王宮での暮らし -5-
透明なガラスの中に入ったサラサラの砂が中心に向かって滑り落ちてゆく。
私はその流れ落ちる砂をジッと眺めていた。
これは時を知る道具。砂時計。
私は数十分先の未来のことを考えながらボォーっとこの砂時計を眺めていた。
もうそろそろ上は動いただろうか? ユリウスを拘束しはじめただろうか? 私はそんなことに思いをはせていた。
計画は至ってシンプルだった。
この時間、書斎で独り楽しむユリウスを六騎士の格好をした私の土人形が拘束する。
あとは煮るなり焼くなり好きにすればいい。
いつも通り椅子に縛り付けて顔を焼くのもよいし、別の殺し方をしてもよい。
とにかく、問題の焦点は、この時間ユリウスがいつもどおり書斎にいるか、という点だけであった。書斎にいるならば計画は9割方成功したようなものだった。
私はそのために万全を期していた。当てずっぽうで行動するわけではない。もしも、ユリウスがいつも通りのスケジュールをこなさず書斎に行かなかった場合は、土人形からある信号が送られる手筈になっていた。つまり、その信号がない場合であれば、ユリウスは100%書斎にいるということになる。
時間が迫るにつれ、手のひらに汗が滲んできた。
一度、喉を大きく鳴らした。
そんな時だった。
「ねぇちょっといいかしら?」というゾーイの言葉が耳に入りこんできた。
薄暗い部屋の中であぐらをかいていた私は少しうつむいた顔をあげた。
「なにゾーイ」
「別に些細なことよ。この世界がなくなったわけでもなければ、ミッドランドが消滅したわけでもないわ。ほんの少しだけ伝えたい些細なことがあったのよ」
いちいち回りくどい話し方をするのがこの魔女の特徴だった。そんなものに付き合いきれないと思った私は冷たく「早くいいなさい」と言った。
「あらそう? じゃあ言うわ。私ってほら色んな事が気になる人間じゃない? 大きなことから小さなことまで。きっと隅々まで色んな物事がよく見えるせいなのかもしれないけど。だからほら、魔法を小瓶にいれてあなたに渡す時も、細心の注意をいつも払うでしょう? 蓋が開いていないかどうか、とか、ヒビが入ってやしないか、とか。だから、今回もそんな些細なことが気になったの。それで、本題なんだけど……。私はあなたにちゃんと忠告したことがあったかしら? 土人形に関することよ。あの魔法には致命的な欠陥があるの。私は、それをちゃんとあなたに忠告したかしら?」
――どうだっただろうか?
私は目を瞑り考えるが、どうもそんなことを言われた記憶がない。くちをすぼめ、私の顔を見ていたゾーイは、この私の反応に眉をひそめた。
「やっぱり言ってなかったみたいね。念のため確認しておいてよかったわ。え~と、あの、土人形の弱点なんだけどね。とっても水に弱いの。どのくらい弱いのかというと、水に触れると元の形を保てなくなり、すぐに消滅しちゃうぐらい弱いの。例えばそうね、沢山降り積もった塵がどこからか流れ込んできた風のせいで一瞬で吹き飛んでしまうように、あっという間に消滅しちゃうの。だから、土人形を使う時には水に注意してねアナスタシア。わかった?」
そんなことを今言うのか? と思い、眉間にしわがよるが、そういえばそんなことを前にどこかで言われたような気もする。
そうだ。たぶんあの2か月前の雨の日だ。あの時、たしかゾーイからそんなことを言われたのだ。雨の日には土人形を使うな、と。あれは、そういうことだったか。でも……、今日は雨など降っていない。それに第一、王宮の中に雨は降らない。
「大丈夫じゃないかしら」と私は言った。「ここは王宮なんだし、六騎士にいきなり水をぶちまける人もいないはずよ」
「あらそう? なら安心して使えるわね。私が昔住んでいたところは、地面が氷や水だらけだったから、そんな心配をしちゃったの。そうそう。あなた方が北方の蛮族と呼んでる人々は――」とゾーイは話を続けた。あとの話は頭に入って来なかった。むしろ、ゾーイはなぜこんな話を今するのか? という疑問の方が頭をもたげた。
なにか意図があるのだろうか?
