王宮での暮らし -2-
一ヶ月が過ぎた。
もうその頃には、広すぎる王宮にも、金がふんだんに使われた廊下にも、仕事にも慣れはじめた頃だった。
私はいつものように、教育係のシェリンダと一緒に王妃の間にてサマンサにドレスを着せていた。新しいドレスに袖を通とうそうとした時に、サマンサの甲高くヒステリックな声がやはり鳴った。
「もっと別の物にして。もっと派手な物に」
私とシェリンダは用意してきたドレスを次々とサマンサに見せる。でも王妃サマンサは一向に首を縦に振らない。
「違うドレスを持ってきて」とシェリンダは私に小さな声で言った。私は頷き、赤い扉の王妃の間から出た。侍女の仕事とは、主人である王妃の身の回りの世話が主な仕事であった。着替え、身支度、整髪をし。尿瓶を変え、ドレスを買い、話し相手になることも当然仕事に含まれていた。
私は二股にわかれた通路を眺めながら考えた。
この他のドレスとなると、少し離れたドレスルームにある物が一番良いだろう。あそこは一部屋丸ごとドレスだけが置かれている部屋で、古今東西色んな物が揃っていた。私は白く輝く王宮の廊下をなるべく素早く歩いた。途中、近衛兵らとすれ違う。私は少し頭を下げ、ドレスルームに入った。
後ろ手で扉を閉めると、首筋から汗が一粒流れ落ちた。
私は少しだけ粗くなった息をのみ込んだ。
近衛兵の腰に差す剣に目がいってしまった。
どうしてもあそこに目がいってしまう。
近衛兵には剣の達人が多かった。彼等の間合いに入るのは勇気がいる。もし奴等が私を見て奇術師だと気づいたなら、私など抵抗する間もなく斬られてしまうだろうから。もちろんバレないように細心の注意を払っているが、ここはいわば敵の腹の中。いつ誰に殺されてもおかしくはなかった。
とにかく、そうなる前に王族共を殺さなければならなかった。
まず、王太子ハロルであるが、彼はこのところ、王宮の外に女を作り、わずかな供を連れ、そこに入り浸っているという噂があった。まぁ、そんなことなどどうでもよいのだが、問題は彼の居場所だった。私はその居場所を知らなかった。知らない以上手を出せるはずもなく、彼のことは放っておかざるをえなかった。
次に肝心のユリウス王であるが、この男は特別な六人に囲まれていたので、まともに近づくことすらままならなかった。特別な六人……。いや、六騎士。奴等はそう呼ばれていた。
六騎士とは、剣術、王族への忠誠心、共に優れた者だけが選ばれるユリウス王専用の警護団のことで、たった六名しか選ばれないその栄誉から、わざわざ『六騎士』と呼ばれていた。実際にその剣術を見たことはないが、ミッドランド一と呼ばれる剣術使い六人を相手に私はどうユリウスを殺すべきか熟慮を重ねていた。
――ゾーイの眠りの魔法では、とてもこの王宮全体をカバーはできない。だが、正面から戦ったとしても到底勝ちは望めない。
それは分かっている。それは。
私は、ドレスルームに置かれたなるべく派手なドレスらを手に取り、急いで王妃の間へと戻った。
戻ってきた私を見て、王妃サマンサの眉が八の字に変わる。
「エミリアはセンスがないのね。センスは大事よ。これは何? この野暮ったいドレスは」
え? と思い、自身の腕に何重にも束ねたドレスにチラッと目を落した。なるべく良い物を選んだつもりなのだが。
サマンサは続けた。
「南部人とは思えないセンスね、全く。まるで北部の野生児でも相手にしているみたい」
――北部の野生児?
