるより早く、彼らのシルエットがどろりと崩れる。
青い血液が牛人たちの肉体を融かしている。牛型の頭部と融合しているのは俺が飼っているウデモドキに良く似た蛇で、首から脊髄まで深く一体化しているようだった。
「融血によって強制的にネフシュタンに従わされているようです! みなさん、哀れな彼らを助けてあげてください!」
ラズリさんの頼みとあらばお安い御用。とは意気込んだものの、敵の数は多い。
一体でも面倒な単眼巨人がざっと数えただけでも十以上。その上、武装した牛人たちは四、五十人はいるように思えた。包囲された状態でこの数を捌くのは無謀に思える。さっさとウーフィを回収して一旦狭い通路に下がるべきではないか。
俺がそう提言しようとしたその時、ひとりの男が前に進み出た。
白いペストマスクに白帽子、白衣を纏った鳥人の錬金術師、ヤンブロスクだ。道中では戦いには参加せず後方で待機していた彼はこの一行の最大戦力であり、決戦に備えて力を温存するという話だったが、この状況では動かざるを得ないというわけだろう。
「ふむ、この数と正面から戦うのは面倒だね。あまり多用はできないんだが、まあ使い時だろう。そら、行ってきなさい」
ヤンブロスクが手のひらから何かをばら撒く。
小さな宝石が照明の光を受けてきらきらと輝いたかと思うと、その形を不定形に流動させながら急激に膨張する。
すさまじい速度で地を這って行くそれらは猛然と単眼巨人たちに飛び掛かった。反撃は流体の体を突き抜けて意味をなさず、粘性の何かは巨人たちの大きな瞳に吸い込まれるようにして体内へと侵入を果たす。
「わが意に従え、隻眼王のしもべたち。標的は牛人、全て薙ぎ払え。アルテミシア、もう邪視の防御をやめていいよ。君も攻撃に加わるといい」
ヤンブロスクの言葉に従い、操られた単眼巨人たちが突如として身をひるがえして牛人たちに襲い掛かる。どのような手段によってかは知らないが、味方だった単眼巨人の裏切りによって牛人の集団は大混乱に陥った。
単眼巨人に睨みつけられただけで身がすくんだように動けなくなり、そのまま叩き潰されていく牛人たち。更にはどういうわけか足元から石になっていくという異常事態が彼らを襲う。次々に石像と化していく牛人たちを見ながら、白いワンピースの少女アルテミシアが哄笑した。
「はははっ、感謝しろよ火の眷属ども! 高貴なる地の眷属が、醜い肉塊を芸術的な彫像に生まれ変わらせてやるんだからな!」
少女は笑いながら牛人を見ているだけだ。
しかし、俺の認識が間違っていなければ彼女はそれだけで牛人たちを石に変えてしまっているようだった。まるで神話に出てくる怪物のように、魔力を持った視線が相手を石化させてしまうなんてことがあるのだろうか。
だとすればそれは恐るべき力だ。よく観察してみると、単眼巨人のぎょろりとした瞳に睨まれた牛人たちが動けなくなっているのも似たような『視線の魔力』が原因に見えてきた。ヤンブロスクの言葉と併せて考えると、戦闘後にアルテミシアが周囲から感謝されていたのは互いの視線をぶつけて相殺してくれていた、ということなのか。
「奥にも潜んでいるようだね。『球電』、『鬼火』、掃討したまえ」
ヤンブロスクが冷静に告げると、手に持っていた大きな鞄から発光する何かが素早く飛び出す。稲光を迸らせる球体と、青白く揺らめく火の玉だ。
二つのエネルギー塊は高速で飛翔して敵陣に突っ込み、牛人たちの肉体を焼き焦がしながら後方の牛人たちを纏めて蹂躙していく。
俺たちが出るまでもない、圧倒的な実力だった。
この二人がいれば全部どうにかなるのではないかと思えるほどだったが、この先にはネフシュタンと天使、更には槍神教の妨害まで控えている。決戦の戦力は多いほうがいいのだろうと思い直す。
それにしても戦闘と言うことさえ憚られる一方的な展開が続く。
『無魂王』との異名をとるヤンブロスクはその仰々しい二つ名の通り命なき使い魔を操ることを得意としているようだ。錬金術師という職業が俺の知る大昔の学者もどきと同じとは思えない。恐らくこの世界では大真面目にオカルトを実践する学者なのだろう。
これもまた『強さ』のひとつだ。
同時に本質でもある。仲間を集めて数を頼みとするラズリさんのやり方は正しい。
俺は今、大いなる流れの中にいる。これが勝ち馬に乗るということなのだろう。
それがどうしても息苦しくて、俺は静かに深呼吸した。
戦いは終わりつつある。大勢は決した。牛人たちの大半は石像と化し、残りは単眼巨人たちによって潰されるかヤンブロスクの使い魔によって焼死体となっている。
