衝撃と疑問
どれぐらいの間だろう。
僕はしばらくの間、言葉を失っていた。
たぶん、それぐらい母上の話から強い衝撃をうけたのだ。
そのおかげで、しばらく呼吸を忘れていた。
だから、僕はまるで全力疾走を終えた時のように、大きく息をついた。しかもそれだけではない。本当に苦しくなって肩で息をしていたのだ。
燭台の灯りが風も無いのに不自然にゆらゆらと揺れた。
その灯りから遠ざかるように背後を振り向くと、肩を上下させる僕とジッとした母上の影が寝室の壁に大きく映し出されていた。まるで化物のようだ、と思った。とても大きな化物だ、と。そして、灯りが揺れ動くたびに奇妙に揺さぶられるこの化物が、何やら母上の人生そのもののような気がしてきた。母上は早くに家族を亡くし、憎しみに捉われ、そして悪魔のように生きてきたのだ。
様々な感情が僕の胸の中で絡まり合う。
その感情を、僕はとても説明できそうになかった。
怒りではない。
悲しみでもない。
なんだろう。その説明することのできない感情は、左右にうねり、僕の中を縦横無尽に駆けまわっていた。それは、とても重く、そして深いものだった。
母上は家族を殺され、深く傷を受けた。
一方で母上は恐ろしい殺人鬼だった。
赤と青、白と黒が交錯するような、真逆の感情が僕の中に流れ込んだ。
僕は一度目をつぶり、頭を左右にふった。
母上は、そんな僕など無視するかのように話を進めた。
「あのあと、お父様……、いえ、アルダ=トラント殿の働きかけで、私は当時の王妃サマンサの侍女となり、王宮で生活することになりました。初めて王宮に足を踏み入れた日のことを今でも鮮明に覚えています。まず、床からして違いました。まるでガラスのように、光りが反射するほどに磨かれ、硬過ぎず、柔らかすぎず、なんというのでしょう。ああ、アベル。ここで生まれ育ったあなたに説明しても分かりませんわよね。とにかく、床だけとってみても他の何処の場所とも違ったのです。デイン城とも、他の貴族の屋敷とも。それだけ王宮は特別なのだと思いました。もちろん壁も、装飾品も、王宮を歩く人々が身につける衣服さえ、全てが輝いて見えました。だから当時の私はこう思ったのです。全ての富がここに集中しているのだ、と。デインの富もここに吸い上げられたに違いない、と」
母上の言葉の端々に王家に対する恨みが見え隠れした。
母上がそんな話をするうちに、僕の心はある出来事に対し想いを馳せていた。
それは、絡まり合う感情の出した答えだった。
明後日は僕の戴冠式だ。
明後日、僕はこのミッドランドの王になる。
だからこそ、この胸の底に溜まった黒い疑問を解決させねばならなかった。
王家には遥か昔から不幸な歴史があった。
王宮は己の欲望を満たす魔の館。権力の頂きに立つゆえに、その権力の座をめぐり争いが絶えなかった。相続の問題などはその最たるもので、王子が二人以上生まれると、それぞれに派閥を作り、様々な方法で争うのだ。王子とそれを取り囲む者にとって、玉座はあまりにも魅力的であったからだ。
過去には兄弟を毒殺してまで王の椅子を勝ち取った輩もいたと聞く。
誰かが言った。理由があってはいけない、と。争いの理由があれば王宮では争いが生まれてしまう、と。
王家にとって争いの種は少なければ少ない程よいのだ。
僕は一人っ子だった。王妃である母上のたった一人の息子。派閥争いなどおこるわけもなく、当然誰を毒殺する必要もない。
だから王宮は平和だった。僕は平和な王宮しか知らなかった。
だから当然、父上が死んだ時もそれが普通の死だと思った。誰も理由などない、誰も父上を殺す理由がない……、と。
父の名はハロル=ミッドランド。
母上の一族を葬ったミッドランド王家の王。
僕はどうしても母上に聞かなければならなかった。
どうしても。
そこだけは聞かねばならないと思った。
だから聞いた。
僕はほとんど泣きそうになっていた。
否定してほしかったからだ。
だからだろう。しぼりだした僕の喉からは酷く震えた声がでた。
僕にはそんな情けない声を出すことしかできなかった。
「あ、あの……。もしかして母上なのですか? 父上を殺したのは」