第九十八章:梨花の過去
途中、過去回想が入ります。
梨花の家は思ったより静かだった。
梨花が言うには両親揃ってリビングでだらしない格好で寝ているから、
リビングには絶対入らないで! とのことだった。
私は梨花に背中を押されるように階段を上り、
梨花の部屋に入ったところで梨花に後ろから優しく抱きしめられた。
「り……梨花っ?」
「何があったの?」
私の行動が分かり易いのか、
梨花の洞察力が高いのか。
――多分両方なんだろうけど。
梨花の背後からの抱擁により少しだけだけど、
私の心の不安感が軽減される。
温かい身体同士がくっつき合い、
心も身体もポカポカしてきた。
「梨花には何もかもお見通しかぁ」
「ねぇ。何があったの? 今日あまり裕海ちゃんに構ってあげられなかったから?」
それってヤキモチって事――
ああ……あれ?
私の中で何かが合致する。
そうだ……あの時も。
「梨花……」
「何?」
私は梨花の顔を見つめ、額と額をくっつけた。
自分が何故モヤモヤしていたのかが分かった途端、
梨花と目を合わせるのがたまらなく恥ずかしかったのだ。
「どうしたの? 裕海ぃ……」
梨花の身体に手をまわし、耳元に口を近づける。
そっと頬を擦り寄せながら、溜息でもつくように静かに囁いた。
「ヤキモチだった……」
「んぇ? 裕海……?」
頬と頬が触れ、フニフニした感覚が顔をくすぐる。
「姫華と楽しそうにしてるの見て、ジェラシー抱いちゃったのかも」
触れ合う頬がだんだん温かくなってくる。
いつも浮気まがいの事をしてるのはこっちだったけど、
今日になって梨花がこんなに辛い事に耐えていたことに気がつき、
非常に申し訳なく感じた。
「ごめんね……梨花」
「どうしたの? 突然」
梨花の身体を抱きしめる力を強め、ギュッと触れ合う。
「いつも梨花の気持ちにも気がつか無いで、姫華とばっかりキスしてて……」
「平気よ」
梨花の冷徹な声が耳に突き刺さった。
梨花は……私が他の誰かとキスをしていても、全然気にならないって事?
それって……私の事を気にしてくれて無いって事で――
「辛いでしょ?」
梨花が私を抱きしめる力も強まる。
若干苦しいかも知れない。
「気にされて無いと思うのは辛いよ? でも私はずっとその事に耐えてきた。だから大丈夫。私は強いから……」
抱きしめ合い密着した頬を涙が流れる。
私のでは無い。
梨花が泣いているんだ。
「梨花……ずっと気になってた事があったんだけど、聞いても良いかな?」
梨花は涙を流しながら、ゆっくりと頷く。
「それで私の事を軽蔑したり、私を見る目を変えたりしない?」
「しないよ。絶対に」
梨花の目を見つめて真剣に言う。
私は今になってやっと、大好きな恋人さんに自分を気にしてもらえない寂しさを知った。
梨花もまた。
私がそういう感情を持っていることを知っている。
今日は辛いことを全部吐き出す日にしよう。
「じゃあ……裕海。今から言うことは、絶対に誰にも言わないで」
梨花の真剣な表情をしっかりと見つめ、私は心の底から頷いた。
---
――四年前の春。氷室梨花は地元の中学校へと進学した。
特にこの地域では中学受験を推進しておらず、
この辺りの小学生は全員同じ中学校へ進学するのが暗黙の了解だった。
梨花は男女問わず好かれるタイプであり、成績も抜群に良かったので中学に入学してすぐにクラス委員長になった。
小学校時代の友達やクラスメート達の推薦もあり、
何より自分が目立つことが好きだったから立候補したのだった。
だが中学校という場所は小学校とは違い、恐ろしい場所であった。
女子内で派閥のような物が出来ていたのだ。
別に作ったわけでは無い。
ただ別の小学校で中心だった女子の一人が、運悪く梨花と同じクラスだった。
彼女は小学校にてずっと中心で、
