すべてのはじまり -3-
手燭が凍てつく風に吹かれ、二人の影が不気味に揺れた。雪の降りも、先ほどよりも強くなってきた感じがした。
ゾーイの名前は確かに一度で覚えられるような名前ではなかった。
いや、そこではない。そこは問題ではない。
魔女。
確かにこの女はそう言った。自分は魔女である、と。
私は、繋がれた手から視線をずらし、ゾーイの姿をまじまじと眺めた。
ゾーイの姿は、汚くとても不気味だった。よくみると鼻も曲がっており、歯の一部も欠けていた。それに臭かった。その穢らわしさは私の想像しいたとおりの魔女に近かった。私とゾーイの間を風が吹き抜けた。彼女の臭気を周囲の冷気が僅かに中和した。
ゾーイは取り留めもない話を繰り返した。ヘビの肉の味がどうしたとか、大火傷をしたことがあるかとか、入道雲がどうして出来るか知っているかとか、とにかくそんな訳の分からない話をした。何故そんな話をするのか、と聞くと。
「私の話を通してあなたを知りたかったのよ。アナスタシア」とゾーイは答えた。「私はあることをあなたに伝えにきたの。だからここまでわざわざ会いにきたのよ」
私はかじかんだ手に息を吹きかけながら不満顔を浮かべた。
もしも、そうならずっと私の手を握りしめてないで早く言ってほしかった。私の体はすっかり冷え切り、皮膚を刺すような痛みを体中のあちこちに感じていたからだ。周囲を見回すと雪も段々と積もってきているみたいだった。
私にも毛布が必要だ。強くそう思った。
ゾーイはそんな私のことなど気にもせず、少しずり落ちてきていた毛布をもう一度大きくかぶり直すと、何事もなかったかのように続けた。
「それでね聞いて、冬眠中のカエルを土からほじくりだして木に突き刺したわ。次に焚き火の近くにもっていくとね。信じられない事に――」
「ねぇゾーイ。いいかしら?」
私が強引にゾーイの話に割り込むと、ゾーイはキョトンとした顔でこちらを向いた。私は臭いのを我慢して精一杯ゾーイに顔を近づけた。
「ゾーイ。私の唇をみて」
「え?」
「青白くなってきてるでしょう? 最初は赤かったのに」
「……そうかしら?」
ゾーイは私の唇を見つめながら不思議そうに首を傾げた。どうやら私のちょっとした変化などゾーイはまるで気にならなかったらしい。私はいよいよこの寒さに耐えきれなくなり、口を開いた。
「私、寒いからもう行くわ。だから手を放してちょうだい」
「ダメ」とゾーイは言った。「肝心な話が済んでない」
私は、ならその話を早くしてほしい、と言った。
ゾーイは少し難しい顔をした。
恐らく20分以上はどうでもいいゾーイの話で潰れたのだ。私は、次にゾーイがどうでもよい話を始めたら、その手を振り払ってすぐさま自分のベッドに戻るつもりだった。ゾーイは少し溜息をつくと私の目を真っすぐ見た。私もゾーイの目を見た。ゾーイの赤い瞳が見えた。真剣な目に見えた。ゾーイは肩をすくめると、やがて覚悟を決めたように喋り始めた。
「私が伝えようとしたのはあなたの運命の話。でも、運命の話は人の気を狂わせるわ。だから準備が必要だと思ったの。なかにはずっと準備しても受け入れることが出来ない人もいるから」
運命? と私は思った。ゾーイは続けた。
「私達は初めて出会った。そうでしょう? だから私はあなたの、あなたは私のことを知ってから運命を聞くべきだと思ったのよ」
運命を聞く?
私は寒さに震えながら、僅かに自分が感じる寒さとは別の寒さが握った手から伝わってくるのを感じていた。それは正確には「寒さ」ではなく、どす黒い別の何かだった。全身の肌という肌がそれを感じていた。だが、それでも一番最初に頭によぎった言葉は、早くして、という言葉だった。それぐらい寒かったし、なにより自分を魔女と名乗るその女の言葉を聞いてみたかった。そんな私の意思をくみ取ったのかもしれない。ゾーイは“私を知ること”を諦め、私の目を見てゆっくりと運命を語る為に唇を動かし始めた。
「そうねぇ。じゃあ端的に言うけど、あなたのお父様、お母様、お兄様、弟、そしてアナスタシア。デインの血を受け継ぐ全ての者は残らず殺されるのよ。今から3ヶ月以内にね。全員。全員死んじゃうの。ふっ、ふふふ」
ゾーイはここで笑いながら私の手を放した。
私はバランスを失い雪の上に尻もちをついた。見上げると、ゾーイはまたひきつけでも起こしたように全身をくねらせ高笑いを続けていた。
それはまだ14歳の私にとって思いもよらぬ運命だった。