帰る畦道、懐古話
一頻り。
同心円状の波紋のように、鐘の音が遠くへ向かって鳴り渡る。
先程は音の始まりからさざめいていた人の声も、忙しなく行き交う人の影も、今は無い。
目を向けて進む先は昇降口。
連なって床を叩く音。
無遠慮に優美をもって叩くは二つ。
「ねぇねぇ」
「・・・なにかしら」
「あの結果。どうだった?」
「・・・どうもこうも、そのままでしょう」
「だってー。順位上げてきてるんだよ?ほんとかなー」
「妥当ね」
「即答!?」
「・・・むしろ主席で卒業よ」
「人気投票に卒業ってなんだ!」
多段大量に並んだ下駄箱を迷い無く進み、流れ作業のように履き物の脱着を行う。
片手に持った黒色の鞄が歩くに振られて昇降口を飛び出し、次いでしっかりとした歩様で足を踏み出す。
「ゆいちゃん待ってるかな?」
「・・・あちらの方が早いから待ってるでしょうね」
「んじゃ急がなきゃね」
後ろに連なる校舎を足早に後にする。
鉄柵門は入った時と同様に開かれたまま、端の人気がない詰め所も素通りしてゆく。
歩幅を合わせるように忙しく歩きながら、
「・・・お昼はどうするのかしら」
片腕を上げて、柔らかに巻き付く小さな時計をチラリと見やる。
「当然、食べるよー。ゆいちゃんと作戦会議するんだし、材料買って作ればいいんじゃない?」
「・・・そうね。何がいいかしら」
「朝、うちはお魚だったなー。妃は?」
「・・・ラーメンよ」
「朝から重っ!なに、味噌?醤油?」
「・・・団栗よ」
歩様は緩み、視線は妃へ。
「・・・ん?どんぐり?」
「・・・そう、団栗」
「それ大丈夫なやつ?」
「・・・美味よ」
「へー。妃ママって結構アクロバティックなご飯つくるよね」
「・・・承知してるわ」
「じゃあお魚とラーメン以外で・・・今日は寒くないから冷たいものでもいいかもねぇ」
「・・・くすキングに寄ればなんでもあるでしょう」
「まぁそっか」
ポケットから携帯端末を取り出し、片手で画面をタッチしてゆく。
「・・・いいけど、もう向こうに見えるわよ」
「えっ」
顔をあげて歩み進む道の先を見る。
左手に続く灰塀をなぞると途中で途絶え、重厚な漆黒の柵が現れる。
その途絶える末端の灰塀に背を預け、黒い学生鞄を両手で持った少女が空を仰ぎ見ている。
「あらら、ゆいちゃん待っちゃってるよ。走る?」
「・・・見えてるんだから大丈夫よ」
と、空を見ていた少女がこちらに顔を向ける。
そして少し首を傾げると、
「あ、気づいた!おーい」
携帯端末を持ったまま手を振る千華に、
「・・・!」
少女は手を振り返し、背を預けていた塀から離れると小走りにこちらへ向かってくる。
「わっ、走ってくる。くぅー、ゆいちゃんかわゆいのぅ」
「・・・おやじくさいわね」
ツッコミには返事を返さずにまにまと笑顔の千華と、感情の読めない無表情な妃。
やがて二人の近くまで来た少女は速度を落として立ち止まり、
「おかえりなさい、千華ちゃん、妃ちゃん」
にこりと満面の笑みで温かな言葉をかける。
「うん、ただいまゆいちゃん」
「・・・そちらもお疲れ様」
唯理は反転し、二人に速度を合わせて歩きだす。
「天梨ちゃんと詩羽ちゃんは今日も部活?」
「そだよー。天梨は試合前だから長めって言ってたなぁ。詩羽はサッカー部の歓迎会だっけ?」
「・・・打ち上げじゃなかったかしら」
「そうそう、打ち上げだ」
「そっかー。おにいちゃんは?」
「月理?学校で見かけたけど、今はどこかなぁ」
「・・・友達とご飯でも行くんじゃない?」
「じゃ、連絡してみるねー」
唯理がスカートのヒダから携帯端末を取り出すと、ポチポチと打ち始める。
「ゆいちゃん待っちゃった?ごめんね」
「ううん、大丈夫だよ。教室で友達とお喋りしたり、出た課題やったりしてたから」
「あら偉い。ってもう課題出てるの?」
「うんー。三年生は受験があるから、早めに課題出すんだって。テスト返されながらだったよー」
「うわー大変だー」
