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母、太后エミリアの秘密  作者: りんご
疑問 Ⅱ
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動き続ける事態




 王宮の書斎は、しばらく時が止まったように、しんと静まりかえっていた。

 私の目は氷の中に閉じ込められたハロルに注がれていた。ハロルは氷の中でずっと目と口をあけたまま、まばたき一つせずに正面を見つめていた。



 ――死んでいる。間違いなく死んでいる……。



 氷ごしであるが、確かにそれが分かった。その認識が頭の奥の方でじんわり広がると、やっと脳が動き始めた。


 脳はこの状況に対する説明を私に求めた。



 ――ねぁアナスタシア。これは一体どういうことなの?



 そんなこと、私に分かるわけがなかった。


 王宮の外で遊んでいると思っていたハロルが既に死に、氷の中に閉じ込められていた。そしてユリウスがいるはずの場所にユリウスがおらず。私の土人形もどこにかに消えたままだった。事実だけ羅列するとこんなところだろう。



 私はハロルから目を離し、書斎のなかを見回した。やはり誰もいない。私の他にこの場に居たのは、氷の中に閉じ込められた哀れな死体だけだった。

 どうしよう、どうしたらいいのだろう? そんなことを思った。別に憎い相手が死ぬのは構わない。そこに関しては何も感じない。しかしだ、この状況をどう解釈すればよいのだろう。


 私は唇をかんだ。

 感情の持ってゆく先が分からなかった。

 私はもう一度ハロルとそのまわりを覆っている氷を眺めた。なんとなく、ボォーっと。

 すると、その時、脳に電流が走った。


 あ、と思った。


 普段から不思議な物を見過ぎていたせいで、あたりまえのことに気づかなかった。

 これは、魔法だ。そうだ、あの時の魔法だ。


 以前ゾーイが土の中に保管していたエミリアと全く同じ。板状の氷の中に人を閉じ込める魔法。恐らくこういう魔法があるのだろう。私は手を伸ばし、氷の表面を指でなぞった。



 ――となると、これは……ゾーイがやったのだろうか? でも何故ゾーイが?



 私はいよいよ訳が分からなくなってきて、額に手をあて、しゃがみこんだ。

 ゾーイがこんなことをやるわけがないのだが、魔法を使えるのがゾーイだけである以上、そう思うほかなかった。


 なぜゾーイは私に断りもなくハロルを殺し、ここにハロルを保管したのだろう? いや、違う、保管したかどうかなどどうでもよい。


 理由だ。


 なぜこんなことをしたのか私はゾーイにその理由を尋ねるべきなのだ。

 そうだ。だから一旦帰って聞かなければならないのだ、と思い、すっくと立ち上がった所で書斎の扉が、ギィーと音をたて開いた。



 ――!?



 それはまるで思考のエアポケットのようなものだった。

 その扉は絶対に開かないはずだった。

 そう、そのはずだった。


 ユリウスが書斎に居るあいだは、六騎士が扉を守り、誰もそこに近づくことなどできなかったはず。と思ったあたりで、ユリウスはこの場にいなかったのだ、と思いだした。

 簡単に解ける数学の公式をパニックで忘れてしまったように、私の頭は精彩を欠いた。瞳に開かれてゆく扉が映る。



 私は、開かれてゆく扉をまえに、その場から動くことができず茫然とそれを眺めていた。

 やがて、その扉から人が入ってきた。



 扉から入ってきた人物は、含み笑いのままゆっくりと私の前を横切った。

 私は“いつものように”目を伏せ、その人物にお辞儀をする。たぶん、この状況にどうしてよいか分からず咄嗟にそんな行動をとってしまったのだ。

 しわがれた声が私の耳に届く。



「ああ、エミリア。ちょうどあなたを探していたところだったのよ」



 私はゆっくり目線をあげる。

 燃えるような赤いドレスが見え、次に首筋のしわと、そして赤く艶のある美しい髪が見えた。



 ――サマンサ。サマンサ=ミッドランド。



 私の目線の先には、こちらを見て微笑む王妃サマンサがいた。サマンサは侍女も衛兵も連れていなかった。


 頭の奥が揺れ、足下がふら付いた。だから視界の端にあったものによりかかってしまった。腕にヒンヤリした感覚が走り、思わず「ひゃっ」と声をあげる。

 しまった、と思った。

 それはハロルの死体が中に入った氷だった。

 サマンサはその私の姿を、ただ黙って見ていた。


 沈黙がこの場を支配する。


 私は、この状況をどう説明してよいか全く分からなかった。

 勝手に王族の部屋に入るだけでも重罪なのに、私は、殺した覚えのない氷漬けの死体と共にいた。何度も口を開こうとするが言葉が出てこない。

 すると、サマンサが私から視線を外し、窓の方を向いた。つられて私もそちらをみる。今日は曇りだった。



「人って色んな好き嫌いがあるわよね」とサマンサは沈黙を破り喋りはじめた。「昨日着ていたドレスが今日にはゴミのように思える時もあるし、好きな香水や好きな食事も変化するわ。好きな天気や好きな季節だって当然変わる……。

 でも変わることが当たり前だと思わない? わらわは生きているのですもの。生きている以上、常に変化するもの。記憶の中に残るあらゆるものから影響を受け、常に人は変わり続ける。それが人なのよ。だから変わらないものなんてなにもないの。あなたはどう? あなたは何が好きなの? あなたもわらわと同じように好きだったものが急に嫌いになったりするのかしら?」



 私が答えにまごついていると、サマンサは続きを喋った。


「人はそんなわらわをワガママと言うわ。わらわは、自分の美しいと思えるものに正直だから、きっと人はそんな風にわらわを捉えるのかもしれない。わらわは常に変化する。その変化に正直であるだけなのに。でもね、ワガママと変化は少し違うわ。ワガママというのは傲慢だ、ということ。そうつまり、あなたのことなのよエミリア」


 私の瞳は喋るサマンサの顔を捉えた。サマンサは続けた。


「傲慢ということは全ての価値観を押し付け、自分の世界に従わせるということ。わらわがお前達に頼むのはほんの些細なこと。ドレスの着付けや整髪やワインをつがせることぐらい。

 でもエミリア、あなたはとても傲慢な人。

 だってわらわは、それなりに人の命は大切にするもの。地面を這うアリを踏みつぶすように人の命を粗末にしないわ。あなたはその傲慢な価値観で人の命なんてゴミクズにも等しいものだと思っている。これはとても傲慢なことじゃなくて?  ねぇ、アナスタシア=デイン」


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