誕生 -3-
つまり、こういうことらしい。
ゾーイの目的は魔女の生まれ変わりを見つけ、いっぱしの魔女に育てあげることらしい。その他には私――アナスタシア――の欲望を満たすことこそがゾーイに科せられた使命なのだという。とにかく、彼女はその使命を果たす責任と引き換えに魔法という力を授けられたのだ。
「私達“運ぶ者”は異界の神々に仕えていた一族の末裔なの。時が来るとね、私達の一族の中から“運ぶ者”が選ばれるの。あの時の気持ちを昨日のように覚えているわ。肌がビリビリするほど興奮して、思わず赤ん坊の首を落としたい衝動に駆られたわ。とにかく、それぐらい興奮して、自分を誇りに思ったの」
私は黙ってゾーイの話を聞いていた。
「まぁ、それはいいのだけど。私の故郷では、運ぶ者に選ばれた者は1年以内に旅立たなければならない決まりになっていたの。根源の魔女を探しだすためにね。運ぶ者が選ばれるタイミングっていつも同じ。根源の魔女のうち誰かが死んだことが合図になるの。私たちの族長にはそれが分かるの。もちろん私はすぐに旅立ったわ。三日分の食糧だけ握りしめてね。どんな困難にも打ち勝ってみせると思ったわ。だって、これほど素晴らしいことが他にあるのかしら? いや、あるわけがないわ。だって、根源の魔女を見つけ、導くのよ。なんて素晴らしいのかしら。ねぇそうでしょう? アナスタシア」
相変わらずゾーイの喋る理屈は酷く奇妙なものに聞えたが、そのせいもあり、この訳の分からない継承システムも、その理由さえも、野に咲く花や毎日昇る太陽のように、ただその場に漠然と存在するものなのかもしれないと思えた。きっと、一度に奇妙なことがおこり過ぎてしまったことも関係しているのだろう。私の頭はそのおかしな理屈をわりとすんなり受け入れてしまった。というよりも、たぶん、それ以上考えたくなかったのだ。
私は忙しかった。他のどうでもよい者の理屈などに頭を割く時間などなかった。
私に人生を捧げたければそうすればよいし、おかしな生まれ変わりのシステムを維持したければ勝手にそうしていればいい。
重要なことは、最後のデインである私が未だ健在である、ということだった。
でも、待てよ、と思った。
すると、頭のどこかで閃いた単語が口をついた。
「これも又聞きよね?」
私の言葉に、ゾーイは顔を曇らせた。
「別に私は理由も理屈も気にしないけど、又聞きを信用するなと言ったのはゾーイよ?」
私の言葉を聞くとゾーイは腹を抱えて笑い始めた。
「そうね。確かに又聞きね。今の私の言葉を確かめるには私の生まれ故郷にきて、その風習を、見て、感じる必要がありそうだけど、そうする?」
私は首を横にふった。
ただ少しだだをこねてみたかっただけだ。
私の頭はすでに切り変わっていた。
復讐のためには魔法が必要。
そして、それがどんな魔法か、私は知らなければならない。
私の目つきをみたゾーイの唇の片方がつり上がった。
「すでに学ぶ準備は出来ているみたいね」ゾーイは、そう言うと透明な板をなぞるように指先を下から上へとゆっくり動かした。すると、私のすぐ手前のぬかるんだ地面がわずかに盛り上がった。私は少し体をビクつかせ、眉をひそめ、盛り上がったぬかるみを凝視した。
瞳孔が開いた。
盛り上がったぬかるみが裂け、その裂け目から板状の氷の塊が立ったまま姿を現した。
口が半開きのまま、私は吸い込まれるように氷の中のある一点を見つめた。
女がいた。
長方形の形をした分厚い氷の板の中に、金髪の女が閉じ込められていた。
私は石の椅子から立ち上がり、眼前にそびえ立つ氷の板に寄った。そして、中の金色の髪の女の顔をジッと見つめた。バランスのとれた美しい顔立ちをしていた。私のトカゲのような目とは違う、切れ長の目。柔らかそうな頬。うすく上品な唇。
「これは?」と私は振り返りゾーイに尋ねた。
「これ? これはね。プレゼントよ。あなたの魔法の特性を考えたプレゼント。だって、これからこの女の顔があなたの顔になるのだから」
――私の顔?
私は困惑の色を浮かべるがゾーイは止まらなかった。
「この顔だけじゃないわ。あなたの顔はどんどん増えるの。あなたの魔法によってどんどんね。あなたのやりたいこと、私には全部分かっているわ。
復讐をしたいのでしょう?