話しながら朝、昇降を行った陸橋の麓にたどり着く。
立ち止まる千華に素通りしてゆく妃。
「おーい、妃?」
「・・・くすキング、寄るんでしょう」
「あ、そだった」
「お買い物していくの?」
つられて立ち止まった唯理に、
「そうそうお昼!何か材料買ってって作ろうよ」
「わぁ、いいね!さんせー」
先行く妃に追いつくように、小走りで駆ける二人。
気付けばゆっくりと駆け上がっていた太陽が頂上で立ち止まり、灼熱の業火をあくまでも穏便に地表へ届ける。
まだ遠い春を先取りするように、行き交う人々は皆一様に厚手のコートを手に提げていた。
道は続く。
延伸された舗装路もやがて途絶え、土と雑草の混じる畦道となる。
道の両端、片端は鬱蒼と生えた針葉樹が寒風を防ぐように延々と連なり、もう片端は芝生の下り斜面となっていて、眼下には水気の失せた田んぼが広がっている。
三人の進行方向、突き当たりに待ちかまえるように大きな土倉が見えてくる。
「ねね、ご飯何作ろっか?」
「うーん、、、千華ちゃん食べたいものある?」
「今日意外と暖かいから、冷たいものでもいいかなぁって。あ、でもお魚とラーメンはパスかなぁ」
「昨日のお夕飯?」
「ううん。朝ご飯だよー」
「わっ。朝からお魚とラーメンだったの?いっぱいだねぇ」
「あはは違う違う。お魚は私で、ラーメンは妃」
「え、妃ちゃん?」
「・・・できれば麺類は外してもらえると嬉しいわ」
突き当たりにたどり着き、建物に沿って左右に分かれる畦道を左手に曲がる。
視線を掠るような高さで続く塀の内側、連なる土倉からは地響きのような唸る音が聞こえ、その入り口では人々がひっきりなしに出入りを繰り返している。
「あ、お酒の香り」
進行右手に長く続く塀を乗り越えてくる香りに、歩きながら顔を向ける。
「最盛期だからねー」
「そっかー。千華ちゃんのところも大変だよね?」
「うちは小さいからね。そんな無理するシフトでも無いし、鯨井さんとこほど大変じゃないかな」
「・・・その割にシフト結構入れてるじゃない」
「あれは、ほら、好きで入っているだけだし?神楽さんとか龍さんみたいに責任負ってる訳でもないから」
「えー、それでもすごいよー」
「えへ。ありがと。でも唯ちゃんもお店のお手伝い頑張ってるよね!」
「うーん。わたしのは趣味の延長だから」
「・・・唯理ちゃんはうさぎ、飼わないのかしら?」
「あ、うん。わたしはどちらかというとグッズ好きなのかも。もちろん本物も好きだけど」
「ののちゃんとも仲良しだし?」
唯理は少し困った顔をして、
「あうー。千華ちゃん意地悪だよー」
千華はぺろっと舌を出して、
「えへへ、ごめんごめん」
「・・・ののとは相変わらず?」
「うん。ご機嫌な時はいいんだけど、普段はケージの扉開けようとするだけで大変だよー」
「ののちゃん、気強いからねぇ。私は何だか下に見られてるような気がするし。・・・あれ、妃は仲良しさん?」
「・・・どうかしら。悪くはないと思うけど」
「確かに。妃ちゃんはののと上手くやってる気がするなー」
「ふわりんはどう?」
「ふわりは大丈夫ー。撫でても怒らないし、気付けば横で寝そべってる感じかな」
「ま、今日もののちゃんは妃に任せましょう」
と、
「お、千華ちゃん!」
塀の内側、土倉の入り口から声がかかる。
現れたのは日焼けした恰幅の良い男性で、暖かながら季節感は崩さない気温の中、半袖に半ズボンと年季の入った濃紺の前掛けを身につけている。
「あ、おじさん。こんにちは」
「こんにちはー」
「・・・こんにちは」
三者三様の挨拶と会釈で、
「おう、こんにちは!学校の帰りかい?」
「はい。おじさんは仕込み中ですね」
「そうよ、忙しいったら無いよ。まぁ忙しいのは有り難いことだけどねぇ。千華ちゃんとこはどうだい?」
「おかげ様でうちも大忙しです」
ガハハと豪快に笑うと、
「そうこなくっちゃ!そうだ、お父さんに言っておいてくれるかい?また勉強会やろうって」
