第九十九章:眠り姫
一月三日の朝である。
私が目を覚ますと隣で梨花が幸せそうに眠っていた。
私はそっとその寝顔にキスをしてから私服へと着替える。
流石に今日は朝一で帰らなければならない。
何せ突然「泊まってくる!」とだけ叫び家を飛び出したうえ、まだカレンダー上では完璧なお正月である。
こんな時期に突然泊まるとか非常識にもほどがある。
一応昨日の晩のうちに挨拶だけはしておいたので、今日はなるべく静かに帰宅しなければならない。
「んん~……」
布団がモゾモゾと動き、梨花がボーっと私を見つめる。
「もう行っちゃうの?」
「うん。今日はちょっと私も忙しいんだ」
そっか……と呟き、梨花はもう一度眠ってしまった。
時計を見ると朝の五時半である。
昨日は遅くまで梨花とイチャコラしてたので、多分まだ疲れているんだろう。
それなのに何故私が早起きなのかと言うと、単に眠れなかっただけである。
「くぁ……」
おかげで物凄く眠い。
電車でスリとかに遭わないよに気を付けないと……
お正月は普段と電車が来る時間が違うのか。
少々時間をミスりながらも何とか来た電車に乗ると、朝早いこともあってかとても空いている。
小さなお婆さんが一人と疲れた表情をしたおじさんが一人。
私はイヤホンを耳に入れてゆっくりと景色を眺めた。
澄んだ空気が太陽の光を反射してとても綺麗。
これで薄く雪でも積もっていればもっと綺麗で明るいんだろうななんて事を考えながら、私は眠気に襲われる。
――おっと危ない。
乗り換えだってあるし定期が無いから切符を買っているのだ。
乗り越したりでもしたら大変な事になっちゃう。
一回の乗り換えをしたあと碧町駅へと着き、胸いっぱいに朝の空気を吸い込み、悠々と誰もいない道路を歩く。
綺麗な空気の中清々しい気持ちで家までの道のりを歩き、玄関まで来たところで聞き覚えのある声に呼び止められた。
「ゆーみお姉ちゃん!」
振り向くと同時に誰かに抱きつかれる。
抱きつかれたと言っても、腰のあたりに引っ付かれたようなものなんだけれど。
「こら志央。お姉ちゃん困ってるでしょ」
「明美おばさん……!」
確かこの間会った時はまだ目の手術が終わってすぐの時だった。
でも今日のおばさんは普通に綺麗なお洋服を着て嬉しそうに微笑んでいる。
「もう目は大丈夫なんですか?」
「ええ大丈夫。この通り元気よ!」
大袈裟に腕を振り回し、志央ちゃんはキャッキャと喜ぶ。
ああ。お正月だから家に来たんだ。
一番近い親戚だからか明美おばさんは毎年お正月の朝に来る。
でもおじさんの姿が見えないんだけど……
「志央ちゃん。おじさ――お父さんは?」
「パパはねー、後で来るってー」
「近所の知り合いの家をまわってから来るのよ」
と、明美おばさん。
しかし早いですね。
まだ朝の七時前なのに……
「まだうちの家族起きてないんじゃ無いですか?」
「ちょっと早かったかしらね~……」
朝の強いお方だ。
志央ちゃんを連れてこんな時間に着くとか、家を何時に出れば来れるのかしらね。
いえ別に嫌味とかでは無く、単に感嘆してるだけです。
「ただいま~……」
家に入るとやはり誰も起きていないようだった。
明美おばさんと志央ちゃんをリビングに誘導し、私はシャワーを浴びてから自室に戻る。
両親は多分二階の部屋で寝ているんだろう。
勝手に入る気にもなれないからドアを二、三回トントンと叩いてから自分の部屋に入る。
昨日の晩全然眠れて無いから早く寝た――
「ん~……♡」
ありえない物が視界に入り思わずドアを閉める。
何? 何が起こったの。
もう一度ゆっくりドアを開けて部屋に入り、私のベッドの上で気持ちよさそうに眠るお姫様の頭の上で――
昔お遊戯会で使って捨ててなかったシンバルを持ち出して、
「ジャアァァァァアアン」
盛大に鳴らした。
一応家に防音工事をしているので、近隣への迷惑は何とか軽減されたかと。
「きゃあぁぁぁ!?」
びっくりして飛び起きるお姫様。
耳を塞ぎながら辺りをキョロキョロして――
ようやく私に気がついたらしい。
「あ、おはよう裕海ちゃん」
「おはようじゃ無いでしょ……」
姫華は小動物みたいに首を傾げる。
「おはようじゃ無くてぇ……?」
「何で私の布団で寝てるのよ!」
ジャージ姿の幼馴染、宮咲姫華は事もあろうか普通に私の布団で気持ちよさそうに寝ていた。
その前にまず、何故娘がいないのに勝手に部屋にあげるんだろう……
「愛理が彼氏連れてきてー……」
「ええ!? 成瀬君? 妹尾君?」
姫華は首を横に振る。
「どっちでも無い人……それで家が修羅場ってる――」
「マジで……」
「夢を見た」
「……………」
姫華のニヘっとした笑顔。
――この期に及んでまだ寝てるんですか……
私はもう一度鳴らそうとシンバルを掲げたが、幸せそうな表情を浮かべて眠る姫華を見ていると――
「無理やり起こすのは可哀想だよね」
布団がめくれていたので優しくかけ直し、静かに部屋から出たところで両親の部屋から眠そうな母が大あくびをしながら出てきた。
「あら裕海。帰ったのね」
「下に明美おばさん来てるよ」
私はそのまま階段を下りてしまったので、その後母がどうしたのかは知らないけど。
ドタドタと駆け抜ける足音と母の「早く起きて!」という叫び声が聞こえてきたので、
