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コツコツと歩く音が響く。
高い天井と長い廊下。どこに目をむけても精錬された模様が描かれており、飾られている装飾品はどれも高圧的な雰囲気を醸し出している。
何度か訪れたことがあっても慣れない空気感に、胸が潰れそうになる。
「ユリウス」
名前を呼ばれてハッと顔を上げる。
大丈夫か?と、胡桃色の瞳が訴えている。その様にクスリと自然と笑みが浮かぶ。朝食のとき、家を出る前、王宮に着く前、何度大丈夫かと聞かれたか分からない。
「父様はお仕事に行ってください、僕は大丈夫ですので」
「しかし、」
「ご心配には及びません。我らが御子息を害することは、決してありません」
ラグナの言葉を遮るように第三者の低い声が響く。
紫がかった漆黒の髪を肩までのばし、青藍色の上質な織物に身を包んだ青年。背筋良く佇む姿が、ユリウスに与える物々しさを助長させている。
この世界で青藍色の服を着ているということは、彼が優秀な王宮魔導師であるということ。本来、平民であるユリウスやラグナがお近付きになることのない存在であるということ。
「これより先は御遠慮願います」
はっきりと言い切られ、あからさまにオロオロとする父、ラグナの姿に何故か安堵を覚える。そっとラグナの手を取り、ユリウスは言う。
「頑張りますので、終わったら父様のお仕事の見学させてください。ね?いいでしょう?」
「それは、構わないがっ」
「ありがとうこざいます。そのご褒美があれば、僕は大丈夫です」
ユリウスがそこまで言うと、ラグナは諦めたように息を吐く。ユリウスの小さな手をラグナは優しく握り返す。
「無理はしない。約束できるね?」
「はい」
「気分が悪くなったら、すぐに言うんだぞ」
「はい」
「出来ないことは、出来ないって言うんだぞ」
「はい」
「それから…」
「父様!」
永延と続きかねない小言にユリウスが先に根をあげる。少し気まずそうに後ろにいる青年を一瞥してから、ユリウスに向き直したラグナの表情がいつになく真剣になる。
「何があろうと父も母も、ユリウス、お前の味方だからな」
優しく握っていた手に力が込められる。
それが、その言葉が純粋に嬉しい。自分はこんなにも両親に愛されていると自覚させてくれる。
「はい」
そう答えたユリウスは年相応の無邪気な笑顔を浮かべていた。
「では、こちらへ」
青年の案内でラグナの手を離す。
「何卒、よろしくお願いします」
ラグナが自分より年下の青年に深々と頭を下げる。それはユリウスの姿が見えなくなるまで続いていた。
―あお―
それは、この世界で特別な意味をもつ。
剣と魔法と、滅びの世界。
世界の歴史は滅びの歴史でもあった。
世界が繁栄し笑顔が溢れると、滅びが始まる。魔王が生まれ、天災が起き、魔物が蔓延る。人心は荒れ、世界が闇に覆われる。
世界が終焉を迎えようとする、そのとき。蒼き瞳を持つ乙女によって魔王は淘汰され世界は再び息吹を吹き返す。
いつしかその者は神より遣わされた救世主として『神子姫』と呼ばれ、人々の崇拝の対象となった。その崇拝は彼女の持つ瞳の色にも及び、この世界で―あお―は特別な意味を持った。気軽に身につけることの許されない、崇高な色。
これは子供に読ませる御伽噺であって、人々が憧れる伝説であって、古からの伝承で、何よりも史実なのである。
そして、歴史は繰り返される。
滅びも、また繰り返される。
そして現在。
魔王の誕生がまことしやかに囁かれていた。天災が増え、魔物の活性化が報告されている。
このことは王宮のごく一部の者にしか知らされていない。しかし、確実に増えている災害に気付くものは気付き街は混乱と恐怖に覆われていた。
そんななか。
クラウディア家の第一子として生まれ、ユリウスと名付けられた少年。彼の瞳は、真夏の日差しの強い青空のような鮮やかな青色をしていた。
『 きっと神子姫様からの僕ら家族への祝福だよ』
『ふふふ、きっとそうね』
誰もが畏怖する瞳を前に、のん気とも言える会話ん繰り広げたラグナとリアーナ。
決して裕福とはいえない家庭で、何不自由なく、ユリウスは愛情いっぱいに育てられた。彼の生家が王都より離れた田舎にあったのも幸いしたのかもしれない。子供の少ないその村で、子供というだけで重宝された。したがって、その瞳を理由に周囲から疎まれることも、崇められることもなかった。
実際、ユリウスが蒼い神子姫の御伽噺を聞いても、それは空想上の御伽噺でしかなかった。
この王都に来るまでは。
そもそも、田舎でひっそりと暮らしていたクラウディア家が王都に越すことになったのは、ユリウスが7歳の頃。
いつもの様に遊んでいたユリウスは、銀色に輝く鎧を身につけた騎士に出逢った。その騎士は王命を受けて旅をしていた。神子姫の生まれ変わりを見つけ出すという不可能に近い王命。
「…み、見つけた!あなた様だ!」
そう涙していた騎士との出逢いから数ヶ月後、田舎には不釣り合いなほど仰々しい一行が現れた。言い知れぬ恐怖に両親の後ろに隠れたことを覚えている。
その中でも1番偉そうな長上と両親が話し込んだその日の晩。両親に聞かされたのは、蒼い瞳の持つ重い宿命。
自分が魔王を打ち破る唯一の存在で、世界を救う義務があること。
そして、蒼い瞳を持つ者は世界でユリウスのみであるということ。
御伽噺だと思っていたものがユリウスの現在で、そして未来だった。
我が子を戦地に出さなければならないことにリアーナは泣いていた。そんなリアーナを支えるラグナの顔も憔悴しきっていた。
そんな2人を前にユリウスは僕は大丈夫ですと言うしかなかった。
そうして、ユリウスは王宮の監視下におかれることとなり居住地を王都に移すことになった。
当然のようにラグナもリアーナも一緒に。
もとより鍛治屋を生業にしていたラグナは、王宮鍛治師として雇われることになり、生活の質は前よりもずっと良くなった。鍛錬できる金属の質も種類も村にいた頃と比べものにならないとラグナが生き生きと仕事をしてる。そのことがユリウスは嬉しかったし、ラグナが鍛錬しているところを見学するのが何よりも楽しみだった。