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2-16.冬を好きになれる日が来たら2/竜神信教の言い分




 ラズリさんに誘われるまま、俺は竜神信教の拠点に案内された。

 歩いてきた道からすると、どうやら槍神教の『教会』が拠点を構えている場所からちょうど街の正反対に位置しているようだ。見事な木造建築ながら細部に石や土が混ざっている。環状の装飾が階段状に尖塔を取り巻き、どことなく東南アジアの古びた寺院を思わせる。

 これは俺の出身と常識がそちらに寄せて考えてしまっているだけだろう。『寺院』というのも槍神教を『教会』と最初に認識したせいで生まれた先入観に過ぎない。

 門の正面にはゆったりとした衣を身に纏った屈強な男たちが整列し、こちらを見るや否や揃って跪き、組んだ両腕を頭の上に持ち上げた。


「出迎えご苦労様。この方は大事なお客様ですから、丁重なおもてなしをお願いします」


「『鎧の腕』ですか。もしやその方をラズリ様の守護者に?」


「ふふ、どうでしょう。それはまだわかりません」


 軽やかに笑うラズリさんは信徒たちから敬われているようだ。竜神信教の竜導師、その中で彼女がどのような立場にあるのかが窺える。ふと気になって話しかけた。


「この義手が何か? もしかして忌避の対象だったりします?」


 すると長髪を後ろで結わえた僧侶が両手を振って答えた。


「とんでもない! 『鎧の腕』と言えば竜神信教にとっての大恩人。我々調停派との直接的な繋がりはありませんが、九家創竜派を興した最初の巫女を奴隷身分から解放した偉大な人物で、一説によると恋人同士だったとか」


「ちょっともう、恋人同士なんて気が早いですよ!」


「ごふっ、いえ、ラズリ様のことでは」


 照れるラズリさんの腰の入った掌打が僧侶の腹腔を撃ち抜く。かなりいい感じに入ったのか、大の男が膝を突いて呻いている。この女、かなり『使う』な。熟練した呪符の扱いといい、歩き方の隙の無さといい、仮に対峙した際はどう攻めるか。など普段なら考えるところだが、ラズリさんのような美しい女性に手を上げるなんて男のやることじゃない。レディは守るものさ、なあ兄弟。心の中の誰かに語りかけながら可憐な姿に見惚れる。


「こほん。とにかく、竜神信教では『鎧の腕』という特徴はとても敬われているんです。なにしろ創竜派の創始者のひとりであり、九番首の設計者たちのひとりでもありますから。聖者、竜聖などとも呼ばれる偉人です」


 ラズリさんの言葉の意味はよくわからんがとにかくえらい好印象だ。

 正直、驚いている。これまでもよく言及されていたからキロンに『どうしてこの世界の連中は鎧の腕と呼んでくるのか』と聞いてみたことがある。

 そしたら『その腕はあまり周囲に見せない方がいい。槍神教では中絶の悪魔の特徴だ』とか言われたのである。


 悪魔といっても古代に実在した呪術医がモデルなんだとか。キロンは『堕胎というだけで許しがたいが、赤子を切り刻んだり粉砕したりと聞くだけでおぞましい所業を重ね、更にその遺体を機械で吸引するなど残虐極まりない外道だ。そんな二つ名で呼ぶなど侮辱に等しい。君には相応しくないよ』とか言っていたが、最初にこの渾名を付けた槍神教の修道騎士はどちらかと言えば好意的な呼び方だったような印象なんだがな。

 奇妙に思いつつ、槍神教徒にそう言われたことを伝えるとラズリさんはぷりぷりと可愛らしく怒ってこう言った。


「まあ。古臭い信仰に囚われた槍神教徒らしい言い草ですね。母体を救うための安全な中絶法や死胎児を取り出す手術を提唱した、当時としては革新的な呪術医なのに。ご存じですか? 槍神教では女性の権利をほとんど認めていないんです。権力者は男性ばかりだし、中絶どころか避妊さえ神の意思に反してるなんて主張してるとか。時代遅れですよね?」