私はゾーイの顔を眺めた。
いつもの顔だった。汚らしい、いつものゾーイ。
口元が歪み、鼻が折れ曲がり、両手をひろげ何かを喋っていた。
馬鹿馬鹿しい。考えるだけ無駄だ。この魔女の喋る話に意味なんて無い。今までもずっとそうだった。
私は深く溜息をつくと、眼前のドアを眺めた。
すでにゾーイの移動魔法によって目の前の階段はユリウスの書斎の床下に繋がっていた。
次に私は砂時計に目を移した。もう残りはわずかであった。となると、上ではそろそろ土人形達に指示した通り、ユリウスを拘束し、椅子に座らせ、猿ぐつわを口にはめ始めるはずだ。
サラサラと砂が流れ落ちてゆく。サラサラ、サラサラと。
ゾーイはまだ喋っているみたいであった。
「そう。つまり、これは選択なのよ。鳥と、そして、大昔にいたという大きな動物の。ねぇそう思わないアナスタシア?」
完全に聞き逃していたせいで、最早ゾーイが何を言っているのかさっぱり分からなかった。なぜ、こんな訳の分からない話に辿りついてしまったのだろう。
「よく分からないけど、きっとその通りよ」と私は適当に言った。
すると、ゾーイの顔が明るくなった。
「そうでしょう? やっぱりそうでしょうアナスタシア」
なにがどういう具合に“そう”なのか、何もわからないが、そうこうしているうちに砂時計の砂が全て流れ落ちた。
私は、立ち上がり、息を整えた。
握った手をひらき、その手が赤く光った。
勝った、と思った。
土人形からの信号はなかった。
それはつまり、ユリウスはいつも通り書斎にいる、ということを示唆していたし、書斎にいる以上、土人形はユリウスを拘束している筈であった。
私は、目の前のドアを開き、暗く長い階段を一歩ずつ昇ってゆく。
気持ちがやっと前に向いた。
ゾーイのどうしようもない話も多少は効果があったのかもしれない。
少しだけシェリンダと話したことで気分が落ちていたのだ。
こんな自分を否定する感情が少しだけ湧いてきたのだ。
違う。
これは喜び。
これこそが私の道。
この日の為に今日まで耐え忍んできたのだから。
この粟立った皮膚も喜びの感情がそうさせたのよ。
怒りも悲しみも憎しみも、全ては今日この日の為に。
わずかに鼻が膨れ上がり、死を目の前にしたユリウスに何を言ってやろうか、と思った。家族の皆を殺したことを後悔するような言葉を聞きたかった。そうだ。今回はユリウスを地下の部屋に引きずりこみ、猿ぐつわを外し、ゆっくり泣き叫ぶ声を聞いてやろう。
権力の頂点にいる男が最後の最後にどんな言葉を吐くのかとても楽しみだ。
後悔するまで死なせないことにしよう。
苦痛で泣き叫び、殺せ、と怒鳴っても徹底的に無視しよう。
そうだ。それがいい。
デイン一族に対する謝罪を聞くのよ。
泣き叫び、糞尿を垂れ流し、土下座し、嗚咽するまで自らの行いを後悔させてやるのよ。
私は唇が極限まで吊りあがったまま、長い階段の終わりにあるドアに手をかけた。そしてゆっくりと扉を開いていった。
私はその開かれた床下のドアから少しだけ頭を出し、周りを確認した。
本だ。沢山の本と厳めしい机があった。
それは思い描いていた通りのユリウス王の書斎だった。
私は床下から、ぬぅっと姿を現す。
王族の書斎に足を踏み入れたのはたぶん私が最初だろう。
それなりに広い空間だった。
豪華な装飾が施されたテーブルと本棚が立ち並び、そこら中に本が散らかっていた。
あれ? と思った。
奇妙な感覚に襲われた。
私はゆっくりと確かめるように山のように詰まれた本の脇を通り抜けた。
全ての時間がゆっくりと進んでいるように感じられた。
私は吸い込まれるようにある一点を見つめていた。
本当に吸い込まれるように。
たぶん、目の前の光景が私の理解を超えていたからかもしれない。
乾いた瞳を潤すように私は何度も目蓋を上げ下げしていた。
心臓が鳴っていた。
訳が分からなかった。
全ての計画が頭の底から抜け落ちてゆく。
だって計画では、土人形に羽交い締めにされたユリウスが、この書斎のどこかにうずくまっているはずだった。
そう、そのはずだった。そういう計画であったはずなのだ。
なのに、この場にユリウスはいなかった。
土人形さえもなかった。
あるはずのものがなく、ないはずのものがあった。
氷。板状の氷の塊。
そこにあったのは、そんな氷の塊だった。それが書斎の中央に、デン、と横たわるように置かれていた。そして、その中に人の死体が閉じ込められていた。
足も手も目も脳の指令を受けつけなかった。
私の体の全器官ががこの不思議な状況にのまれていた。
あらゆる疑問が頭をかすめ、その全てが頭から抜け落ちていった。
口は半開きになり、足が勝手に氷に向かって歩き始め、目は氷に閉じ込められた人の死体に向けられた。
見たことのある顔だった。
いや、見間違うはずがない。何度も夢でみたのだ。この男の顔を。もう何度も。
ハロル。ハロル=ミッドランド。
そう、王太子ハロルの死体がそこにはあった。




