王宮での暮らし -1-
ハロル……。
彼の事をどこから話せばいいのだろう。
ハロルを……、いや。全てを順序立てて追う方がよく分かるのかもしれない。
きっとその方がよい。
よく晴れたある日の朝、アルダ=トラントに連れられ、私は初めて王宮に足を踏み入れた。
まず庭があった。巨大な庭。その庭の中ごろに双首の狼の像があった。その像は幸運を呼ぶ像と知られ、貴族の中には熱心にこの像に手を合わせる人もいた。
しばらく歩くと庭が終わり、宮殿の内部へと続く頑丈な扉が待ちかまえていた。
ギィーという重たい音と共に、少しずつその扉が開かれていったことを覚えている。
あの時、確か私はその扉の中に見えた景色に、口を半開きにしたまま、その場で固まってしまった。
柱の隙間から赤やオレンジや青の光りが広間に向かって射しこまれ、等間隔に並んだ金細工の像がその光りに照らされていた。更に床には鏡のように光りを反射する石が一部の隙もなく敷かれており、建物の中なのに、そこは妙に明るかった。
「エミリア」と言うアルダの声で正気を取り戻した私は、先を行くアルダに追いすがるように広間に足を踏み入れた。
大きな広間を抜けると、今度は白を基調とした長い廊下が待ち受けていた。
「ここからが王族の住まうプライベートスペースだ」とアルダが得意げに言った。「まぁプライベートスペースといってもワシのような騎士やお前のような侍女は別だ。あくまでも外様はここまで、ということだな」
「外様はここまで」と私はオウムのように繰り返した。
私とアルダは、この白い廊下を歩いてゆく。
私は歩いている途中、何度も目移りがした。床、壁、廊下の端に点々と置かれた彫刻の至る所に金が使われていた。金がとても貴重な鉱物であることを私は知っていた。それは昔、大事な日だけに着飾った母上の首飾りにだけ使われていた鉱物だ。それを、こんなふんだんに……、惜しげもなく使うのか、と思った。
王宮の中と外では、富に対する感覚がまるで違うのだろう。王宮の外では、皆、わずかな金を尊み、好む好まざるとに関わらず貧相な家に住み、そして恐らく、王族の飼うペットよりも質素な食事をするのだろう。
まるで富の全てがこの王宮に吸い上げられているのではないか、と思えた。
それほど、この王宮という空間が異様なのだ。
すると、少し他の扉とは色調を異にする赤い扉の前でアルダが止まった。後ろの私にアルダは声をかける「粗相のないようにな」
私は軽く頷いた。
そして、アルダが扉をノックした。軽く、2度。
「ユリウスが騎士トラントでございます」
すると、中から甲高い女の声が聞えた。
「よう来た。だが、少し待て」
「はっ」とアルダは短く言うと、その扉の前の廊下で我等は立ち、声がかかるのを待った。
沢山の足音が聞えた。少し横に目をやると、廊下にはさきほどからせわしなく人が行き交っていた。恐らくこれら全てが近衛兵や侍女や従士なのだろう。
彼等はちらっとこちらをみて、軽く頭を下げ、そのまま通り過ぎて行った。
どれほどの時が経っただろう。
たぶんもう20分から30分ほどはここに立ちつくしていた。
入れてはくれないのだろうか? と思ったその時、突然扉が開いた。
アルダは、それを見越していたかのように中に入ったのだが、私はずっと立ちつくしていたことで足がうまく回らなかった。結果、自分のスカートに蹴躓き、思い切りその場に倒れこんでしまった。すると、甲高い女の声の笑い声が私の耳に飛び込んできた。
「あははははははは。これは何事じゃ? サー・アルダ=トラント」
「いえ、面目次第もございません。我が愚女がご迷惑をおかけいたしまして」
私は急いで立ち上がり、目を伏せた。
「エミリア。王妃様に御挨拶をせよ」とアルダが促した。
私は一歩前に出て目を伏せながら挨拶をした。
「アルダ=トラントが娘、エミリアでございます」
「ふむ」と王妃は溜息をつくように言った。「おもてをあげよ」
私はゆっくり顔をあげた。
大きな肘かけと、頬づえをつく腕と、そして赤い髪が見えた。燃えるような赤い髪。そして、その髪が腰のあたりまで伸びていた。赤い髪に、そして赤いドレス。恐らくシルクで出来たそのドレスには銀と金の竜の刺繍が施され、首にはとても大きな青く光り輝くサファイアがそえられていた。
そして、キリッと伸びた眉の下に優しげな目と年相応のしわがあった。
「エミリア。今日からあなたはわらわの為に働くのよ」と王妃は座ったまま言った。
「はっ」と言ったあと私はまた目を伏せた。王妃サマンサは次にアルダに顔を向けた。
「トラント殿。ご息女を預かるわ」
「はっ、光栄の至りでございます」
「そこまで畏まらなくてもいいのよ。ただ少し心配なのは、この子はドジだ、ということね。ちゃんとわらわの言った通りに出来るのかしら?」
すると、周りから他の侍女たちの笑い声が聞えた。
「あら、あなた達。トラント殿がいるというのに、笑うのは失礼ではなくて?」と王妃がとがめると、今度は一転して侍女たちは次々にアルダ=トラントに頭を下げた。
私は、目だけでちらりと王妃の顔を見た。
王妃サマンサの唇の片方がつりあがっていた。
これを見て、この空間は彼女の思うがままなのだ、と思った。
この空間は全てこの王妃様を中心にまわっているのだ。王の騎士であるアルダも、私も、侍女たちも、何もかも。
「エミリア。詳しい話はあなたの教育係のシェリンダから聞きなさい。では、わらわはこれで」とサマンサは言い、そのまま、その場からいなくなってしまった。
あの時の不思議な感覚を今でも覚えている。
私は、何故か王妃サマンサから無言の圧力を感じた。何もかも支配していて当然ともとれるようなあの態度から、支配者の匂いを感じた。何故自分がそう思ったかは分からない。だが、とにかく、とても強力な支配者の匂いを私は感じたのだ。