ところが、圧勝したはずだというのに最高戦力ふたりの表情は晴れない。
アルテミシアは油断なく死体だらけの戦場を見渡し、ヤンブロスクは警戒するように鞄に手を入れて身構えている。
「しまったな。ここで始末されることが前提の捨て石だったか。供儀の術式が発動してしまったようだ。大きいのが来る。皆、用心を」
忠告の直後、地下空間を激震が揺るがした。
立っていられないほどの振動。部屋の中心に空いた大穴から飛び出した巨大な石像が勢いよく着地したのだ。見覚えのあるその巨大なシルエットは、周囲の死体から青い血を大量に吸い上げて歪に膨張していく。
両手を天に掲げ、体内から炎を噴き上げる巨大な石像。
それは俺がかつて相対した牛人たちの祭神、それを形にした牛神の偶像だった。
あのときはどうにか撃退できたが、あれが大暴れしたことで都市の中心部がほとんど壊滅状態に陥ったのだ。あのサイズでは単眼巨人といえどもひとひねりだろう。真正面から挑めば俺たちもかなりの被害を受けることになる。
「生贄による簡易降神とは驚いた。ネフシュタンまで温存したかったが、止むを得まい」
この状況下でもヤンブロスクは冷静だった。
巨大な石像はアルテミシアの視線でも動きを止めることなく一直線にこちらに向かってくる。背後で後衛たちが何かの術を行使しているようだが焼け石に水だ。
そんな中、悠々と前に足を進めて鞄を前に掲げるヤンブロスク。
無造作に手を離すと、ごとりと音を立てて鞄が地面に落ちる。
ゆっくりと前に開く鞄。横から見えたその内部に広がるのは黒々とした闇だった。
その暗がりから、どろりと何かが這い出してくる。
軟泥だ。彼が普段から肉体に住まわせている色付きのタイプとは異なり、透き通るようなその体にはきらきらとした小さな粒子が混じっている。
「神秘を照らせ、我が叡智の化身。その身で学び、象り、神性の全てに降下をもたらせ」
流動する粘性物質が膨張し、その形を変貌させていく。
それは完全な模倣だった。
迫りくる牛神像、その姿そっくりのサイズに膨れ上がり、彫刻の細部にいたるまでを完全にコピーしたかと思うと石の材質そのままに色づいていく。
どのような仕組みなのか、体内の炉で燃え盛る炎までもが再現され、圧倒的な質量を獲得したウーズは重々しい地響きを鳴らしてその場に降り立った。
がっちりと両腕で組み合うその姿は鏡写しのようだ。
力は互角。どころか、ヤンブロスクのウーズがやや優っている。
というより、相手側の牛神像が弱っているようにも感じる。
かつてのような威圧感や神々しさが失われ、急速に『つまらないものになり下がっていく』かのような感覚。全く同じものが二つに増えたからだろうか。唯一無二の脅威と思えた牛神像には以前ほどの恐ろしさを感じない。
「いかがかな、僕の使い魔の中でも最強を誇るウーズ、『モルザコロアト』の力は」
ヤンブロスクが手を振って球電と鬼火を模造牛神像に加勢させると、拮抗していた流れは一気に傾いた。あまりにもあっけなくコピーウーズの拳がオリジナルの胴体を粉々に打ち砕いた。内部からこぼれ出た火だるまの牛人たちが死体の山に加わり、断末魔の叫びを響かせていく。
戦いはそうして終わった。
ネフシュタンに操られるまま命を散らし、その身をささげてもなお圧倒的な実力者であるヤンブロスクには手も足も出ない。
ラズリさんの哀れみも当然と言えるだろう。この戦いで牛人たちは駒として消費されるだけの道具も同然の扱いだ。
生贄を礼賛するおぞましい文明。融血をばらまき、イオをはじめとする多数の犠牲者を出し続けていた邪悪な体質。共存や和解の余地はない。現代を生きる人間は、そのような原始的な信仰を受け入れることはできないのだ。
本当にそうか? 死体の山を眺めながらふと思う。
ギデオンという危険人物を切り捨てた槍神教。
ジンという落伍者を疎外されるままにした竜神信教。
この世界は、本当に生贄を礼賛していないと言えるだろうか。
俺だって偉そうなことをいえた身分ではないはずだ。右の手指を開き、感触を確かめるように折りたたんでいく。この義肢とて与えられたもの。
高級で上質な機械義肢。年を重ねるごとに更新されていく多機能な腕。
高額な施術を当たり前のように受けさせてくれる親の財力。
たとえば橋の下で。たとえば駅の周辺で。たとえば公園で。幼い頃の俺が見ないようにしていた『俺と同じ人々』は、動力を持たない義肢で日々を必死に生きていた。
俺たちと牛人たちの間に、どれだけの差があるだろう。
少しばかりお上品か、露悪的にふるまうか。その程度の差しかないのではないか?