多分もう少ししたら起きて来るんだろうな。
と思い、私はそのまま小さくあくびをして明美おばさんのいるリビングへと一足先に向かうことにした。
明美おばさんはリビングで志央ちゃんと並んで座っていた。
姿勢良く大人しい親子を見ていると、
本当にあの母親の妹と姪っ娘なのかと疑問に思う。
「あら裕海ちゃん。お母さんは――」
「あっ――少々お待ちください」
流石の私でもここで「寝てました」などとKYな発言はしません。
一応自分の親なのでそのへんはちゃんとしてますよ。
「飽きたー……」
まあそうでしょうね。
流石に子どもは飽きるでしょう。
ずっと二人でリビングに座ってるとか高校生の私でも飽きますよ。
「裕海お姉ちゃんと遊ぶー」
志央ちゃんが私の脚にひっついて甘えてくる。
どうしようかな……
私の部屋ではお姫様が絶賛爆睡中ですし、志央ちゃんを連れて行ける距離で突然あがっても平気な家も爆睡姫君の家だし……
よし! 愛理ちゃんに預けよう。
「じゃあ志央ちゃん、お隣に行こっか」
「わーい! おとなりー」
バンザイしてついてくる志央ちゃん。
明美おばさんは少しウトウトとソファーにもたれていた。
――流石に朝早くて疲れたんだろうな……
「こんにちは~」
なるべく明るい声を出して姫華の家のチャイムを鳴らすと、
中から眠たそうな声をした愛理ちゃんが出てきた。
「あー……裕海お姉さん。どうしたんですか? こんな朝早くに」
悪いことをしたな。なんて感情に少々襲われたけど、私はコホンと咳払いをしてから、
「えーとですね。姫華が私の布団で盛大に爆睡してまして、居場所が無いんです」
愛理ちゃんの表情がみるみるうちに変わっていった。
「またうちのお姉ちゃんがご迷惑を――」
「あ! うんごめん。そんな怒らなくても大丈夫だから」
「怒ってなんかいません」
口ではそう言っているけど顔が凄く怒ってるよ。
教育上よろしく無いので、チラリと志央ちゃんを見てみると――
志央ちゃんはとくに気にせずに庭の方を眺めていた。
――ほっ……良かった。
「すみません! すぐ起こしに行きますから!」
慌てる愛理ちゃんを両手で制して、
「大丈夫よ。それよりも今日はお願いがあって来たの」
「私にですか?」
愛理ちゃんはキョトンとした顔で私を見る。
当たり前だ。
いくらお隣だからと言って年が数歳離れている、しかも年上のお姉さんが
(自分で言うのも何だけど)突然「お願いがある」なんて言っても実感が湧かないだろう。
私だってもし今ここで大学生くらいの人に「お願いが……」なんて言われても困る。
「お姉ちゃんに関することですか?」
愛理ちゃんは若干身構える。
何? 何か姫華の事で口止めされてたりするのかな。
「この娘私の親戚なんだけど――」
「わぁ~可愛い」
愛理ちゃんはジャージ姿のまま玄関を飛び出し、志央ちゃんの頭を撫でた。
「誰ですか? この子」
「親戚の子で――」
「よろしくお願いします」
志央ちゃんはご丁寧にキチンと頭を下げた。
明美おばさんはしっかりした人だから、そういうところちゃんとしてるのかな。
「こちらこそ~!」
愛理ちゃんはもう志央ちゃんにメロメロのようだった。
――これなら預けて平気かな?
愛理ちゃんのお部屋に突然あがるのは悪いと思ったので、私の部屋で勝手に寝ている姫華の部屋に三人で突入する。
何でも両親の意向で部屋に鍵をかけられ無いらしい。
私は帰ったら早速部屋に鍵を付けてもらえるよう検討しよう。
愛理ちゃんは一足先に入り、私と志央ちゃんを室内へと促した。
「どうぞ……って私が言うのも変ですけどね」
ちょっぴり物珍しそうに愛理ちゃんは姫華の部屋を見渡している。
私は一人っ子だから分からないけど、
同性の姉妹でもやっぱあまり姉妹の部屋には入らないものなのだろうか。
「すみません……うちのバカ姉が」
いや別に――良くは無いか……
「昨日私がいない間に何があったのか知ってる?」
「知らないです……私はあの後お姉ちゃんに会ってないので」
愛理ちゃんは申し訳無さそうに首を横に振る。
むぅ……気にはなるけど、愛理ちゃんをこれ以上困らせるわけにはいかないよね。
「こんにちは! 志央です」
「初めまして~愛理だよ」
志央ちゃんは幸せそうな顔をした愛理ちゃんにギュッと抱きしめられている。
私もこういう時期あったなぁ……
親戚の子とかが可愛くて仕方なかった時とか。
「ところでお話って何ですか?」
「お話っていうよりお願いなんだけど――」
と、ここまで言ったところで視界がグラグラしてくる。
ヤバい――限界かも。
「私昨日いろいろあって寝てなくて……」
「てっ……徹夜してんですか!?」
「愛理お姉ちゃん、てつやってなーに?」
無邪気に問いかける志央ちゃん。
でもごめん。今は構ってあげられないの。
「だから……私が仮眠をとる間志央ちゃんの面倒を――」
ここまで言ったところで意識が飛んだ。
きっと電池が切れたんだろう。
徹夜でテスト勉強したことあるから何とも言えないけど、
昨日は梨花と結構イチャついて――しかも朝から電車に揺られたり何だりで、かなり疲れてしまったらしい。
「ごゆっくり――」
微かにそんな声を聞いた気がする。
そして私はゆっくりと夢の世界へととろけていった。