「それは確かに。なるほど、竜神信教はそうではないんですね」


「もちろん。良かった。私たち、価値観を共有できそうです」


 俺は好意的な空気に流されるまま応接室に招かれた。広々とした室内には部屋の四隅に花が飾られ、壁際には巨大なパネルが立てられていた。素朴な木製の長卓を挟んでソファに座ると、目の前でラズリさんが微笑む。


「さて。ネフシュタンについて話を聞かせて欲しい、ということでしたよね?」


「ああ。恩師の仇かもしれない。知っている事があれば何でも構わない」


 既に俺の事情は話してある。トリシューラや槍神教との関わりはややこしくなるので省いたが、天使や融血との因縁は嘘偽りなく打ち明けた。下手な嘘をでっち上げても綻びるだろうし、こういう時は真っ向から切り込んだ方が話が早くて済む。

 ラズリさんは可憐な顔立ちに真剣な表情を浮かべてゆっくりと頷いた。


「まず私たちの不始末で貴方に大変なご迷惑をかけてしまったことをお詫びいたします。あの男は私たちにとっても許しがたい大敵。本来なら竜神信教が責任をもって処断すべきところを、貴方にそのような覚悟を背負わせてしまったこと、まこと慚愧の念に堪えません。罪滅ぼしには足りませんが、その仇討ち、当山の総力を持って力添えさせて頂きます」

 

 俺は竜神信教がネフシュタンを匿っている可能性を疑っていたが、今となっては恥知らずな先入観だったと認めるしか無いだろう。自身の過ちを悔やむばかりだ。ラズリさんの澄んだまなざしには一切の偽りを感じない。彼女は潔癖、清く正しい善人であり、俺の味方だ。


「ありがとうラズリさん。貴方と出会えて良かった」


「私こそ、この運命を与えてくれた大いなる竜に感謝しているところです」


「ゴギュー」


 和やかな雰囲気の中、一匹だけ不満そうに鳴くゴア。この小さな相棒はいったい彼女の何がそんなに嫌なのだろうか。

 理想的な関係性を歩み始めた俺たちは最初に情報を共有することにした。

 ラズリさんが始めたのは、ネフシュタンという男がこの第五階層に解き放たれるに至った背景についての話だ。


「元々、私はあの危険な男を竜導師として認めることには反対でした。当時ファラクと名乗っていた彼の来歴は非凡なものです。武術家たちの聖地、七大門派の本拠である奉竜山で修行を積んでいたファラクは飛び抜けた才を有していましたが、そのあまりの凶暴さと残忍さから門派総帥の青海に破門されています。ですがその後、対立する別の門派に渡って古巣の情報と引き替えに弟子入りし、その度に追放されるということを繰り返していました」


 強さに対する貪欲な姿勢。人品はともかく、武人としての才は並外れていたらしい。だがそんな事を繰り返していれば最終的には世の中すべてが敵に回る。

 案の定、どこにも居場所が無くなったファラクは社会のセーフティネットに掬い上げられた。罪人さえ引き受けるのは宗教の役割のひとつだろう。


「そんな鼻つまみ者だったファラクの力を認め、僧兵集団を率いる竜導師としての地位を与えたのは私の姉です」


「お姉さんがいるんですか。その人も竜導師?」


「ええ。いえ、『いた』と言うべきでしょうね」


 目を伏せ、沈痛な面持ちで重苦しい息を吐く。

 触れることがつらい話題なのだと察することができた。しかし、この話をしないことには先へ進めないことも確かだ。手を伸ばそうとして止める。軽率に慰めることが躊躇われた。それでもラズリさんはそんな俺の振る舞いを見て微笑んだ。


「気を遣わせてしまいましたね。私はもう大丈夫です。起きたことは十分に受け入れていますから。でも、少し嬉しいです。貴方が優しい人で良かった」


 ヴェールの奧に見える柔らかい微笑みにどきりとして呼吸を止める。

 右手をガジガジと囓られるが、今は目の前に集中したい。後で構ってやるから。

 指先でペシペシと小動物を押し退ける様子を見られていたのか、くすくすと淑やかに笑うラズリさん。少し幼く見える笑い方を、俺は好ましいと思った。


「ごめんなさい、話を続けますね。姉は第八家浄罪派の師範であり、同時に全ての僧を束ねる竜導師長でもありました。事実上、竜神信教の最高位です。その決定に異を唱えられる者はいませんでしたし、ファラクは姉の期待に応えていました。姉の右腕として、武僧衆の長として、重責に見合った振る舞いを身に付けたのです」