学級委員や生徒会などを続けている、いわゆるその小学校での女王的な立場だった。
ただ彼女には欠点があった。
一部の取り巻きから好かれているだけで、彼女は“男女問わず人気”では無かったのだ。
もちろんクラス投票では男子も混ざるので、大抵選ばれるのは梨花になる。
綺麗な黒髪に切れ長で整った目。
スっと通った鼻にほんのり桃色な頬。
容姿的にも男子からの評価は高かった。
真面目で優しくて大人っぽい。
この三つは中学で女の子がモテる三原則であるが、
梨花はそれを全て持っていた。
男女問わず仲良く接し、自分の仕事で無いものでも大変そうなら手伝ってあげる。
人気取りや何かを狙っているなどでは無く、
それが梨花の個性だった。
だから梨花の周りにはいつもクラスメートがいたし、
中心にいるのはいつも梨花だった。
中学校生活に慣れてくると、
やはり恋愛という物に興味が出てくるお年頃である。
特に男の子は異性に興味を持つ時期であり、あちこちでコッソリと告白が起きていた。
梨花も何度かはされた。
だが当時から大人だった梨花は特に返事をすること無く、
優しくお断りをしてから、ゆっくりと友達として仲良くなっていった。
その頃の事である。
中学開始当初からあった一部の女子の派閥。
中心にいたのは梨花と同じクラスの新城(仮名)さんだった。
彼女は梨花の行動を、
自分の評判を上げるためにやったことだと思い込み、
一部の男子に文句を言っていた。
――別にそれは大した問題にはならなかった。
元々そういう事を言う人だと言うのは全員知っていたし、
ちょうど中学は告白ブームで男女間の仲がそこまで悪く無かったのだ。
それから数ヵ月経ち、二年生となった梨花はやはり気になる男の子が出来た。
その時でも梨花は割と良い意味で有名であり、
一年生の時と比べても格段に女性的に成長しており、
梨花の告白を断るような男子生徒は存在しなかった。
告白は一発オーケーで、その日の放課後から付き合い始めた。
静かだけど優しい男の子で、
梨花と性格も合い、毎日がとても楽しかった。
だが。
ここで梨花の有名だという事実が足を引っ張った。
梨花と男の子が一緒に帰っているところを誰かに見られてしまったのだ。
――見られてしまった。
別に悪い事では無いのでこの表現は確かに少しおかしい。
だが実際“見られてしまった”なのだ。
噂は一瞬で広まった。
別に悪気とかでは無く、クラスのアイドルが誰かと青春を謳歌していれば、気になってしまうのが中学生というやつである。
だがその広まり具合が半端では無かった。
学年中のほとんどが知っているほどの有名人だった梨花は、
広まった先、全員にどこの誰かがバレてしまった。
その時元同じクラスだった新城さんにも噂が流れる。
彼女は異性間の関係は無く、広まった噂のせいで梨花に強烈な嫉妬をした。
(噂とは人を通れば通るほど大きく、根も葉もない事が追加されて行くのです)
彼女はそこにさらに、聞きもしない噂を付け足した。
その噂が流れた途端。
梨花を見る目が変わった。(噂の内容については思い出すだけで涙が出てく
るので割愛します)
クラスだけでは無く、学年中から嫌な視線を感じるようになる。
だけど梨花は強かった。
そんな噂はいつか消える。
並大抵のメンタルでは無かったおかげで、
自分自身の力だけで評判を多少は回復することができた。
特に小学校から同じだった友達などからは、梨花を信じてくれる声の方が大きく、梨花を拒絶する人は少なかった。
そうだ。梨花は強かったのだ。
だが梨花の彼氏は違う。
元々静かで優しいタイプだった彼は、根も葉もない噂に押しつぶされ、
耐え切れなくなってしまったらしい。
彼は梨花に「さよなら」とだけ告げ、
それから梨花と会ってくれる事は無かった。