わずかに眉間にしわが寄った。
「では急ぎあらたなものをご用意します」と私が言うと、「さきほどのこれでいいわ」とサマンサが言った。そして、先ほど腕を通しかけたドレスをまた着て鏡を見て一言言った。
「うん。やはりこれね。これにするわ!」
この女は一体なんなのだろう、と思った。ならば、さきほどまでのやりとりはなんだったのか。その服が気に入らないと言うから、わざわざ別の物をもってきたというのに……。
王妃サマンサ。ユリウス王の妃にして、ハロル王太子の母。彼女は、思った事をすぐ口に出すうえに、猫のように気分が変わりやすかった。だから周りは毎度振りまわされてばかりいた。
「では、昼食に行くわよ。ついていらっしゃい」とサマンサは言った。なので、私とシェリンダのどちらがついていくのだろう? と思い足を一歩踏み出したところで「ああ、あなた達はもういいの。今日の二人は気が効かなくて、もう顔も見たくない気分なの。ジンジャーついていらっしゃい」とサマンサは言い、違う侍女を引き連れ昼食に出かけていった。
私とシェリンダは、一言も発することなくしばらくその場に立ちつくした。
もう何度目だろう。顔も見たくないと言われたのは。この一ヶ月でもう8度目だ。それほど頻繁に人は誰かの顔を見たくなくなるものなのだろうか? 隣から大きな溜息が聞えた。
「あまり気にしないことね」と黒髪のシェリンダがサバサバした口調で言った。「たぶん、ハロル殿下が最近王宮に帰って来ないことと無関係ではないと思うから」
「え? どういうこと?」と私は尋ねた。
「そのまんまの意味よ。息子であるハロル殿下が王宮に帰って来なくてイライラしてるってこと。まぁ私も噂でしか知らないのだけどね」
「ねぇ聞いていいかしら? なんでサマンサ様がイライラするわけ?」
この私の問いに、シェリンダはもう一度溜息をついた。
「あなたねぇ……、本気で言ってるの? このミッドランドの王太子ともあろうものが王宮の外でどこぞの女に骨抜きにされフラフラしてるのよ。それだけでもミッドランドの威信にかかわる行為だわ。それに、今王宮の外では奇術師とかいう凶悪犯が我が物顔で跳ねまわっているんでしょ? 母親であれば心配でイライラするのは当然じゃないかしら?」
「ああ、奇術師ね」と私は相槌をうった。
まぁ確かに世間はそう思うかもしれない。
「それにしてもハロル殿下も殿下よね。だって信じられる? 王宮にはこれだけ女が溢れているのに、なんだって外の女を選ぶのかしら?」と言ってシェリンダは両手をひろげた。
口から思わず笑みがこぼれてしまう。このシェリンダという女はどこかワイトお兄様に似ていた。ジョークが好きで、私をよく笑わせる。それに何より彼女はとても話しやすかった。
「時に男というのは理解に苦しむ生き物ね」という彼女のジョークに私はまた笑い、手を口元にあてると、部屋の隅に置かれた時計に目を移した。
「じゃあ思いがけず空き時間ができたことだし、私は、私のしたいことをするわ」
私はかがみ、ベッドの下に手を伸ばした。そして、大きな熊のぬいぐるみを手もとに引き寄せた。実はこのぬいぐるみを朝からずっとここに隠していたのだ。
「本当にそんな大胆なことする侍女はあなたがはじめて。サマンサ様に見つかったら大変な騒ぎになるわよ」とシェリンダが眉をひそめながら言った。
「大丈夫。彼女は絶対にベッドの下なんて覗かないだろうから」
「でも、それにしても御執心ね。そんなプレゼントまで用意して」と言ったシェリンダが私の抱える大きな熊のぬいぐるみをまじまじと見ながら「あのね。単純な疑問なんだけどいいかしら?」と言った。
「どうぞ」
「そういうのをもらって喜ぶ男ってどんな男なの?」
「それは――」と私は口籠った。これ以上この女にこの話をしてどうするつもりだろう。私は笑顔を作ると「じゃあ行くわね」と言い、熊のぬいぐるみを片手に王妃の間から飛び出した。すぐ横の通路を左に曲がり、更にその奥の廊下を右に曲がった。
もうほとんどの王宮の中の地図はそらで描けるようになってきた。
庭の双首の狼の像。大広間。そして、中庭と、白を基調とした廊下と数百もの部屋。問題は、この部屋のほとんどを私が把握していないことにあった。だから王族共がいつどこで何をしているのか私にはよく分からなかった。私は頭に地図が残るように一歩一歩奥に進む。
「やあトラント嬢」と近衛兵の一人が廊下を歩く私に声をかけてきた。
「どうもアキーフ殿」と私は小さくおじぎをした。
「また騎士の訓練の様子をみるのかい?」
「ええ、だって剣術って面白いでしょ?」
「本当に変わった娘だ。そして、前に確か六騎士にプレゼントを渡したいとか言ってたな。ひょっとして、その熊のぬいぐるみがそうなのか?」
「ええ、そうよ。だって、しょうがないじゃない。ファンって奴なの。ファンはプレゼントを渡したくなるものなのよ」
「ははは。俺も六騎士に抜擢されれば君から追いかけられるわけか。それも悪くないな。そうなれば君を抱けるかもしれないわけだ」
この男は本当に何を血迷った事を言っているのだろう、と思いながらも私は「さぁどうかしら」と言った。とにかく、私はプレゼントを渡したかった。
「ねぇ。あなたから代わりに渡してくれない? このプレゼント」と言い私は大きな熊のぬいぐるみをアキーフに手渡した。
「おいおい、正気か? 子供じゃあるまいし」
「子供がいる人にあげればいいのよ。勝手に部屋に置いてくれれば、あとは私からご挨拶に伺うわ」
「おいおい、そりゃこの熊のぬいぐるみを渡した相手と君が寝るって意味か? ならこれは俺の部屋に置いておくのも手だな」
どうしてこう、この男はこれほど愚かな思考をするのだろう。
「別にそういうわけじゃないわ。じゃあ頼んだわよ騎士アキーフ殿。私はあなたを信じてるから」
「ははは。任されよ」
「あ、ちょっと待って」と言って私は熊のぬいぐるみの頬に触れた。
「頼んだわよ、私の熊ちゃん」
この言葉を最後に、私は、騎士アキーフの下を去った。そして、柱の陰に隠れると、ひっそりとアキーフと熊が去ってゆく様子を見守った。これでよい。これで。唇の片方を吊り上げた私はとても幸せな気持ちで彼等の背中を見送った。