 与えられた地位が荒くれ者を更生させたのか、危険な男を使いこなすお姉さんの度量が優れていたのか。予想を裏付けるように、破局の切っ掛けもまた更生と同じだった。


「ですがその品行方正さが続いたのは姉が死ぬまででした。半年前のことです。階層を巡る大きな戦の最中、槍神教の代表騎士、恐るべき力を持った大弓使いの矢に魂と心臓を貫かれ、姉は帰らぬ人になりました」


 大弓を使う代表騎士だって? 即座にキロンを連想するが、まさかな。

 それに半年前の戦いといえば、俺とアズラが魔将と激突したのもその時期だ。

 不意に頭部に痛みを覚える。なんだ、何かがひっかかる。

 ラズリさんを見ていると、『未知の既視感』がつきまとうのだ。

 知らないのに、知っている、そんなおかしな感覚だ。

 俺の異常に気付かないまま、ラズリさんは話し続けた。


「目の前で守るべき主を失ったファラクは己を罰するように自傷行為を繰り返し、遂には禁忌の霊薬『融血』を宝物殿から盗み出しました。彼は『新たな世界を創る』などという異常な妄想に取り憑かれて信徒たちを虐殺し、その場で取り押さえられ即座に地下監獄に魂ごと永久封印することが決まりました。裁いたのは私です。略式の竜前裁判を野蛮と誹る声もありましたが、あの男をそのままにしておくのはあまりにも危険過ぎました」


 唇を噛むラズリさんの表情には深い後悔が滲んでいるが、思っていた以上に彼女の権限は大きい。お姉さんのことといい、竜神信教でもかなり上の立場のようだ。目の前の女性はそんな地位にあることを窺わせないほど可愛らしい声で言葉を紡いでいる。


「元から絶大だった力が融血の過剰摂取によって限界まで高められていたのでしょう。刑の執行直前に厳重な監視を振り切り、彼は監獄を爆破して脱獄を果たしました。その後の足取りはご存じのとおりです。ネフシュタンと名を改め、この第五階層へ。その狙いまではわかりませんが、おそらくは貴方が話してくれた天使が関係しているものと思われます」


 話を聞く限り、全ては半年前の戦いを切っ掛けにしているようだ。

 お姉さんが死んだのもネフシュタンがおかしな凶行に及んだのも思っていたよりかなり最近のことだ。おそらく竜神信教の内部もまだ混乱の最中にあるのではないだろうか。


「では、融血という麻薬は竜神信教から流出したものなんですね?」


「お恥ずかしいことです。犠牲となった方々を少しでも多く救うべく信徒たちが奔走しているのですが、私たちの力が及ばぬばかりに貴方の大切な人までもが」


 話ながら感極まってしまったのか口もとを押さえて涙を流すラズリさん。犠牲者のことを思って心を痛めているのだろう。共感性の高い、とても優しい人なのだ。

 そんな彼女を苦しめるネフシュタンへの義憤を募らせつつ、俺は話を続けた。


「奴の目的について、心当たりは全く無いんですか? 本当に薬物で錯乱して、理解不能な妄想の導くままに凶行を重ねていると?」


「そうですね。彼の言動は支離滅裂で、あ、いえ、もしかしたら」


「気付いたことがあれば言ってください。手がかりに繋がるかもしれない」


 勢い込んで身を乗り出す。するとラズリさんは躊躇いがちに、しかし記憶を探るようにゆっくりと話してくれた。


「半年前の戦い、私たち竜神信教の主力は第三階層で槍神教の代表騎士たちとぶつかっていました。その時、あの弓の騎士が気になる事を言っていました」


「それは?」


 ラズリさんは声を低くして男の口まねをするように答えた。


「『主の魂を取り戻したいなら、正しき槍の秩序に頭を垂れるがいい』と。その時は槍狂いたちがよく口にする挑発のたぐいだと思いましたが、もしかしてあれは真実そのままの意味だったのかもしれません」


