長い夜のはじまり -1-
近頃、王宮で不思議な噂を聞く。王子である僕の容姿がデイン家の者に似ている、という噂だ。僕の近衛を務める一番若いリラオラが教えてくれたのだ。
すでにあたりは暗く、燭台には明かりが灯されていた。僕は何となく寝転んだベッドからおきあがり、鏡の前に立ち、反射する自分の姿を覗き込んだ。
沢山のロウソクの炎の中から僕――アベル=ミッドランド――の顔が浮かび上がった。
僕の顔は概ね王である父上――ハロル=ミッドランド――に似ている。ワシっぱなも、きゅっとした頬も、固く結んだ唇も似ている。ただ一ヶ所……、目……。ギョロリとしたトカゲのような目。リラオラ曰く、この目がかつて権勢を誇ったデイン家の者に似ているらしい。
顔は両親のどちらかに似るというが、それは父上の細い目とは違った。無論、母上の目とも違う。というより母上と僕は顔つきがまるっきり違うのだ。
母上の顔は、息子の僕でさえ、綺麗な顔だな、と思う美人だ。曲線を描く柔らかな頬、ほどよい高さの鼻、切れ長だが上品な目、薄く甘い香りを漂わせる唇。それらが均等にバランスよく配置されているのだ。
この特徴が僕に受け継がれなかったのは本当に残念であるが、とにかくこの目のせいでそんな不思議な噂がたったのだ。過去には母上の不貞を疑った輩もいたのだとか、全く馬鹿げた話である。僕の顔のほとんどが父上に似ているのに、どうしてそんな話になるのだろうか?
そういえば僕が唯一母上から受け継いだ物がある。この金髪だ。母上の金色の髪は、サラサラして、長く、鮮やかでツヤがあり、王宮に並ぶ全ての人間がうっとりする程の代物だ。僕の髪は母上のよりはずっと短いが、サラサラで鮮やかな金色をしていて、人から羨ましがられる時もある。もっとも、僕がこの国の王子だからそう囃し立てられているだけかもしれないが……。
「そうだ、忘れるところであった」
僕は二度大きく手を鳴らした。すると、扉の外から側近のアルールが姿を見せた。僕はアルールに尋ねた。
「アルール、母上の具合はどうだ?」
「はっ、どうやらあまり思わしくないようで、侍女さえも遠ざけた御様子」
「なに? それで侍女たちは素直に下がったと言うのか?」
「はっ、そのようで」
「愚か者! 何のための侍女か!」
「しかし、そうは言ってもエミリア様の怒りに触れたらしく……」
僕は大きな溜息をついた。先日、王である父上が死に、葬儀を済ませたばかりだった。そして、明後日には僕の戴冠式があった。父上の死に、母上は気落ちしているのかもしれない。だが、何が何でも母上には元気になってもらわねばいけなかった。僕は、部屋のテーブルの上におかれた果物を近くの籠につめると、その籠を持ち、王宮の廊下にでた。アルールが心配そうに尋ねてきた。
「アベル殿下、どうするおつもりで?」
「母上を見舞う。恐らく、父上が死に、気落ちして病にとりつかれたのやもしれぬ。僕は息子だ。病に伏せる母を見舞って何が悪い。あ、アルール、僕についてくるなよ。侍女たちもだ。僕が直接母上の看病をしよう」
「……はっ、仰せのままに」
このアルールの神妙な態度に僕は頷くと、果物を沢山のせた籠を持ち母上――エミリア=ミッドランド――の部屋に向かった。
廊下は暗かった。僕は、その暗闇の中を歩いた。手燭を持たずに暗闇をうろつく僕にアルールは何かを言いたかっただろうが、僕はこの暗闇を好んでいた。暗闇は僕をミッドランド国の王子から、ただのアベルにさせた。僕は誰にも構われない時間や空間が好きだった。恐らく母上もそうなのだろう。神妙にする方も大変かもしれないが、常に尊大であらねばならない方も大変なのだ。僕はまだこの世に生を受けてから12年しか経っていない。僕は王子だ。だが、同時にまだ子供なのだ。
母上の扉の前には燭台の明かりが灯されていた。扉の前に侍女はいなかった。そこからも下がらせたらしい。そして、扉は堅く閉じられていた。
僕はここである事を思いついた。扉の鍵穴から母上の様子を確認するのだ。母上の部屋の鍵穴は頑丈な錠を使っているので少し穴が大きい。そこから中を盗み見ることができるなど、この王宮で恐らく僕しか知らない事実だろうが、久しぶりにやってみることにした。まず様子を確認し、母上の体が辛そうなのであれば引き返すつもりだった。この行為は、僕の想いやりに満ちた行為だった。
僕は鍵穴にゆっくりと顔を近づけ、そこから中を見た。
中には母上らしき女の人がいた。
座っていた。テーブルに手を置き、椅子に座っていた。
僕は何度か瞬きをした。
ちょっと意味が分からなかった。
しばらく目を瞑った。少しだけ、自分の頭がおかしくなったのではないかと思った。
もう一度だけ目蓋を開けた。
そこには母上が居る筈だった。
しかし、その椅子に座っていたのは、トカゲのような顔をした見知らぬ女だった。
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