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誰も知らない《その人》は…

ある人は言った。


『我 事において 後悔せず』

と、


アヤトはここまで沢山の選択をしてきた。

無論、チトセやテスも同じである。


彼らは自分の行なった選択に後悔しているのだろうか?


少なくとも、「今は」後悔していないだろう

彼らは自分が選択した運命のレールに何の疑問もなく今を過ごしている。


しかし、それらの選択を後悔する可能性はゼロではない。

いつか、後悔する日が来るのかもしれない。

「あの時…していれば…」

「なんであんなこと言ったんだ…」

なんて、よくある話。


私に言わせてみれば、

人は常に後悔する種を撒いている。

わかりやすく言えば、日常的に選択をしている。ということになる。


「後悔するな!」

なんて言葉は、あまりにも不可能である。


後悔するかしないかは、自分にすら分からない。


「思い切ってやれ!」

なんて言葉もあまりにも暴力的だ。


思い切ってやってそれで失敗したら、それはまた後悔になる。

思いとどまっても後悔が残る。


これこそ「ジレンマ」というものだ。


しかし、

思い切ってやってやることに否定はしない。

ただ、あまりにもギャンブル的な賭けは良くない。





と、いうように、選択肢から「後悔の無いもの」なんてものを選ぶ事など不可能に近い。


撒いた後悔の種から芽が出ないことを祈るようなものだ。




何度も同じことを言うが、人間は選択をして生きている。

それは、必ず答えなければならない選択問題。


もちろん、自分で選択肢を作り上げることも可能性としてはある。

しかし、どのような選択肢を創造出来るかは人次第。



彼らがどのように運命を選ぶのか、そして、後悔をするのか、ゆっくり、じっくり、見ていこうじゃないか…


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