すべてのはじまり -5-
お父様の太い眉が動いた。
「今日一日はそこにいろ! いいな!」
厳つい肩を震わせお父様はそう言い放つと、乱暴に私の部屋の扉を閉めた。そしてその後、何か大きなものを扉に嵌めたような、そんな音が外から聞こえた。私は、部屋に閉じ込められたのだ、とすぐに分かった。
私は手をつき、床から起きあがると、勢いよく扉の金具を引っ張った。しかし、扉は動かなかった。扉は外側からなんらかの方法で固定されているみたいだった。私は尚も扉を引っ張り、更に蹴りあげた。だが、茶色い扉はビクともしなかった。
「お父様は何も分かってないのよ!」
私はできるだけそう大きく叫んでみたが、全く意味がなかった。
「誰か! いるんでしょう? 開けなさい、ここを開けなさい!」
扉の外の人々は誰も私の声に耳を貸さなかった。大方、お父様から、何があってもここを開けるな、と言われているのだろう。このデイン城の主は、デイン家の当主であるお父様であって私ではない、家の者は誰も私に従わなかった。私は扉を叩きながら叫んだ。
「ねぇ ねぇったら! なんで? なんで私が閉じ込められなくちゃいけないの? 私は一族の事を思ってゾーイに――」
悔しさと理不尽さで目の奥が熱くなった。
ただ、あの言葉が真実かどうかを確かめたいだけなのに。
私は何度も床を踏みつけた。
それと同時に思った。ゾーイに残された時間はどれくらいなのか、と。今日中にゾーイを処刑する、とお父様は言った。だが、今日中とはいつなのか。処刑は普通明るいうちに行われる。城内での処刑はありえないからだ。だが、お父様は午後からは用がある、と確か昨日言っていた。つまり――このあと、すぐにでも、という可能性があった。
言いようのない焦燥感が私の体を覆う。
私は、金属と金属をこすり合わせたようなヒステリックな声で叫んだ。
「ねぇ! ちょっと! いいから開けなさいよ! じゃないとゾーイが、ゾーイに聞けなくなるじゃない!」
私は扉をめちゃくちゃに叩いた。
その時だった。
懸命に扉を叩く私の後ろから、しわがれた声が聞えた。
「ふぅん。そんなに慌てて私に何を聞きたいのかしら?」
ビックリした私の体が自分の意志とは無関係に猫のように跳びはね、きゃっ、とうわずった声をあげてしまう。
まるで体中に電流が走ったような感覚だった。
そこに居たのはゾーイだった。確かにゾーイだった。
私はあまりの出来事に足が震え、膝をついた。ゾーイはそんな私を見つめながら腹を抱えてケタケタと笑い始めた。
「私を魔女だと知っているくせに、よくもそんなに驚けるわねアナスタシア」
その汚らしい黄色い歯が嫌でも目に入ってしまうような、そんなとてつもなく下品な笑い方だった。
私は気を取り直すように頭を横に振ってから、もう一度顔を上げゾーイの姿を確認した。それは、間違いなくゾーイだった。目は赤く、鼻は曲がり、黒髪でボロ雑巾のような衣服をまとっており……、何より臭かった。この異臭は昨日嗅いだゾーイの臭いと全く同じだった。
私は震えていた。怖いからではない。感動で震えていたのだ。魔法だ。ゾーイは今、魔法を使ったのだ。私は今、本物の魔法をみているのだ。本を読み魔女に憧れた幼いころの記憶が蘇ってくる気がした。私が目を輝かせていると、ゾーイが私に尋ねた。
「それで私に何を聞きたいの?」
「そ、それは――」と、言いかけて言葉をつまらせた。
まず質問しようと思っていた事があったのだ。
それは『あなたは本当に魔女なの?』という質問だ。聞くまでもなかった。答えはもう出ていた。私はこの目で本物の魔法を見たのだ。
となれば、答えは最早明確なのではないか。
ゾーイは本物の魔女だった。つまり、あの言葉も本物だと解釈するしかなかった。
生気を奪われたような気分になった。目を輝かせた後だというのに、何ともいえない気分になった。
私は唾を飲み込んだあと、消え入りそうな声で尋ねた。
「ねぇゾーイ。私は……、私と私の家族は3ヶ月以内にみんな殺されるの?」
「ええ、そうよ」
「生き残る方法はないの?」
この私の言葉に、ゾーイは顎に手をあて渋い表情をした。そして一言軽く言った。
「ないわね」
決定的だった。
私は大きく息を吐いた。そして、そのあと目を瞑り、唇を震わせ、下を向いた。魔法の興奮なんてすぐにどこかに吹き飛んでいってしまった。私の命の灯火はあと3ヶ月以内に潰えるのだと強く思った。体の奥から震えがきた。まだ死にたくなかった。生きてやってみたい色々なことがあった。なんで私が、どうして私が。
「なぁ~んてね」と言うゾーイの声に私の思考は中断された。私は意味が分からず、眉をひそめゾーイを見た。
「予言とは、数ある未来のうちの一つに過ぎないわ」とゾーイは言った。「もっと悪い未来もあれば良い未来もある。そうヘルガは言っていた。最高の魔女と謳われる時の魔女ヘルガ。私は彼女の予言をあなたに伝えただけ。でもきっとあなたが今のままなら死ぬ、とヘルガは言っていたわ、ほぼ確実にね……。だから、こっちに来てアナスタシア」
私は言われるがまま立ち上がりふらふらとゾーイに近づいた。
「未来を変えたい?」とゾーイは言った。
私は頷いた。しわがれ声はするどくなる。
「その為にはどんな代償もいとわない?」
私は激しく頷いた。それを見たゾーイの赤い目が躍る。
「それはもしも“異界の神々”と契約し、世の理を司る魔の者になったとしても?」
私は短く一度頷いた。私の決意を見たゾーイは満足そうな笑みをこぼした。それはまさしく悪魔の様な笑みだった。
「よろしい。たった今、契約は結ばれた。アルダデッラ=モラ。エデル=マオ=ドルゥー。キル=イッラ=バオスよ。アナスタシア=デインを世の理より解き放ちなさい」
そう言ってゾーイは両手をあげると、足先から黒い光がにじみ出た。奇妙な光景だった。そして単純に気持ち悪かった。黒い光は床に水をこぼしたようにゾーイの周囲に広がり、やがて私の足下に達した。
私は何が起きているか分からず、ゾーイに説明を求めようとした。
その時だった。
私の足の先まで広がった黒い光が、突然私の体をのぼりはじめたのだ。大量の虫が体を登ってくるような気色悪い感触がした。
「な? ゾーイ! これは――」
そう言いかけた私の口を黒い光が覆った。やがて、目さえも覆われ、体全体が黒い光に飲み込まれた。
次に黒い光は、球状の「黒い玉」に変化し、床から浮き上がった。
激しい痛みが私を襲った。
私は、皮という皮がはぎ取られ、体のあらゆる部分がねじ曲がり、砕かれ、既に声さえ出せなかった。いや、出したのかもしれない。だが、私はそれを最早感じる事はできなかった。消化液のようなもので私は溶かされ、私は液体になっていた。手も足も頭も髪も顔も体も、何もかもが溶けて無くなっていった。
黒い玉からは、卵の割れ目から黄身が垂れだすように血がそこから滴り、血だまりが床に残った。
とにかく、ここで私――アナスタシア=デイン――は、一度死んだ。