そして梨花は男の子が怖くなった。
あんなに優しい顔で接してくれていたのに、突然裏切られる……
そこから人生が狂った。
鋼の精神をもってしても、流石にこれはダメージが大きかった。
明るく優しい梨花のハートは粉々に崩れ、
自分の感情を表に出すことができなくなってしまったのだ。
そして梨花は――中学二年の三月。
少し遠くの私立中学へと転入した。
元々頭が良く、学校生活での素行も良かった梨花は特に問題なく転入を許可された。
両親にわけを聞かれたが、答える事が出来なかった。
今の中学に行きたくないから受験するなんて言えるわけが無い。
「もっと成績が良い学校に行きたいの」
私が両親についたたった一つの嘘だった。
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「それで私は新しい中学で勉強し直して、元の中学の人が絶対に来ない距離の学校を選んだのよ。
もちろん両親も教師も、梨花ならもっと上位校に行けるって勧めてはくれたけど」
梨花は全てを話し終わった後、ゆっくりと溜息をついた。
私は何も言えなかった。
梨花が地元を極端に怖がる理由。
前に図書館で会った人の前で震えていた理由。
(中学のトラウマで男の子が怖くって……)
梨花に告白を受けたときに言われた言葉が蘇った。
「裕海ぃ……」
ボロボロと涙をこぼす。
「大丈夫。私は絶対裏切らないから」
梨花の指が頬をグリグリと突っついた。
「裏切ったじゃん……」
「本当。ごめんね」
止まらない涙を胸に溜め、
今日は梨花のお願いを全部聞こうと――そう心に決めた。
「あら裕海さん」
梨花と一緒に一階に降りると梨花の母親がまったりと歩いていた。
「ちょっと母さん! 化粧もしないで人前に出ないでよ」
梨花が必死に母親をリビングへ押し戻し、
ドアをバタンと閉める。
「恥ずかしいなぁ……」
唇を尖らす梨花の顔は、もう元に戻っていた。
さっきの長くて悲しいお話は、そっと私の胸の奥に秘めることにする。
これ以上絶対に掘り返さない。
できれば梨花にも忘れて欲しいんだけど……
自分の事だからそれは無理なのだろう。
「裕海ぃ……」
「何? りんっ……むぐぅ」
梨花の優しい唇が触れる。
涙のせいかちょっとしょっぱいけど、普段通りの梨花だ。
もう震えてもいない。
本当に……梨花は強い子だった。
梨花の辛さも悲しさも全部自分の唇で受け止める。
大好きな人と優しく触れ合う。
今お互いに欠けている物は他人とのぬくもりである。
悲しくて暗い話をした後は、感情に流されるとどんどん暗くなってしまう。
はむはむと唇を咥え合う。
優しく甘い吐息が触れ合いちょっとくすぐったい。
「んはっ……はぅ……♡」
指を絡め合い――お互いに舌がちょっぴり顔を覗かせる。
舌先が触れ合いピクっと身体が震える。
だけどそれは最初だけ。
すぐに舌の感覚に馴れた二人はほぼ同時に舌を絡め合っていく。
梨花の口内で舌が跳ね踊る。
もちろん梨花の舌も私の口の中を優しく暴れまわっている。
甘くて温かい感覚が口中に広がり、なんとも言えない安心感に包まれる。
さっきまでの暗い感情が徐々に百合色に塗りつぶされ、冷え切った心の内側からポカポカと温まっていく。
「んは……梨花ぁ……♡」
「はふ……裕海ぃ……?」
指を絡め合ったまま身体をくっつけ合い、柔らかい胸同士が愛しい恋人さんに鼓動をダイレクトに伝えていく。
ドクドクと強く温かい鼓動。
脚も絡め合い、絡め合った指を離してお互いに身体をギュッと引き寄せる。
全身が密着し、お互いの体温が行き来する。
「ぷはっ……♡」
唇を離し、甘くとろけそうな舌が唇を繋ぐ。
真冬だというのに鼓動も速く、顔が凄く熱い。
「この後も……ずっと」
梨花に耳元で囁かれ、私は静かにそれに応じた。