「主というのは、ラズリさんのお姉さんのことですよね。ネフシュタンにとっての主、その魂を取り戻すというのは?」


「実を言えば姉は転生者であり、魂さえ無事なら再転生が可能なのです。私はてっきり魂魄ごと砕かれたのだと思い込んでいましたが、あの修道騎士が魂を奪い、封印しているのだとすれば。そして人質にとられているのだとしたら」


 いきなりお姉さんが転生者であるという重大な情報が生えてきた。魂とは情報構造体ミメーシスに相当する重要な因子であるはず。ネフシュタンは主の死を切っ掛けに錯乱して自傷行為をするほどお姉さんに心酔していた。居場所の無い暴れ者である自分を認め、取り立ててくれた恩人なのだから当然だ。大恩ある主の魂が解放されるためなら何でもやるだろう。


「近頃この街を騒がす炎の天使の正体が槍神教の前総長アルメ・アーニスタだったのも怪しすぎます。意思の無い器と言いますが、その背後に黒幕がいるとすれば一番怪しいのは槍神教でしょう。ネフシュタンは姉を想う気持ちを利用され、槍神教の走狗と成り果てているのかもしれません。いいえ、絶対にそうです!」


 考えをまとめているうちに自分の言葉が真実味を帯びてきたのだろう。ラズリさんは徐々にヒートアップしてすっかり黒幕を決めつけている。

 確かに槍神教は怪しい。ネフシュタンが持ち出した融血の出所は竜神信教だとはっきりしたが、考えてもみれば槍神教だってあの麻薬を保有していた。


 それにネフシュタンの口ぶりは炎の天使をまるで自分の上位者として語っているように聞こえた。王だとか長兄だとか、そういう言い回しを利用しているだけの意思なき道具に対して用いるだろうか? 

 考えこんだ俺の前で、ラズリさんは身を乗り出すようにして訴えかけてきた。


「この街で私たちに対抗するように拠点を構えている医療修道会。あの組織を率いている男こそ、他ならぬ姉の仇なのです。ご存じでしょうか。彼は名高い雌獅子の末裔、アンピース家の次期当主。槍神教が誇る九人の代表騎士、『守護の九槍』に名を連ねる英雄。その名はキロン。許しがたい私の仇です」


 身構えていたはずなのに、予想通りの名前が出てきて思わず固まってしまう。

 ラズリさんの手がこちらの右手を握る。ゴアが噛み付こうとするのをすっと腕を持ち上げて躱すと、俺の目を覗き込むようにして語りかけてくる。


「もしキロンが黒幕なら、私たちは共に仇を追う仲間になれるはずです。今度はこちらからお願いします。どうか貴方の力を貸して下さいませんか」


 迷うことは無い。もはや槍神教が敵であることに疑いの余地はないだろう。

 何よりも、目の前で美しいレディが助けを求めている。

 男は愛する女性の前で格好を付けずにはいられない。恋に生き恋に死ぬのが男の本懐だ。そうだよな、兄弟。目蓋の裏に親指を立てる誰かの姿が甦る。


「任せて下さい。共に槍神教と戦い、お姉さんの魂を取り戻しましょう」


「ありがとうございます。私、貴方と出会えて良かった」


 感極まったように身を乗り出し、長卓に膝を乗せてこちらに飛びついてくるラズリさん。纏わり付く柔らかい感触と思いのほか情熱的な力強さの抱擁にどぎまぎしながら満更でもないと状況を満喫していると、突如として側頭部に衝撃が走る。


「ギャゲ! ゴアゴアゴー!」


 何なんだ一体。おやつの催促か? 相棒の唐突な不機嫌に首を傾げていると、それを見ていたラズリさんは心底から愉快そうにくすくすと笑った。

 ほんの一瞬。

 長い前髪に隠れていない片目が、光の加減なのかバツ印に輝いて見えた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] かっこいい彼氏の幻影がまだ出てくることに笑ってしまう 本編と違ってめちゃくちゃ攻めてるのはまだルート確定してないからなんだろうか
[一言] 暗示に引っ掛かっているのか認識のズラシか分かりませんが、とりあえずこのまま行けばロクでもない結末になりそうですね。 槍神教と竜神教をまとめて片付けられる策が無いかな。
[良い点] 更新だ!やったー!コルセスカとトリシューラ可愛い!!
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