ふと気づくと、隣にヤンブロスクの姿があった。
ペストマスクに隠れた表情は見えない。が、どこか遠くを見ているようにつぶやく。
「聖なる犠牲か。信仰という熱狂の中で痛みを忘れようとあがく。ヒトは悲しいね」
使い魔たちを鞄の中に回収し、戦場に積みあがった屍を眺めるその様子は言葉通りどこか物悲しい。彼自身は戦いを好む気質には見えない。こうした行為にも多少は思うところがあるのだろう。ラズリさんへの愛情が植え付けられているとはいえ、その程度の意思は残されているのだ。
「槍神教が強さへの希求から捨て駒や英雄を生み出すように、竜神信教が自由意志と理念への熱狂からエラーを周辺化するように、とかく生物は痛みから逃れようとするものだ。自然と求めるのは快楽ばかり。所詮ヒトなど肉の塊。ラズリ様がフェロモンで生物的本能に働きかけるのはまったく合理的と言えるね」
ヤンブロスクは明確に俺に語り掛けている。
抑制的な声は周囲には届いていない。戦いが終わったあと、ラズリさんはウーフィに階下の偵察を命じた。小さな斥候が戻るまで休憩をとることになったのだが、いつもならヤンブロスクに抱きついてくるアルテミシアはラズリさんと何やら話し込んでいる。
突然、集団の中に生じた空白地帯。
奇妙に孤立した俺たちは、いま二人きりだ。
「原始的だからこそ力強く、抗うことが難しい。心とは身体の奴隷だよ。強い心などというものは、結局のところ肉体の不完全性を克服できないヒトが夢見る幻想に過ぎない」
「あんたまさか、自覚してるのか?」
俺はラズリさんへの愛情に溺れる一方で、そんな自分のどうしようもない情動を少し離れた所から観察するような自己認識を持つことができている。同じように洗脳に抗う手段を持っている者がいないと考えるのは驕りだったのかもしれない。ヤンブロスクほどの実力者であれば、その可能性は十分にあり得た。
「君もそうだろう? その断章の力なのか、あるいはゼノグラシア特有の異能によってなのかはわからないがね」
ではラズリさんに従ってアルテミシアと恋仲になってみせたのも演技か。
だがなぜそんなことを? この男は組織ごと竜神信教の傘下に下り、配下を捕らえられて無残に処刑されていたはずだ。それほどの屈辱を甘んじて受けてでも成し遂げなければならない目的があるというのか。
考えるまでもない。その答えはもう真下に迫っている。
アルト王の『ことばの力』だ。それに近づくために強大な宗教勢力を利用できるのならラズリさんに傅くことくらいわけはない。
錬金術師はマスクごしにくぐもった笑いを響かせた。
「彼女から君の話を聞いた時に思ったんだ。僕と君は同じタイプだ。自然に与えられた肉体よりも、人の叡智が作り出したモノを信仰している。だからこそ肉欲の力が通用しない。それでも人は『愛』に心や魂、運命なんかを見出してしまう。そんなもの、幻想でしかないのにね」
その言葉と視線は、限られた休憩時間を惜しんで身を寄せ合う恋人たちを嘲笑するように響いた。ラズリさんに踊らされる人形たちの茶番は確かに滑稽だ。隔絶した力でこの状況を鳥瞰できるヤンブロスクにしてみればそう感じるのも当然だろう。
男の言葉は共感できるようでもあり、どこか遠い世界の思想のようにも聞こえた。
右腕の頼もしさを思う。あるいは、俺という総体を駆動させる機械化身体を成り立たせる両親の愛情について。『セツ』という無垢な赤子に与えられたそれは、幻想だったのか? 少なくとも俺がその上に立っていることは確かだ。
「その幻想も、人が作り出したものなんじゃないか」
「おや、そういうタイプだったか。意外とかわいい性格だね、君は」
苦し紛れの答え。カラスの錬金術師は面白がるよう「かわい、かわい」と聞きなしを響かせた。顔が熱い。断章の翻訳が悪趣味なだけで実際にはただ鳴いただけかもしれないが、これならアホウアホウと訳された方がまだマシだ。
ひとしきり笑ったヤンブロスクはくつくつと喉をならしながら鞄から端末を取り出して続けた。看過できない言葉と共に。
「まあいい。君の狙いは詮索しないでおこう。お互い好きに動こうじゃないか。ひとつだけ教えておくと、依頼が更新されていないか再確認しておくといい。追加報酬は呪文データだ。端末にダウンロードできる」
どういう意味かを尋ねようとした時には既にヤンブロスクはこちらに背を向けていた。
斥候のウーフィが戻り、ラズリさんと話している。そろそろ休憩は終わりだ。
去っていく後ろ姿が、何かを期待するように言葉を残していった。
「報酬の呪文は破格の代物だ。ここぞという時に使うといい。第五階層の創世機関の一部をクラッキングして物質を『創造』する、超一流の仕事だよ。安っぽいウデモドキよりずっと上等な義肢が手に入るはずさ」
ヤンブロスクの口から出てきた依頼という単語。彼は誰かから俺の話を聞いていた? それは誰のことだ? 疑惑は確信に変わる。彼女は確かに俺に腕を与えると約束した。
トリシューラ。姿を見せないままの第三勢力。彼女もまたこの局面に介入しようとしている。そんな予感があった。




