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雲の采配  作者: 安芸咲良
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第三章 雲への航路(四)

 戸を叩く音に、呉羽は顔を上げた。入ってきたのは鴻牙だった。呉羽はきっと鴻牙を睨み付ける。

「具合はどうですか?」

「よく眠っておられます。……まだ目覚められませんが」

 鴻牙は眠る珀璃の顔を見下ろした。畑で血を流していた時よりも、顔色はよくなっている。

 昨日、畑で血だらけの珀璃を見た時は、心臓が止まるかと思った。誰に襲われたのか、傷の具合はどうなのか。

 だがもっと驚いたのは、彼女の右手に小刀が握られていたことだった。珀璃は自らその身を傷付け、そして桃雲を再現しようとしていたのだ。

 あんなもの、ただの伝説なのに。

「貴方がたのせいですよ」

 低い声が部屋に響く。鴻牙がゆっくりと視線を上げると、目に静かな怒りを燃やした呉羽と視線がぶつかった。

「貴方がたがあんな伝説を残したから……。雲の民の血肉で桃が実ったなど、迷信にも程があります! ただでさえ姫さまは……」

「呉羽」

 静かな声が聞こえた。呉羽ははっと振り返る。

 目を覚ました珀璃が、ぼんやりとした瞳で二人を見ていた。

「姫様! お加減はいかがです!?」

 わっと泣き付く呉羽の頭を、珀璃は優しく撫でた。

「もう、呉羽は心配性ねぇ。私は大丈夫よ」

「姫様……」

 それでも呉羽の涙は止まらない。珀璃の身に何かあれば自分も命を絶っていい、とこの侍女は思っているのだ。

 珀璃は呉羽の頭をぽんぽんと撫でながら、鴻牙を見上げた。

「鴻牙様、手間を掛けさせてしまい申し訳ございませんでした」

「……なぜ、あのようなことを」

 珀璃はふっと笑って目を伏せた。

「私には、雲の力が使えません」

「姫様!」

 呉羽が飛び起きる。慌てて止めようとする呉羽を、珀璃は制した。

「この腕輪……金には雲の能力を抑える力があります。私はこの腕輪を叔父に付けられました。今の私には、雲の力をほとんど使えません」

 鴻牙は驚愕の表情で珀璃の衣服を見やった。そこにはふんだんに金糸の刺繍が施されている。それの意味することとはつまり――。

「姫様の力は雲の民一です。常時でさえ金糸の衣を纏っていたのですから」

 呉羽の声は涙混じりながらも、どこが誇らしげだ。そんな呉羽に、珀璃は複雑そうな視線を向ける。

 ずっと社の者達は、彼女を贅沢好きの箱入り娘だと思ってきた。金は地上では希少価値の高いものだ。雲の民からの要求で納めてきたが、貴重な金を求め続けることに不平不満を持つ者も多かった。

 そこに表れたのが、金糸を纏った珀璃である。贅沢者だと思われても仕方の無い話だった。

「それで、雲の民の供物に金を指示されていたのですか」

「えぇ。私の力は、天上でも持て余されてきました。金の衣を纏ってようやく、普通の雲の民と同じような暮らしを送れたのです」

「なぜ腕輪を?」

 珀璃は目を伏せた。櫂醒の笑い声が聞こえてくるようだった。

「叔父は、天上の覇権を欲しがっていました。天上と地上の和平を重んじる父のやり方に反発して、……私の両親は叔父に殺されました」

 鴻牙は息を呑んだ。思いもよらなかった事実に、掛ける言葉が見つからない。天上で何か起きていると思ってはいたが、まさか王が殺されるような事態が起きているとは思わなかったのだ。

 珀璃は続ける。

「本当は私も殺したかったのだと思います。だけど叔父にはこの力を封じるだけで精一杯だった……。そして邪魔な私は地上に落とされたのです」

 珀璃は何でもなさそうな顔で言った。たまらず鴻牙はその手を取る。

「どうして……貴女は……!」

「これは雲の民の問題です。鴻牙様がそんな顔をする必要はありません」

 彼女の真摯な瞳に見つめられて、鴻牙は力なく手を下ろした。

「呉羽、喉が渇いたわ。水を汲んできてちょうだい」

 そう言う主に気遣わしげな目を向けたが、呉羽は外へ駆けていった。

 しんとした空気が部屋に流れる。

「手当てをしていただいたこと、本当に感謝しております。ですが今回のことは、どうかお忘れになってください。私は……貴方がたを巻き込みたくはない」

 誰にも頼るつもりはなかった。これは彼女の戦いだ。大地の民を巻き込んで、傷付けるようなことはしたくない。

 力を取り戻し、地上に実りをもたらせ、そして天上の偽王を討つ。そのためならば、自らの身など惜しくない。

「……大地の民あっての雲の民だと仰ったのは、珀璃様ではないですか」

 静かな声が聞こえた。珀璃は瞬きをして鴻牙を見る。彼はまっすぐに珀璃を見つめていた。その瞳に押されて珀璃は返事をすることができない。

「貴女がたが我らを守りたいと思ってくださったように、私だって貴女を守りたい。どうか、共に戦わせてください」

 鴻牙はもう一度珀璃の手を取った。大きな手のひらに包まれて、珀璃は鼓動が早まるのを感じた。

 巻き込む訳にはいかないのに。一人で戦わなければいけないのに。

 期待してしまう心を止められない。

「ですが……雲の力に大地の民が適うかどうか……」

「以前申したでしょう? 我らは『戦う繋官』だと。簡単にはくたばったりしません」

 そう言って笑う鴻牙から、珀璃は目を離すことができない。

 期待しても、いいのだろうか――。

 そう思ったときだった。


 カシャン


 軽やかな音を立てて、床に何かが転がった。珀璃は寝台から身を乗り出す。

「これは……」

 思わず珀璃は自分の腕を見やった。左手に付いていたはずの腕輪が取れてしまっている。

「どうして……?」

 右手は相変わらず付いたままだが、片方の腕輪が取れたことで、自分の力が半分持ってくることを感じた。

「珀璃様……!」

 勝機が見えた気がした。力さえ戻れば、あの偽王に勝てるかもしれない。

 珀璃と鴻牙は手を取り合って、それを喜んだ。


 部屋の外、壁に背を付けて呉羽はその声を聞いていた。

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