ある男。
一方、こちらはアメリカのとある街。空は暗くなり、街中の明かりが色とりどりに彩られている。車のライトもチカチカと眩しいこの場所はたくさんの人で溢れ返っている。それもそのはず、この街には有名な大劇場があるからだ。お目当ての劇を鑑賞するために、今日もたくさんの人々が劇場へと入っていく。
「ですから、本日のチケットは完売いたしまして、」
「今日しか見られないのよ!明日にはカナダに帰らなきゃいけないの!どうにかしなさいよ!」
「どうにかと言われましても、我々はどうすることもできません。」
わざわざ遠くから来たと主張するふわふわの毛皮のファーを身に着けたマダム。その隣には同じように険しい表情で威圧してくるマダムの旦那がいた。こんなめんどくさい客を相手するのは、タキシードに身を包んだ高身長の男。このような客は珍しくないので慣れた口調で対応する。
「私たちがどれだけこの公演を楽しみにしてきたと思っているの!?」
「それは他のお客様も同じことですので…。チケットを取っていただきませんと、どうにも…」
「取ろうとしたわよ!チケット予約したのに外れたからしょうがないじゃない!」
「大変人気の公演ですので、貴方様のようにチケットをお取りになれなかったお客様はたくさんいらっしゃいますので。」
「そんなこと知らないわよ!中に入れなさいって言ってるの!」
何を言っても帰ろうとしない迷惑夫婦は強引にも中に入ろうとしてきたが、男によってそれは拒まれた。細身の体に似つかない強い力で押し返された夫婦は、驚いた顔をして男を見上げた。
「申し訳ありませんお客様。お怪我はありませんでしょうか?」
「なっ、なんなのよあんた!私たちは客よ!客に暴力振るうなんて…!!」
「これはこれはお客様、どうかなさいましたか?」
今にも突っかかってきそうな雰囲気のなかに入ってきたのはこの劇場の支配人の男だった。支配人のバッチを目にした夫婦は、待ってましたと言わんばかりにこの受付の男のことを事細かに告げ口し始めた。
「どういう教育をされてますの!?客を突き飛ばすなんて!」
「申し訳ありません。お怪我はありませんか?」
「…ちょっとお尻痛いんだけど、どうしてくれるのかしら?」
「それは大変ですね、今すぐ病院へお送りいたします。マシュー、救急車を。」
「かしこまりました。」
支配人から指示を受けた先ほどの受付の男、マシューは携帯を取り出し電話をかけようとした。それに焦った夫婦はマシューの腕を揺さぶり妨害し、支配人に向かっておどおどしく叫んだ。
「こんな、こんなこと信じられないわ!訴えさせてもらいますから!」
「ご自由にどうぞ。こちらにはちゃんと監視カメラの映像がありますので。」
ニコリと笑った支配人の後ろには監視カメラがジーっとこちらを見ていた。何も言い返せない夫婦は、精一杯の睨みをきかせながらそくささと出て行った。
「いやー、助かりました支配人。あの手の客はめんどくさくて。ありがとうございま、…す?」
マシューがお礼を言い終わるよりも早く、支配人は一枚の青い紙をマシューの渡した。白い文字で書いてあることを確認したマシューは口角を上げ、支配人を見た。
「あんな迷惑な客の相手任せられるの、お前くらいなんだけどな。ま、他の奴らでどうにかしとくよ。」
「ハハ、すいません。」
「…気を付けて、行ってこい。」
「はい。絶対帰ってきます。」
支配人に小さく会釈したマシューは、上着を脱ぎながら小走りで更衣室へ向かっていった。その表情は楽しそうに笑っていた。