奇術師
近頃、王都アヴァロンは荒れていた。アヴァロン史上類を見ない凶悪な犯罪者によって荒らされていたからだ。その犯罪者は、決まって貴族を椅子に座らせ、縛り上げ、死に至るまで顔を無残に焼く異常者だった。
しかも厄介なことに、その異常者は忽然と姿を現し、全てを終えると煙のように消え去った。一晩中屋敷の外を見張っていた男が、ふと屋敷に戻ると全てが終わっていた、ということもあった。
まるで起こっている出来事の全てが奇術のようだと人々は囁き合った。
そして、いつしかその犯罪者はこう呼ばれるようになった。
奇術師、と。
夜も更け、王都は、しんと静まり返っていた。
通りに乞食の姿はなく、大概の屋敷は暗く、そして、魚のウロコのようなごつごつとした雲の間から、時折ぽっかりと顔を出す月に、犬どもの遠吠えが連なった。
王都、貴族地区の一角に構えるエウデル子爵邸の書斎の闇の中でほんの少し何かが動いたのは、そんな時だった。
そこには誰もいないし、誰もそんなことに気づかない。暗闇に包まれた書斎には犬も猫もなく、一切の生き物の気配がなかった。雲が切れ、月明かりが書斎の床を照らした。そこには珍妙な模様の絨毯が敷かれてあった。次の瞬間、その絨毯がめくれあがり、私はその下から僅かに顔をだし、小瓶を床に転がした。
私は、小瓶が転がる軌道を確認すると、頭を引っ込め、絨毯が元の位置に戻る。
また、どこかから犬の遠吠えが聞えた。
――そろそろね。
再び絨毯がめくれあがり、私は、床下から、ぬぅ、と姿を現した。
部屋がやけに明るかった。
私は身をかがめ、視線を窓の外に移した。丸い月が空に浮かんでいた。満月か、と思った私は書斎の窓にそっと近づき、覗き見るように屋敷の外を見回した。外に衛兵の姿はなかった。
私は小さく「よし」と言うと、ポケットから五体の土の人形を取り出し、それぞれに息を吹きかけた。土人形は例の如く体をくねらせ大きくなり、五体の大男となった。
「手はず通りに」と私が言うと、五体の大男は、屋敷の各所に散らばっていった。恐らく屋敷の者は抵抗する事なんてできないだろう。小瓶の中につまったゾーイの魔法の効き目が確かなら、全員が眠っているはずなのだから。
土人形の大男達は、眠る使用人達を一箇所の部屋に押し込め、本棚や時計などの重い物で外から部屋を塞いだ。
私はそれを目で確認すると、息を整え、ゆっくりと居間に入ってゆく。
燃え盛る暖炉の前に、椅子に座る三つの影が見えた。
私は足を前に進め、手ごろな燭台に火を灯した。
椅子に座る三人の顔がはっきりと見えた。
そこには猿ぐつわをかまされ、椅子に縛られた白髪の翁と中年の男女の三人の顔があった。三人は眠っていた。
私の瞳はその中の白髪の翁に注がれた。
――エウデル。アーサー=エウデル子爵。
私は、自分の唇がつり上がってゆくのを感じた。
白髪の翁、アーサー=エウデルは、お父様が尻から杭を打ち込まれた時『このまま風に晒せばトカゲの干物が出来るんじゃないか?』と冗談を言い、ハロル王太子と共に我が父を侮辱した男だった。
眉間にしわがより、闇の中で右手が赤く光った。
まずは、この中年の男女……いや、奴の息子夫婦を殺す。
その姿をこの阿呆に見せつける。
苦痛にもがき苦しむ様も十分に見せつけてやる。
私が味わった気持ちを何十倍にもして返してやる。
そして、そのあと、ゆっくりとこの阿呆を殺してやればよい。
ひとおもいには決して殺さない。
ゆっくり、じっくり殺すの。
生まれてきたことを後悔するように。
じっくり、たっぷり殺してやる。
私はテーブルの上に置かれた、なみなみに注がれた銀のワイングラスを手にとると、それをエウデル子爵にぶちまけた。
エウデル子爵の目蓋が開いた。
「ん……、んぐぅうう……?」
エウデル子爵は左右を見回した。次いで私を見て、眉を潜めた。まだ状況が理解できていないみたいだった。
私は鼻を鳴らした。
「ごきげんようアーサー=エウデル。体調はどう? 人生を楽しんでいる? 幸せに生きているかしら? 本当に、お前のようなものが、のうのうと生きているなんて。人生は不公平よね。まぁ別にいいわ。もともと公平なものなんて何もないのかもしれないし。それに確かに人生は不公平なものなのだから。誰にとってもね。
大貴族の娘が、突然全てを失ってしまったり、今まで絶頂の人生を送っていた貴族の一族が、ある日、椅子に縛られ、顔を焼かれて皆死ぬことだってあるのかもしれない」
窓から隙間風が吹いた。とても冷たい隙間風が。
「さぁ裁きの時間よ。今までの絶頂だった人生の全てを後悔させてあげる」