すべてのはじまり -1-
私の家はきっと特別な家だった。たぶん、その当時、誰もが羨む家だった。下級貴族から大貴族へ成り上がった例は少ない。ミッドランドの歴史を振り返ってみても、ほんの数件だろう。私の家は、そんな例外的な家だった。
「ベルレンテ卿、前へ」
まだ若いお父様は、その声にあわせユリウス陛下の下に近づき跪いた。
ユリウス陛下は王座に腰かけながらこう言ったらしい。
「ライン=ベルレンテよ。此度の働き、まことに見事であった。よって、今回の反乱の地であったデインの地を、そのままそなたに与える。そして、土地に付随した爵位もそなたに与えよう」
周りから驚きの声があがり、それはいつの間にか歓声へと変わっていった。
デインの地とは、ミッドランド王国の北部の地名である。それは実に王国の3分の1を占める領土だった。
「さぁ立ちなさい。ライン=“デイン公爵”」
ユリウス陛下にそう促され、お父様は目を赤くさせながら立ちあがったという。
それが、我が一族が貴族社会の階段を何段飛ばしかで昇った日であった。
以後、お父様はベルレンテ子爵あらため、デイン公爵としてミッドランド王国の一翼を担うこととなる。南部のしがない下級貴族でしかなかったお父様はデインの地の反乱を鎮圧した功績で、たった一代で大貴族へと成りあがったのだ。
私がライン=デイン公爵の娘として生まれたのは、ちょうどそんな時期だった。だから、当時の私にしてみれば目に映る全てのことが普通のことだった。召使いが言う事を聞くことも、大きなお城に住むことも、そして何より温かい家族。彼等に囲まれていることは極々普通のことだった。
お父様は、誇り高く、厳しく、筋道を重んじる人だった。私が見当違いのことを言うと、その間違いを厳しく叱るけど、正しい道に戻るまでじっくり待つ人だった。
お母様は、ゆるやかで温かみがあり、そしてユーモアに富んだ人だった。そして、その両方を受け継いだのがお兄様だった。ワイトお兄様はイタズラが好きで、私によくいたずらをした。なのに妙に誇り高いところがあった。年の離れた弟のユスフはとても大人しい子だった。そして甘えん坊。誰に似たのだろう。きっと私がいいだけ可愛がったせいかもしれない。
私は……、私は……どうなのだろう。かつて、お兄様からは我が強いと言われたことがあるが……、優しい心根を持っている気がするし、逆に酷く冷酷だった気もする……。私は誰に似たのだろう? 私はどういう人間なのだろう? 分からない。今はどうなのだろう? 今の私……。分からない。考えれば考えるほど分からなくなる。
とにかく、その当時、私は幸せだった。お母様に甘え、お兄様に笑わされ、弟によりそい、お父様に導かれていた。使用人のメリッサは、私にこう言ったことがあった。
「これ以上人の温かみをもった家を私は知りません」と。
だが、当時の私はその幸せに多少のつまらなさも感じていた。自分をビックリさせる何かがあればいいのに、と思っていた。馬鹿げた話だ。あの当時の日常以上に素晴らしいことがこの世のどこにあるのだろう。私はそれが続くと思っていた。永遠に続く、と思いこんでいた。
でも、ある日を境に全てが変わってしまった。
あれは私がまだ14歳のときのことだった。
広大なミッドランド北部の地“デイン”を治めるお父様は治安と経済の向上に精力を注いだが、中でも苦心していたのがデインより更に北方の地に住む蛮族「キルローリアン」共の侵入だった。
奴等は、時折現れては略奪と虐殺を繰り返す蛮族だった。それは、デインの地に住む全ての者にとって長年の悩みの種であった。
14歳の冬の朝、やけに城内が騒がしいと思い、私は自分の部屋から顔を出した。使用人や衛兵達が私の部屋の前を慌ただしくに通り過ぎたので、どうしたのだろう、と思い、ゆっくり足を運び廊下に出ると、そこからちょうど大広間に整列する兵士達の姿が見えた。お父様とワイトお兄様は鎧姿になって、皆の前で声を張り上げていた。どうも近くの村に蛮族が現れたというのだ。お父様達はそれを駆逐するつもりらしい。
普段軽口を叩くお兄様は、顔を真っ赤にさせ皆を鼓舞していた。
「皆! いくぞ!」
その声に合わせ200人ほどの軍隊がデイン城を出立した。デインの紋章の白いトカゲの旗が勇ましく揺れた。
全てが終わったのは昼頃だった。
戦いはこちら側の一方的な勝利で終わったらしく、ほとんど死者も出なかったという。
奴等が略奪に夢中になっている所に奇襲攻撃を行い数名の蛮族を討ち取ると、奴等は蜘蛛の子を散らすように逃げて言ったのだとか。
『ライン=デインは閃光だ』
当時、お父様はよくそう言われた。
恐ろしい程の強行軍を使った電光石火の早業、これがお父様の戦だった。おかげで新たなデイン家は戦において負け知らずの家と言われていた。
とにかく、お父様はその戦で一人の女を捕虜にした。
黒いボロ雑巾を纏った格好をした女。
私は、両手首を縛られ馬に引きずられながらやってきたあの女を城の自分の部屋の窓から眺めていた。
その時、女の首がグルンとこちらを向き、目があった。
女は赤い目をしていた。
私はとっさに窓から顔を離し、ベッドに潜り込んだ。
ベッドの中で丸まった私は自分の胸に手をあてた。
心臓が激しく動いているのが分かった。
この鼓動の正体が何なのか、私には分からなかった。
……。
これがはじまりだった。
これが、あの事件のはじまりだった。