あなたの家族を奪ったミッドランド王家と、それにつき従うものたちに……。大丈夫。ちゃんと分かっているから。なんといっても私はあなたの理解者なんですもの。
そう、思う存分やるといいわ。全てをあなたの炎で焼きつくすの。あなたの原始の魔法で何もかも」
そうゾーイが言い終ったと同時に私の右手が熱くなってきた。
まるで炎がそこから生まれくるみたいに。
「それが原始の魔法」とゾーイの声がささやく「原始とは、はじまりの意味。はじまりの魔法。原始の魔法は二つの特性があるの。その一つ目は火」
私の手が真っ赤に燃え、そこから炎が燃え上がった。眼前にそびえ立つ氷が不自然なくらいに急に溶けはじめ、中に閉じ込められていた金髪の女の死体が地面に崩れ落ちそうになった。私はそれを寸前のところで受け止めると、何かに導かれるようにその女を抱きしめた。右手の炎が消えた。私は、その手で女の髪を触り、ついでゆっくりと頬を撫でた。地面に水たまりができていた。
ゾーイの声が聞えた。
「二つ目は土。相手の顔に触れ、それを異界の土に記憶させるの。さぁ、その女の顔を触った手で自分の顔を覆ってごらんなさい」
ゾーイに言われるがまま私は、女を抱きかかえたまま自分の顔を手のひらで覆った。
予感があった。
たしかな予感が。
私は、自分の顔を覆っていた手を外し、足下に広がる水たまりを恐る恐る眺めた。
そこには顔が映っていた。
切れ長の目。うっすらとした二重。まっすぐのびた眉毛に長いまつ毛。すらっとした鼻。あまり主張しない頬骨。うすく上品な唇。やわらかな曲線を描く頬と細い顎。
次いで、自分の腕の中の金髪の女の顔を見た。
同じ顔だった。
水たまりに映る私の顔は、この女と同じ顔になっていた。
「火と土の特性をもつ魔法。それこそが原始の魔法よ。つまり、それがあなたの魔法なのよアナスタシア。あなたは根源の魔女。この力を極める資格を持っているただ一人の魔女なの」
少し肌寒い風が城壁と城の隙間を通り抜けた。
私は、金髪の女の死体をそっと地面に置くと、その死体に向かって手のひらを広げた。
「ゾーイ。彼女の名は?」
「彼女? ああエミリアね。彼女はエミリア=トラントって名前よ。王家の騎士の娘なの。おてんばで、気が強くて、騎士に憧れていた。この子の記憶によると親の反対を押し切り今回のデイン討伐に参加したけど、戦が激しくなったあたりであっけなく死んだみたいね。まるで歌いきり、ちからを使い果たした蝉のように」
長い沈黙が二人の間に流れ、やがて私は「そう」と言った。広げた手のひらが徐々に赤く燃え上がる。
「さようならエミリア。もし会う機会があったのなら今度は死者の国マグ・メルで会いましょう。きっとあなたも私に言いたいことの一つや二つがあるだろうから。その愚痴、私が死んだあとでたっぷり聞いてあげる」
そこまで言うと、私はエミリアに狙いを定め、指先に力を込めた。
一瞬だった。
私の手から放たれた黒い竜のような炎がエミリアを飲み込み、灰が舞った。
黒くなった草木に炎が立ち込め、そのまわりの緑に小さな火が燃え移った。
ゆっくり燃え広がってゆく草木を背に、ゾーイが言った。
「あなた本当に魔法の初心者なの? とんでもない才能ね」
私はゾーイの言葉を無視し、右手を握り赤くなった手の炎を消すと、眼前にそびえ立つ大きくて黒いデイン城を眺めた。夕暮れ時の朱色の光が眩しいぐらいにデイン城を西から照らしていた。
光りが、私の瞳にチラチラと突き刺さった。
お父様が、往け、と言っているような気がした。
南へ往け、と。
私は首を振り、西日を右頬にうけ、その新しい顔で南の方角を眺めた。
南……。
南部……。
王都アヴァロン。
そう。ミッドランド王家。
予感があった。戦える、という確かな予感が。
一人対一国という戦いであっても、知恵と工夫と、そして魔法によって戦えるだろう、という確かな予感が。そして、その予感は1年後、本物の手ごたえとなった。
蝋燭の灯った薄暗い十m四方の部屋で私はその時を待っていた。私は薄目をあけ、ポケットの中にある小瓶をチェックした。次いで横に目をやる。ゾーイが目をつぶり、あぐらをかき、ずっと呪文を唱えていた。
移動などの補助魔法はゾーイが使う。その準備がまだ出来ていなかった。
時がきたら、私は眼前のそのドアを開け、上に続く階段を昇って行けば良い。ただ、それだけでよい。ゾーイの魔法で獲物の家の床下に繋がる筈だ。
部屋の蝋燭の炎が一斉にゆれた。
目をつぶっていたゾーイは呪文を止め、ゆっくりと目を開いた。
「繋がったわよ、アナスタシア」
私は二三度頷くと、すっくと立ち上がった。すると、ゾーイが釘をさすように言った。
「分かってると思うけど……、魔法は、小さく、素早く、よ。大きな魔法はダメ。大きく激しい魔法には歪みが伴うだろうから。歪みはやっかいよ。歪みはとっても危険。歪みはあらゆる害をもたらすの。魔女の体。時には誰かが使った大きな魔法によって色んな物が歪められてしまう。運命であったり、人の生き死にさえもね。まるで時空がねじれるようにそこに歪みが発生するの。もちろんアナスタシアがそれを望むのであれば構わないわ。大きな歪みがこの世界にどれほどの影響をあたえるのか、私も興味があるし」
相変わらず回りくどい喋り方をする、と思った。大きな魔法を使うな、と言いたければ、ただそういえばいいのに。
「分かってるわゾーイ」と私は溜息混じりの返事をすると、ドアに手をかけゆっくり引いた。すると後ろからゾーイの声が聞えた。
「最高の魔女と謳われた時のヘルガも、そういう基本を忘れなかったそうよ」
私は、ああ、私と私の一族の結末を予言した魔女か……、と思った。最高の魔女の真似をしろとでも言いたいのだろうか?。
眉間にしわがより、歯と歯が擦れあう音が耳の奥にひびいた。
私には関係ない。その魔女は私の結末を知っていたのに私に関わろうともしなかった。結局私の運命を変えたのはゾーイだし、今の私には魔法がある。
私にできないことなど何もない。
階段の奥にほんの少し青い光が見えた。
あとはこの暗い階段を昇ってゆくだけでよい。そう、それだけでよい。
私は、ゆっくり、ゆっくりと暗い階段を昇り始めた。