デイン城 -2-
私は尻もちをつきそうになった。王家が相手だなんて思わなかったからだ。それにこの敵の数。本当にどれぐらいいるのだろう。
私は眼下に広がる“人の群れ”に目を向けた。城壁の外にはおびただしい数の兵士がハシゴを昇り、矢を放ち、外壁が一部崩れたところからよじ登って来ていた。
彼等は死骸に群がる無数の蟻のように次から次へと湧いてきた。気持ち悪かった。この蟻共の全ての殺意が我一族に向けられているのかと思うと、食べた物をその場で戻してしまいそうな気分になった。
「ねぇゾーイ」と言い横を向いたが、そこにゾーイはいなかった。たぶん、説明なんてしたくなかったのだろう。全てを見て、そして感じろ。そう言いたかったのかもしれない。
その時、放物線を描き飛んできた大きくて丸い岩が、正面の城壁を吹き飛ばした。私は見張りの塔から身を乗り出し、そこを見た。割れた壺の底から一気に水が流れ出すように、敵がそこめがけ一気に押し寄せた。デイン家の兵士達はその蟻の群れに次々と体のどこかを引きちぎられ、悲鳴が鎖のように繋がった。そうしている間にも敵は尚もそこに押し寄せ、もうこちらはどうすることもできなくなった。
お父様は目をつぶり、深く一度息をつき、鞘から剣を抜いた。お父様の表情がどんどん変わってゆく。ギョロッとした目がハッキリと定まり、余計な緊張が消えていった。覚悟の顔だ、と私は思った。
胸が苦しくなり、手が震えた。分かるのだ。もうこれで終わりだ、と。もう永遠に会う事はできないのだ、と。
私は歯を震わせながら「お父様!」と叫び声をあげた。聞えないと分かっていてもそうせざるをえなかった。すると、不思議なことにお父様はこちらを向いた。
目があった。
優しい目をしていた。
私は口をあけるが言葉にならない。目から涙があふれてきた。
するとお父様は笑った。
「しばしの別れだ。死の国マグ・メルにて、また会おう」
そう言うと、お父様は元来た階段を駆け下り、見張りの塔から消えた。ここに残されたのは霧のような体を持つ私だけとなった。
涙がこぼれ落ちた。
やがて嗚咽がはじまり、私は膝から床に崩れ落ちた。
私は嗚咽を止めることができなかった。
鼻をすすりながら思った。
お父様には私が見えたのだろうか。
分からなかった。何も分からなかった。
城の各所から悲鳴が聞こえた。悲鳴。いや、それは断末魔という方が相応しい表現なのかもしれない。城はそんな声で満たされた。私はその場を動けなかった。いや動きたくなかった。見るのが恐ろしかったのだ。見たら永遠にそれに囚われそうな気がしたのだ。聞くだけでよかった。いや、聞くのも嫌だった。もう目と耳を塞ぎ、このまま床に額をつけてじっとうずくまっていたかった。
それはダメ、と誰かが言った気がした。
私は首を左右に振ったが、声の主はいなかった。ゾーイの声ではない。たぶんこの声は私の中の誰かだ。
その声は、デインの名を持つ私の義務だ、と言った気がした。私が死を看取らずに誰が看取るのだ。そう言った気がした。声は私に語りかける。
――だって、あなたはデイン。デインでしょう? この土地で生まれ、この土地で育ち、この土地の主だった者の一族なんでしょう?
私は頷いた。
――ならばこの土地のために生き、この土地のために死んでいった全ての者の生と死に対しあなたは責任があるの。それがデインの名を受け継ぐ者の宿命。さぁ涙を拭きなさい。鼻水をぬぐいなさい。嗚咽混じりの声なんて聞きたくもない。さぁ言いなさい。あなたは誰?
「私はデイン。アナスタシア=デイン」
――立ち上がりなさい。アナスタシア=デイン。
私は小刻みに震えながら立ち上がった。
私の心はまだ定まっていなかった。
血を見る覚悟も、家族の死を見る覚悟もできていなかった。でも立ち上がった。私はきっと、そうあらねばならなかったのだ。
私は呪文のように自分の名を言った。
「私はデイン。アナスタシア=デイン」
私は見張りの塔を後にし、一歩一歩急こう配の階段を下っていった。そして暗闇の中に潜っていったのだ。