「はい、伝えておきます。龍さんも楽しみにしてましたよ」
「おぅ、それじゃまたすぐにでも開かないとなぁ。千華ちゃんも来られたら来てよ!」
「はい、もちろん」
「いいねぇ。雪下さんとこは安泰だ!やぁ羨ましい羨ましい」
そこに土倉から新たに出てきた男性が辺りを見回し、こちらを見つけると声をあげる。
それは前掛けをしていた男性の名だろうか、男性は振り返ると、
「おぅ、今行く!」
怒鳴るように声を張り上げると、
「それじゃまた!お父さんによろしくね」
「はい」
後ろ手に片手を挙げて、土倉へと突進するように戻ってゆく。
その姿が土倉の中へ消えたのを見ると、三人は顔を見合わせ、止めていた足を再び動かし始める。
「・・・いつもながらの熱血ね」
「元気いっぱいだよね、鯨井さん。お勉強会って言ってたけど、千華ちゃんも出てるの?」
「ん?うん、そうだよー。みんなの意見とかが聞けるチャンスだからね。すごいタメになるよ」
「・・・それ、ただの宴会じゃない?」
軽く苦笑を浮かべると、
「まぁ最後の方はね。でもみんな真剣に議論してて、私も頑張んなきゃなーって思うよ」
そして歩きながら遠くを眺め、
「でもみんなお酒呑みながらでいいなぁ」
ぽつりと呟く。
「・・・それが本音ね」
「うぐっ。い、いいじゃん、お酒呑みたいし。妃だってそうでしょ」
「私は別に。悪く思うことはないけれど、取り立てて良いってこともないわ」
「むー、クールだなぁ。あ、じゃあ唯ちゃんは?」
「えっ、わたし?うーんそうだなぁ・・・わたしはまだまだ先だからちょっとよくわからないかな」
「そっかー」
右手に長く連なっていた塀が途切れ、再び枯れた田んぼが姿を表す。
進行方向から水平垂直に延連と続くその姿に、
「・・・自家米、か」
千華が言葉を漏らす。
「・・・何、お米から作るの?」
「うん、すごい興味があるんだ。だってお酒の唯一にして最大の原料だよ?作るとこまで拘ってみたいよね」
「・・・その余裕はあるのかしら」
「まぁ無いよねー。ただでさえギリギリの人数だし。それに酒米に詳しい人はいても、お米作りに詳しいかって言われると・・・」
歩きながら器用に腕を組む。
「千華ちゃんのおうちは、どこのお米使ってるの?」
「んとね、先々代、私のひぃおじいちゃんの頃から懇意にしてる農家さんがあって、そこに卸してもらってるんだー」
「そっか。それじゃあ長いお付き合いなんだね」
「そうそう。でも私は小さい頃に連れられて数回行ったことがあるくらいかなぁ」
「・・・そこ」
言葉を区切る妃に首を傾げ、
「どこ?」
「・・・その農家さん。同い年くらいのお子さんいなかったかしら」
「あー、うん。確か同い年だったかな。男の子がいたよー。妃よく知ってるね?」
「・・・一度、月理もいれた三人で泊まりに行かなかったかしら」
「おぉ。そういえば行ったような・・・。でもそれ、だいぶ小さい頃だよね?」
「・・・そうね。私も記憶が朧げよ」
「そっか。でもまぁ、お米作りがどんな感じなのかも気になるし、また行ってみようかな」
「・・・そうね」
「わぁいいなぁ。それわたしも一緒してもいいかな?」
「もっちろん!月理も天梨も詩羽もいれて、みんなで行こー」
「おー」
千華と唯理が柔らかく握った手を空へ突き出し、
「・・・ちょっと妃」
「・・・なに」
「折角気合いいれてるんだから一緒にやりなよ」
瞬間、露骨に表情を作った妃に、
「なにその嫌そうな顔」
「・・・別に。私も一緒に気合いいれたわ」
「へぇーどこで?見えないなぁ」
あからさまにきょろきょろする千華に、
「・・・心の空よ」
「それ見えないよ!わからないよ!」
「・・・あら残念、それは澄んだ心の持ち主にしか見えないのよ」
「しれっと悪口!?私、心めっちゃ澄んでるし!」
「・・・めっちゃくすんでるし?」
「余計な文字が!『く』がよけい!澄んでる、だよ!」
「あははは」
やり取りの最中も終始笑顔の三人。
優しい笑い声が、遠く彼方まで響いていた。